鎖と黒髪の猫人
明日、また旅に出る。
シノンと私はすでに準備を調えて、明日の早朝には出発ができる状態だった。今回の目的地は北の、二国からなる島国だ。そのうちの南側、ザン王国。
とりあえずは地図の左上、北西の方から順番に色々と調べていこうということになっている。シノンは情報集めは得意で、やり方は教えてはくれないのだが調べ物は大の得意だと言う。
だからこそ、団長さんはシノンに、空の使いたちについて調べるよう頼んだのだと思う。
一番北西には私の故郷であるダンジル王国があるのだが、事情があって今はまだ行きたくないので、シノンに頼んで一旦パスしてもらったのだ。
シノンは優しかった。私が行きたくないとひと言頼んだだけで、何も訊かずにうなずいてくれた。
で、今は街からの買い物の帰りで、散歩がてら近くの丘に登って景色を堪能していた。川の向こう側に王都の景色が良く見え、更に遠くには海が見える。
中央にある大きな木のすぐ脇に座って、黙ったまましばらくそこにいた。
空は晴れ渡り、風が気持ちいい。春のなま暖かい風が私の頬を撫でた時、シノンが急に立ち上がった。
双剣を取り出して、周囲を見回す。
「……どうした?」
「座ってろ」
短く答えると、シノンは一歩、二歩と前に出る。周囲への警戒を一切怠らず、盛んに頭の耳を動かしている。周りの音を聞いているのだろう。
しばらくそんな雰囲気が続いたが、やがてシノンが急に動き出した。目の前に飛んできた何かを弾いたのだ。
上に飛んだその何かを見て、私はまず意外に思った。シノンに向かって飛んできていたのが、鎖だったからだ。
「っ……誰だ!」
鎖が飛んできた方向に剣の切っ先を向け、シノンは叫んだ。
すると、茂みの中から黒ずくめの青年が現れた。その時、私は固まってしまった。
なぜなら現れたのが、黒髪の獣人だったからだ。猫耳を持ち、猫の尻尾もある。細く、そして鋭い赤目に黒をベースにした赤ラインの入ったボロボロの服。そして癖毛のあるボサボサの黒い髪。
その時、青年がニヤッと笑ったと思ったらいきなり姿を消し、その刹那、金属同士がぶつかる音がしてシノンのいた方向を向く。
「っ! シノン!?」
「待てっ! 来るな!」
私は立ち上がって叫ぶが、シノンに止められた。青年は手に大きな鎌を持っており、それをシノンに攻撃したところ、彼が剣で受け止めた、と言ったところか。
シノン、あの動きが見えていたのか……?
「いいねえいいねえ! にいちャん、動きがアイツと同じだよォ! でもね、俺の動きについてこれてない。すなわち、お前はアイツじャない」
「なんの、ことだっ!」
シノンが剣を思い切り突き出すと、青年は後ろに飛び、一回転してから地面に着地した。
「ヘェ。いいじャんいいじャん? やッぱ似てるよォ! どうやら、お前なら俺を楽しませてくれそうだ、なッ!」
「っ!?」
右手を正面に突き出すと、先ほどのような鎖が出てきて、シノンに襲いかかった。シノンはそれを弾いたが、青年に距離を詰められ、思い切り腹を殴られて吹き飛び、後ろの木にぶつかる。
「がはっ!」
「シノン! 大丈夫か!?」
シノンに駆け寄って、私は彼の横に座る。
「……いってて……」
シノンは、腹の痛みがないかのように立ち上がり、後頭部をさする。
「え、シノン?」
「……腹は魔力集中で防御したから平気だ。ただ頭は……な。いっつつ……」
痛がりながらも私の疑問に答えてくれるシノン。……なんだかよくわからないが、大丈夫なようだ。良かった……。
「おお、おお、おお! いいねェいいねェ!! 思ッた通りだァ! さあ、やろうぜにいちャん!」
再び鎌を持ち、青年はシノンに襲いかかる。シノンも前に出て、私から距離を取った。私も立ち上がり、シノンたちの戦いを見守る。それしか、私にはできなかった。
あの青年は、やはり空の使いだろうか。いや、それにしては他の空の使いとは例外すぎる。団長さんによると、今のところ全員性格が同じで、物静かで落ち着いている、おとなしい性格だと言っていた。
しかしあの青年は全くの逆である。かなり好戦的で、落ち着きがない。それに、他の空の使いと違って、かなりの戦闘力を持っている。他にはこんな戦闘力はないはずだ。
「『金属連続攻撃』!!」
「シノンっ!!」
青年がそう叫んだ瞬間、たくさんの金属の破片がシノン目がけて飛び、彼の体全体に傷をつけていった。
「『破片貫通』!!」
「っ!?」
青年の周り――何もない空中――から金属の破片が飛び出し、シノンの左足の太股を貫通する。私はシノンの元へ行こうとしたが、シノンは片膝をつき、来るなと叫ぶ。
私は反射的に立ち止まり、体中に力が入った。
更に追い打ちをかけるように、青年はニヤニヤしながら二本の金属の破片を、シノンに飛ばす。
一本はシノンが躱したので、右頬を掠って中央に刺さるのを防いだ。もう一本は、躱しきれずに脇腹に刺さった。
「っ!」
シノンは咳き込み、口から血を吐いた。
私はもう耐えきれなくなり、シノンの前に走る。そして、彼を庇うようにして青年とシノンの間に立った。
「カルナ! に、げろ!!」
「嫌だ!」
「なら、そこを退くんだ! 物理魔法は念力魔法が使えないと対抗できない!」
「なら、私にお前を見捨てろと!?」
「見捨ててもらっても構わないから、とにかくどけ! ……いや、こっちに来い!」
振り返ると、シノンは剣を支えにして立ち上がろうとしていた。
そしてシノンが左手を前に出すと、体が浮くのを感じた。……え?
「うわっ!? なっ………!?」
ふわふわと体が一メートルほど浮かび、シノンの後ろへと運ばれた。そのあとにシノンは私を振り返り、サニーズのバッジを投げ渡してきた。私はそれをキャッチし、再びシノンを見る。
「転移、サニーズ、と叫べ。半径、三メートル以内なら、一緒に転移、させられる、から……!」
「おおッと、そうはさせるかッ!」
「て、転移、サニーズ!!」
考えている暇はないと思い、私は慌ててそう叫ぶ。すると視界の先は白い光に包まれ、あっという間にサニーズの待合室に到着した。
ドサッ……と、何かが倒れる音がして、周りがざわめく。
はっとして、私は床を見る。……シノンが、血まみれで倒れていた。
「っ! シノン!?」
「うぇ!? ど、どしたの!?」
「だ、団長さん! シノンが……!」
良かった、ちょうど団長さんが待合室にいた……!
団長さんはこちらに駆け寄ってきて、シノンを抱え上げた。団員に清潔な布と水を急いで持ってくるように命令して、シノンの傷をさっと診る。
シノンはぐったりとして、全く反応がなかった。
私は座り込んで、シノンの頬を叩く。そんな……反応が、ない……嘘、でしょ……?
団長さんが一度シノンを床に寝かせて、団員に持ってこさせた布を湿らせて水で傷を洗ってから、脇腹と足の、大きな傷の出血を止めた。慣れた手つきだ。
応急処置を終えると、今度は脈を取り始めた。冷や汗をかきながら、私はそれをじっと見つめる。
「……! 良かった! まだ息はあるよ!」
「ほ、本当ですか!?」
「急いで、担架! 君は人払いを」
二人の団員がきびきびと動き、一人は担架を取りに走り、もう一人は人払いを始める。
良かった……まだ、生きてた……!
「でも、まだ油断はできない。高熱も出るだろうし、何より傷が深い。しばらくは目を覚まさないと思う」
「そう、ですよね……でも、生きててくれただけで、良かったです……」
団長さんは私に笑いかけて、優しく言った。
「大丈夫だ。シノンはボクたちが絶対に助けるから、ね?」
「はい。よろしく、お願いします……」
団長さんは力強くうなずき、駆けつけてきた副団長さんとともにシノンを担架に乗せる。私もついて行き、シノンは治療室でちゃんとした手当を受けた。
サニーズには怪我人をすぐに手当できるよう、しっかりとした医療設備もある。ちゃんとした医者もいるし、ギルドでの入院生活ができる。すぐ近くには冒険者の訓練用の為に迷宮区があるので、街がないからだ。
シノンのような魔術師には回復魔法が効かないので、人の手で手当をするしかない。
シノンが手当を受けているその間、カーテン越しに彼の叫び声が響く。……傷を縫っているのだ。深い傷の口に、熱せられた針を通すのだから、痛いのは当たり前だ。
私はそれを、苦い思いで聞いていた。ひたすら、頑張れ、と心の中でシノンに言っていた。
やがて叫び声が止み、カーテンの中から団長さんが汗まみれで出てきた。
ぶはぁー、と派手にため息をつき、私に笑顔を見せる。
「命に別状はないよ。後遺症も、シノンなら残らないって」
「そうですか……! 良かった……本当に、ありがとうございます!」
私は団長さんに頭を下げて、涙をぽろぽろ流した。もう、止められるはずがないだろう。
肩に触れられて頭をあげると、団長さんに頭を抱えられた。
「よく頑張ったね。お疲れさん」
「はい……でも、良かった……」
「ただね、今はちょっとこの中は見せられないから、明日またお見舞いに来てよ。旅立ちは明日では無理そうだから、とりあえず今日もここに泊まっていきな」
「え、どういうことですか?」
「うーん、見たら結構ショックを受けるよ。相当な覚悟が必要だ。ボクはオススメしない。いや、ダメ、絶対」
なんだかよくわからなかったが、団長さんがそういうのなら……仕方がない。やめておこう。
翌日、私は早起きしてシノンのいる医務室に向かった。扉を開くと、医務室管理のライムに迎えられた。
ライムは私と同じ歳の女の子で、医術系専門の知識と技術を持っている。そこは少しライズに似ているかな。
「や、カルナ。シノンはそこだよ」
奥で唯一カーテンの閉まっている寝台を指さし、私は彼女に礼を言ってその寝台に歩み寄ってカーテンを開ける。
シノンは、目元に白い布を被せられて、静かに寝息を立てている。いや、少しだけ荒い、かな? 右頬には大きな絆創膏を貼られているのが見えた。
脇に置いてあった椅子に座り、そっと、顔に載っている布を外してみる。あ、少し湿ってるな。
顔が赤く、時々咳き込んでいた。風邪か?
「ああ、熱は薬で少し下がってるけど、さすがに風邪の症状は抑えられなかった。まあ、大丈夫だよ」
「そ、そうか。わかった」
脇に置いてあった桶に目を移し、ライムに問うた。
「この水に布を浸して、載せているのか?」
「うん。そうだよ。あ、看病がてら、カルナが布を変えてやんなよ。シノン、起きたら喜ぶんじゃない?」
「は、はあ? そんなわけ、ないでしょ……」
私は顔が熱くなるのを感じた。しかし、本当にシノンがそんなことで喜ぶわけないと思った。なにせ、私は今回も何もできなかった。結局シノンが傷を負った時だって、ただ傍観していただけだ。
シノンとあの青年の間に立ち塞がった時だって、結局シノンを困らせた。自分の無力さが悔しくて、私は拳を握る。
ライムはそんな私を見つめ、ため息をついて呆れたように呟いた。
「まあ、そばにいてやんなよ。何があったかは多分団長が聞くんだろうし、話してくれなくても良いけどさ、あんたは守られていていいと思うよ? シノンは、君のことを何よりも大事にしてる様子だったし」
「え? ……シノンが?」
ライムはくすりと笑い、そのまま去ってしまった。
私は、守られていていい? ……いや、私はそう思わない。シノンは今まで、私のせいで怪我をすることは多かった。でも、私が見ていた限りでは今回ほどの傷を負ったのは初めてだ。
シノンに申し訳がなくて、どうしても頭が上がらない。シノンが起きたら、ちゃんと自分の言葉で一番に謝りたい。だからここを離れる気はない。
でも、起きた瞬間にシノンに冷たい態度を取られたりでもしたら、二度とシノンと関わることがなくなるのではないだろうか。と、そんな大袈裟な考えが頭を横切る。
大袈裟だとわかっていても、その考えが頭から離れない。
今回ばかりは、本当に怖かった。もしもシノンが死んだら、私はどうしようかと。とにかく、怖くて仕方がなかった。
あの青年の不敵な笑み、そして、シノンをも圧倒する異常な戦闘能力。私には到底敵わない。
そんなことを考えながらしばらく経つと、肩を持たれ、私は後ろを振り返った。
「だ、団長さん……」
「そんなに落ち込まないでよ。何があったのか、話してくれるかい?」
「……はい」
それから私は、買い物の帰りに起こった出来事をすべて話した。謎の青年が現れたこと、物理魔法でシノンを圧倒していたこと。団長さんは黙って聞いていた。
やがて話し終わると団長さんは、うーん、と唸る。
「今のところその青年からの襲撃……いや、追撃とかはないけど、警戒しておくことに越したことはないね。もしかしたら、追ってくるかもしれない」
「でも、シノンのことは知らないようでした。ただ、強い人と戦うのが好きみたいで、ずっとアイツアイツって……」
「うー、アイツってのが誰かはわからないけど、もしかしたらその青年も、空の使いかもね。調査団を……いや、駄目だ。シノンを倒したんだ。調査団なんて何人いたって無理かもしれない。必ず犠牲者が出る。とりあえずこの件は、全王さまに報告することにするよ。カルナは引き続き、シノンの看病をよろしくね」
そう言って微笑むと、団長さんは部屋から出ていった。
「それにしても、酷いよね。こんなになるまで傷つけるなんて。多分そいつは、シノンをオモチャにしてたんだ。許せない」
「………そう、だな」
「カルナも怖かっただろうに。よく無事で帰ってきてくれたね」
ライムは私に、そう優しく言ってくれた。
「……うん……ありがとう……」
今の私は、ただそう呟くのが精一杯だった。
2018年9月19日、修正しました。