138、養父と養子
遅くなりました……
「……何を、言い出すんだ……?」
いきなり言われた言葉に、シノンはその言葉しか出なかった。
実の父親という存在の概念がほとんど残っていない――話をした記憶もほとんどない――シノンにとって、記憶をなくした自分を拾い、息子として育ててくれた養父という存在は大きかった。
だからこそ、そんな相手の頼まれ事なら何でも聞くつもりでいた。
だが、あまりにも酷な頼み事に、その事すらも忘れてしまった。
「殺せ、と言っている」
「嫌だ」
即答した。
レイヴァの特徴の一つとして情の深いシノンが、大切な人を殺す……あるいは死なせるはずが、なかった。
そうでなくてもシノンは寂しがりだ。数年ぶりに父親と再会できたと思ったら、いきなりその一言だ。……受け入れるはずも、ない。
「何故だ? 俺はお前を、殺そうとしたんだぞ?」
「ロウは俺の父親だぞ。血が繋がってるとか繋がってないとか、関係ない」
シノンは断言した。例え殺されかけても、自分はロウを恨みはしないとわかりきっていた。
それが、見ず知らずの人間だったなら遠慮なく攻撃し返し、命すら奪っていただろう。だが、恨む気持ちは芽生えない。
他人を恨むくらいなら、自らの手を汚すことくらいはするとしているからだ。
しかしその相手がロウなら、恨むどころか、訳を聞くだろう。言い訳でもなんでも、シノンは聞くつもりだ。
「……そう、か。にしても、珍しい者を仲間にしてるな」
「……昔からの、付き合いでな」
「昔から、か。そっちにも何かあるらしいな。……ま、俺がそれを聞く権利はないだろうが」
ロウはそう言って苦笑いを浮かべた。シノンは悔しそうに唇を噛み締めた。何故なら、ロウが自分を殺せと言った理由がわかったからだ。……わかって、しまったからだ。
「水狼。出してくれ」
シノンがそう呟くと、茂みの中から出てきたのは体長二メートルほどの翼狼だった。立派な翼に混じりけのない白銀の毛並みを持ったその魔物は、Sランク指定の珍しい魔物だ。幻獣とも呼ばれる存在であり、一般の者なら一生に一度その姿を見られるかどうかといった希少さだ。
そんな幻獣の姿を見ても、ロウは特に驚かなかった。シノンのような天才とも呼べる者なら、幻獣の一匹や二匹くらい、使役していてもおかしくはないと思っているからだ。
実際、水狼のほかに白夜と極夜……九尾狐と雷鳥などという幻獣も使役しているのだから。
茂みから出てきた水狼には驚かなかったが、その口に咥えられた男を見て初めてロウの目が軽く見開かれる。
何故なら、その男は自分の行動を見張っていた顔見知りの男なのだから。
「こいつは誰か、答えてくれるか?」
「……昔の同僚の男だ。俺の行動をずっと見張っていた」
「ロウの行動を? ロウは魔法で操作されてたんだろ?」
そう。シノンは何をわかってしまったのかというと、それはロウの体に埋め込まれた闇属性の魔力に関してだった。体の深いところまで潜り込んでおり、ロウが何度も抵抗した痕跡まで残っていた。
そのおかげで彼の体はぼろぼろであり、酷く衰弱していた。
先ほどまでは体の中に埋め込まれた魔力に動かされていたからこそ目に意思の光が見られなかったのだ。
魔力に敏感なシノンは落ち着いてからすぐにそれに気づき、だからこそ見張られていたという事実に首を傾げる。
「俺の体を動かしていたのは、ダンジル王国にある屋敷の中にいる奴だ。こいつは、俺の行動について向こうに報告をする役目を持っていたようだ。……屋敷からでは、詳細なことはわからないから」
「……なるほど」
要は、遠隔操作はできても、術者はその場の詳細な情報を得られないのだろう。だからこそ、見張り役と称して報告をする者というのは必要になる。
そして、標的であるシノン――白の魔術師――を見つけ、確認し、実際に決行した。ロウの立場を利用した悪質なやり方だった。
「とりあえず、縛るか」
「シノン。その……ロウさんは……」
「大丈夫。本人が望んでいたわけではないらしいし。……一応、話を聞く必要もある。する必要もあるな。ロウは、ダンジル王国にある屋敷、と言っていたのも気になる」
「…………」
カルナは黙り込み、ロウは疑問符を浮かべる。カルナの出身地はダンジル王国で、彼女はその国の元王女だ。どう考えても敵としか思えない者がダンジル王国にいると思えば、自国が心配になるのも仕方がなかった。
そしてロウは、カルナがダンジル王国の王女だと知らない。だからこそのこの反応なのだから。
「中で話そう。白夜、放していいぞ」
「おい、やめろ……!」
『御意』
ロウの抗議など気にせず、主の言葉に従ってロウの背中から前足を話す白夜。シノンもロウの言葉を気にも留めないまま、手を差し伸べる。
「とにかく、中で話を聞く。……万一ロウがまた暴れだしても、気絶させるだけだ」
シノンは自信を持ってそう告げた。今の自分なら、聖族としての自分を思い出した今なら、例え狭い場所でロウが相手でも、止められる自信があった。
実際今の彼ならばそのくらいのことはできるし、それだけの技術もある。
シノンに対して信頼の視線を向けるカルナとリアスを見て、ロウもうなずいて立ち上がった。
「なら、頼む。……初めて会ったあの時みたいに、な」
「立場が逆だけどな」
冗談めいたことを一言呟いて、シノンは嬉しそうに微笑んだ。もともと恐ろしいほど整った顔立ちを持っているために、その笑顔は美少女のようにも見えた。だがロウはそんなことを口にすることもないままただ微笑みを返した。
「リアス、悪いが、ここからは……」
「なるほど、私が侵入できるところでもないね。エジルの様子も見れたし、帰るよ」
状況を読んでくれたリアスが、笑みを浮かべてそう言ってきた。
ただし、自分たちにできることがあれば協力させてくれと一言告げて、森の中へと去っていくのだった。
「昇れるか?」
「ああ、これくらいは」
ロウに返事をもらい、カルナが先に昇って、シノンはロウに続くようにして梯子を昇って行った。
ライズは出かけているので、今このツリーハウスにいるのはシノン、カルナ、ロウ、そして眠っているエジルだ。ちなみに、シノンの従魔たちは外で男と周囲を見張っている。
三人は、エジルが寝ている部屋とは別の――シノンとカルナが寝泊まりに使っている――部屋に腰を降ろして、話を始めることにした。
そして最初に口を開いたのは、ロウだった。
「……今までずっと黙ってたんだがな。俺の本名は、ロウ=ラテリアル=フォン=ラズラエスタ。これでだいたいのことはわかると思う」
「っ!?」
「そうだな」
カルナが表情を驚愕に染めている反面、シノンはただ淡々と、短くそう告げるだけだった。
以前に会った時より大人びた雰囲気を感じ取っていたロウだったが、全く驚かれないとは思っていなかったのだろう。冷静にそう返されたロウはシノンへと驚きの視線を送った。
「……驚かないのか?」
「いや、十分驚いてるよ。けど、ダンジル王国と言ったら、やっぱり有名なのはラズラエスタ家だしな。ロウにも、昔何かあったというのはだいたいわかってた。深い事情なんだろうと思ってたから、まあそんなもんだろ。予想の範疇だ」
尚も淡々としているシノンだったが、裏切られた気がしないから、それほどリアクションも高くない。
この世界が生まれたころから生きている彼にとって、この程度のことでは驚くような性質ではなかったのだ。
だが、まだそれを知らないロウは、これは二十二歳の若者の反応なのか? とも思ってしまう。
それを敏感に感じ取ったシノンは、目を瞑り、ロウに自分の正体について話すことを決意した。
「……昔」
「……?」
静かに、目を閉じたまま話し始めたシノン。カルナは、シノンが聖族に関しての話をするのだろうと悟って、以後黙っていることに決めた。
シノンにとって父親という存在がどれだけ大きいのかを知っているからこそ、そういった判断が出来たのだ。
血の繋がっていない父親だからこそ、自分を知ってほしい。自分の過去を、ただ知っていてほしい。そういった思いが、シノン……いや、アルスレンドという人物にはあった。
「初恋の女がいて、俺はそいつを本気で恋い慕っていた。けど、女は俺の地位を目的にして、利用していたんだ。当時の俺は驚くほどに女という存在を知らなかった。たいていの場合、知り合いで多かったのは圧倒的に男の方だし、女は簡単に男を利用するんだってことも知らなかった」
「お前、何を……?」
心底疑問だとでも言いたげに、ロウは呆然と聞き返した。だが、シノンは最後まで聞いてくれと手で制し、さらに続ける。
「だから、当時の俺はその女を本気で一生の相手にしてもいいと思ってた。だから、家族にも紹介したんだ。けど、女は俺を人質に取って血筋の一族に入れろと言ってきた」
「…………」
ロウはこの時点で、シノンが記憶を取り戻しているのだと確信を持っていた。そうでなければ、をするように、一人称で話をするはずがない。つまり、これは実際にシノンが経験した事なのだろうと、そう見当をつけていたのだ。
「俺の血筋は純血で、それが望めば、その恋人は一族の一員になれる。今のカルナも、その例の一つだ」
「カルナも?」
つまり、シノンが望んだから、カルナもシノンの一族に仲間入りしたという解釈を、ロウはしていた。
確かに間違ってはいない。間違ってはいないが……根本的な理解が間違っていた。
一般的に、男女が結婚をしたら女が男の自宅に嫁入りをするように、カルナもシノンの一族の中へ嫁入りをしたのだろうと思っていた。
だがそれだけでは、カルナも、今この場にはいないゼロも、寿命が残ったままだ。
シノンがリシュ山脈の祭壇で儀式を行ったため、カルナにもゼロにも、今は寿命がない。つまり、完全な聖族になりつつあるのだ。
「ああ。……聖族。誰も知らない、神の眷属。俺は、その純血だ」
「…………」
ロウは、すでにシノンがただの人だとは思っていなかった。
最初から怪しかったのだ。
戦闘民族の末裔で、その中でも珍しい青色の目を持ち、"才を持つ子"であり、"片目"であり……希少な種族の血が混じりあった子など、この世で他にいるだろうか、と。
だが、それはシノンが聖族であることに大きく関係していた。
聖族というのはすべての種族の原点だ。それらの血を持っていて、何がおかしいというのか。
彼らに言わせれば、その言葉が返ってくるだろう。
もちろん、聖族の中でもシノンだけがこんなにも多種の種族の血を持っているわけではない。彼の家族――兄や姉たち――も、同じように複数の種族の血を持っている。
純血だからこそ持っている、固有の特徴だった。
そこまでを説明すると、ロウは沈黙する……のではなく、笑みを浮かべて言う。
「……そうか。戦闘能力の高さも、複数の武器を操れるその能力も、すべて長寿であるが故の特典だったんだな」
長寿を持つ種族というのは、一生を一つのことに熱中させる人族とは違い、それを利用して様々なことに熱中することが多い。シノンも例外ではなく、もともと好奇心旺盛な性格をしていたために様々なことを様々な人たちから習った。
武器の扱いもそうだし、他にも魔術や呪術、妖術や霊術、料理、錬金術、鍛冶。
負けず嫌いなシノンは、過去に色々なことを習って、それらをマスターしてきた。今でも負けず嫌いなのは変わらず、時々武器を素振りしてみたり、術や料理などの技術面も感覚を忘れないようやっていたりする。
長寿……というよりは寿命のない聖族であり、あらゆることに才能を持つ"才を持つ子"だからこそできる芸当だ。
ちなみに、そうでなければ、シノンは戦いに一生をかけていたかも知れない。
「シノン。お前の本名を、教えてくれるか?」
「……アル。アルスレンド=ヒューム=フォン=ダグリス。聖族やそれに連なる種族で成り立つ、リリーズ四大公爵家の一つ、ダグリス家の子息だ」
ロウはもう驚かなかった。ただ、今日は驚くことばかりだなと言って笑うだけだった。
自分が育てた……否、ともに過ごしてきた息子は、こんなにもすごい人物だったのかと、つくづく思うのだ。しかも、息子だと思っていた相手は、実は自分なんかよりもずっと長生きをしている神の眷属だった。……息子だなどとは、思ってはいけない人物だった。
「アル、か。いい名前、だな」
「やめてくれ。ロウには……父さんには、いつまでも、父さんでいてほしいから」
ロウは目を軽く見開いた。
自分が、父親でいてもいいのだろうか。シノンという人物を、息子だと思っていてもいいのだろうか。
いや、自分はそうは思わない。
実の息子だと可愛がっていた相手を、この手で殺そうとしたのだ。それに、シノンは自分よりも歳上。そうでなくでも、出会ってから十六年が経つのだ。生まれたばかりの赤子だったとしても、とっくに成人している。親離れする歳なのだ。
いつまでも自分の下にいては、いけない。
「父さん」
ロウが何を考えているのかを悟ったのか、シノンが目を細めてロウを呼ぶ。
「父親を名乗る資格がないとかじゃない。……大事なのは、子供が父を父と認識するかどうかなんだ。……いつまでも親に縋りついてるわけじゃない。ただ、父親でいてくれれば、俺はそれでいいんだ」
少しだけ不安そうに告げたシノンの目は、本気だった。
それを見たロウが、悔しげに歯を噛み締める。しかしそれがわかったのか、シノンはただ笑みを浮かべた。
「そういうもんだろ? 血が繋がってるか繋がってないかなんて関係なく、生みの親より育ての親という言葉があるように、記憶を失くした俺をしっかり育ててくれた父さんは、父さんだよ」
「だが、記憶が戻ったなら、お前にも実の父がいるだろう。その父親に、育てられたんじゃないのか?」
ロウの言っていることは正しい。正しいが……シノンは首を横に振る。
「俺に父親はいない。……いや、いたけど、今はもう、普通に会話することはできない」
「……どういうことだ?」
シノンの最初の言葉では、父親は自分が生まれて間もなく死んだと言っているように聞こえた。だが後半の言葉で、ロウは訳がわからなくなり、思わず聞き返した。
これは、ロウはもちろん、カルナにもゼロ達にも話してないことだった。そのため、カルナもシノンの言葉に耳を傾けている。
「俺の父親は……」
シノンの言葉を聞いて、数分間の沈黙が室内に訪れるのだった。
間もなく水の聖者~記憶の果て~は公開から一周年が経ちます。
その日には特別号を間に合わせますので……楽しみにしてくれる方が一人でもいてくれれば嬉しいな程度にしておくことにします……。