表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
水の聖者~記憶の果て~  作者: 森川 悠梨
第12章、大切なものの名前
135/138

135、種族と人格

 長い沈黙を破ったのは、カルナだった。

 そっと視線をエジルへと移し、肩を落としてから、呟く。

「……そ、っか」


 落胆したような声と、悲しみから溢れる声。

 エジルは元ダンジル王国大将軍だ。だが今はカルナと共に出奔したと同時に引退している。そのせいでしばらく体を動かしていなかったが故にガタがきたのか、エジルは病を患ってしまった。

 カルナはそれをわかっているのかいないのか、自分を責めるような言葉を呟く。


「……ごめんね、エジル……私が……私が、強ければ……そもそも国を出る必要はなかったのにね……」


 カルナは気づいていない。そうして国を出奔したお陰で、シノンや仲間と出会えたことに。

 カルナの言葉を聞いていたシノンもライズもそういった言葉を言わないのは、やはりこれ以上彼女を傷つけたくはないことで一致しているからだろう。

 余計なことを言って下手をすれば、もともと精神が強い方ではないカルナを傷つけることがある。なぜなら、国を出奔する際、どうすれば良かったのかわからなくなってしまうからだ。

 それだけ、カルナにとってエジルやシノン、そして仲間達はかけがえのない存在となっているのだから。


「気負うな。誰かのせいで人が死病に罹るのなら、この世はがん患者だらけだよ」


 だが、何も言わないのもまた結果的にカルナを精神的に疲労させることに繋がってしまう。そういう理由もあって、シノンが励ましの言葉をかけたのは、かける言葉が見つからずにただ見ていることしかできなかったライズにとっても安堵できることだった。

 今は少しでもカルナの肩の荷を下ろしてやらなくてはならない。シノンが言う通り、彼女が気負う必要……もしくは責任を感じることはないのだ。

 国を出なければならなかったのも、エジルが引退することになったのも、そんな彼が死病に罹ったのも、すべての人や生き物がひとりひとり行動した末の、偶然に偶然が重なり合った結果なのだから。


(……そう、この世の全ては偶然に偶然が重なっているものにすぎない)


 創造神が生まれたのも、その創造神が世界を作ろうとしたのも、この世界で起こっている全ての出来事も、全てが″偶然″である。

 ″運命″とかいう言葉だけは綺麗なものが存在しているのだが、その言葉ですらも″偶然″や″必然″でしかないというのがシノンの考えであった。

 ……昔、″恋人レイアル″の力を求めて自分を利用した女を思い出しながら、シノンは内心で呟くのだった。


「……そう、だね……ありがとう、シノン」


 少しだけ彼女に笑顔が戻ったことに微笑を浮かべたシノンは、カルナを立ち上がらせてライズに問う。


「部屋を借りたい。カルナを、休ませたいから」


 以前ライズに対して使っていたような敬語ではないのは、ライズ自身が敬語を使われることに慣れていないからだろう。

 むしろ師匠であるマガネスには弄られっぱなしで、敬意を払われるべき相手ではない人物と幼い頃から暮らしていたこと、元々大将軍という地位にありほとんど敬語を使うような立場ではないエジル、それに出会ったのが子供の頃だったために……あるいは一国の王女ということもあり最初から敬語など使わなかったカルナという人物達に囲まれて生活していれば、敬語に慣れないのも当然だろう。


「ああ、いつもの部屋が使える。自由に使ってもらって構わないさ」

「ありがとう」


 珍しく微笑を浮かべながら短く伝えると、シノンはカルナを伴って部屋から出ていった。

 ここでカルナがエジルの傍にいると抵抗しなかったのは、精神的に疲れた状態でシノンに抵抗を示しても言い返す言葉がないと理解しているからだろう。

 なぜなら、研究室に籠りっぱなし身体的にも精神的にも疲労していたシノンに対して、偉そうなことを散々言ってきたのだから。

 そういうこともあり、カルナは少しでも眠るため、シノンに従って別の部屋へと移っていった。






「ん……ん?」


 そう声を上げながら体を起こしたのはカルナだった。

 朝の白い日の光を浴びて目を細め、手で影を作る。窓の外は夏の森。小鳥が鳴き、蝉が鳴き、風が鳴く。そして……。


「起きたか」


 そんな景色を見ていると、部屋の中からそんな声が聞こえてくる。振り返らずともわかるその声の主は、言うまでもなくシノンである。


「……おはよう」

「ああ、おはよう」


 カルナはそのシノンへと視線を向ける。10畳ほどの部屋の中で独立した椅子に座りながら、彼は《世界地図マップ》を起動してプエルとフィーユの2人と向かい合っていた。

 そのプエルとフィーユにしても、今はカルナの方へと向かっているが。


『やあ、カルナ。久しぶり……かな?』

『おはよーカルナー』


 笑顔でそう言ってくる2人に、カルナも笑顔で返す。


「うん、おはよう」


 些か元気のない声ではあったが、誰かと話すのは嬉しいことなのでカルナは微笑む。


「どうした? エジルが病に罹ったせいで、元気がないのか?」

「えっ……?」


 カルナは思わず声を上げた。なぜか、シノンの纏う雰囲気に違和感を感じたからだ。

 だが、今のままではその違和感の正体に気づくことが出来なかった。それでもこの違和感は、彼女にとって無視できるほど許容できるものではなかった。


「……? どうかしたか?」

「え、あ……いや、何でもないよ。それより、朝食は食べたの?」

「いや、俺も今起きたばかりだから……」

「2人とも、起きたのかい?」


 シノンの言葉を遮って中に入ってきたのは、ライズだった。

 ノックもなしに無遠慮なのは、やはりそれだけシノンとカルナに親しみを感じているからか。


「ごめんよ、朝食の件なんだけど……食材がなくてね。今はチーズしかないから、これでも食べて昼までは我慢してほしい」


 そう言ってライズが出したのは、この世界では大変貴重な食材でもあるチーズ。

 それをさらりと出せるのは、やはり自らの医術を活かしての儲けとマガネスの魔術による儲けで、金には余裕があるからこそだろう。

 ……しかし、そのチーズのお陰で、カルナはシノンに感じる違和感の正体に気づくことが出来た。

 けれどライズの前でそれを口にするわけにもいかず、食材は有難く頂戴していた。

 ライズが出ていき、部屋の付近には一切気配を感じないのを確認すると、《世界地図マップ》を閉じてしまっていたシノンを振り返り、カルナは言う。


「ねえ、君は……誰?」


 第一声はそれだった。

 そう、カルナが感じていた違和感。それは、目の前にいる人物はシノンではなく、全く別の人物であるということだった。

 そうは言ったが、彼は全く表情を変えず……いや、少し微笑みを浮かべて言う。


「ほう……なぜそう思った?」

「……否定しないの?」

「質問を質問で返すな」

「あっ、ごめん……」


 カルナはとっさに謝るが、目の前にいるのは確かにシノンだった。それでいてシノンではないという矛盾した思いの中、カルナは先程から違和感を感じていたとシノンに話す。

 シノンではなくとも、彼自身に害を及ぼすものではないだろうというのがカルナの本能的な判断だったからだ。

 その理由の一つに、誰だと聞いた時に別人(・・)であることを否定しなかったことにもあるのだろう。


「違和感……ね。いつから感じてたんだ?」

「最初に変だなって思ったのは、シノンが、″エジルが病に罹ったせいで″って言った時だった。今やっと気づいたけど、シノンはここに来てから私を気遣ってくれていたのか、そんなことは一切口にしていない」


 このアグリム山麓のツリーハウスに戻ってきてからすでに数日経っている。その間、シノンは決してそのような事は口にしなかった。

 少しでもカルナの負担を増やしたくなかったという思いがあったからだ。口にすれば少しではあってもカルナは傷つく。それを危惧したシノンは、一切そういった言葉を口にはしなかった。

 カルナはそんなシノンの気遣いに気づいてはいたのだが、なかなか言い出せず礼を言い損ねてしまってもいた。


「次に……というか、これで確信を得たんだけど。……なんで、チーズに反応しなかったの?」


 その時、シノンの眉と耳が同時にピクリと動いた。

 シノンは一応、狼と同じ特性を持っている。当然、食べ物の好みだって同じである。

 獣人とは違っていても狼に変わりはなく、その狼はなぜかチーズが大の好物である。シノンの場合はオムライスが大好物なのだが、実のところ一番の好物はチーズなのだ。

 ただ貴重な食料であることに変わりはなく、買えるだけの金はあっても実物がない。だから滅多にはシノンも食べられないので、大好物のオムライスでなんとかチーズを食べたいという衝動を抑えてきた。

 つまり、目の前にその一番の大好物があれば飛びつくはずだったのだ。

 だが、それがなかった。つまり、シノンの()にいるモノは″シノン″ではなく、別の″誰か″だということに他ならない。

 カルナは、そう考えていた。


「くくく……なるほどな。それはちょっとしたミスだったか」

「じゃあ、質問に答えてもらうよ。……君は誰?」


 また雰囲気の変わったシノンに対し、カルナは警戒心を若干だが強めて睨みつける。

 普段はつぶらで優しげな瞳をしているカルナだが、シノン――自分の人生最大の想い人の体の中で何をしているのかと思うと、静かな怒りが体の中で燻っているのを感じずにはいられない。

 だが、それに返ってきたのは……。


「くくく……ははははは!」


 普段のシノンでは有り得ないような大きな声で、彼は笑い始めた。とても可笑しそうに、こらえきれないとでも言うように。

 だが、数秒するとその笑い声はピタリと止み、ニヤニヤとシノンらしからぬ妙な笑みを浮かべる。


「はぁ。俺からすれば初めましてじゃないんだがな、一応挨拶くらいはしようか」

「は?」


 自分はこんなシノン……否、人格とでも言うのだろうか、とにかくこんな人は知らない。とでも言いたげな視線をカルナは送った。

 だがそんなことは気にするなとばかりに声を上げたのは、当然シノンの顔を被った誰か。


「まあまあ、落ち着け。この体はお前のよく知る″シノン″のもんだ。ただ、同じようで違う魂が一つの体に宿っている。俺はその一つだ」

「つまり……いわゆる、裏人格っていうやつ?」

「まあ、合ってるといえば合っているし、違っているといえば違っているかな」


 どこか回りくどい言い方をしてくる″誰か″は、いつの間にか口調がシノンのものではなくなっていた。

 声も若干ではあるが普段より低い。ここのところ、やはり魂そのものが違うせいで意思も身体――この場合は喉――の使い方も違うのだろう。


「んじゃ、改めて。俺の名前はスイ。この身体に居候してる、()()()()()だ」

「……は?」


 スイと名乗った居候の最後の言葉を聞き、カルナは間抜けた声を上げるのだった。

 それも当然だろう。

 人魚族と言えば、哺乳類である人間と魚類の血が混ざった種族であり、体の表面が体毛と鱗に覆われている種族だ。目の色はダイヤモンドの如く美しい銀色で、魔力量が少ないために魔法は使えないが身体能力は人よりも高い。

 とはいえ、人よりも高いと言うだけであって、他よりかなり優れていて突出しているというわけではない。

 乾燥に弱く、普段は海の中から出てくることはない。繁殖力も弱いので希少種として人々に見られ、直接の戦闘には向いていないので、高い戦闘能力が重視されるこの世界では別に狙う目玉はないだろう。だが、鱗はパールの如く美しい輝きを持っているために、金の匂いを嗅ぎつけ貴族や商人がこぞって狙いに来る。

 当然鱗は剥がされれば生えてこないし、なにより痛い。それ故に人魚族としても人に自分達の大切な防御手段の一つでもある鱗を渡すわけにもいかなかった。

 滅多に聞くことのない名前だけに、カルナは驚くしかない。

 シノンの身体の中に、そんなモノがいたのか、と。


「おいおい、俺を害虫みてぇに見るなよ。これでもわりとあいつの手助けしてるんだぜ?」

「て、手助け? それは、どういう……?」

「簡単なこった。あいつは、俺が表に出ている間の記憶はないが、俺が引っ込んでる時のことは、俺がしっかり覚えてる。だから、あいつが表に戻ってきた時に、俺がこっち()にいた間のことを話して補足させる。何も知らないまま、俺がやらかしたことを誰かに咎められるのも可哀想だしな」


 自嘲気味に笑みを浮かべるスイ。

 この様子から、スイはそれほど頭が良くないということがわかる。

 実際、人魚族はあくまで魚類の一種でもある(・・・・・・)ということに他ならない。魚類はさほど頭が良くないし、彼らに魔法を使うことが出来ないのもそれが原因のひとつでもあったりする。

 とはいえ人という知能のあるものの血を持っているだけあり、文字や言葉を使ったりということは容易にできた。だがそれまでであって、学問と言った類のものはほとんどしていない。


「ま、俺のちょっとした閃きで、あいつも結構命が救われてんだよ。自分で言うのも難だが」


 クスッ、と笑い、スイは更に続ける。


「ちなみに、魔人討伐の後スフィンで目を覚ました時は、俺だ」

「…………」


 カルナは数秒……下手をすれば数十秒間固まっていたかもしれない。なぜなら、自分が恥ずかしがるのもお構いなしに虐めてきたあれは、シノンではなく実の人物……スイだったのだから。


「……もしかして、シノンが時々恥ずかしがったり照れたり、頬を赤くすらもしないことがあったのって、スイだったからなの?」

「正解。あいつは結構素直だから、お前に……いや、正確には、お前とゼロに甘えられるとかなり照れる。それがあいつの素だからな」

「…………」


 ようやく口を開いたかと思えば、また沈黙。身体は同じなのに、中身が違っていたという屈辱、後悔、自嘲、あるいは侮蔑といった想いまで湧き上がってくる。

 だが腐ってもシノンの一部なのか、スイはそんなカルナの感情を敏感に感じ取り、代弁するでもなくむしろニヤリと笑みを浮かべてカルナに言ってきた。


「あ、もしかして悔しいとか思ってたりする? 可愛いなぁ〜」

「っ!?」


 見た目はシノンなのに、声もシノンなのに、中身だけが違う。これがもしそこらにいるゴロツキの類ならば遠慮なく顔面を殴っていただろう。だが、華奢で女顔とも言える自分の想い人の顔面をぶん殴る気にはなれなかった。

 だからこそ、歯がゆいし、口惜しい。何故こんなものが、シノンの中にいるのかと。だがシノンを助けてきたことに偽りはないらしく、カルナとしてもそれは認めるしかない。故に、ただただストレスが溜まる。

 しかし彼女は、幸か不幸かストレスを溜めるタイプではなかった。その辺、人との繋がりを大事にするレイヴァだからこその特徴と言えるだろう。


「あのさぁ……いい加減にしてくれる……?」

「……あれ? 怒った? うわお、そんな顔見たことない……いや、あるか?」

「言いたいことはそれだけかな?」


 口元は笑っているが、目は笑っていなかった。顳顬にはまるで彼女の強い怒りを顕にするかのような血管が浮かび上がっている。

 カルナにとって、スイの言葉は何故かシノンに対する侮辱に聞こえた。自分が本気にしている相手ではなく、体は同じでも別の誰かと口付けをしていたかと思うと、カルナにとってもストレスでしかないし、シノンを差し置いて自分を自由にされている気がしてならなかったからだ。

 彼の口調が口調なだけに、どうやらサディスティックなことは分かった。そして、軽い性格なのだということも。

 面白そうな笑みを未だに浮かべつつ、スイは近づいてくるカルナを見ていた。そう、まるで微動だにしないのである。

 そうしてバカにされているような気になったカルナは、顳顬の血管を一つ増やし、拳を振り上げ……その力強い一発が振り下ろされた。

補足


今回の課題:人魚族について


人魚族とは。

人魚と聞けば皆様はおそらく、人の上半身と魚の下半身といったイメージをすることでしょう。

しかし、この世界では人魚族は人の要素が多く、体の表面に哺乳類の特徴を残しつつ鱗に覆われているといった感じです。それ故に竜人族ほどではありませんが他より防御力が強いです。ただし水中での運動神経なら誰にも負けません。

目の色は銀色で、耳の先は尖っているという特徴があります。奥〇燐君くらいだと思ってください。

魔力量は少なく知能も若干低いため、魔法は使えません。

身体能力に関しても、本編にあったように人よりも高いというだけであり、他より突出しているというわけでもありません。

しかし、決して良いところが無いわけでもありません。鱗はダイヤモンドの如く美しく輝き、見る者を魅了します。故に、高い戦闘能力が重視されるこの世界でも、金の匂いを鍵つけた貴族や商人は人魚族の目撃情報があると、こぞって彼らを狙います。一枚の鱗でも王金貨10枚以上の価値はあるからです。

もちろん哺乳類と魚類の一種ですから、水の中でも空気中でも呼吸ができます。

鰓はありません。

水中での呼吸は皮膚から水中の酸素を取り入れています。

また、爪、牙、角または棘があり、どれも攻撃手段となり得る危険物です。中には毒を持っているものもあるので要注意です。

以上、人魚族に関する補足でした。


最後までお付き合い頂き、ありがとうございます。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ