133、世界の穴とサプライズ
雨が降ってますね……湿気が……
「シノンのお母さんと、お姉さん……?」
聖族に親はいないのではなかったのか。そう思ったカルナだったが、この紙に書かれた筆跡は間違いなくシノンのものだ。丁寧で雑さが見られない、そしてなおかつ若さの感じられる文字。
それに、聖族には親はいないが、聖神には母親と父親がいるのだということをすぐに思い出す。
カルナが古代ダンジル語を習った期間は短いためこの文章が合っているかどうかはわからない。かと言ってシノン本人に訊く勇気もない。
ならば……
「……義兄さんや義姉さんに、聞いてみようかな……」
カルナは騎士王国スフィンでファイにもらった《連絡機結晶》を取り出す。一辺5センチ程度のエメラルドグリーンをしたキューブ型の結晶で、魔力を込めればファイといつでも連絡が取れるといった代物だ。
シノンについては本当に謎が多い。
記憶を取り戻した後でも、シノン自身が謎のままにしている。彼なりの気遣いでもあるのだろうが、カルナとしてはちゃんと話をして欲しかった。
「でも……」
カルナはキューブをしまう。シノンが自分から話さない限り、待つべきだと思ったからだ。彼が打ち明けてこないのは、あくまで自分たちを思ってのこと。それに、シノンの嫌なことを無理に思い出させるのは、カルナにとって彼に対する愚弄でしかない。
「なら、待つべき、なのかな」
呟き、カルナは紙を机に置いて、さっさと片付けを始めた。
シノンが抱えているモノは決して小さくないし、目に見えない。
だけど、それをフォローすることが出来るように、カルナは待つべきだと思うのだった。
「ん……雨、か……」
シノンは寝台から起き上がる。眠気からくる多少の気怠さを無視して時間を確認すると、既に夕方の時刻だった。
「やっべ。行かないと……」
シノンは部屋から出て、研究室へと向かっていった。
「あ、シノン」
「カルナ……って、片付けてくれたのか」
「あぁ、まあ、ね」
「ん? どうした?」
どこかよそよそしいカルナに対してシノンが首を傾げていると、彼女の方から話しかけてきた。
「あ、あのね、シノン」
「なんだ?」
ソファから立ち上がって、カルナはシノンの前まで歩いてきた。
「……ごめん」
「は――……っ!?」
シノンが気づいた時には、カルナに抱きつかれていた。だがすぐにシノンから体を離し、珍しく頬を赤くする。
「な……なん、だよ……」
「ごめん。私が勝手にやった事なのに……」
「は? ……何か、あったのか?」
何が何だかわからぬ、というように訊ねるシノン。だがカルナは首を横に振って何でもない、と言った。
だがシノンは目を細めて彼女の肩を掴み、言った。
「言え。1人で抱え込むなって、お前が言っただろうが。人のこと言えねえぞ」
「あ……その……」
カルナは渋っていた。
今朝、シノンが書いたと思われる黄ばんだ1枚の紙のことを訊くべきかどうか、迷っていたのである。
だが、苦し紛れに書かれたようなその文字は苦悩に歪んでいたのがカルナにもわかった。あれに関しては、触れてはいけない。本能的に……いや、確信を持ってそう思ったカルナは、再び首を横に振って否定した。
「ううん、何でもないよ。それより、体の方は? お腹すいてない?」
いつものような明るい笑顔に戻ったカルナを見て瞬きしたシノンだったが、やがて続けて出された質問に答えるべくうなずいた。
「ああ、だいぶいい。腹は……そうだな、寝ていたとはいえ、昨日から何も食べていないからすいたな」
「そっか、じゃあご飯持ってくるから……あ、それとも一緒に行こうか。オムライス作ってあげる」
カルナがその言葉を放った瞬間、シノンの耳と尻尾がほぼ同時に反応する。
彼の大好物であるオムライス、という単語を聞いたからだ。
カルナはそんなシノンの様子に笑みを浮かべ、彼の手を握って早速とばかりに研究室から出ていった。
「ほらほら、行こ?」
「ああ」
カルナの作る自らの大好物が食べられると思って笑みを浮かべながら、シノンはカルナのあとをついて行った。
―――――――――――――――――――――――
「カルナ、ゼロ」
「ん? どしたの、シノン?」
「……?」
食事をし終わった後の、夜。
好奇心のような笑みを浮かべた、あるいは不思議そうな顔をしたカルナとゼロ。
シノンに手招きされて、2人は彼の下に歩み寄っていった。
そしてシノンが無言で食堂から出ていったので、2人もその後に続く。やがて屋敷の外に出て来たので、カルナもゼロも少し訝しげな顔をする。
朝から昼までの雨が嘘のように今夜は晴れ渡っており、満月がところどころにある雲の上から顔を覗かせている。
梅雨の時期特有の湿気が肌に触れるが、命の泉の近くであることもあり不思議と不愉快なことがない。
そんな命の泉の畔に、シノンは立った。
「ねえ、シノン?」
「どうしたの、こんな夜に……?」
「さて、なんだと思う?」
妙に嬉しそうな微笑をその顔に貼り付けたシノンは、腰に両手を当てて2人の回答を待つ。
「当てられたら、当てられた方からにしようか」
「え? 何を?」
「お楽しみに決まってるだろう。それを聞いてるんだから」
カルナが問うも、シノンはそれを軽く躱す。
2人は本当にわからないといったふうに首を傾げ、あるいは話し合い、予想を立てる。だがどれもハズレであり、シノンがこれからやろうとしていることではなかった。
そうして、10分ほどが経ったのち。
「……ねえ、シノン、降参。何? 何をするの?」
「……ふむ」
「いや、ふむ、じゃなくて。答えを教えてよ」
「それを答える前に、これを見てもらいたい」
『え?』
シノンは両手を軽く打ち合わせると、泉の方へと視線を向ける。カルナとゼロも釣られてそちらに視線を向けると、そこに存在していたのは青く輝く泉の水だった。
「わあ……すごい」
「綺麗……」
2人はその泉の美しさに魅了され、思わず呟いた。
少しだけ緑が混じったような、薄い青色の光。これは泉の水に存在する魔力が満月とシノンの魔力に反応して起こる現象の一つであり、さらに水面には夜空の星が映り込んで更に幻想的な景色を生み出していた。
それはまるで、地上に星空が生まれたかのような、そんな光景。そこに飛び込んだら美しくも悲しい夜空の穴に落ちていってしまいそうな、そんな予感すらさせる。
鳥肌が立つほど人を魅了するその命の泉の姿は、聖族の間ではこう呼ばれたていた。
――″世界の穴″、と。
《庭》にはそういった二つ名のつく景色はそれぞれいくつかある。だがその中でもこの″世界の穴″は1、2を争うほど美しいと言われている。
それほどに、この″世界の穴″は人や聖族達を魅了させてきたのだ。
「今日は特別な日だからな。何せ、世界の誕生日なんだし」
「え……世界の誕生日って、今日なの?」
「ああ。日付は人間がつけたんだから、中途半端な日になっても仕方ないだろ」
『なるほど』
カルナとゼロは同時に納得の声を上げる。
今日は水無月の15日。世界が誕生して一番最初に起こった気象現象は、降水だ。
この時期に雨が多く降る国が出来たのも、それがきっかけだったりする。
そしてその降水により、海ができ、大陸が分かれ、植物や動物といった生態系が誕生したのだ。
そしてそんな、世界が誕生した日は確かに、色々と特別なことがあるわけで、カルナもそれに気づいてシノンに問いかけた。
「……ねえ、ってことは、今日がシノンの誕生日……なの?」
カルナは今まで、彼の誕生日を知らなかった。それは当然だろう。シノンは教えていなかったのだから。
聖族……聖神は世界の誕生と共に生まれた存在であり、タイミングは違えど20人とも同じ日に産まれたのだ。
そういった予備知識があったからこそカルナもその答えにたどり着いて質問したのだが、その予想はしっかりと当たっていた。
「ああ、まあな。世界が誕生したこの日に……俺達の誕生日に、こいつを渡したくてな」
そう言ってシノンが取り出したのは、2つの小さな箱。青色と、赤色の一辺5センチ程度の箱だ。
そして、カルナとゼロにはそれに、見覚えがあった。
「……シノン……」
「…………」
カルナもゼロも驚きが隠せないようで、カルナは目を見開き、ゼロは黙ったまま手で口元を覆っていた。
「ああ。ほら、受け取って開けてみろよ」
シノンから、カルナは青色、ゼロは赤色の箱をそれぞれ受け取って、ゆっくりとそれを開いた。
中に入っていたのは、2人も予想していた銀色の……指輪。
それぞれ瑠璃色と紅色の宝石が埋め込まれていて、小さいながらも魅力溢れる輝きを放っている。
それらの宝石には魔力が込められており、様々な付与もしているためにそれはある意味当然だった。
「シノン、これ……」
「ああ。……2人とも、遅くなって悪かった」
シノンは表情を引き締めて、声のトーンを一段階下げて告げた。
「……俺の妻になってほしい」
その言葉を待っていたかのように、カルナとゼロの目から光の粒が溢れ出る。
そして嬉しそうで、幸せそうな笑顔を浮かべながら、
『もちろん……』
「これからも、よろしく」
「お願い、します……」
そう、呟くように口にするのだった。
『おめでとー!』
パンッ!
と、クラッカーの音が続けざまに食堂に鳴り響いた。
シノン、カルナ、ゼロの3人を中心に、アルファ、アリュスフィア、ゆうきの3人が祝福の声を上げた。
食卓にはいつもよりも量の多い食べ物が置かれており、街で買ってきたのか7号のホールケーキが1つ置かれている。
「お前ら、やっとだな。出会ってから何年経ってんだ?」
アルファがシノンとカルナに対してからかうような声をかける。確かに、彼らは出会ってから長い付き合いをしている。事情があって婚姻は決まってはいたもののできずにいたので、確かにおかしいと言えばおかしい。
「10年」
それにあっさりと答えたのはシノン。
10年という長い付き合いがあったのだということを初めて知ったゼロは軽く目を見開いてシノンを見ていた。
それだけ長く付き合っていれば、人として切れることのない絆を結ぶことが出来ている。
それをちょっとした知識で知っていたゼロは、そんな2人を少し羨ましく思うのだった。
「ああ……それと、な」
ゼロがそんなことを考えていると、切り出したのはシノンだった。
「早めに言っておく。冬になってゼロが聖魔力を完全に抑えられるようになったら、コペル王国に行こうと思う。それから、しばらくしたら俺はリリーズ王国に行く」
「……″俺は″?」
そのシノンの言葉を聞き、反応したのはアルファ。そして続けて、カルナとゼロもうなずいて言った。
「……どういうこと? リリーズ王国って、まさか依頼とか?」
「まあ、そんなところだ。というか、そうだ」
「どんな依頼、なの?」
「護衛依頼。リュアンからのな。誰の護衛かはまだわからないけど」
カルナとゼロの問いにそれぞれ答え、シノンは不安そうな表情を浮かべる2人の頭に手を載せた。
「なんだよ、何が心配なんだ?」
「シノンのことだから、また無茶しそうでさ」
「それに、聖族としての力もまだ、完全じゃないんでしょ?」
心配そうな声音で話しかける2人に対してシノンは苦笑を浮かべ、安心させるように言った。
「平気だ。今回はダグリス家の者としてリリーズ王国に赴くから、危険は少ないさ」
シノンは聖族によって作られた四大貴族の1人でもある。表向き……というには少し違和感があるが、基本は悪徳貴族の取締や迷宮入り事件の解決など、各国で起こる事案についてを解決するのに手助けをする貴族でもある。
全王の犬とも呼ばれるその四大貴族は、ダグリス家、ミンローズ家、ムガリウス家、グローム家の四大公爵家で成り立っている。
その全てが聖族に通じており、全王のリュアンもまた、聖族の一員である。
全王の指示があれば、リリーズ王国の大臣も他国の王族ですらも、逆らうことは出来ない。
そういった裏の仕事をしている関係で他国の平民以下の者達はその存在すら知らない者の方が多い。
本国では表立って政治に参加しており、民の為を思ってくれている彼らは民衆からの人気が非常に高かった。
だが当主や血縁者の名も顔も人知れず、爵位を持たない、あるいは低い者はそのあたりの情報を持ち合わせてはいない。なぜなら、四大公爵家のメンバーは表に顔を出すことがないからだ。
時々身分を隠して街を出歩いていたりはするのだが、名前すらも知れ渡っていない四大公爵家の者だとは民衆が気づくはずもない。
しかし何故そんな彼らに人気があるのかと言われれば、当然疑問に思うだろう。基本表に出て民衆を前に演説でもしない彼らは、何をしているのか普通ならばわからないのだから。
その人気の理由は、至極簡単だった。ただ顔を隠して表に出ているだけである。
全王リュアンが表に出ようものならば当主はいつもその傍らにおり、変声魔法を使って演説すらしているからだ。そのため、四大公爵家当主たちの人柄や性格はリリーズ王国では知れ渡っており、その高い人気の理由でもあった。
「とにかく心配するな。それにまだ先の話だ、ゆっくりしようぜ」
そんな感じで時は過ぎて行き、やがて夜遅くになってからシノンとカルナとゼロの祝会はお開きとなるのだった。