125、見回りと傭兵集団
「最後は、これか。お布団です」
「布団は4人分」
ゆうきの言葉に、シノンが返す。
空は赤く染まり、太陽は今にも沈んでいきそうな夕焼けの街の中で、彼らは買い物をしていた。
シノンが向かいたい場所は人が近寄ることのない山岳地帯で、5人で冬を越すための準備だった。
ついでに、街に来た時にふと思った馬に関しても、今のうちに購入しておいた。
茶色の馬の雌で、名前はシャルロット。ルドルフが若干発情していたが彼らは気にしない。
それから馬車に関しては、預けるのも面倒なのでシノンがさまざまな魔法を駆使して勝手に改造してやったのだった。
山岳地帯で冬を越すなど普通は有り得ない、と4人は言ったが、シノンはそんなことはどこ吹く風、といった感じであった。
「……お前、今日の買い物でいくら使った?」
「うーん、白金貨1枚と金貨7枚くらい……?」
「おいおいおい……食料なんかは全部お前が負担したろ。あとで割り勘しようぜ」
「いいよいいよ。完全に俺の都合でしばらく山に籠るんだから、食糧くらいは俺に負担させろ」
「わ……わかったよ……」
「ああ、そうだ。買い物の後にやることがもう一つあった」
布団も買い終わり、シノンがふと思い出したように呟く。
「リーダー、団長に連絡してくれ。『晧月千里は今から1年ほど、長期休暇を貰う』ってな」
「は? 長期休暇?」
「俺とカルナはしばらく山からは1歩も出られないからな。仕事しようにも、出来ないんだよ。まあ、アルファ達3人だけでやるってんなら良いけど」
「いや……1年間って」
「ははっ。まあどっちでもいいさ。いずれにしても、俺達はしばらく休むからな。悪いが頼む」
「了解だ。お前の言うことだから、しばらくは大人しく休んでいるよ」
「助かる」
そういった会話をしながら、5人は馬車に乗り街の外へと出る。その間にアルファが『連絡用魔水晶』を使ってリアナへと長期休暇の旨を伝える。
そして人気のない場所へと来たところでシノンが目的地へと転移していった。
風の吹き抜ける山岳地帯。ラトス皇国の中央部に位置し、国の約5分の1の面積を陣取る山脈の名前はシャノン山脈。
シャノン川はここから流れていて、大小4つの、3000メートルから5000メートルまでの山々を連ねている。
まさにここがシノンの“庭”であり、人間の立入ることの出来ないS級迷宮だった。
ただし、ここには強力な魔物が跋扈しているために今まで人が中に入って帰ってきた記録はない。
広すぎて迷ったか、あるいは魔物に食い殺されたか。
いずれにしても地図がない状態では中に入れるはずもなく、迷宮区として登録されていないがためにランクをつけられることはないまま今の状態を維持しているのである。
夏でも最高10℃までしか上がることはなく、冬になれば吹雪くし最低気温でマイナス50℃にも達することがある。
そんな環境の中で生きている獣や魔物達は寒さに適応した強力な魔物達である。
どこかに竜種の集落もあったりする。
この山に暮らす魔物のほとんどが水属性か氷属性、あるいは森属性や風属性などで、魔法師を連れてくるにしても1つの属性しか使うことができなければいくら高ランク冒険者とはいえども突破はできないだろう。
「……寒っ!」
「嘘でしょ? そろそろ夏は終わるって言っても、暑い時は30℃になるのに!」
「山と街を一緒にするな。だから着ろって言ったのに」
買っておいた厚手の服を着込み、全員が自らの身体を抱きしめて震わせる。
ちなみに、ルドルフとシャルロットに関してはシノンが『暖房』で温度調節をしているために快適である。
「何よ、シノンはこんな所が自分の庭だって言ってるの?」
「こんな所ってなんだ。これでも俺が生まれたところなんだぞ」
『へっ……?』
4人がその言葉を聞いてポカンとする。
「国を作ったのも俺達……いや、ある人物達に国を作るように言ったんだ。それで、それぞれが立ち上げさせた国を守るようになって、今に至る」
「シノンはこのラトス皇国を作らせた、ってことか」
「まあな。建国当時はラトス帝国だったが」
「帝国?」
「ああ、そうだ。しょっちゅう戦争を起こしてたんだ。それがきっかけでできたのが、リリーズ王国の全王制度」
『へぇー……』
興味津々、とでも言うような声を出す4人。
世界は20の国で成り立っている。それを1つずつ見守り守護しているのが聖神で、人間の財政には一切干渉しないが滅びたり属国になったりしないようコントロールする必要がある。
国が一つ滅びるとどうなるかと言うと、まずは世界のバランスが崩れる。
とは言っても今回のは空間的なものではなく王族や貴族間のバランスのことである。
一つの国が滅びることで、我も我もと戦争を始める可能性があるのだ。すると負ける国はいつか必ず出てくる。
それは一国の破滅を意味するのだ。そうすると今度は土地の争い、そしてまた争いと繰り返され、結局いくつもの国が滅びることになる。
国は聖神達の庭であり故郷でもあるので、滅びさせるという選択肢はない。
「着いた……ぞ」
シノンが御者台から馬車の中を見ると、4人は旅の疲れからか寝息を立てていた。
月明かりが山脈を照らしていたので夜でも進むことができたが、すでに出発してから数時間も経っているために時間も結構遅い。
「悪いが起きてくれ。とりあえず今日は部屋に入って寝るぞー」
「ん……? あ、ああ。着いたのか?」
「もう暗いですね。それで、ここが……えっ」
アルファに続いてゆうきが目を覚まし、窓の外を覗いて目を見開いた。
「何? どうしたの? ……って、凄い……」
「本当だ。広いなあ」
「どれどれ……わあ……!」
窓の外にあったのは、広い水溜り。周りを木に囲まれ、月に照らされて青く輝いている夜の泉だった。
「あれは『命の泉』。あの水を使えばどんな傷も病も治るんだ。この山に入ってくる連中のほとんどはこの泉の水を狙っているんだよ」
「たしか、このシャノン山脈には命の泉があるって伝説が……そうか、本当だったんだな」
「凄いです。これが、あの伝説の……」
「というか、私達はすでに伝説の人物と親しい仲なのよ? 今更そんなこと……でも、あの泉はたしかに綺麗よね」
それぞれが感嘆の声を上げる中、シノンは馬車を移動させてから御者台を降り馬を厩舎へと移動させる。
4人も馬車から降りて、シノンから即席の布団を貰って改めて泉とは反対側を向く。
「これ……家?」
「ああ。保護魔法で朽ちることはないから、中は綺麗だぞ。ほら、案内するから荷物は自分で纏めてくれ」
ルドルフとシャルロットに餌と藁を与えて撫でてやると、みんなを伴って泉の向かい側に建てられている白い建物の中へと入っていった。
この建物は3階建てで、部屋数は50を超える。
何故それだけ広いのかと言うと、兄姉達や聖族達を時折ここに泊めることがあるからだ。
これだけの数を用意しておかないと足りなくなることもあるため、このようになっている。
保護魔法のお陰で掃除もいらないので、使用人の類も存在はしない。
シノンの案内で2階の部屋にそれぞれが入り、床についた。
『見回り?』
「ああ。これから1年間、俺はここに来たからにはそれをしなくちゃならなくてな。まあ都合が悪ければしないんだが」
「でも、なんで?」
「これでも侵入者は毎日いるんだ。魔物達ばかりに任せているわけにもいかないしな」
「侵入者って……」
シャノン山脈で人が生きていられないのは、もちろん魔物のランクが高く環境が厳しいこともあるが、なんと言ってもシノンの従魔が一番の原因だった。
シノンには白夜と極夜以外にも何匹かの従魔がいる。
それはここを留守にしている間の見回り役としても役に立っているのだが、その代わりとでも言うように彼らは主のシノンにデレデレだった。
だからその従魔達に会ってしばらくの休暇を与えると伝えに行くのもなんだか億劫になっていたのだ。
そんなことを朝食を食べながらみんなに話すと、カルナが意外、という顔をしながら言ってきた。
「念話は使えないの?」
「いや……使えるっちゃ使える。でも休暇のことに関しては念話を使うと面倒なんだ……ん?」
「どうしたんですか?」
シノンの様子が変わり、ゆうきが反射的に彼に問うた。だが本人は特に気にした様子はなく、じっと宙を見つめている。
やがてシノンは超速とも言える速さで残りの食事を平らげ、立ち上がった。
「荷物の方は任せる、俺はちょっと用事ができた。家の中のものは自由に使っていいからな」
「あっ、シノン!?」
アルファの声にも振り返らず、シノンは森の中へと走っていってしまった。
「……あいつ、珍しく血相を変えていたな」
「たしかに。……いや、まさか」
「え? どうしたんですか?」
「いや……あの表情をしたってことは……知り合いかな? たぶんさっきの従魔か何かから連絡があったんだと思うけど……」
「なるほどな。それであの急ぎようか」
「たぶんね」
そういった会話をし、追っても仕方ないとばかりに朝食を食べてさっそく荷物の整理が始まった。
「本当に多いなあ……」
「ええ。これ、シノンとカルナが収納魔法で運んで、更にはシノンが転移してここに来なきゃ、いったい何ヶ月の旅なのやら想像出来ないわね」
「とにかくやるぞ、シノンが帰ってくるまでにやるの目標な」
『ええ!?』
周りを山に囲まれた泉の畔で、女性陣3人の悲鳴が響くのだった。
食糧を保存用の倉庫に入れ、私物はそれぞれの部屋へ、布団に関しては同じく部屋へと持っていって寝台に追加し、追加の食器などに関しても台所へと運んでいく。
今まで訪れた街や村などの土産なども、同じく部屋に置いていく。
そこまでいくと昼食になり、シノンはまだ帰ってきていないが4人で摂ることにした。一応、念のため、ということでシノンの分も作っておいたのだが、4人が食べ終わっても彼は帰ってこなかった。
「ぶはぁー! 疲れたー!」
「何よ、一番やる気になってたのお兄ちゃんでしょ?」
「私も疲れたー!」
「か、カルナまでー!」
「フィア、すみません。僕もです……」
「ええ!?」
自分以外の3人が全員地面へと倒れ込み、焦るアリュスフィア。しかし自分自身も疲れていた、というのは事実であり、その後は特に怒るわけでも何を言うでもなく地面に横たわる。
優しく頬を撫でる風に、アルファとカルナは目を細めた。
「……優しい風だな」
「うん。シノンは、ここは泉の効果で地上と同じ気候なんだって言ってたよね。だから今は、夏か……」
「にしても暖かいですよ、ここ」
「昨日の夜は少し寝ぼけてたから気づかなかったけどね」
命の泉は水自体に魔力が籠っている。そのため、周囲の空間が地上と同じ気候になってしまうのだ。
だから今この場は晩夏の気温や天候となっているのだ。
「凄いよね。ここは迷宮区だから、これくらいの事は普通なんだろうけど」
「……あの、そろそろ始めません?」
「そーだなー……もう少し……」
「寝るなぁ!」
「いてっ!?」
アリュスフィアに頬を叩かれ、うつらうつらしていたアルファは急激に目を覚ます。
「もう十分休憩したでしょ! シノンが帰ってくるまでにやるんでしょ!?」
「あ、ああ、そうだった。すまない」
アルファは自分で立てた目標を思い出して起き上がる。
「へえ……」
すると、横で感心したように声を出すのはカルナ。アルファも彼女が見ている方向を向くと、そこにあるのは命の泉だ。
「あ……」
「凄い、昨日の夜とはまた違う景色が見れるのね」
「緑色って珍しいですよね」
昼間の太陽に照らされた泉は緑色に輝き、更には底が見えるほどに透き通っているのでまさに絶景であった。
雪を被った山脈が背景になり、周囲には緑で覆い尽くされるほどの森。そして中心には透き通った自然の泉と、絵に描かれたような幻想的な風景を生み出す。
そしてそれに見惚れていた4人は、右側に立っている人物に気づかなかった。
「おい、こら。何をぼーっとしてんだみんなして」
『うわっ!?』
そこにいたのは、シノンだった。彼は常に気配を消しているという癖もあり、誰かが彼の気配を感じ取るというのはまず無理だ。
それもあったのだろうが、普段の彼らならば視野が広いので横にいる誰かには気づけただろう。
「……誰、それ?」
しかしそこで問いかけたのはカルナ。若干震える手でシノンの腕の中にいる誰かを指差し、彼は答えたのだった。
「……ああ……奴隷だ」