121、侵入と失踪
「へえ……」
小さく呟いたのは、カルナだった。
月が沈んだ夜、彼らの姿は村より数キロほど離れた森の中にあった。
高さ10メートルほどの岩の下から中に入れるらしいが、現在は当然と言うべきか何か目立つものがあるわけでもない。本当にただの岩のようにしか見えなかった。
しかし視覚の鋭いシノンや調査に出た3人の少年が入り口の存在に気づき、実際にここから入っていったのだから間違いはなかった。
「シノンは相変わらず無茶するな」
「1人でも問題ないって……あの3人もなんで連れて行かなかったんだろ?」
「まあ、1人の方が行動しやすいってのもあったんだろうな。でも、水狼もついてるんだし、大丈夫だろう」
しばらく待っていると、カルナ達4人の頭の中にシノンの声が響いてきた。
『とりあえず誰もいない。来い』
『了解』
4人はシノンが先ほどやっていたのを、見様見真似で岩の扉のロックを解除する。
するとほとんど音を出さずに人が入れるほどの階段が現れ、中に入っていくと自動で閉まる。
「お、来た来た」
小声で話しかけてくるシノンを確認した4人は、彼から説明を受けるべく話しかけた。
「それで、内部はどうなっているんですか?」
「……ああ、頭の中で大体の構図はできてる。だけど、随分と道が分かれていてな、5人じゃ一気に捕らえるのは難しそうだ。先にボスを押さえて、その後に下っ端どもをどうにかしよう。もちろん、なるべく気づかれないようにだが」
たいていの場合、このような組織の下っ端は忠誠心がない者は少なくない。そのため、ボスが捕まったとしても逃げ出す可能性が高いのだ。
だからと言って人数の多い下っ端を片付けていればボスはそれなりに頭が良いだろうから、部下を見捨てて逃げる可能性が充分にある。
ただの下っ端か組織のトップであるボスか。どちらを捕らえれば得かと言われれば、もちろんボスだ。
下っ端に気づかれないようにボスを先に押さえることで、気づかれないままに全員を捕らえることが出来る可能性は高くなる。
それ故の判断だ。
「わかった。じゃあ、シノン。案内してくれるか?」
「了解。こっちだ」
洞窟のようになっている広間は3つほどの分かれ道となっており、シノンが進み始めたのは右の道……ではなく、その更に右側の壁。
「おい、シノン。そっちは壁だぞ」
「何言ってんだよ。これは歴とした入り口だ」
そう言うと、シノンはその壁に手をつく。かと思いきや、壁に触れることはなく突き抜けた。
それに対して4人は目を見開き、そして納得した。
「魔力放出は極力抑えられているが、俺の目は誤魔化せなかったようだ。ま、『超音波』を阻害しないものだから当然だが」
「要するに、ボスはこの先か」
「バレにくい場所で尚且つ入り口の近くって……いざって時に逃げる気満々だね」
アルファとカルナの言葉に、シノンは黙ってうなずく。
もっとも、シノンが『超音波』を使わなくともこの入り口についてはわかっただろう。
そして中に感じる人の魔力。魔力に非常に敏感なシノンが、魔力放出の阻害をする結界が張ってあったとしても違和感くらいは感じたはずだ。
その違和感にしてもシノンが気のせいにするはずがないのは当然で、どちらにしろこの穴の存在はわかっていただろう。
「いずれにしても、ボスは確実に押さえたい。アルファ、俺が行ってくるから、みんなとここで少し待っていてくれ」
念のためとばかりにシノンは自分も含め全員に『透明化』をかける。
そしてアルファがうなずいたのを確認してから、シノンは穴の中に入っていった。
「……にしても、今回は『透明化』がよく役に立つわね」
「そうだな。たしか、あの3人も『透明化』を使って潜入していたらしいし」
そんなふうに話をしながら待つ一行。しかし数分経ってもシノンが戻ってくる気配は全くなかった。
それほどに深いところまで行っているのか、可能性は低いが苦戦しているのか。
だが数分程度ではアルファ達は動くことはできなかった。それもシノンという人物を信頼しているからなのだが。
だが彼を信頼しすぎるが故に、この時の彼らは、最大のミスを犯したことを知らなかった。
やがて十数分ほど経つと、さすがにおかしいと思い始めたアルファが小さく声を上げる。
「……さすがに遅すぎないか?」
「たしかに。そんなに深い場所とは行ってなかったし……」
「なら、苦戦しているとか……?」
「いや、シノンさんが苦戦する相手って最近では魔人くらいしか見たことありませんけど」
「たしかに人間じゃシノンには勝てないよ。……ま、人間じゃなきゃわからないけど……まさか」
「おいおいおい、敵に人間じゃないのがいるってことか? というか、ボスが人間じゃないと?」
「決まったわけじゃない。でも、その可能性は高いね」
カルナが厳しい顔つきでそう言う。
彼女はシノンに、自分が死ねば世界も滅びると聞いていたためにまだ彼は死んでいないというのはわかっていた。
だがそれでも、帰りが遅いということは何かがあったのは間違いない。そうなればカルナが心配になるのは当然の話だった。
「どうする? 行くか?」
「待ってよ。私達が行ってどうするのよ」
「け、けど……」
「わかります。でも、向こうで何が起こっているかわからない以上、迂闊に中に入るのも良くないと思います。……カルナさん、シノンさんに『念話』を送れますか?」
カルナは最近、シノンに『念話』を教わって自分からも声を発信することができるようになっていた。
だが『念話』に関しても、このパーティの中で使えるのはシノンとカルナだけであり、半ば2人がペアリングの通信機と化していた。
「わかった」
カルナはうなずくと、目を瞑って意識を集中した。
『シノン……聞こえる? 応答して』
そう語りかけるも、返事はない。確実に声は届いているはずなのだ。たしかにカルナには、目の前にある穴の下に彼の魔力を感じられたのだから。
『シノン、シノン!』
カルナの顔が徐々に青ざめていく。普通ならシノンはすぐに返事を返すのだが、それがない。
気がつけば、『透明化』も解けかけている。これでシノン自身に何があったのかは決まったも同然だった。
「行こう、迷ってる場合じゃない!」
「うん!」
「そうね。『透明化』の魔法も解けかかっている以上は……」
「ここにいても危険ですからね」
アリュスフィアの言葉をゆうきが引き継ぐと、全員でうなずき合ってからシノンが入っていった穴の中へと向かって歩き出した。
「っ!」
1分ほど階段を降っていくと、カルナが肩をピクリと動かした。
「どうした?」
「……シノンの魔力が、感じられない……?」
「え!?」
「そんな!?」
アルファとゆうきが声を上げる。アリュスフィアも顔を驚きの色に染めていて、数秒ほど固まった後で口を開く。
「とにかく、急ぎましょう!」
更に1分ほど階段を降りていくとまず視界に入ったのは1本の蝋燭。たった一つの光源しかなく、狭い部屋とはいえ薄暗い。
低い天井だが真ん中には空気孔と思しき穴があり、その真下には即席型の執務机がある。
しかし階段のある入り口と空気孔以外に穴という穴は見当たらず、その場にはシノンの姿も水狼の姿もなかった。
「……………………」
「……誰も、いない……?」
「オヤ、ソノケハイハネンロアゾクカ?」
『っ!?』
音も、気配も、魔力も感じなかった3人は驚愕の色をその顔に浮かべる。人の声とは思えない、魔動音のような声。
しかし、それがどこから聞こえているのかが不思議とわからなかった。
「ソレニ……ハイヒューマン……」
「っ!?」
声だけに驚いたわけではない。その声の言った内容に驚いてもいた。
気配だけでアルファとアリュスフィアが然濃族、ゆうきがハイヒューマンだと見抜いた相手だ。
相手が生き物ではないように思われるとは言えど、見抜かれて面白いはずがない。
「ナルホド、コウゲツセンリカ」
「誰だ!」
「シノンをどこにやったのよ!」
「ム?」
今さら気づいたかのような声を出し、魔道音の声は再び言った。
「ホホウ……ワタシノコエヲキクカ。スバラシイソザイニナリソウダナ」
「素材? 何のこと?」
落ち着き払ってカルナが言った。……いや、正確には怒る寸前だろう。
しかし返ってきたのは魔道音の笑い声らしき音だった。
「フッフッフ。マアイイ。ココニキタカラニハドコニイテモムダダトイウコトヲオシエテオコウ」
「どういう事だ」
アルファが聞き返すが、その後声が聞こえてくることはなかった。
「……いやぁ………シノン……シノン!!」
「カルナ!」
「しっかりしてください!」
素材、という言葉の意味を知って、しゃがみこんでシノンの名前を呼ぶカルナに、アリュスフィアとゆうきが駆け寄る。
「おい、こら! 出てきやがれ! シノンをどこへやったんだ!!」
アルファも少し感情的になり、狭い部屋の中で叫ぶ。しかしそれに対して返事があるわけでもなく、その声は部屋の中で虚しく響くだけだった。
舌打ちをして地面を1度強く踏みつけると、アルファはカルナを振り返る。
「カルナが落ち着くまで少し待つ……いや、すぐに移動した方がいいか?」
「どうして?」
「他の奴らにここへ攻め込まれたら厄介だ。逃げ場がないからな。シノンを助けるなら、いつでも移動できる場所がいい」
「そうですね。カルナさん、立てますか?」
「………………」
カルナは黙ってうなずき、ゆっくりと立ち上がった。
「カルナ、あの3人を呼ぶことはできないか?」
アルファが一抹の希望を持って尋ねたことだが、やはりカルナは黙って首を横に振るだけだった。
「そうか。……水狼もいないし……とにかく行こう。早いほうがいいからな」
アルファが呟いた後発した言葉にアリュスフィアとゆうきの2人はうなずき、カルナを伴って階段を上っていった。
「……よし、誰もいないか」
視覚、聴覚、嗅覚に意識を集中させて辺りを見回すが特に気配はないので安堵の息を吐くアルファ。
後ろで待っている3人も上がってきて、一行は右の通路へと進む。
こちらからは風を感じるからだ。
しばらく歩いた所で、一つの扉を見つける。その中からは特に気配を感じないので、そっと扉を開いてみた。
20畳ほどの広い部屋で、がらんとした部屋だった。中には誰もおらず、しばらく使われたような形跡も特になかった。
「ここならしばらくは大丈夫だろう。……ま、あの声の主が言っていたことが本当なら、完全に安全とは限らないんだが」
後半は口の中で呟きながら女性陣3人を先に入れ周囲を警戒してから入るアルファ。
その辺りはシノンを補佐役として置いておいたリーダーということなのだろう。
アルファは退路を確認するため、反対側にもあった扉を開く。するともう一つの通路があり、左右どちらを向いてもまっすぐに続いていた。
所々にある扉は、おそらく他にもある部屋の扉だろう。
「ふむ。どちらも警戒しておかないとな」
アルファはそっと扉を閉めると、床に座り込んでいるカルナへと声をかけた。
「どうだ、カルナ? 少しは落ち着いたか?」
「………うん。ごめんね……」
「いや、仕方ないさ。俺だって混乱してる」
「そうよ。シノンがいない今、私たちだけでなんとかしなきゃいけないんだから」
「頑張りましょう、カルナさん」
カルナはしばらく嗚咽を漏らしながら泣いていたが、10分ほど経つとだいぶ落ち着いたのか、切り替えるように両頬を叩いて気合を入れる。
「よし。心配かけてごめん。まだ完全じゃないところはあるけど……こうもゆっくりしてられないからね」
おそらくは敵に捕えられたのだろうが、カルナはそんなことは関係ないとばかりに決意の色を見せていた。
絶対にシノンを助け出す。何を言われても止まらない。
そんな様子が窺えた。
それを理解しており、更にはカルナと同じようにシノンを助けるつもりでいる3人もうなずき、さっそく輪になって話し始めるのだった。
「まず、この洞窟の構造を理解していたシノンがいきなり失踪した。おそらくは捕まったんだと思うが、それにしても助け出さなきゃならない、と……どうする?」
「ゆうきやカルナは、『超音波』は使えないの?」
「『超音波』は波属性です。波は魔術属性なので、ボク達には使えません」
「……他に似たようなものとかは?」
「強いて言うなら『探索』や『放出』だけど、『探索』は結属性だし、『放出』だと私は探索系のは使えないなあ……」
うーむ、と4人が唸る。
そこには軽い雰囲気などなく、重い雰囲気もない。真剣に、本気で考える冒険者達の姿があった。
そうしてしばらく考え込んでいたが、特に方法は見つからない。
まさか迷路のようになっているかもしれない洞窟の中を地図もなしに動き回るわけにもいかず、打開策もないまま数分が経った頃。カルナがふと思いつき、呟く
「……七龍」
「あ、そうよ! 使い魔を送って偵察させればいいのよ!」
「なるほど、それなら!」
「で、でも、見つかったら大変しないですか?」
「天井にひっついていれば、人間は気づかないって」
「……でも、遠くからだと見えちゃわない?」
『ああ』
再び頭を抱える4人だった。が、その時。
『透明化を使えばいい』
彼ら全員の頭の中に、とある人物の声が響いた。