115、石像と決闘
その後もシノンとカルナは2人で午後のデートとでも言うべき時間を過ごした。
昼も過ぎて商店街に隙間ができると、2人で早速歩いてみるのだった。
「なんか気になるのがあったら言えよ」
「うん」
カルナはシノンの隣を歩きながら、その言葉に返事をする。
左右に広がっている店舗や屋台を眺め、やがて気になる店があったのかピタリと足を止める。
「カルナ?」
特に声をかけるでもなく止まったカルナに、シノンが声をかける。
「いや……あれ」
カルナが右手をゆっくりと挙げ、人差し指を立てる。その先にあるものを見て、シノンは軽く目を見開いた。
シノン達が今立っているのは、商店街の中にある十字路の真ん中だ。カルナが指さしたのは、その右側へ続く道の先。
そこには広場があり、その中央に石像が建っているのがわかる。
普通の人間なら、ここからではその石像がなんなのかわからなかっただろう。
だが人間よりも五感が鋭いシノンとカルナはここからでもそれが何なのかがはっきりとわかった。
「行くか?」
「行ってみよう?」
互いの意見が一致し、2人は広場へと向かっていった。
正面に回ってみると、胸を張り立派に立つその姿は間違いなく水狼だった。
水狼の本来の姿で、石像の高さは3メートルほどもある。翼をたたんで座っている姿を見ると、シノンにとってはどこか違和感しかなかった。
何故ならこの姿になるのはほとんどが戦闘の時だけだからだ。
「……違和感しかないね」
「ああ……呼んでみようか?」
「うん」
シノンが尋ねると、カルナは躊躇わずにうなずく。
「……リ・ナプト」
呟き、その声が風に溶けていくと、シノンの肩に水狼が現れ、静かに着地した。
「これ知ってるか?」
『……は? 何これ?』
「やっぱり駄目か……」
「いつから建ってたんだろうね、これ?」
カルナの問いに、シノンと水狼も首を傾げる。
「3万年くらい前に来た時はなかった。街もここまでは発展してなかったからな」
「その時は、何をしにここに来たの?」
「そりゃあここの近くを通ったからついでに……あっ」
『まさか』
「どうしたの?」
シノンと水狼が何かを思い出したように呟くと、カルナが気になり2人に尋ねる。
「いや、な」
シノンは石像に近づき、巨大な狼の足下に書かれているプレートの文字を見る。
「……やっぱなあ……」
「なんて書いてあるの」
シノンは昔から生きているので問題はなかったが、カルナの場合はそうはいかない。
3万年ほど前に使われていた古代文字が書かれていたのだから。
「俺がこの街に来た時の日付……だったと思う。気まぐれで寄ったからあまり覚えてないが、時期は冬だった。つまり」
『サイクロプスか』
「え? サイクロプス?」
水狼の口から出た以外な魔物の名前に拍子抜けたような声を出すカルナ。
しかし次に出たシノンの言葉であっさり納得することになる。
「昔は色々と技術が発展していなかったからな。もちろん戦闘技術も今より劣っている。例えばさっき食ったバイコーン。あれは今はCランクだが、あの時代はBランクなんてランクがつけられていたりな」
「えっ!?」
シノンの言葉の前半では納得し、後半では驚きの声を上げるカルナ。しかし彼女が驚くのも無理はない。
上のランクは1つ程度違っても、その差は大きい。
F級冒険者とE級冒険者が模擬戦をしてもギリギリE級冒険者が勝つといったところだが、C級冒険者とB級冒険者が模擬戦をすれば確実にB級冒険者が勝つ。それもギリギリではなく圧倒的で。
それは魔物のランクでも同じで、Cランクの魔物とBランクの魔物は食う食われるの関係だ。
それほどに、BとCの差は大きいのである。
「……もしかしてもっと昔はランクが大きかったりしたの?」
「当たり前だ。俺が一番最初に冒険者になった頃は、バイコーンはAランクだったしな。今はFランクのゴブリンも、Dランクだった」
「……逆に弱いのはいたの?」
「いたけど弱すぎて絶滅したな」
「どんな魔物?」
「小さな虫系だよ。あとは知能のない犬系や猫系の魔物で、伝説になったのもいくつか……」
「へえ……って虫!?」
カルナが驚いているのを軽く受け流し、シノンは話を戻すべく続ける。
「サイクロプスは現在Cランク。だが当時は力任せの魔物は少なかったし、対処のしようがなくてな。Sランクに指定されていたんだ」
「Sって大袈裟な……」
「そうでもないんだ。ランクが高ければ数も少ない。サイクロプスも数がかなり少なかったんだよ。力が強い魔物は忌み嫌われていたし、街に現れれば騒ぎになるのも当然なわけで……」
シノンがそこまで口にすると、カルナも察しがつく。
つまり、3万年前にシノンと水狼がこの街に訪れた時ちょうどサイクロプスが襲来してきたのだろうと。
「それで、シノンが撃退した、と?」
「いや、俺はその時酒に酔ってまともに戦える状態じゃなかった。そのせいでエク兄に世話になってた。水狼だけでサイクロプスを瞬殺したんだったよな?」
『まあね』
「ああ……何でお酒?」
「覚えてない」
「……そうですか」
カルナはシノンの酒の弱さに再びため息を吐き、続けた。
「つまり、その時の英雄……いや、伝説として語られたのが、この水狼なわけか」
「そうだな。製作者の名前は聞いたことないが、腕の良い彫刻師だったらしいな。毛並みまでしっかり再現されている」
「しかも魔法で風化しないように保護してあるしね……そんなに凄かったの、サイクロプス?」
「当時の人にとってはな。まあ、昔の方が今より多少強かったが。水狼、もういいぞ」
そんなふうに会話をして、シノンが水狼に帰っても良いと伝えると、水狼はうなずいて姿を消した。
そして2人が石像から離れようと歩き出すと、風が吹いてカルナの頭巾が外れた。
「あっ……」
「っと」
シノンが咄嗟に抑えるが、ギリギリ彼女の白い髪が見えてしまった。そのため周りがざわつき始め……。
「まさか、ルミナか?」
「……は?」
どこからか声が聞こえ、カルナが困惑した声を出す。
「ルミナだろう? そうだと言ってくれ!」
「……ルミナって、ダンジル王国王女としての名前だったな」
「……うん」
周りに聞こえないよう小声で会話する2人。彼らが歩いてきた方向から、身なりの良い1人の男が歩み寄ってくる。
「もっと顔をよく見せてくれ」
「…………誰?」
カルナが呟くが、目の前に歩いてきた北西系の若い男は軽く目を見開く。
「そうか……8年も経ってるしな。俺だ、マレウスだよ」
「マレウス……」
カルナは何かを思い出すように考え込み、マレウスと名乗った男は彼女が自分を思い出してくれるのを待つ……はずが、十数秒経った頃に耐えられなくなったのか尚も言い募る。
「まだわからないか? 王国で、ならず者に絡まれていたところを助けたじゃないか」
「あっ……! そうか、あの時の! 顔も声も違ってたから……」
「そんな……だって、前に言ってくれたじゃないか。俺のこと愛してるって」
「はあ?」
そこで声を上げたのはシノン。カルナ本人はシノンが初恋だったため、マレウスの言葉に戸惑いを示す。
「え……待って、私そんなこと……」
「言ってくれたさ。俺達は婚約手前までいったはずだろ?」
「言ってない言ってない! 絶対に言ってない!」
「間違いない! 俺が、君との思い出を間違うはずが……!」
「うるせえな」
シノンがあまりに執拗に言い募ってくるマレウスに嫌気がさして、カルナを庇うように立ち塞がる。
「……なんだお前。まさか、ルミナを攫ったのはお前か!?」
「冗談じゃない。お前こそなんだよ。勘違いも大概にしろ。こいつは言ってないと言ってるのに、それでも言い募るとは何様のつもりだよ? こいつが誰なのかわかってんだろ?」
「ぐっ……関係ない奴は引っ込んでろ。ルミナが嫌がってるだろう」
「勝手な妄想はやめてもらおうか」
「妄想じゃない! 本当にルミナが嫌がってるんだぞ!」
「私が嫌がってるのは君のことだ、マレウス!」
「なっ……!?」
シノンの後ろから、カルナが王女としての話し方でマレウスへと話しかける。シノンもそんな彼女に話をさせるべく左にずれて場所を譲った。
「あの時確かに君は私を助けてくれた。それは感謝してる。けど、君が今話しているこの人は、私の命を2度も……いや、何度も助けてくれてる。そんな人を悪く言うなら、私が許さない。言っておくが、立場を使っても無駄だぞ」
「……立場?」
「思い出したよ。マレウス=フォン=ハブルスト。ダンジル王国の、ハブルスト侯爵家の次男だ」
「……なるほど」
カルナの言葉を聞いて、シノンの視線がより鋭くなった。貴族という立場なら、遠慮する対象ではないと判断したのだろう。
変な妄想をしてカルナと婚約しようとする貴族には、シノンは全く遠慮するつもりはない。
「そんな侯爵家の次男様が、何故ここに?」
「ルミナを探していたに決まっている。5年……5年間も探し回って、やっと見つけたのに……お前、ルミナを洗脳したな!?」
「へえ……ま、あのボールよりはマシ、か」
シノンはダンジル王国を訪れた時のナーティス=ガルデンを思い出しながらそう言った。
ガルデンは完全な私利私欲、反逆のために国印を盗んでまで婚約したのだから、それに比べれば目の前のマレウスの方がまだマシだった。
カルナは遂に、堂々と頭巾を外す。シノンはその様子に少し驚いていたが、彼女の意思ならばと自分も頭巾を外す。
当たり前だが、周りがざわめいた。
何せ、2人とも世界中でも希少な白銀の髪を持つレイヴァなのだから。更に言うならばその中でも希少な青目なのだから、民衆が騒ぐのも当然だった。
中には目の色を欲望に変える者も出てくる。だが今は取り込み中なためか、中に入る隙がないと判断し踏みとどまるのだった。
「なっ……!?」
「そういうわけだ。これの意味、わかるな?」
威圧するようにシノンが目を細めてマレウスを睨む。
貴族ならば、レイヴァの戦闘能力や習性も知っている。レイヴァは仲間を大事にする習性があり、決して裏切ったり奪い合ったりはしない。
つまり、同じレイヴァならばしっかりとした絆ができている。そういうことを、シノンは証明したかったのだ。
もちろん、かなり目立つことを承知の上で、だ。
「シノン……」
周りに聞こえないほど小さくカルナが呟く。あれだけ目立つのが嫌いなシノンでも、目立つことを承知で自分達の絆を証明しようと動いたのだ。
貴族と話すのも嫌いなのに、自分のために目の前の人物と話し、しっかりとケリをつけようとしている。
それを受け、カルナもやってやるとばかりに前に出た。
「私はこの人以外と婚姻するつもりはない。父上の了承も得ているし、私は無事だ。王国へ帰国しなさい」
「ぐっ……俺は……俺は、何としても君を連れ帰るぞ! おい、貴様! 俺は貴様に決闘を申し込む!」
マレウスがそれを口にした途端、周りの民衆が更にざわめいた。貴族なのだからレイヴァの戦闘能力は理解しているはずだ。
その上で決闘を申し込んだのなら、余程の自信家かあるいはただの馬鹿なのか。
その答えは誰にもわからないだろう。
「良いだろう。その代わり、負けたら帰れ。その後に文句があるなら通報する」
「ああ。ハブルスト侯爵家の名にかけて誓ってやる」
確かにこの男はルミナ……カルナに片思いをしているのは確かだ。しかし妄想が激しすぎてそれが現実だと思い込み、カルナを探しに旅に出た……ということだろう。
護衛や供の1つもつけずに旅をしてきたわけじゃないだろうし、いつ何があっても対応できるようにシノンは構えた。
どうあっても貴族を信用する気は無いらしい。
「ルミナ、見ていろ。どちらが君に相応しい男かを」
相応しいとか関係ない。自分はシノンの傍にいられればそれだけで充分幸せだ。
そんなふうに内心で呟くカルナだったが、それを表には出さずに受け流す。
そのままシノンへと視線を向け、目だけで会話して微笑む。
『ありがとう』
『こういう貴族はうるさいから、実力の差を見せつけないとな』
そういったやり取りを済ませ、シノンは1度マレウスへと視線を向けてカルナから離れるよう促す。そしてマレウスもうなずき、少し離れた場所で剣の柄へと手を置く。
「どちらかが降参するか、気絶するまでの戦いだ。それで構わないな?」
「ああ」
短く返事をし、シノンも黒刃を抜き、構える。
野次馬とも呼ぶべき民衆達が彼らの周りに集まり、賭けまでし始めた。
彼らの会話からマレウスが侯爵家の次男だということは伝わっていたらしく、彼に賭ける者も少なくなかった。
だが冒険者の場合はレイヴァであるシノンへと賭ける者が多かった。
それをなんとなく聞きながら、シノンはマレウスの剣の構えを見る。
左半身を相手に見えないように体を横に向け、右手で剣を構えるというラリス流剣術の構えだった。
シノンは完全に我流なのだが、それなりに色々な流派を見てきた彼にとってラリス流剣術は動きを見抜きやすいものだった。
「行くぞっ!」
マレウスは地面を蹴り、剣を振り上げてシノンに向かって素早く振り下ろした。
スピードはそこらの冒険者よりも圧倒的に速く、ほぼ一瞬でシノンとの距離を詰めるのだった。
しかし……。
「甘いな」
やはり動きが読みやすいなと内心で呟きつつ、黒刃を内側から外側に振って相手の剣を根元から斬り、返す刃でマレウスの首へと黒刃を突きつけた。
マレウスは腕を振り上げた状態のまま動きを止め、シノンによって飛ばされた剣の先が少し離れた場所の石畳に突き刺さる。
そして、やがて歯ぎしりをしてからマレウスは言った。
「くっ……参った………」
シノンは無言で黒刃を離し、鞘に収める。
『うおおおおおおおお!!』
「お疲れ様」
「行こう。早いうちにここを離れたい」
「あ、うん。でもちょっと待って」
カルナのやりたいことを一瞬で察したシノンは無言でうなずくと、彼女は微笑み、マレウスへと視線を向ける。
「これで、わかったか?」
「……………」
「私は今の方が幸せなんだ。これ以上、この件に関しては首を突っ込まないように。もしそれが出来ないのなら、私の命令を無視したとして父上に進言し、それ相応の報いを受けさせる。良いな?」
「っ……はい……」
尚も恨めしそうな視線をシノンへと送るが、2人はそれを軽く受け流して広場を去るのだった。