110、シノンの女性事情と初恋
パーティーは無事終了し、夜も更けて貴族達がそれぞれの屋敷に戻った頃。
シノンとカルナの姿は王宮であてがわれた一室のバルコニーにあった。
「そもそも、俺が女が嫌いな理由としては、3つある」
「………3つ?」
「ああ。1つ目は、面倒臭いから。感情が複雑すぎて追いつかないし、正確に心を読み取るとか難しいから。まあ、カルナは付き合いがそれなりに長いから別なんだが」
「うん。わかってるよ。で、2つ目は?」
「何を考えてるのかまったくわからない。俺でも能力使わなきゃ相手の嘘が見抜けないほどに女は嘘が得意だ。そうじゃない奴もいるけど、それでも演技なんじゃないかって疑っちまうほどにわからないんだよ。要するに、本性隠して猫を被る奴が多いってことさ」
「猫を被る人……ね」
カルナの呟く声が、結界の中で静かに響く。
「で、3つ目。ちょっと長い昔話になる」
「その、助けてくれたっていう女の人?」
「ああ。……いつだったかな。俺が人と出会って少しした後だった気がする」
「ん? 人類誕生ってこと?」
「それよりは随分後だな。俺が初めて人を見た時には文明が結構発達してたし」
「へえ。聖族ってみんな裏切ったりしないんだよね? じゃあ、人が嘘をつくことについては……?」
「そう。俺達はみんな、人に対する経験が浅かった。人生のどこかで嘘を吐かなきゃ、生きていけないものなんだっていうのを人と関わっていくうちに覚えたんだ」
「そんな……けど、それでも……」
「善人はいる。知ってるさ。誰に向かってものを言っている?」
「ううっ……」
記憶を取り戻したシノンはカルナよりずっと人生経験が豊富である。故に色んな人を見てきた。
優しい人、同じ人間に興味がない者、怒りやすい者、一生嘘をつき続ける者、傲慢な者、大胆で気さくな者。
そんな人々との出会いが、シノンの人間に対する印象というのを変えてきていた。
特に今は、昔ほどに人間が嫌いではない。何故なら。
「カルナがいてくれたらな」
「……え?」
急に何を言い出したのかと聞き返すカルナ。シノンはそれに対して首を横に振って答えた。
「いや。昔ほどに人間が嫌いではなくなったなと思ってな」
「人間、嫌いだったの?」
「まあな。初めの数億年くらいは好きだった。けど、さっき言った女に出会って、やめた」
「……人との交流を?」
「ああ。その後は、ほとんどな」
周りの木々が風になびいてざわめく。シノンとカルナの白銀の髪が揺れる。
カルナはそんなシノンの横顔をじっと見つめ、そして口を開いた。
「……その女の人、何をしたの?」
珍しくカルナの声には熱が入っていた。
自分の大好きな人を傷つけ、好きだったはずの人との交流すらなくなるほどに苦しめたその女が気に食わないからだ。
それに気づいたのだろう。シノンはカルナに視線を向け、苦笑を浮かべた。
「そんなに熱くなるな。俺は大丈夫だから」
「……本当に?」
ジト目を向けてくるカルナに苦笑ではなく笑みを浮かべ、シノンは彼女の頭に手を載せた。
「はぅっ……」
「心配してくれるのは嬉しいけど、あんまり怒るなよ」
「……うん……」
頬を赤く染め、上目遣いで話の続きを促す。それをシノンもまた再び苦笑を浮かべて手を離した。
「まあ、簡単に言えば裏切られた」
「………………………」
「……好きだった」
「え?」
カルナはシノンを見る。彼はバルコニーの手すりに寄りかかったまま、下を向いてうつむいている。
しかしその顔には、とても異性を好きになったというような色はなかった。やはり、それだけ裏切られたのが辛かったために今ではもうどうでも良くなったのだろう。
「その人は優しかったよ。15歳の姿で人の世界に潜り込んで、森の中で追われて、助けられて……当時その人は10代くらいだった。いわゆる恩人……ってところか」
「……追われてたって、転移しなかったの?」
「出来なかったんだよ。魔力を封じる魔道具を取り付けられちまってな。あの時は正直やばかった」
「や、やばかったって……」
「まあ、そうやって魔力を封じられて怪我してなんとか逃げてたんだけど、そのうちに体力が限界になってしまってな。身体中に傷を負ったまま、森の中で行き倒れ。気がつけば知らない場所」
「……なるほど」
カルナは納得の声を出した。
おそらくは、その拾ってくれた人こそが、シノンが好きだった人なのだ、と。しかし彼から返ってきた言葉はカルナが予想していたものと全く違うものだった。
「いや、俺が目を覚ましたのは荷台の中だった。両手両足不自由で口には猿轡。更には目隠しまでされてた」
「え、それって……」
「ああ。結局追いつかれて捕まっちまったんだ。荷車の中には人が何人かいたし、逃げるに逃げられなかった。それに傷は手当されてなかったからな」
「………………………」
カルナは言葉なく、シノンの言葉を聞いていた。
聖族はその能力を狙われる存在だというのは知っていた。しかし実際に話を聞いてみると、想像していたよりも辛いことなのだということがわかる。
シノンは今までそういう人達を相手にしてきたのかと思うと、カルナは胸が締め付けられるような気持ちになる。
彼に限らず、その兄姉たちも同じ運命を辿ってきたのだろう。それを思うと、同情にも似た感情が込み上げてくるカルナだった。
「まあでも、そのまま売られる気なんてなかったがな」
「どうしたの?」
「当時覚えたばかりだった、爆発系統の能力を使ったんだ。今じゃもう使えないんだけど、それのお陰でなんとかな。その代わり、かなり体力を使うんだが」
「そりゃあそうでしょ。爆発系統なんてそんなものだよ」
カルナの言葉にシノンは苦笑を浮かべる。
爆発系統の魔法は威力が高い分、魔力消費が大きい。それと同じで、例え特殊能力で魔力を使わないとしても、体力の消耗は激しい。
子供ほどの体力では死んでしまうことすらあるだろう。
しかし幸い、シノンの場合は体力もかなり鍛えていたために当時死ぬことはなかった。それでもただでさえかなりの体力を消耗していたのは事実で、体はホロボロになって再び意識を手放してしまったのだ。
「で、今度こそ気がついたら知らない天井だ」
「……女の人?」
「ああ。傷もしっかり手当てされてた」
再び降りる沈黙。風が吹き、2人は魔道具の明かりが灯っている街を見下ろす。
「で、出会ったのがその女。最初は優しくて太陽のような人だと思った。しばらくその人と過ごして、次第に好きになったんだ。当時は俺の嘘を見抜く能力と本質を見抜く能力はなかったから、その女の本質を見抜けないでいたんだけどな」
「……それは……シノン? 無理しなくてもいいよ?」
シノンがどこか辛そうな顔をしているのを見て、カルナが彼を気遣いそう告げる。しかしシノンは首を横に振るのだった。
「いいよ。お前になら、何でも話せる」
「……そう」
「3年くらい過ごしたかな。カルナと違ってそいつは結構積極的だったのを覚えてる。だから、向こうも俺に結構アピールするようになってきてな」
「えっ………」
「裸になって俺の寝台に潜ってきたり、不意に唇奪われて舌入れられたり、服脱がされて寝台に押し倒されたり……」
「……………………………」
カルナは顔を真っ赤にして、シノンから視線を逸らした。
「……ん? どうした?」
「え、あ、いや、そっか、だから恥ずかしくなかったのか」
「ああ……まあ……そうだな。たぶん慣れ」
「そんなこと……してたんだ……」
「勘違いすんな。全部あいつがやったことであって俺は別に何もしてない」
「あ、あー、うん。わかったわかった」
多少反応がおかしかったが、シノンは気にせず続けた。
「はあ……まあいい。俺としても構わなかったんだよな、別に。人間が裸を恥ずかしがる意味がわかってなかったし」
あまり覚えていないが、その女にされたことを語るべくシノンは再び口を開いた。
「向こうも俺のことが好きだと言ってくれた。俺以外にないんだって。俺もそうだった。カルナほどじゃなかったけど、それでも大切な人……だったんだ」
「……恋人にしなくて良かったね」
「ああ。良かった。だってそいつの目的が、その恋人の地位のみだったんだから」
「………………はあ?」
あまりと言えばあまりの答えに、カルナは驚きから惚けたような声を出す。それを予想していたのか、シノンはそのままうなずく。
「それを知ったのが、兄さんや姉さん達にそいつを紹介した時。あいつは俺を人質にとって、自分を聖族にしろと言ってきたわけだ。動けない俺を、狂ったように笑いながら」
「…………恋人ってシノンからキスを求めないとダメなんでしょ? やってないの?」
「やってない。どんなに信頼していても、家族には紹介しなきゃいけなくてな。カルナは俺の記憶が戻る前だったから仕方ないんだが」
カルナは自分のことでもないのに、悔しそうに唇を噛む。同じ女として、シノンを利用してまで不老を手に入れたいとは思わないのもあるし、何よりもシノンを騙したことが許せなかったからだ。
シノンが自分から口付けを求めることが出来れば女は不老が手に入れられるのだから、無理もないだろうが。
「悔しかったよ。そいつは恋人になる方法を知らなかったから、兄さんと姉さん達の前でも本性を表したんだよ。……まあ、俺はショックで固まってて、兄さんと姉さんに迷惑かけたんだけどな」
「迷惑じゃないと思うよ」
「……………………」
「私はまだサラアオ義兄さんやリン義姉さん、エク義兄さんの3人にしか会ってないけど、わかるよ。シノンはすごく大事にされてるんだってことが。そんな人たちが、シノンが人質にされたくらいで迷惑だなんて思わないと思うんだ。だから、さ。気落ちしないで。私もいるから。私はずっとシノンが好き。それは絶対に変わらないから」
「……ああ。ありがとう」
シノンの頬が薄らと赤く染まる。顔は真顔そのものだったが、尻尾は正直だった。
カルナに励まされて左右に揺れている。
「……………し、シノン!」
「……ん? どうした急に……むぐぅっ!?」
シノンはカルナに急に呼ばれたかと思うと、彼女に不意をつかれ唇を奪われた。
しかしすぐに離して、カルナが頬を真っ赤に染めながら言う。
「口、開けて」
「………は?」
「いいから!」
シノンはカルナのやりたい事を半ば察していながら、言われた通りに口を開く。するとカルナは間髪入れずにシノンへ飛びつき、彼の口の中へと舌を入れる。
シノンも彼女の要望に応えるべく、舌を絡めてやった。
互いにパーティー会場で食べたデザートの味が少し残っていて、まるでそれを共有するかのようにその甘い味を楽しむ。
やがてカルナがゆっくりと離れ、2人を繋ぐように伸びたのは銀の糸。それがプツリと切れると、2人は手の甲で口を拭う。
「そんなに気にしなくても、今の俺はお前だけだってのに」
「嫌……シノンが辛い思いをしたのに……その女は笑ったんでしょ? 私……やっぱり許せない……ぃっ!?」
カルナが小さく悲鳴を上げたのは、シノンにギュッと抱きつかれたからだ。
「うん、ありがとう。でもいいんだ。あいつはもう死んだんだし」
「……女性が嫌いになった理由は……トラウマ、だったんだね」
「…………そんなところか。けど、話せて良かった。カルナにはこういうことは話しておくべきだと思うし」
カルナもシノンの体に手を回して抱き寄せ、軽く笑い声をあげる。
「まあ、私はシノンのこと全部知りたいって言ったけど、シノンが辛いようなら話さなくてもいいよ」
カルナがそう言うと、2人は体を離す。
そして互いに再び頬を赤く染めて正面から見つめ合った。しばらく見つめあっていたが、シノンはニヤリ、と笑って言った。
「以上が、カルナの問いの答えだ。どうだ、納得したか?」
「うん。充分すぎる。あとさ、私といる時はすごく楽しいでしょ?」
「は? なんでそう思う?」
「尻尾は正直だねー」
カルナが突っ込むと、シノンの尻尾がピタリと止まった。同時にふっと真顔になり、その表情のまま固まる。
そしてシノンの数度の瞬きのあと、カルナは悪戯が成功したかのような笑みを浮かべた。
「図星でしょ? ははっ、犬系はわかりやすいねー」
「うるせえ。俺を獣人と一緒にすんな」
「ははは。ごめんごめん。でも似たようなものでしょ?」
「……はあ、もういいよ。とにかく、今日は寝よう。俺はもう眠い」
「ふふっ。いいよ。ね、今日も一緒に寝よ?」
「好きにしろ」
「やったー!」
こうして、シノンとカルナは今夜も同じ寝台で眠るのだった。