102、酔っ払いと二日酔い
「なあ兄ちゃん、いいだろー? 飲もーぜー」
「やめろ、俺は酒が飲め――……ちっ、おらっ!」
「いってー。何しやがるんだ……ひっく、このガキぃー」
「ちょっ、やめてくれ!」
「なんだよー、冷てーなー」
顔を真っ赤にしながらシノンに絡む冒険者の男。隣ではアルファも別の男に絡まれているけど、2人とも何とか抵抗している。
私たちはシノンとアルファに言われて頭巾を深く被っていて、顔を隠している。
念のためということで、シノンが私たちに『視線逸脱』を掛けてくれているから男たちは気づいていないけれど、このままじゃ2人が可哀想すぎる。
そう思って止めようとしたけれど……。
「親父! ウイスキー1丁!」
「あいよ!」
「え? ちょっ、シノンっ!?」
そう声を上げて注文したのはシノンだった。酒臭い男に絡まれて酔っちゃったか! 大変だ!
「シノン、待って! ていうか、離れてください!」
「あ? なんだ姉ちゃん、お前も飲むか?」
「いりません! 帰ってください!」
「こらーお前らー! 他人様に迷惑かけてるんじゃないよ!」
「ひっく……姐さん、良いじゃねえか。誘ってるだけなんだし……気分がいい時に水差すんじゃねーぞ」
声がひっくり返ってるし。ってそうじゃなくて!
「へい、ウイスキー1丁」
「あ!」
ちょっと待って! 止める前に飲んじゃった!
「……うえっ……」
「馬鹿っ!!」
「シノン!?」
「んんー? はい、ぼくがシノンれーす」
『………………………』
「ああ……」
呂律が回ってない……瞬時に酔ってしまうシノンはある意味すごい気もするけど、このままじゃ色々と拙い。
みんなシノンの意外な姿に唖然としてるし。
「シノン、今日はもう寝よう」
「は? なんで? まだこんなに明るいじゃないか。まだ俺は疲れてないぞ」
「そういう問題じゃなくて! ああ……なんでよりによって強い酒を……せめて弱いのにして欲しかった……」
「ああー? 世界が回ってるー?」
「いや、回ってないから! 酔ってるんだよシノン!」
「あ、こんな所にファングボア」
「こらー!」
シノンが双剣を抜いて振り回し始めたのですぐに止めて、私は剣を没収する。
狼だけに酔った時に見える幻影的なのも肉なんだね。
「はっ! し、シノン! お前何やって……!」
「フィア、ゆうき、これよろしく」
「え? ええ……って重っ!」
「こんなのシノンさんは振り回してるんですか!?」
「そ、そんなことより! シノンってばどうしたのよ!?」
「酔ってるの! とにかく部屋に運ぶよ、アルファ手伝って!」
「お、おう!」
「すいません、失礼しました!」
『は、はあー……』
シノンの激変ぶりに酔いが覚めたのか、男達とそれを止めに来た女性ともども唖然とそう返す。
「なんだよー、放せこのっ……」
「うわっ、せめて部屋に行くまで寝ないでよー!」
「はあ……はあ……はあー……」
「まったく、それにしても意外だったな。シノンが酒にこれ以上ないほどに弱いなんて」
「本当ですね。ボクも混乱しちゃいました」
「なんだかシノンじゃなかったみたい」
「いや、私も最初は驚いたよ。シノンのお義父さんもね、初めは驚いたってさ」
「へえ。まあ、そりゃあそうよねー」
「いや、シノンさんって結構弱点とかあまり晒さないからわかりませんでしたけど、これも1つの弱点、なんですかね?」
「そうだね。お酒の臭いだけでも酔っちゃうんだし」
「うわ、弱すぎだろう」
「……まあ、弱いものは仕方ないよ」
慌ただしく食堂を出た後は3階までシノンを連れて階段を上りきり、最終的に私達はこうして会話をしていた。
シノンは現在、部屋の寝台の布団に包まれて静かに寝ている。時々唸りながらも表情が穏やかなのは、やはりお酒による快感からだろうか。
「まあ、酒に酔った勢いで酒を注文するってのはよくある話だしな。シノンもその例……だろう。たぶん」
アルファは苦笑しながらそう言う。
「そう言えばさ、前から気になってたこと聞いてもいい?」
「ん? ああ、いいよ」
「さっきカルナがシノンのお父さんが、って言ってたから何となく思い出したんだけど……シノンとカルナって幼馴染みかなにかなの?」
「あ、それボクも気になります」
「なるほど。父親にあったことがあるってことはそういう事だよな」
「あー……うん。まあ、ちょっと複雑……でね。幼馴染みって言うほど長い付き合いじゃないよ。シノンと出会ってから……もう7年か」
「ん? カルナは今何歳だ?」
「こら、お兄ちゃん!」
「は、はい!?」
「女性の年齢をさらっと聞かないの!」
「あ! ご、ごめん!」
妹に叱責され慌ててアルファが謝るが、私は笑って許した。と言うより、私はもともと年齢など気にしていないので、特に怒る要素はなかった。
「まあ年齢とかあまり気にしてないしね。今年で21になるよ」
「え? に、21歳?」
「うん。21歳」
『………………………』
ここで黙り込んだのはアルファとフィアの兄妹。なぜか。私はどう見ても15歳の少女にしか見えなかったからだろう。
ゆうきはシノンと私と出会った頃が15歳の時だった為か特に気にせず2人の様子を苦笑しながら眺めている。
「え、えっと、何故?」
「何故って言われても……あ、まだみんなには言ってなかった。私も一応聖族だから、成長が止まったんだよ」
『えっ!?』
「カルナも聖族だったの?」
「う、うん。そうみたい……って言ってもほんの最近聖族になったんだけどね」
「最近?」
「あー……うん。色々と複雑な事情が…………聞かないで」
『はあ……』
これにはゆうきも驚いていた。シノンが聖族だとは聞かされていたけど、私についてはまったく聞いていなかったからだと思う。
「一応と付いているからには、何かあるのか?」
「まあ、あるんだけど……」
言ってから、私はシノンを見た。だが再びアルファ達を苦笑しながら振り返る。
「シノンに聞いてみないとちょっとわからないんだよね。あ、別に信用してないとかじゃなくて、私じゃ説明しきれない気がしてね」
「な、なるほど。じゃあ、シノンが起きたら、聞かせてくれる、か?」
「たぶん。……そうだね、ちょっと私たちのことも話そうか」
こうして、アルファ、フィア、ゆうきの3人に私とシノンの出会いから旅路の話まで、色々なことを話した。
ちょっと恥ずかしいことは伏せることにした。だって、シノンってば意地悪なんだもの。
けど、そんな中に優しさがあるっていうのが1番なんだけどね。やっぱり好き。
「いやー、シノンとカルナが付き合ってるのはわかってたけどまさか婚約までしてたなんて……」
「けど、なんでまだ結婚してないんだ?」
「あー……うん。いろいろとあって、さ」
「……それは聞かない方がいいんですかね……?」
ゆうきの言葉に私は無言でうなずく。
シノンと旅をして定住していない以上、結婚はするわけにはいかない。
あるいは父さんや母さんもアルファと同じことを思っているかもしれない。
それに、今はまだ、この旅もいいしね。
「何笑ってんのよ」
「あっ、ごめん」
いけない。無意識にニヤニヤしてたみたい。
「まあ、それはいいとして、明日どうする? あの様子だと、シノンってば二日酔いとかしそうよ?」
「私がここにいるから、3人は観光してきてよ」
「うーん、ここに来たことがある人に是非案内してもらいたかったけど……」
「無理言わないでよ。私だって何度か来たことがあるってだけで、別にここに詳しいわけじゃないんだから。強いて言うなら、シノンならちょっと詳しいかも?」
「ああ、なるほど」
シノンならかなり長生きしてるから、たぶんスフィン王国についてもわかる……かな? ……ってそうじゃなくて。
「そうじゃなくて、どうするのよ?」
「あ、それじゃあ俺達は、せっかくだしここのギルドの依頼を受けるとかどうだ? 王都周辺の魔物にもちょっと興味があるし」
「いいんじゃないですか? ボクも大歓迎です」
こうして、明日の3人の予定はまたもあっさりと決まるのだった。
「やばい……可愛すぎる……っ」
アルファ達が宿から出て行ってから、カルナは1人でシノンの寝顔を堪能していた。
すでに成人を通り越して誰よりも歳上であるはずのシノンが、まだ子供としか表現出来ないほどのあどけなさがあればそれを信じる者はいないだろう。
カルナの場合は過剰と言ってもいいが、多くの女性がシノンの寝顔を見れば見惚れてしまうのは確実である。
「んっ………んぁ?」
「あ、起きちゃった」
「ん? ……あ、うな?」
「呂律回らなすぎでしょ!」
「んー……」
「はい、水」
「ああ……ありあとー……」
カルナはシノンをゆっくり起き上がらせて、水の入ったコップを手渡す。するとシノンは水を一気に飲み込み、指先を動かしてはコップの中に新たに水を汲んで飲んだ。
「………その水どこから汲んでるの?」
「ん? あー……どこから?」
「今のシノンに聞いた私が馬鹿だった」
カルナは小さくため息を吐く。
おそらく近場の水を汲んでいるのだろうが、どこから汲んでいるのか自分でもわかっていないのだろう。
しかし人々が騒いだりしていない辺り、誰にも迷惑がかからないような場所から汲み上げてはいるのだろう。……少なくとも今は。
「ううっ………」
「頭痛いでしょ? 馬鹿じゃないの、ウイスキーなんで強い酒なんか……」
ビールが5度、ワインが14度なのに対してウイスキーの度数は40度以上もある。それが、下戸とも言えるほどに酒に弱いシノンが一口飲めばどうなるかは一目瞭然だろう。
5年くらい前に随分と弱い酒を1杯飲まされた時でも泥酔していたのだから、たとえ一口でも度数の濃いウイスキーを飲めばこうなるのも仕方のないことである。
それにしてもカルナにとって一番解せない謎は、酔った勢いとはいえなぜわざわざ度数の濃いウイスキーを注文して飲んだのか、ということである。
どうせなら簡単にビールだのシャンパンだの、弱めの酒でも良かったはずなのに、と。
シノンは充分に水を飲んだのかコップを脇の机に置き、再び布団の中に潜った。
「……カルナは行かなくていいのか、街に」
「え? なんだ、今酔ってなかったの?」
「まあ多少は酔ってるが……ああ、頭いてぇ……」
「それは自業自得。街に出ないのは、シノンが心配だから私が看病してあげてるんじゃん」
「……そうか」
短くそう返して、シノンは寝息を立てる。
カルナはそんな彼の様子に数回瞬きしてから、軽くため息を吐いた。
「ただいまー。カルナ?」
「あ、おかえり。早かったね」
「はい。あの、今回捕ってきた魔物のお肉を収納魔法で預かってほしいんですけど、良いですか?」
「俺とフィアのも頼む」
「お願い」
「はーい、わかったよー」
収納魔法はこのメンバーの中ではまだシノンとカルナにしか使えないので、食料などの管理は2人がしている。ただ今のシノンはまだ眠っていて頼めないので、カルナに頼むしかなかったのだ。
「今度シノンに調理してもらおうか」
「良いわね! 私は賛成よ」
「ま、酒の二日酔いでの迷惑料、だな」
軽口を言い合う4人だが、彼らは本気である。
長年生きているだけあるのか、シノンは料理までこなせる。
その味の美味さを実際に体験したことのある4人は、彼の料理に期待して笑顔を浮かべるのだった。
「ちなみに何のお肉?」
「ああ、これ全部闇狼だ」
「…………………」
アルファがカルナの問いに答えた瞬間、カルナは動きを止め真顔になってからすぐに収納する。
「あ……そんなに嫌いだったのか?」
「いやー? 別にー? これ以上長く外に出しといたら鮮度が落ちる一方だと思っただけだけど?」
「お、おう……」
口だけ満面の笑みで答えたカルナに、これ以上は聞いてはいけないと男としての本能が働いたのかアルファ達はそれ以上踏み入ることはなかった。
カルナにとって闇狼は、再びシノンに出会えたきっかけではあった。しかしそれでも魔物である以上好きにはなれないし、命の危機にさらされたこと以外にも悪い思い出しかない。
リリーズ王国の森でシノンにもらった外套を破られたり、警利の森レラン王国領で怪我をさせられたりと色々な面で嫌な思いをさせられている。
それを考えれば、カルナが闇狼に対して嫌悪感を覚えるのも無理はなかった。
「んん……」
「あ、シノンー」
話を逸らすように、カルナは目覚めたシノンのもとへ向かっていった。
「おう……おはよー……」
「おはようと言うかおそようだよね。というかもう夕方だけど」
「そうだなー」
まだ寝ぼけているのか、カルナに対する返事は短いものだった。しかし恋人がやっと目覚めて悪い気はしないのか、全く気にした様子もなく寝台の隣に座る。
「よう、シノン。体調は?」
「……ああ、だいぶいいよ」
そう言いながらシノンは起き上がり、頭を抑える。それでも呻くことがないあたり、頭痛もだいぶ治まってきているのだろう。
「明日には出られそう?」
「ああ。一口しか飲んでなかったのが幸いしたよ。明日には何とかなりそう………」
「なら良かった」
「………………………」
シノンは黙り込み、狼の耳を盛んに動かしながら空気中を凝視している。気づけばほとんど沈黙してシノンの隣で眠っていた水狼も同様に何かの音を聞いているようにじっとしていた。
それをカルナが疑問に思い、訊ねる。
「……どうしたの?」
「いや、なんでもない……やっぱ何でもなくない」
その場にいた者はみんな首を傾げたが、すぐに他の人より五感の鋭いゆうきが窓の外を凝視し始めた。
「何か……来ます」
「え? 何が?」
「まあ人間にはわからない、よな。こりゃ……数千の塊……騎士団隊か」
「へ? 騎士団体?」
「あ、そう言えば、この国の王様が今は不在だとかなんだのとか言ってたのを聞いたわよ?」
「それかどうかはわからないが……はあ。気にして損した」
シノンは寝台に寄りかかり、コップを取り出して先ほどのように水を汲んで飲み始めた。
そんなシノンの様子を見て、カルナ以外の3人は武装を解除して体の手入れをするのだった。