交易船と下戸
クレオとの模擬戦を終えて数週間後には、俺とカルナは旅の準備を整えていた。
朝早くに団長と副団長に見送られ、俺達は旅立った。
それから5日間ほどでヘルガ皇国最大の港であるタイムマ港に到着し、昼食を済ませる。そのあとリリーズ王国への船の乗船券を買おうとしたら、後ろから聞き覚えのある声が聞こえてきた。
「シノン、カルナ!」
振り向くとそこには、筋肉質な体つきの若い男が立っていた。身長は高めだが大柄ではなく、茶髪に太い眉毛の下には金色の目がある。そして頭には狐の耳と、尻尾がついていた。……ロウだ。
「あ、父さん。久しぶり」
「お久しぶりです!」
カルナが頭を下げる。
その時の勢いで――慣性の法則に従って――外套の頭巾が取れるかと思ったが、ギリギリ大丈夫だったようだ。
「久々だな。シノンもカルナも、でかくなったなぁ」
ロウは目の前に歩み寄ってきて、その大きな手を俺の頭にぽん、と置いた。
俺の脳天は、ロウの顎のあたりにあった。
「そろそろ私も追いつかれますね。と言うか、もうすぐで抜かされそうです……」
「ああ、いや、そりゃ気にしなくても大丈夫だ」
「は?」
「……シャラストは、人間の成長期を過ぎると成長が遅くなるか、止まるんだよ。つまり俺はここからあまり身長が伸びないんだ」
俺は周りに聞こえないように声をひそめて言った。
「え……そう、なのか? まあ、長命種って、そういうもんか」
「わかってると思うが、あまりそういうことを漏らさないでくれよ。頼むから」
「わかってるさ」
俺はカルナの言葉に微笑んでうなずいた。ロウが咳払いをし、で、と言う。
「お前達は、これからコペルに帰るのか?」
「いや? リリーズ王国に渡るつもりだけど?」
「お、奇遇だな。俺もリリーズに渡るんだ。俺の知り合いが船を出すってんでついでに乗せていってもらうんだが、一緒に行くか?」
「本当に? んじゃカルナ、良いよな?」
「もちろんだ」
カルナはうなずきながらそう言った。
ちょうどいい。これから乗船券を買おうとしていたが、リリーズ王国までの料金はそれなりに高い。ロウが知り合いに乗せていってもらってその金がパーになるのならば、それに越した事はない。金には困ってないけど、やっぱり減るのは嬉しくないしな。
「決まりだな。こっちだ、ついてこい」
俺達はロウについていき、一隻の大きな交易船の前で止まった。
ロウは世界中を回っているというだけあって、世界中に知り合いや伝手、人脈などがあると言ってもいい。もちろん一緒に回っていた俺にも知り合いや伝手は多いと言えば多い。
だが、俺よりも長く旅をしていたロウの方が知り合いは多いため、俺の知らない人と挨拶なんか交わしているロウを見ると、自然とその場を離れていたものである。
今回も面識のない商人の船で、乗せていってもらうのだからと我慢してその場にいた。
ロウが俺たちを紹介すると、頭巾をとってくれないかと言われ、荷の影に隠れて目立たないようにしてから、頭巾をとった。
さすがに俺たち二人ともレイヴァ、それも青目だったので少しは驚かれたが、その後はレイヴァなどということは意識していないような態度で接してくれた。
ロウが親方、と読んでいた40代くらいの男だが、どうやら俺たち以外にもレイヴァの知り合いが数人程度いるらしく、レイヴァでもなんでも気にはならないらしい。……数人でもレイヴァに知り合いがいたらそれだけでもすごいと思うが。
それは親方のみに限らず、この商隊全員がそのレイヴァとは親しくしているらしいので、妙にすんなりと商人たちに馴染むことが出来た。
……で、夜になったらみんな酒を飲んでものすごくどんちゃん騒ぎだった。その中に俺もほとんど強制的に参加させられ、酒を一杯無理矢理飲まされることになり……。
厨房の方で女性の人たちの手伝いをしていたのだが、だいぶ遅くなったので、子供なのだから早めに寝なさいな、と言われ、私は部屋へと向かうことにした。
食堂では相変わらず船員たちが騒がしく酒を飲んでいる。そう言えば、シノンもあの中に引きずり込まれていったっけ。連れ戻すか。シノンも子供なんだし。
と、思って食堂に入ったはいいのだが……あれ? シノン……は……。
手前の机で酔った船員たちに囲まれ机に突っ伏しているレイヴァの男の子が目に留まり、私はその男の子の肩を叩く。
すると、ゆっくり顔をあげたと思ったら、顔を赤くして鋭い視線で私を睨みつける。
「…………あぁ!? なんだよ!?」
「…………えっ?」
どこか慌てた様子の、バタバタという足音が聞こえて食堂の入口を見るとロウさんが、ばっとそこに顔を出した。
「うるっせえなぁ……もっと静かに歩けよ親父ぃ」
「え……えええ!? し、シノン!?」
私が驚いているとロウさんは、あちゃー、と呆れた顔をしながら額に手を当てる。船員たちも酔っているとはいえ、シノンの変化しすぎた雰囲気に、愕然としていた。……まあ、そうなるよね。
「ていうかここどこだー? あ、世界がが回ってらあ。何ここ回る世界ぃー?」
「完全に酔ったなあ……おい、シノン、部屋に、戻って、寝る、ぞっ、こら……」
「なんだよー、ほーっといてくれよー……」
ロウさんがシノンを引きずりながら、酔った船員たちから彼を強引に引き剥がした。
「おい、シノンにどれくらい飲ませた?」
「え、い、1杯だけ、だけど、結構弱い酒だぜ!?」
「それでもシノンはダメだ。こいつほど酒に弱いやつはいないから、覚えとけ。まあ、騒がせてすまんな」
『お、おう……』
その場にいた船員たち全員が声を合わせて呟くように言った。
そしてロウさんは、シノンをおぶって出ていき、私もついて行く。
「あの、ロウさん? シノンって、酒に弱いんですね、意外と」
「意外でもねえさ。もともとシャラストは酒に弱いからな。俺も滅多には飲まない。ドワーフ辺りとは正反対だと思ってもいいな」
ドワーフ、か。たしか、大酒飲みで手先が器用な種族……だったかな。山岳地帯に暮らしていて滅多に人里には降りてこないから、私も会ったことはない。
「すまないな。なんか見苦しいところを見せたみたいで。酒を飲んで酔った時に怒ったってことは、こいつにストレスが溜まってるのかも知れんな。酒癖が悪い、とでも言うのかね」
そうか。さっきシノンが怒っているみたいだったのは、ストレスが溜まってたからなのか。
面接のあとも過度なストレスが原因で熱を出してたし……本人はあまり表情を表に出さないから、わかりにくいな……私ももっと敏感にならなきゃ。
「私、シノンの邪魔になってたり、しないかな………」
「ん? どうした、急に?」
「いや、私といることでシノンのストレスが溜まってるんじゃないかって、不安なんです。私には何もできない。戦うことも、シノンの支えになることも……この2年間で、シノンは私を守って何度も怪我をしたし、たくさん迷惑をかけた。それが今になって……」
「……ちげーよ……」
不意に、シノンが声を上げた。って、起きてたのか……。
「……俺は別にカルナがストレスだとか微塵も思ってねーから。むしろいてくれて助かる時の方が多い。なんでいつもお前はそう自分に後ろ向きなのかわからん。もっと前向きに考えろ、っての。俺は、お前に対して……ない、から……カルナ…………だ……から……くぅ……」
「え? なに、なんだって?」
聞き返そうとしたが、シノンはそのまま眠ってしまった。
なんだったんだ? 気になるけど、寝ちゃったら聞けないな……。
「ところでカルナ」
「あ、は、はい? …………っ、えええ!? な、なんで気づいたんですかっ!?」
「お、やっぱそうだったか。いや、なんとなくそうなんじゃないかって思ってたんだが。本人は気づいてないようなんだがなあ。悪いな、カルナ」
胸の内に秘めていたこと……と言うとなんか勘違いされそうだけど、とりあえず誰にも話していないことをロウさんに見抜かれ、私は顔がなんとなく熱くなるのを感じていた。
「い、いえ。今でも十分……ですし……むしろ、シノンに気づかれたら……あ、あのっ……!」
「っはは、安心しろ。俺からシノンに言うつもりはねえさ。まあ、いつか伝えてやれ。こういうところには鈍感な奴だがな」
「……はい」
するとその時シノンが、うーん、と言いながら目を開けた。
えっ!? お、起きてた!? ……って、ことは、今の聞かれた……!?
……と思ったら、また眠ってしまった。
ど、どう、しよう……確認のしようがない。
シノンとロウさんの部屋の前に来ると、ロウさんと別れ、隣の自分の部屋へと入った。しばらく布団の中で起きていたが、なにとなく眠くなってきたのでそのまま朝まで眠った。
「あぅ――…………」
「ほんっとーに覚えてないのか?」
「覚えてないって? 何のことだかさっぱりなんだけど。ていうかそもそも昨日の夜の記憶が……」
今さっき俺の部屋にいきなりカルナが入り込んできて、なんだかおかしな状況になっている。俺は布団の上で仰向けに寝転がっているが、カルナはそんな俺に覆いかぶさるように四つん這いになり、顔をすぐ目の前までに近づけている。
「それよりさ。近いんだけど。なんの尋問だよこれ?」
「だから、さっきも言っただろ? 昨日の私とロウさんの会話、本当に聞いてないんだな!?」
「ここで嘘ついてどうする? 覚えてないって……何回も言わせないでくれよ」
なんなんだ、いったい。覚えてるとか覚えてないとか。なぜか昨日の記憶がほとんど残ってないし、色々と曖昧なんだけど。
こんなにカルナが迫ってくるってことは、いったいどんな状況だったんだ、俺? なんかしたか? てか、本当に顔が近い。こんな状況じゃ逃げるどころか起き上がれやしないじゃないか。
「っ……それより、本当に、そこどいてくれよ。起き上がりたいんだけど」
「逃げる気か? まあいい。じゃあ別の質問だ。昨日お前が言いかけたことの方は? さ、早く思い出せ」
「それ人に物事を頼む態度か?」
「私の生まれた家系はそうだ」
「貴族かっつーの」
カルナはふっと笑みを浮かべながら俺の質問に答える。
それにしても困ったな。本当に思い出さないとやばいかも。でもなあ……本当に覚えてないんだよなあ。
う――――――――ん………………………………だめ、無理。
「ちょっ、カルナ、やっぱ無理。だめ。思い出せない。ていうか、まず経緯を教えてくれるか? 何があったのか――……」
「ばっ!?」
俺が言い切る前にカルナが叫んだので、俺の声はかき消された。さっとカルナの顔が引いた。は? なに? その隙に俺は上半身を起こした。なんだ、こいつ? 顔赤いけど。
カルナは両手で顔を覆ってうつむいてしまった。え、ちょっと。
「……なあ、そろそろどいてくれるか?」
「う……うるさいッ!」
カルナはさっさと部屋から出ていった。結局なんだったんだ? ……まあ、いいか。別にもう気にしないし。
それより腹減ったな。目が覚めたらいきなりカルナの顔が目の前にあって驚いたけど、それきり30分くらいはあの状態だったし。
今日の夕方くらいにはリリーズ王国に着くかな。
リリーズかあ。すごく大きな街で賑やかだとはロウに聞いていたけれど、なんかうまく想像ができないな。まあ、行ってみれば一発だけど。百聞は一見に如かずってな。
その後朝食を済ませた。船員の人たちにはなぜか、おい、大丈夫だったか? とか、昨日はすまなかったな、とか、わけのわからないことを聞かれまくった。
本当に昨日何があったんだか。聞いてみれば、覚えてないのかとばかりにみんな口を閉じた。
ま、深追いはすまい。面倒だし。
朝食を済ませて、俺は甲板に出た。すると、遥か? 遠くに陸が見えた。あれがリリーズか。距離にして80キロと言ったとこだろうか。意外と早く着きそうだな。
しばらく海をゆっくりと眺めていると、隣に誰かが立った。見なくてもわかる。カルナだ。
「さっきはどうしたんだよ、急に」
カルナはしばらく黙っていた。
ひとつ小さな吐息をつくと、静かに話し始める。
「……さっきはすまなかった。……ちょっと強引すぎた。はぁ……私も馬鹿だな。命の恩人であり、2年も共に過ごして信頼ができるはずのシノンを疑ってどうするんだろうか」
ちょっとでもないが、たしかにまあ、強引ではあったかな。ま、良いけど。
さて、あとは夕方まで待つだけだな。
■ ■ ■ ■ ■ ■ ■ ■ ■ ■ ■ ■
「どうするんスか! イチ兄!」
白金の髪を持つ少年が、円卓を思い切り叩きながら立ち上がる。美しい純粋な目を持つその少年は、その水色の目に涙を浮かべていた。
「おい、落ち着けよ、アオ。まだ攫われたとは……」
「ゼル兄は黙ってるっス!」
「まあ、アオが怒るのも無理はないか……これじゃ落ち着けって方が無理あるからね」
「そうね、私もアロリスお兄様と同感よ。多分……というか確実に、ここにいる全員が同じ気持ちよね?」
そんな、アオと呼ばれた少年と同じ色の髪にオレンジ色の目を携えた女性とも呼べる少女の言葉に、全員がうなずく。
薄暗い部屋に置かれた円卓に13人の若い男女が座って、話し合いをしている。その円卓の中心には、ひとつの蝋燭の上で、小さな灯火が揺れている。
アオは、一向に落ち着く様子がない。
「それにしても異例だよな。まさか、向こうの世界に行ってしまうとは……」
「そうだね。アオはアルのこと、一番可愛がってたからね。もちろん、私だって可愛い弟のことだから、怒りは覚えるけれどね」
若い青年と少女がそう呟く。
「くそっ。主の野郎、何を考えていやがる……」
「クウ、主の動きは?」
「そうだね、あまり大きな動きはないよ。ただ、アルが主に、異世界へと呼ばれていった可能性は、極めて高いね」
ゼルが拳で机を殴る。
「くそッ! 異世界に飛ばされた上に、アルは記憶喪失なんだぞ!?」
「まったくだぜ。30万年以上探してやっと見つけたってのに、それが異世界かよ。それもあの異世界だ。許せん」
すると、今まで黙っていたイチが口を開く。
「わかっていると思うが、無理には動かない方がいい。主には出来るだけ気づかれない方向でいきたい。アーロ、アオ、エル、そしてクウ。引き続き主の動きを見張れ」
「「「「了解」」」」
イチは、ずっと立っているアオを座らせる。
「父様の封印も、今回は近いうちに解けるだろう。アルのことは、早く助け出すつもりだ。みんなも、気を抜かずにいて欲しい」
その場にいた全員がイチの言葉にうなずく。
「では、俺は一度、聖上神界に戻る」
そう言ってイチが退室すると、今度は12人だけで話し合いが始まった。
「リラン達は引き続きクレアスで行動させる。一応、『ダグリス家』の者として」
ゼルがそう言うと、みんながうなずく。
「やっぱ、″自然界属性者″が適任なのかい、ゼル兄さん?」
「そうだな。リランたちの方が異世界転移での行き来はしやすいからな。俺たちよりも、あいつらの方が向こうへ渡りやすいし、存在すらしやすい」
「ゼル兄さん、アル、記憶なくしてる。彼に、なんて説明すればいい?」
エメラルドグリーンの癖毛を持った、大人しそうな雰囲気の女の子がそう質問した。黄緑色の目は眠たげに細められており、歳の頃は15歳から16歳と言ったところである。
「ふむ、信じてもらうしかあるまい。あいつはもともと人見知りだから、難しいかも知れないが……」
「とにかく、これ以上長い間アルをこの世界から離しておくわけにゃいかねえでしょ。いくらあいつの聖魔力の量でもさ、そろそろ切れちまうよ」
「当たり前じゃない。でも、今の私たちにはどうしようもないわ。とりあえずは、リラン達に任せるしかないわよ」
アーロが、ところで、と更に切り出す。
「アルの気配を見つけた時から気になっていたのだけれど、もう一つ、一緒に大きな魔力を感じないかい? 普通の魔力とは違う、特殊な気配」
『たしかに』
全員の声が同時に、部屋に響いた。
「なんなんだろうね? 聖族のものと似ているけれど、実はまったく異なるもの、というわけか」
11歳くらいの赤髪の男の子は顎に手を当て考え込む。そして更に、隣にいた薄桃色の髪の女の子が口を開いた。
「超天才魔術師でもないわね。となると……眷属神かしら? いえ、それでもやっぱり、違うわよね。早めに引き離した方が、私はいいと思うのだけれど」
「いずれにしても、今すぐにアルに危害を加えるようなモノじゃないね。アスラの言うとおり、あたしも早めに彼らを引き離した方が良いと思う」
「魔力混ざっちゃうしね」
続けて土色の髪でショートの少女と、濃い桃色の髪を持つ少女が意見を述べる。
「まあ、たしかに。アレの正体がわからない限りは、下手に手出しもすまい。今のところアルに危害がないのならば、慎重に事を進めるとしようか」
『了解』
若い男女の声が再び響くと、円卓の中心にあった蝋燭の火がふっと消えた。
2018年7月26日、修正しました。