やっとふれあう片思い
神様に願えば叶うんだよ。福男の無垢な目。
「神様」
とつぶやいた。
「金山さん」
神の声が降ってきた。
「金山さん」
両手を組んで目をとじた。神様、私の願いを叶えてください。願えば奏羽、んでしょ。なんてね。
「金山さん。ノート」
目の前に、奏羽がいた。あんまり吃驚すると、人は呼吸を忘れる。
教室にはもう誰もいなかった。
「金山さん。ノート、渡してくれる?」
神の手が差し出された。細くて長い指が、まっすぐに私に向けられている。
手をつないでみたい。手のひらを私の頬に押しあてたい。体温を共有したい。
「……はい」
思いは噴火寸前なのに、私の身体も声も萎縮して、ノートを持つ手も小刻みに震えているのだ。現実の過酷さに潰れそうになる。こんなチャンスは二度とないのに。二度と。二度と? 嫌だ。ノートのクイーンで終わりたくはない。願えば叶うのだ。神様はいる。私はノートを架け橋に妄想を現実にするのだ。
私は正面きって、奏羽を見つめた。
まぶしかった。夕陽をあびた奏羽の髪は飴色になり、長いまつ毛に縁取られた目はオニキスのように曇りがなかった。
「はい、八神君、ノート」
ノートを渡す瞬間に、奏羽の指に接触することを忘れなかった。私の全身は緊張感がみなぎりつつ瑞々しくなるという、妙な感覚に包まれた。
奏羽はごくわずかに首を傾げ、唇を薄く開いたけれど何も言わず、そっけなく自席に戻っていった。
奏羽と人肌を分け合った私の指先はいつまでも熱く、尊いものとなった。
自宅に帰るなり私は倒れた。高熱を出したのだ。知恵熱の一種だろう、私の心身は思いのほかデリケートだったのだ。元来丈夫な私が寝込んだものだから家族一同が心配したが、翌朝にはけろりと熱は引いた。
奏羽ノートに没頭しなかった初めての一夜だった。「奏羽と言葉を交わした記念日」と最終ページに綴らるはずのノートの存在は、熱とともに蒸発していった。
私の中学校生活は奏羽づくしとなった。相変わらず口もきかず、クラスが離れても、私はひたすら奏羽ノートを量産し、夏休み編だの総集編だの、ひとり文芸部状態で綴り続け、もはや妄想だの現実だのどうでもよくなった。友人もおらず、なんとなく仲がいいのは花輪さんだけという地味ぶりだった。
そんな折、第二のいかずちが落ちた。
転校である。大阪に住む父方の祖父が亡くなったのだ。祖父は祖母とともに無農薬野菜の八百屋を切り盛りしていた。
「大阪で八百屋をやろう」
父と母はあっさりと決断し、福男にいたっては「いつでもお笑いが観に行ける」という短絡さで納得した。唯一反対したのは私だったが。
「高校受験に合せてなんだから、いいじゃないの」
と母に諭された。単身で東京に残るなど許されるはずはない。
両親は八百屋をたたむ準備で大わらわだった。夕食は福男と囲むことが多くなった。
「福男。明日、教会に連れてってくれる」
私が作ったミートソーススパゲティで口を赤くしながら、福男がやんちゃに笑った。
「いいよ。俺のおやつはさ、いまいち叶わなくなっちゃったけどさ、ここぞって時とか、念を込めて、ぐーっとお腹に力を入れると叶うよ」
「そう」
私はフォークでパスタをもてあそんだ。一向に食欲がわかない。奏羽宅の家政婦さんは、八百金をしめると伝えたら落胆したそうだ。
「でもさ、明日はクリスマスだから、神様も景気がいいと思うんだよね」
「そうだね」
私は福男の皿に、ナポリタンを分けてあげた。