片思いデスノート?
この日から私は『奏羽ノート』をつけはじめた。奏羽についての妄想が溢れるに溢れ、収集がつかなくなったのである。まさかひとりでしゃべるわけにもいかず、自分専用のパソコンもなかったので、常時持参できるノートに落ち着いたのだ。ノートだと勉強していると勘違いされるのも好都合だった。
「ねえ、お母さん」
夕食はハンバーグだった。くず野菜を微塵切りにして混ぜ込んだものだ。
「中学校の桜、きれいだったわね」
母が菜の花の辛し和えを父に差し出す。父は手酌でビールを飲んでいる。
「入学式の新入生代表って、誰が決めるの? どういう人がなるの?」
「ああ、八神奏羽君?」
「なんで知ってるの」
「可愛い子みたいね」
母はころころ笑い、ケチャップがついた福男の頬をティッシュで拭った。
奏羽のことより先に母に報告すべきことがあった。私のパンツもといパンティには母のドレッサーから掠め取ったコットンが数枚あてられているが、血液がスカートにまで浸透してしまうのは明確だった。
「成績トップの子が新入生代表になるんだよな」
父が言った。口元にビールの泡がついている。
「そうなの? なんでお父さんまで知ってるの?」
「八神さんちの家政婦さんがね、うちに買い物に来るのよ」
母が父の茶碗にご飯をよそった。
「家政婦さん!?」
「そう。うちは無農薬でしょ。八神さんの奥様がそういうのにうるさいんですって」
「八神さんって誰?」
福男が私のハンバーグを箸で突いた。私は福男の手を叩いた。
「先月引っ越してきたらしいぞ」
父がエシャロットに味噌をつけてしゃりしゃり食べている。福男がテレビをつけた。「福男。ごはんの時はテレビつけちゃだめよ。家族で話す時間なんだから」
「八神って誰?」
福男がテレビを消して、口を尖らせた。
「ごちそうさま」
席を立つ。八神って誰? 福男が私の腕を引っぱる。
「富子。あとで夕食の片付け手伝ってね。あらやだ富子ったら、スカート!」
私の後ろで、母の裏声が響いた。
奏羽が窓際で本を読んでいる。昼下がりのまろやかな日差しが奏羽の髪を撫でている。
「薄めた蜂蜜を刷毛で塗り込めたようだ」奏羽ノートに書き連ねる時は知らずにひとりごとを言ってしまう。おかげで私は入学早々に不気味子ちゃんというレッテルを貼られ、クラス中から遠巻きにされていた。
片や奏羽のモテぶりは尋常ではなかった。同級生はもとより上級生や男子生徒までもが奏羽にちょっかいを出した。柔道部や相撲部の輩に待ち伏せされたり、美術部からモデルの依頼があったりした。英語や国語の先生までもが奏羽の美声が聞きたいがために無駄に朗読させるというありさまだった。
想定内である、と私は奏羽ノートに記した。
私は奏羽を静観した。
奏羽はたいていひとりで過ごしているけれど、人を拒絶する刺々しさは発していない。話しかけられれば受け答えはするし、勉強をおしえてあげたりもする。自分よりレベルの低い人を蔑んだり鼻じろんだりすることもなかった。
ただ、自分の外側より内側に興味があるように思えた。故に、女子男子教師の熱烈さをもうまくかわしているのである。
「いつまで食べてるのよ、金山さん」
痛烈な物言いに背筋が凍った。目の前で、花輪さんが仁王立ちをしていた。しめなわみたいに太い三つ編み、黒縁眼鏡。
「もう昼休み終わるんだけど。掃除の時間なんだけど」
「あ、ごめんなさい」
私は慌てて奏羽ノートを伏せ、お弁当をかきこむ。
「毎日毎日毎日、もたもたもたもた」
花輪さんはクラスの副委員長だ。委員長は言わずもかな、奏羽だ。
チャイムが鳴った。掃除開始だ。花輪さんが踵を返した。奏羽は悠然と本をしまい、机をかたした。せっかちな花輪さんですら奏羽には苦言を呈しない。奏羽がまとう空気感がそうさせる。「浮世離れした高貴さ、ピュアさ」ひとりごちたら、モップで足を突かれた。
「金山、廊下でも掃いてこいよ」
モップ男子にほうきを渡された。邪魔だという意味だろう。
奏羽が日々うちの野菜を食べていると思うと、おいそれと飲み込むことができない。つい何十回と噛みしめてしまう。奏羽の身体はうちの野菜でできている。奏羽と私は野菜でつながっている。奏羽宅の家政婦さんがうちのお得意様なんて、誰も知らない。
パンティにあてたナプキンのごわつきをこそばゆく味わいながら、廊下を掃いた。
「ちょっと金山さん、今ゴミ集めたところなんだけど」
花輪さんが仁王立ちをしていた。花輪さんの後方で、奏羽が窓を拭いている。まるで私の視界を遮るように、花輪さんがいる。
私は微笑み、花輪さんにほうきを差し出した。黒縁眼鏡の奥で姑息なことを考えている。太い三つ編みで奏羽をがんじがらめにできると思っているのかな。副委員長だからって。
想定内である、と私は口パクで言った。スキップでトイレに行く。ポケットにはナプキン。パルコで買ったハンカチで包んである。
付き合う、かぁ。トイレの個室でほくそ笑む。私の計画は、もっと壮大なものなのだ。