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逃げる片思い  作者: 森永マリ
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私の片思いを探さないでください

片思いが終わった時、待っていたのは究極の不幸、だったり。

 紅芋は無骨で、いやらしい。男にたとえると野球部だ。泥臭くて純朴で、中身は性欲で満たされている。私は堀りあてたばかりの紅芋をかごに入れ、首にまいた手ぬぐいで額を拭う。たかが紅芋掘りといっても、下準備がやっかいだ。まず根の部分から15センチほど伸びた位置で蔓を切り、わきによせておく。絡まり放題の蔓は膨大で、始末にも一苦労だ。

 とはいえ広大な農地にとっては微量である。私は背筋を伸ばし太陽を仰ぐ。

 かごの中に紅芋が8本。あと1本で野球チームができる。

 中学に入学した時から、野菜を見ると男を連想するようになった。今から10年前だ。随分と昔に思えるし、事実、私は随分と遠くに来てしまった。

「富子さん。もうそのくらいにして、休憩にしよう」

 振り向くと、三郎が笑っていた。農作業用のメッシュハットからのぞく濃い眉と細い目。メッシュハットには『国吉農園』の刺繍が施されている。三郎の両手にはさとうきび。

ああ本当に、遠くに来たものだ。

「このくらいで足りるかな」

 私は軍手をはずし素手で紅芋を撫でた。明日、紅芋タルト作りの体験で女性グループがやってくるのだ。体験するなら紅芋堀りからやればいいのに、と思うが。

「あんな爪じゃ、芋掘りなんかできないよ」

 ここにきた当初に疑問をぶつけたら、三郎は一笑した。私は自分の、切りそろえられた丸い爪を見つめたものだ。

「富子さん」

 三郎が私の肩に手を回す。

「さとうきびジュース、飲む?」

 さとうきびジュース作りの体験もある。無論、さとうきびを摘む作業は端折っている。

「それとも、違うのがいいかなぁ」

 国吉農園の三男坊の三郎は、農作物を隠れ蓑にして仲間達とよくないものも栽培している。

「そのうち、またね」

 昨日、ちょっと寝てやったら、とたんに馴れ馴れしくなった。ごぼうみたいにまっすぐで細くて黒ずんでいてしなりもない三郎のあれは、私がひと舐めするだけでトリップした。よくないものなど必要なかった。

 もっとも私は葉っぱになど興味はない。酔えるものは私の頭の中にあって、泉のように湧き出るのだから。

「富ちゃんがここに来て、もう一ヶ月か」

 肩を撫でる手をさりげなくどけ、私は三郎と並んでプレハブの休憩室に向かった。

「もう、そんなになる?」

「働かせてくれって言った時はびっくりしたな。でもさ、親父とおふくろは首を捻ったけど、俺にはわかったね。富ちゃんは使いものになるって」

 富子さんが富ちゃんになっている。

 あんたのあれは使いものにはならないけど、という言葉を飲み込み、

「野菜には慣れてるから」

 休憩室の作業台に紅芋を並べ、軍手と園芸鋏とかごを所定の場所に戻す。三郎もさとうきびを置き、戸棚からコップをふたつ取り出した。

 紅芋と、早期高糖で茎重型のさとうきびの収穫が重なる11月は、東京からの観光客も多くなる。

 三郎が、手打ちうどんやパスタ製造機に類似したさとうきびジュース抽出機に、さとうきびを一本一本差し込んでいく。右についたローラーを回すと、注ぎ口から茶色がかった緑色の液体が出てくる仕組みだ。

 さとうきびジュース作りの体験は、この抽出機の穴にさとうきびを突っ込んでいくだけの話だ。

「だったらセックスと変わらないね」

 昨日、ついうっかりそんなことを言ってしまったのだ。そしたら三郎が勘違いして、股間を膨らませてしまった。

 さとうきびジュースはただ甘いだけではなく、果実のような馥郁さも瑞々しさも兼ね備えている。

 沖縄は、日本でありながら独特の異国情緒を損なわない。ジュースを飲みながら目をとじて、私は遠くに思いを馳せる。

 私の心と身体の隅々までを満たすあの人は文字通り私の中に息づき、けれど生身のあの人は遥か彼方にいる。

「富ちゃん」

 パイプイスに腰かけた私の斜め上から、三郎の湿った声が降ってきた。横を向いたら目の前に三郎の股間があってもこもこしていたのでうんざりし、席を立ってテレビをつけた。

 画面に、あの人の顔が大写しになった。

「あれ?」

 三郎が頓狂な声をあげる。

「この男、見たことあるよ。なんか雑誌で」

 私の全身から力が抜け、手からコップが落ちそうになった。

『本年度のなれそめ文学賞は八神奏羽(やがみかなう)氏に決定いたしました』

 テレビのアナウンスが、私の身体を通り過ぎてく。

「ああ、思い出した。作家だ。何かにノミネートされてたって、観光客が忘れていった週刊誌に載ってたよ」

 このへんにあったよな、と三郎が作業台を探している。

 なれそめ文学賞とは、小説家、ことに恋愛小説家なら誰もが欲しがる文学賞の最高権威である。

『史上最年少で受賞した八神奏羽氏は、T大学在学中にデビューし破竹の勢いで……』

 年に一度選考が行われるこの文学賞には奏羽の他に数人候補者が上がっていたが、私には微塵も不安がなかった。あの人の生きざまがすでに神レベルなのだし、賞などは奏羽の足取りに合わせてくっついてくるにすぎない。さながら奏羽はハメルンの笛吹きで、においたつような輝きを放ち、あらゆるものが勝手に人生に引きよせられてくる。

 あの人にとっても、賞などどうでもいいことなのだ。くれるならもらうけど、と飄々と言っていたではないか。

「……は、僕が賞を取った方がいい?」

 あの人が、私に聞いた。私は、曖昧に笑った。あの人は、少しさみしそうな顔をした。

「しかしこいつ、やたらきれいな男だと思わん? 富ちゃん」

 富子さん。富ちゃん。とみりん。とみぴー。

 あの人は、あの時、なんと呼びかけたのか。

『ではここで、八神奏羽氏に受賞の言葉をいただきたいと思います』

 けたたましい拍手とカメラのフラッシュ。奏羽の後ろにある金屏風が安っぽく見えるほど、あの人はきらめいていた。

 舐めるように顔をアップに撮るのは、女性読者獲得を計る魂胆だろう。

 ばかばかしい、と私は笑った。笑い顔を三郎にさとられないよう、さとうきびジュースを口に含む。

 ばかばかしい。女性読者なんて。あの人の魅力にまいってしまうのは老若男女動物植物地球生命体すべてだ。

 葉っぱとか、そんなのも必要ない。皆があの人にトリップしてしまう。あの人は良きもので、よくないものなのだ。

 奏羽がマイクスタンドの前に立つと、下品なほどフラッシュがたかれた。

『大変申し訳ありませんが、僕は賞など興味はありません』

 淡々と口火を切った奏羽のまつげが伏せられ、会場が静まり返った。奏羽のまぶたに少し癖のある前髪がこぼれる。

『僕など、見てくれと頭がいいだけの、つまらない男です』

「嫌味ったらしい野郎だな」

 三郎が舌打ちした。私はテレビから視線をはずさずに、からのコップを三郎に押しつけた。

『妻はたぶん、どこかで、受賞をよろこんでいると思います』

 妻、という単語が発せられたとたんに、取材陣がどよめくのがわかった。そして、どこかで、というくだりで、不審めいた表情が浮かんだということも。

『僕の妻は、こんなつまらない僕を養分にして生きている。僕は彼女の中で培養されているんです。今はここにはいない妻ですが、必ず、どこにいても、妻は僕を見ている』

 奏羽が顔を上げ、清々しく微笑んだ。ミネラルウォーターのCMのオファーがきそうだ。

ガス入りの。「きらめく泡をはじけさせ僕があなたを潤します」なんてね。

 私は笑った。涙が出そうだった。

「なんなんだ、こいつ。愛の告白かよ。僕の妻だとさ。どんないい女なんだか」

 横を向くと、三郎の股間があった。

 私は三郎を見上げると、言った。

「セックスでもする?」

 三郎がからのコップを持ったまま、ぽかんと口を開けた。股間はたちまちもこもこになった。

「冗談だよ、ばーか」

 私は両手で顔を覆って、笑った。



両想いが始まった時、今までの私は幸福な死を遂げた、なんてね。

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