第62話 『助けて』の悲鳴
――私は、魔術が不得手だった。
魔術というものが存在すること自体、生まれて長らく知らなかった。世間知らずに育てられた私は、山賊に売り飛ばされてから初めて、魔術というものがあるのだと知った。
自分に、魔術を使う素養があることも、その時知った。
でも、山賊の首領は私に、ロクに魔術を教えてくれなかった。
だから、私は魔術が苦手だった。
「――『シックルス』」
握り締めたナイフに魔力を通わせ、風の刃を作り出す。
目の前のデュラハンに、風の刃を突き立てる。常に微振動を繰り返し、相手をズタズタに切り裂いていく鋸のような刃は、デュラハンの朽ちかけた鎧を易々切り落とした。
――私は魔術が苦手、だった。
過去形だ。
私はいつの間にか、魔術を自在に操れるようになっていた。
理由は分かっている――――あの、不思議なかかしの男だ。
彼と一緒に、私は魔術を発動させていた。彼の身体に魔力を通わせ、一緒に強い魔術を繰り出していた。一緒に空を飛んだことだってある。
その経験は、確かに私の中で生きていた。
私はもう、不得手な魔術でへっぴり腰で、おっかなびっくり敵に向かっていくか弱い少女じゃない。
ものに魔力を通わせる感覚、風のイメージ、その全てを掴んでいた。
こんな死体の群れくらい、独りでどうとでもできる!
「――邪魔よ! 死になさい!」
目の前の蠢く死体を、風の刃で切り裂いていく。
経年劣化で脆くなった死体たちは、面白いくらいにすぐ切れた。風の刃が掠るだけで、腐り果てた肉は容易く乖離する。デュラハンを、タキシムを、向かってくる奴から先にズタズタに引き裂いていく。
死体と言えども魔物だ。旅人の肉や精気を食糧としてきたであろう死体たちに、俄かに動揺が走った。魔術を使うような人間は初めて相手取ったのだろうか。
なんにせよ、その隙を見逃す訳にはいかなかった。
敵の数が分からない以上、傷を負っている私の方が消耗戦では不利だ。
ここで戦意を削ぐ。
本能を挫き、逃げる隙を作らなければ。
「――『エンドスレイブ』っ‼」
魔力を集中させ、ナイフを一文字に振るう。
生み出したのは、巨大な風の鎌だ。
横一文字に伸びたそれは、竪穴を削るようにして死体たちを撫で切りにしていく。カタカタ、と骨だけの死体が散らばっていく音が響いた。
…………自分独りで、この規模の魔術を繰り出したのは久し振りだ。
魔力を集中し過ぎたのか、手がじんじんと痛む。脚の傷の痛みさえ、忘れてしまいそうなほどに。
今のは間違いなく、私に出せる全身全霊だ。
これで、少しは怯んでくれれば――
「GO……!」
声?
間違いない、これは声だ。
低い、地鳴りのような声。
声帯まで腐り果てた死体のこいつらが、どうして声を出せるのか、疑問だけど。
「GOOOOOOOOOOOOOOOOOOOOOOOOOOOOOOOOOOOOOO!」
そんなことを考える余裕などなく。
死体たちは一斉に、私めがけて吶喊してきた。
「っ、『シックルス』っ!」
迫ってくる死体たちを、風の刃で切り刻んでいく。
もう無我夢中だった。
考える暇すらなく、死体たちは寄ってくる。
近い順にどんどん切り刻むだけだ。
一瞬でもそれを止めれば、瞬く間に私の五体は引き千切られるだろう。
止め処ない死の恐怖の中、私は夢中でナイフを振るった。
ぐちゅ、と脚の傷が抉られた。
「っ――――⁉」
一瞬、なにが起きたのか理解できなかった。
咄嗟に視線を落とした、その先にいたのは。
タキシムの、切り落とした頭蓋部だった。
首から上しか残っていないそれが、矢で射抜かれた脚の傷に噛みついていた。
「なん、で――」
思わずそう呟いて、私はようやく気付く。
タキシムやデュラハンの本体は、死体そのものじゃない。
あくまで死体を寄る辺として、取り憑いている目に見えない魔力の塊。
それこそがタキシムやデュラハンの、核となるものなのだ。
いくら死体そのものを切り刻んでも、核を破壊できない限り、こいつらは死なない。
寧ろ死体を切り刻む行為は、相手を小型化してより厄介にするものでしかない。
失敗した。
そう思った時には――――すぐ眼前まで、一体のデュラハンが迫り来ていた。
「っ、きゃ――――あっ⁉」
凄まじい力で、私の身体は壁に縫い付けられる。
ぎりぎりと、デュラハンの指が首に食い込んでいく。背骨が折れてしまいそうだ。いや、それよりも、息が完全にできなくなる方が先か。
――――死ぬ。
その感触が、今までのどんな時よりも鮮明に感じられた。
一週間近く、泥水だけを啜って生きてきた時より。
襲った村で返り討ちに遭い、這う這うの体で逃げ帰った時より。
より身近に迫った死は、最早恐怖さえ感じさせない。
思い出されるのは――――たった数日を共に過ごした、あのパーティのことだった。
走馬燈、というやつだろうか。
ピクシーのポルト。
ノエル。
それに――――アルレッキーノ。
あのかかしを中心としたパーティのことが、脳裏に思い浮かぶ。
…………何故だろう、不思議と心が温かかった。
もう、戻れない筈の場所なのに。
私がいる資格のない場所なのに。
「……け……て……!」
嫌だ。
死にたくない。
まだ、死にたくない。
我儘だけど、図々しい願いだけど。
あの輪の中にいるのが、本当に楽しかった。
幸せだった。
自ら輪の外に外れて、ようやく気付いた。
もっと、あの中にいたい。
仲間でいたい。友達でいたい。
もっと――――生きて、いたい。
「す……けて……助けてっ! アルレッキーノぉっ!」
自分の声が反響するのが聞こえる。
こんな大声を出したのは、生まれて初めてだった。
図々しいけど、我儘だけど、自分勝手だけど。
届いてほしい。
私の声が、聞こえててほしい。
ノエルにやるみたいに、颯爽と現れて、敵を蹴散らしてほしい。
ヒーローみたいに、私を助けてほしい――――
「呼んだか⁉ ハサン!」
それを、私は奇跡と呼びたかった。
突然、背にした大地が蠢いた。鋭い棘となったそれは、私を縊り殺そうとしていたデュラハンに突き刺さり、勢いそのままに吹き飛ばしてしまった。
こんなことをできるのは、一人しか――――いや、一体しかいない。
ドサッ、と人骨だらけの地面に落とされ、咳き込みながら前を向く。
そこに、そこにいたのは――
「やぁっと追いついた! お前、無駄に脚が速いんだよっ!」
いつもと変わらない表情、なのに。
どこか怒っているような、叱ってくれているような。
そんな顔をして――――アルレッキーノが立っていた。




