第53章 錬金術と賢者の石
結局、俺たち一行がニッケル村に戻れたのは、陽も沈みかけた夕刻になってからだった。
今度は素直に、出入り口である鉄扉の方から村に入った俺たちは、村人たちに魔物の脅威が消えたことを端的に伝えた。さすがに、頂上にあったあの得体の知れない箱のことを言うとややこしくなると思ったので、単純に、『魔物は殲滅しておいた』という形で。
出発から半日ほどでの帰還と、唐突な魔物殲滅の宣言。
村人たちは当然、少し怪しがっている様子だった。無理もない。途方もない年月を、魔物の脅威に曝されて生きてきたというのに、それがたった半日程度で解決したというのは、とてもじゃないがすぐには受け入れられまい。
村の中でも屈強な男たちが、鉄製の防具を携えて、確認に向かっていった。
彼らは数時間すると帰ってきて、本当に魔物が一匹も残っていないことを村中に伝えてくれた。
もう夜も更けた遅い時間だったのに、村中がひっくり返るような喧騒に包まれた。
そして始まったのは、大規模な宴だった。
貴重な食糧を惜しげもなく大鍋で煮込み、かつて生贄を捧げるために使われていた櫓は取り壊されて、キャンプファイヤーのような大きな焚火の燃料になっている。村人たちは思い思いに踊り、歌い、飯を喰らい、酒を飲んで騒いでいた。
その全員が、心の底から歓喜の表情を浮かべている。
――もう魔物に怯えて眠ることもない。
――生贄として、若い娘を捧げる必要もない。
――もうなにも、恐れることはない。
村人たちは口々にそう言い、饗宴に酔っていた。
そんな中で、魔物を全て倒した俺たちはまるで英雄のような扱いだった。村人たちの気が済むまで胴上げされ、とてもじゃないが喰い切れないだろう量の食事を振る舞われてしまった。
ノエルは、差し出されるがままに料理を頬張っていき、その小さな身体に大量の食べ物を詰め込んでいっている。
ポルトはといえば、食事もそこそこに、村中を忙しなく飛び回っていた。微かに聞こえてくるのは、自慢げな声。どうやら自分の魔術によって魔物を倒したのが、相当嬉しかったらしい。話は次第に盛られていき、段々とポルト一人の力で魔物を倒したという話にすり替わっていた。
……後で調子に乗り過ぎないよう、説教が必要かもな。あの野郎。
ハサンは、ノエルの隣に座り、ゆっくりと食事を楽しんでいるようだった。
こいつの場合、食べられるものが限られてくるからな。硬いものなんてまず食べられない。だからこそ食事はスローペースになってしまうのだが、それが逆に優雅な雰囲気を醸し出しており、真っ黒い外套という服装さえ変われば、どこぞのご令嬢だと言っても納得できそうだ。
「っぷはぁっ! ふぅ、おいしかったぁ」
と、先に食事を終わらせたのは、意外にもノエルだった。
流石にこの量の食事を全て平らげるのは、ノエルにも難しかったらしい。まだまだ皿には料理が山のように盛られていて、ハサン一人ではとても食べ切れないほどだった。
「なんだ、ノエル。もういいのか?」
「うん、ひとまずはおなかいっぱい! だから、ちょっと村のみんなと踊ってきたりして、腹ごなししてくるね」
「あんだけ食っといて、まだ食うつもりなのか、お前は……」
「えへへ、だぁっておいしいんだもーん」
言うと、ノエルは宣言通り、巨大な焚火を囲んで踊る村人の群れに紛れていった。
なにか思い出すと思ったら、そうだ、盆踊りだ。
村中がまるで祭りのような狂騒状態。
この感情の昂りこそが、魔物の脅威から解放された村人たちの喜びを表現していた。
……まぁ、喜んでもらえてなによりだよ。ノエルの望みも、叶えられたしな。
さて。
「ハサン。俺ちょっと話がある人がいるんで、一旦離れるな。大丈夫か?」
「……? 別に構わないけれど、どうかしたの?」
「ちょいと訊いときたいことがあってな。まぁ、すぐに戻るさ」
「そう。いってらっしゃい」
「おう」
村の喧騒を遠巻きに眺めるハサンは、俺に向けて小さく手を振った。
俺はぴょんぴょんと跳ねながら、取り敢えずの目的地に向かっていった。
†
「おぉ、アルレッキーノ殿! わざわざ来てくださったのですか!」
村の最奥部、崖と接している部分に建てられた村長の家。
俺が一〇分ほどかけて辿り着いたそこまでは、村の喧騒も届いていない。腰の曲がった村長には、歓喜の踊りは荷が重かったらしい。誰もいない家の中で、村長はのんびりと茶を飲んでいた。
「あなた様のお陰で、孫娘を生贄にせずに済みました! いくら感謝してもし切れませんわい! 本当に、本当にありがとうございますですじゃ……!」
「いいよ。当然のことをしたまでだ。…………ところで村長、ちょっくら訊きたいことがあるんだが、いいか?」
「えぇ、えぇえぇどうぞどうぞ! なんでもお聞きになってください! 儂でよければ、いくらでも力になりましょうぞ!」
「あぁ、助かるよ。実はな――」
そこで俺は、村長に頂上にあった箱のことを訊いてみた。
魔物を無限に生み出し、最終的には自らが魔物になった、あの箱。
結果的に、あの箱そのものを倒せば魔物の脅威がなくなる訳だし、話が分かりやすくなった点はありがたいのだが…………どうにも腑に落ちないでいた。
あの箱は、一体なんだったのか?
ポルトは、ピクシー同士の交配によって生まれた魔物だ。だから俺は、魔物も普通の生き物と同じように、雌雄で子を成して増えていくものだとばかり思っていた。
けど、あの箱は違う。
刺激を与えれば与えるほどに、シャンタクを、ハルピュイアを、ナイトゴーントを、命そのものを生み出していった。
あんな風に魔物が生まれるなんて思ってもみなかったし。
あんなものがあるなんて、知らなかった。
あわよくば、村長が何か知らないかと思って聞いてみたのだが…………まぁダメで元々だ。
世の中、俺に分からないことなんか腐るほどあるんだからな。
例えば、俺がかかしなのに動けている理由とか、さ。
「ふむ…………それはもしかしたら、『賢者の石』かもしれませんな」
だが。
ダメ元で訊いてみたのに、村長は意外にも、なんだかそれっぽい名詞を口にしてくれた。
『賢者の石』だって?
それは、さすがの俺でも知っているぞ。あくまで向こうの世界におけるものだが。
「『賢者の石』って……それは、具体的にどんなものなんだ? 魔物を、無限に生み出せるような、そんなものなのか?」
「さぁ……詳しいことまでは、分かりませぬ。しかし、命を生み出す、と聞いた時、ふと思い浮かびましたのじゃ。儂もご先祖から聞いたくらいしか覚えがないのですが……なんでも、錬金術、という、魔術の研究によって生み出される特殊な石なのだとか」
それは知ってる。
けれど、俺の知っている『賢者の石』は、不老不死になる水を生み出すとか、卑金属を貴金属に変えるとか、そういうマジックアイテムだった。魔物を生み出す、なんて効力はなかったと思うんだが……。
「昔、ご先祖様が『聖都』で聞いた噂話ですじゃ。なんでも『賢者の石』には、無限の生命を生み出したり、不老不死を実現させる効果があるとか……」
「ふぅん……無限の生命を、ねぇ」
「まぁあくまで噂話ですじゃ。寝物語に聞かされた程度のものでしてな、あまり当てになるものではないかと…………申し訳ありませぬ」
「いや、いいさ。充分だ。ありがとうな、村長」
そう言って、俺は村長の家を後にした。
……『賢者の石』か。
あの形状からして、そもそも自然物ではないだろう。加えて『賢者の石』という、明らかに人為的に手が加えられているものなら、誰かが造った可能性が高い。
誰かが造って、誰かがあの場所に置いたのだ。
でも、一体誰が?
そして、一体なんのために?
考えても、答えは出ない。そんなことは分かっていた。なにせ手持ちの情報が少な過ぎる。
しかし、考えずにはいられなかった。
もしもあの箱さえなかったら、この村の連中は、生贄を出す必要なんてなかったのに、と。
そんな風に思う気持ちを、どうしても抑えられなかったから。
「……魔物さえいなければ、この世界は、もっと平和なのにな」
もし、全ての魔物が『賢者の石』から生まれているのなら。
世界中全ての『賢者の石』を破壊すれば、世界中にある悲劇全てなくせるんじゃないかって――――俺は、夜に相応しく夢想するのだった。
第3章完結です! 完結記念にタイトルとあらすじを改訂しました!
次回更新は来週22時頃! お楽しみに!




