第52話 お先真っ暗
「あっ……」
ヤバい、と体勢を崩し始めてから気が付いた。
ぐらぁ、とふらついた身体は、このままでは後ろに倒れてしまう。
そうしたら、背負っているノエルが下敷きになってしまう。
慌てて姿勢を戻そうとするが、虚脱感からか上手くいかない。重力に負け、俺の身体はそのままドサッと地面へ倒れ――
「よいしょ、っと! アル、大丈夫?」
――なかった。
なにやら蓑の中でごそごそと動く音がする。どうやら、ノエルが咄嗟に飛び降りて、俺のことを支えてくれたらしい。背中に、ノエルの温かい手の感触が感じられる。
「あ、あぁ。大丈夫だ。ごめんなノエル、ちょっと、気が抜けちまってな」
「んーん、わたしは大丈夫だよ。アルはすごいねぇ、あんなすごいのまで倒しちゃうなんて。なでなでー」
「ん、サンキューな」
えぐい身長差だが、俺の身体が倒れかけだから関係ない。優しく頭を撫でてくれるノエルの笑顔が見れて、俺は満足だった。
今回の戦闘は、いつになく激しいものになっちまったしな。
ノエルは悲鳴一つ上げないで、ずっと俺の身体にしがみついていてくれたけど、本当は凄く怖かっただろうし、不安だっただろう。俺の方こそ、その小さな頭を撫でてあげたいくらいだ。
「ねーぇー。あたしも頑張ったんだけどー」
と、不平の声を上げたのは、俺のすぐ足元で寝転がっているポルトだった。
ポルトも、さっきの魔術で相当の魔力を消費したらしく、大の字で寝そべっている。最早飛ぶことさえ億劫だといった感じだ。俺の身体を立て直してくれたノエルは、親切にもしゃがみ込んで、ポルトの頭を撫でてあげていた。
「えへへ。ポルトもいい子いい子ー」
「子供扱いしないでよー! あたしは今回の勝利の立役者だぞーっ!」
まぁ、そうだな。
闇属性の魔物相手に、唯一有効打を持つポルトは、確かに今回頑張ってくれた。素直に褒めると、こいつの場合はすぐに調子に乗っちまうから、表立って言いはしないが。
ふと、後ろを見てみると。
ハサンが、ポルトを撫で繰り回すノエルのことをじっと見つめていた。
「なんだよハサン、羨ましいのか?」
「……そういう訳じゃないわ」
「遠慮しなくても、言えばハサンにもやってくれると思うぜ? ノエルの奴、人一倍仲間思いだしな」
「……結構よ。私はそういうの、別に要らないし」
「……そ―かい。強情だねぇ、お前も」
やれやれ、ノエルとハサンは、少々相性が悪いのかねぇ。
一応、周囲の警戒を怠りはしない。バジリスクを倒した時は、飛散した大量の魔力によって、周囲の樹がエント擬きになって襲ってきたしな。しかし、ここは生命の息吹なんて少しも感じられない、岩だらけの山だ。幸いにして、魔物擬きになるようなものはないらしい。
よかった。さすがに連戦となったら、魔力の方は大丈夫だが、精神的な疲れの方がヤバい。今回の戦闘は、こっちが不利な場面が多かったしな。疲れを感じない筈のかかしの身体だが、なんだかドッと疲れた気がする。
「そんなことより、アルレッキーノ。山の向こう側は、どうなってるの?」
「向こう側?」
「私たちの目的は、この山を越えることでしょう? ここは頂上なんだし、道行きが見渡せるなら、今の内に見ておいた方がいいんじゃない?」
「あぁ、そうか。そういやそうだな」
魔物を倒すことに精一杯で、すっかり忘れていた。
そもそも今の魔物を倒すこと自体、俺たちの旅の本筋とは外れてるんだよな。俺たちの旅の目的は、あくまでノエルの家族を探し出すこと。ここで魔物を倒したのは、あくまで成り行きだ。
俺たちがこれから歩まなきゃならない道の確認は、確かにしておくに越したことはない。
ふらふらと、千鳥足のハサンと一緒に、頂上から先の道を見てみる。
……が。
「な、なんじゃこりゃ……」
俺たちが向かおうとしていた先に広がっていたのは――――底も見えないほどに高い、切り立った崖だった。
今は真っ昼間、太陽は高々と昇っている時間だ。なのに、崖の底は黒々とした闇に覆われており、まったく見通せない。降りること自体を躊躇わせるような不気味さだ。底が地中何十メートルという谷になっている可能性も捨て切れない。
加えて、降りることそれ自体の困難さも想起させる。
ついさっきもそうだったように、魔力には限界があるのが普通だ。最も安全に降りる方法は、ハサンと共に『風神の蠢動』を発動させて降りることだろうが、途中でハサンの魔力が尽きてしまったら、見えない底まで真っ逆さまだ。
かといって、俺が『大地の蠢動』で崖を伝って降りるのも、不安要素が残る。
なにせ、ここからでは崖の全貌が全く覗けないのだ。
恐らく、山が抉れるような形で崖が形成されているのだろう。今日やったような、エレベーターみたいに大地を操るのは、道がしっかりとしているところに限定される。そうでなければ、危険性が非常に高いのだ。
俺はかかしだから、細かい動きはできない。うっかり足を踏み外したり、地形を読み違えたりしたら、そこで一巻の終わりだ。
さて、どうしたものか…………。
「? アルとハサン、なに見てるの?」
「なーんか、二人揃って雰囲気変だけど…………って、うわぁっ⁉ なにこの崖! こんなの絶対先に進めないじゃん!」
窮地に際してネガティブ発言が多いポルトだが、今回ばかりはそれに完全同意だな。
少なくとも、この崖から向こう側を目指すのは、リスクが高過ぎる。
「チッ、仕方がねぇな。一応、ニッケル村の連中には事の次第を報告して――――その後は、またエイセンにでも会うか」
「えっ⁉ え、エイセンに⁉ どどどどどうしてさ⁉」
「いや、エイセンの奴、俺たちに言ってたろ? この先の道は険しくて、自分たちの森は平和そのものだって。その台詞と現状が、どうにも噛み合ってないんだよなぁ」
――――『この森は平和よ。平穏そのもですな。お主らの進む道は、この森より数段険しいものになりましょうぞ』
確か、エイセンはそんな風に言っていた。
そりゃまぁ、今の魔物を倒すのは手間だったし、この先の崖道が険しいっちゃ険しいんだけどさ。
エイセンがわざわざ自分たちの森を『平和』だと謳った後に『険しい』と言っているんだから、つまり、『平和じゃない』場所が待っている筈なのだ。
進むこと自体が困難なこの崖がそうだとは、どうしても思えない。
それに――
「そうね。それにはっきり言って、ポルト、あなたの道案内も、かなり怪しかったしね」
あ、言っちゃった。
俺がどうにかやんわりとそれを伝えられないか考えていたっていうのに、ハサンったらストレートに言っちゃった。
さすがに今の言葉はぐさりときたらしく、ポルトはふらふらとその場に落ちていった。まぁ、誰でもあんな真正面から言われたら、そうなるよなぁ。
「嘘を吐いた訳ではなくても、道を間違えた可能性は大いにあるわ。ここはもう一回エイセンの下に戻って、正しいルートを訊き直すのが得策ね。少なくとも、この崖を下りるよりは安全だわ」
「なにが安全なもんかぁ! あたしは、あの森の敷居を跨ぐことを禁止されてるんだよっ⁉ ぬけぬけ戻ったとしたら、エイセンになんて言われるか……」
「あなたの記憶力が招いた結果でしょう。素直に叱られなさい」
「鬼! 悪魔! ハサンの鬼畜‼」
「なんとでも言えばいいわ。パーティ全体の安全性を考えた最適解よ。…………それにしても、今日は疲れたわ」
と。
ハサンは、ふらぁ、と身体のバランスを崩して、俺の方へ寄りかかってきた。
……やっぱ、無茶をさせ過ぎちまったかなぁ。ハサンは、魔力と体力が直結している人間なのだ。あまり魔術を使わせ過ぎない方がいいのかもしれない。
「アルレッキーノ、たまには私のことも負ぶってくれないかしら? さすがに……疲れたわ」
「あー! ダメ、ダメなの! アルの背中は、わたしだけのなの!」
「……今日一日だけよ。なにも取りはしないわ」
「それでもダメー! いくらハサンでも、ダメなものはダメなのー!」
「ケチね……」
結局、ノエルが俺の背中の所有権を譲ることはなく。
俺たちは、ハサンとポルトがまともに動けるくらいに回復するまで、数時間、頂上でのんびりと過ごしましたとさ。
この先の旅はどうなることやら……。
次回更新は来週土曜日の22時頃を予定! お楽しみに!




