第5話 神様の言う通り
棘の荒波のようになった畑の片隅に、ノエルは樹の枝を十字型に組んで植え込んだ。
墓標、のつもりだろうか。
ノエルはまだ、こっちに来て日が浅い。農奴たちの生活は貧窮を極めたものだったし、それぞれが自分の不幸を嘆いてばかりのガキ共ばかりだったから、果たして友達なんてものがいたのかさえ定かではないけれど。
それでも、僅かにとはいえ、同じ釜の飯を食った同居人だ。
手厚くとはいかないが、弔いの気持ちが湧かずにいられなかったのだろう。
本当に、彼女は優しい。
自分自身さえ、金で買われた奴隷だというのに。
それに引き換え、俺は――――
「待たせてごめんね、アル」
日も暮れつつある黄昏時、どこか疲れたような声が俺を呼んだ。
見れば、さっきまで墓標代わりの十字架に手を合わせていたノエルは、ほんの少し、目の周りを赤くしていた。
…………泣いてあげていたのか。死んだ子供たちに。
「気にすんなよ。俺は待つのが仕事だ。で……もう、いいのか?」
「うん。もう、大丈夫」
「……優しいな、ノエルは」
「そんなことないよ? わたしが、ちょっと寂しいなって、勝手に思っただけだもん」
「それを優しさっていうんだよ」
「そうなの? アルは物知りね。お話しできて嬉しいわ」
言って、俺たちは共に歩き出した。
当てなんかない。ノエル自身が、自分の出生地の名前すら覚えていないというのだから、本当に行き当たりばったりの、果ての見えない旅になるだろう。
最悪、この世界をまるまる一周することさえ、あり得るかもしれない。
まぁ、その程度なら屁でもない。一〇年間、ひたすらに畑に立ち続け、湧き上がる憤りに耐え続ける内に、忍耐力だけはついたみたいだ。
或いは、ノエルに触れて、少し楽天的になったのか。
まっ、どうとでもなるだろう。
幸いにして、行き先は分からなくても、行く方角に目星はついている。
「アル。こっちでいいの?」
「あぁ、こっちで多分、大丈夫だ」
農村を背にして、俺とノエルはずんずんと迷いなく進んでいた。
ノエルは疑問こそ呈してくるが、すっかり俺のことを信用してくれているらしく、足取りに迷いはなかった。裸足が的確に尖った小石を避けつつ、ふらふらと俺の跡をついてくる。
「ビゾーロの奴が、奴隷を連れて帰ってくるのは、いつも決まってこの道だった。だから、この先にきっと、村とか集落があるんだと思う」
「そうなのね! すごいわアル、そんなところまで見ていたのね! 畑に立って、小鳥さんばっかり見てた訳じゃなかったのね!」
「まぁ、見ることしかできなかったからなぁ……」
今にして思えば、もっと小鳥たちから情報収集をしておけばよかったと思う。
まさか転生してから一〇年経って、こんな風に喋れたり歩けたりするようになるなんて、あの頃は微塵も思っていなかったからなぁ。況してやこんな可愛い女の子の生まれ故郷を、手掛かりゼロの状態から探し出す旅に出るだなんて、一体誰が予想しただろうか。
俺を転生させたあの神様さえ、予想していなかったんじゃなかろうか。
何度も馬車が通ったことで深く刻まれたのだろう、轍を辿るようにして歩く。
余談だが、俺はホッピングの要領で、ぴょんぴょんと跳ねるようにして移動している。一歩がノエルの数歩分に匹敵するので、俺とノエルは抜きつ抜かれつの位置関係で移動していることになる。
道の先になにがあるか分からない道中は、どうしても不安が付きまとう。
「なぁノエル。ノエルの家族って、どんな人たちなんだ?」
沈黙が嫌になって、俺はノエルにそう問いかけた。
「ふぇ? わたしの、家族?」
「あぁ。他に人もいない、寂しい二人旅だ。少しでも、話のタネになればと思ってさ」
「えへへっ。アルってば優しいー。んー、そだなぁ。わたしの家族、かぁ…………いい人たちだよ。こんなわたしにも、すっごく優しくしてくれたし」
「へぇ、そうなのか」
きっとノエルの、無自覚な優しさは、そんな家族たちから受け継いだのだろう。俺は勝手にそんなことを想像していた。
「おかーさんと、おとーさんと、あと可愛い妹が一人。妹はね、リアって名前なの。可愛い名前でしょ? 生まれた時に、わたしがつけてあげた名前なの。とっても小さくって可愛いのよ」
「妹のこと、好きなんだな。父親のことも、母親のことも」
「うん! 世界で一番大好きだよ!」
「……でも、じゃあなんでこんなところに?」
「んーっと…………難しい話は、よく分かんないけど、おとーさん、あのビゾーロって人にお金を借りてたみたいなの」
「…………」
「わたしが、ビゾーロって人のところで働くなら、貸したお金のことは無しにしてくれるって言ったから、だからわたし、…………ちょっと寂しかったけど、こっちに来たの」
「……そうか」
ビゾーロの野郎……!
借金の形に、こんな幼い少女まで…………いや、もう死んだ奴のことだ。
一〇年分の怒りは、こびりついて簡単には消えそうにない。それが、しこりのように俺の心に残っていて、酷く、不愉快だった。
そうだ、この世界そのものが、俺にとっては不愉快だ。
奴隷として搾取される、少年少女の人生。
そんな奴隷の存在が公然のものとされ、なんの疑問も持たれていないことが、許しがたい。
「……? どうしたの? アル。黙っちゃって……なんだか、雰囲気も怖い、よ?」
「……いや、ごめんな。ノエル。俺はどうしても……お前みたいに、奴隷になるのを受け入れるような、そんな常識が、おかしいって思えて仕方ないんだよ。お前くらいの歳の女の子だったら、もっと色々なことに興味を持つ筈だ。その興味のままに動く、その自由がある筈だ。なのに…………」
「? なんで? なんでそんなことが言えるの? アル…………まるで、この世界以外の世界のこと、知っているみたい」
「あ、あぁ。俺は――」
俺はそこで、自分が異世界から転生してきた経緯を伝えた。
子猫を助けようとして、事故に遭って死んだことを。
全身が崩れ落ちた、神様みたいな奴に会ったことを。
一〇年前、畑の端に立つかかしへと転生したことを。
「へ~ぇ! すごいの、アルってば別の世界から来た人だったのね! だから、かかしなのにお喋りできるし、歩くことだってできるのね! すごい、すごいわ!」
「いや、だから、なのか? 関連性はよく分かんないが」
小鳥の口振りからすると、俺以外のかかしだって意思はあるみたいだし。
そんな中で俺一人(一体)だけが喋れて、動けるようになったのかは、まったく分かんないし。
まぁ、今のところはいいか。考えたって、答えが出る類の問題じゃなさそうだし。
「でもきっと、うん、わたし、難しいことはよく分かんないけど、アルはきっと間違ったこと言ってないよ」
「……そうだと思う。俺も思うよ。けど……」
「アルならきっと、アルが正しいって思う世界を作れると思う。だって、あんなすごい魔術を使えるし、それに動けて喋れるかかしさんなんだよ⁉ きっとなんだってできちゃうよ!」
「魔術?」
この世界には、魔術っていう概念があるのか?
魔物とか魔力とか、そういう言葉を聞いた時からなんとなく予想はしていたが…………ということは、あのダークドラゴンを倒したのは、差し詰め俺の、大地を操る魔術っていうことなのか?
その辺のことを訊こうとした、丁度その時。
「あ、アル。どうしよう」
「うげ。これは……難題だな」
二股の分かれ道が、俺らの目の前に現れた。
ご丁寧に轍は両方向から伸びており、立て看板なんてヒントもナッシング。右と左、単純で答えの分からない二択問題だ。
さて、どうしたものか。
こういう分かれ道の場合、人間は本能的に左に流れやすいそうだけど…………別にこれ、どっちかが罠ってことではないんだよな。轍が両方から伸びているということは、どの道この先に人里がある可能性は高い。
問題なのは、そこまでの距離が近いか遠いか、ってことだ。
もうそろそろ月も出始める時間だ。完全に夜が更ける前までには、人里で休息を取りたい。俺一人ならどうとでもなるが、ノエルが一緒にいるのだ。野宿じゃさすがに可哀想だろう。
寝食の必要がない俺と違って、ノエルには食事や水だって必要なんだし。
さて、そうなるとここでの二択が案外重要な分水嶺になる気もする。
一体どうするか…………。
「アル、アル。ちょっと、ここに立ってみて」
「ん? こうか?」
ひょいひょいと、なにやらノエルが手招きしてくる。
二択に分岐した道の、ちょうど真ん中に俺が立つ。すると、ノエルは何故かとてとてと後ろに回って。
「えいやぁっ!」
俺の背中を、思い切りどんと押してきたのだ。
「おわぁっ⁉」
思わず悲鳴を上げ、俺は倒れ込んでしまった。
起き上がろうと、ぐねぐねと身体を揺らす。元々の木材の形を大きくは変えられないが、少し反らす程度なら問題なくできそうだ。腕も同様らしく、可動域は狭いが、まぁあくまでかかしの身、そこまで不自由はないだろう。無事立ち上がれたし。
「ってそうじゃねぇよ! い、いきなりなにすんだよノエル」
「んと、今アル、右っ側に倒れたでしょ?」
「ん? あ、あぁ」
言われてみれば、俺が倒れたのは中心よりやや右に傾いた方向だった。
けど、それがどうしたっていうんだ?
「ほら、よくやるじゃない? どっちがいいか、神様の言う通り。棒の倒れた方に決めるっていうの」
「……わざわざ俺を棒代わりにしたのかよ」
「だってある、神様に会ったことあるんでしょう? アルで『神様の言う通り』をやったら、きっと神様が見ていてくれると思ったの!」
「さ、左様で……」
俺が会った神様は、ビジュアル的にお世辞にも尊そうではなかったけどな……。
果たしてそんな神様に、もとい俺に命運を託していいものなのか。結局俺たちは、『神様に言われた通り』、右の道へと進んでいった。
†
選んだ道を歩いて行って、ほんの数十分。
その間、俺とノエルは下らない世間話ばかりしていた。ノエルは魔術や魔物について、あんまり詳しい方ではなかったようで、俺が抱いているイメージとのすり合わせはできなかったからだ。
でも、その時間は幸せだった。
世間話すら、小鳥相手にしかできなかったのだ。
ノエルはいつも一方的に話してくれるだけだったし、それに応えられたのは僥倖だった。
そんな感じで数十分、ひたすらに歩き続けていると。
人里らしき明かりが目に入ってきた。
「おっ。ありゃ、村か?」
「ねっ! ねっ、ねっ、ねっ! 本当に『神様の言う通り』だったわ! アル、あなたすごいわ!」
いや、さすがに偶然だろうけど。
それでも、僅か数十分で村まで辿り着けたのはありがたい。早速、休憩や情報を求めてお邪魔したいところだが――――
「そこの女! 手ぇ上げて止まんなっ!」
鋭い静止の声が聞こえ、俺とノエルはびくっ、と背筋を震わせる。
見ると、俺たちの行く道を阻むように、一人の少女が立ちはだかっていた。
夜の闇の中でもなお目立つ、真っ赤な髪を月明かりに煌めかせて。
手には武器と思しき、木でできた槍を持って――――それを俺たちに向けて、彼女は言った。
「あたいらの平和な村、ステュクス村になんの用だい? 返答次第じゃ、ここで灰になってもらうよ!」
冒険の第一歩。いきなりのイベント発生です!
次の更新も30分後! 突然現れた女戦士は一体……⁉