第46話 触らぬ神に祟りなし
なんだありゃ?
それを見た時の、率直な感想がそれだった。奇も衒いもなく、心底本当に、たったそれだけしか感想が思い浮かんでこなかった。
疑問符は尽きなかったが。
なにせ、大分距離が開いている陥没部の縁から見るだけでも、その物体の異様さは分かるのだ。格子状の檻に囲まれた、正方形の灰色。明らかに自然物ではないが、だからといって人工物と呼ぶには奇妙だ。
ふよふよと、火口の底で浮いているそれは。
……俺がまだ向こうの世界で生きていた頃に、動画サイトで流行っていたゲームのギミックを思い出す。あれも確かあんな風に、檻に囲まれていたっけか。
……なにか、嫌な予感がする。
ここに来るまで思い描いていたシナリオが、全て塗り潰されるような……。
「へぇ~ぇ。山の頂上って、こうなってるのね!」
と。
一人はしゃいでいるのは、生まれてこの方森から出たことのなかったポルトだ。
恐らくはこんな巨大な岩の塊を見たのも初めてだろうし、昨日だって内心わくわくしていたのかもしれない。それに…………真ん中の奇妙な物体を除けば、確かに頂上からの景色は圧巻で、悠然で、いつもより近い空は俺たちの心を震わせるには充分過ぎた。
「すっごくいい景色! それに、なんだか空気が美味しい気がするわ! 清々しいっていうか、純粋っていうか……混じりっ気がない空気ね! あたしたちピクシーには、こういう場所の方が合ってるんじゃないかな?」
「……こんな草一本生えてない場所で、どうやってあなたたち暮らしていくつもりよ」
「あ、そっか。残念……」
「そんなことより…………なにかしらね。あれ」
「あれって?」
「あそこ。中央部に浮かんでる、あの箱よ」
「ん~?」
手を双眼鏡みたいな形にして、遠くを覗き込むポルト。やがて、ハサンの言っている物体を見つけたのか、俄かに首を傾げ出した。
「あ、本当だ。なんかある。なんだろね、あれ」
「私に訊かれても分からないわよ。どうする? アルレッキーノ。偵察に行ってきましょうか?」
「いや…………上手くは言えねぇが、近づくのは危険な気がする。様子見なら俺がやってみるさ――――『黄泉王の巨腕』」
名前を唱えると、俺の前方に巨大な岩の拳が出現した。
魔力を慎重に送り、『黄泉王の巨腕』を少しずつ、灰色の物体へ近づけていく。拳を開き、人差し指だけを立てた状態にして、格子状の檻に肉薄する。
ちっ…………やっぱ、離れたところになるとコントロールが上手くいかないな。どうしても動きがぎこちなくなる。
それでも、あれに近づくのは本能が拒否していた。
理由は上手く言えないけど、どうしても嫌な予感が拭えない。
つん、と指先を細かく操作して、灰色の物体をつついてみる。
…………反応はない。
念のため、二度三度と、今度は少し力を入れてつついてみた。しかし、それでも反応はない。僅かにその場から動きはするものの、すぐにふわふわと元の位置に戻ってしまう。
まるで、その場に括りつけられた風船みたいだ。
「なーんだ。なんにもないじゃん」
呑気に言いながら、ポルトはパタパタと羽ばたいて、あの物体の方へと飛んでいってしまった。
「お、おいポルト! 迂闊に近づくんじゃねぇよ! なにが起こるか分からねぇんだぞ⁉」
「だーかーら、なんにも起こんなかったんじゃん。確かめたのはアルレッキーノでしょー?」
ぐぬ。
でも確かに、俺の魔術で刺激してみて、なにも起こらなかったのは事実だ。
……用心し過ぎたか?
一瞬過ったゲームの記憶が、要らぬ心配を俺に促してでもいたのだろうか。
俺が思い悩んでいる間に、ポルトは既に灰色の物体に近づいていた。つんつんと、自分の指で格子の隙間からそれを突っついてみても、やはり、反応はない。
感触が面白いのか、ポルトはつつくのを止める気配がない。それどころか思い切り振りかぶってパンチしてみたり、挙句の果てには蹴りまで入れている始末だ。
それでも、灰色の箱はなんら反応を示さない。
「…………ポルトがあれだけやってるのに、なんにも起こらないわね」
「あぁ。……俺の思い過ごしかな?」
まぁなんにせよ、杞憂に終わるならそれが一番だ。
もし俺が思った通りだったら――――こんな呑気に話してなんかいられないからな。
俺も臨戦態勢を整え、この山全部を武器にするくらいの覚悟で臨まなきゃいけなくなる。
「えっひひひひひひひ! これ面白いよ! ぶにぶにしてて、いっくらでも戻ってくるの! 固まりかけの蜜みたい!」
「……楽しむのも結構だがな、ポルト。あんまり刺激し過ぎんなよ? なにも起こらないっていったって、得体の知れない物体なのは違いないんだから」
「大丈夫だって! アルレッキーノは心配性だなぁ、そんなに心配ばっかしてると、あたしのパパみたいに禿げちゃうよ――――って、アルレッキーノが禿げる訳ないか! かかしだもんねー! えっひひひひひひひひ!」
ツボに入ったのか、ポルトは腹を抱えて笑っていた。
まったく、余計なお世話だ。あの野郎、俺がかかしなのを思いっ切りネタにしてきやがって……。
「……ダメ」
と。
背中から、小さな声が聞こえた。
震えるような、怯えるような声だ。常に天真爛漫、無邪気で明るい彼女から聞くこと自体珍しい、暗い声。
俺に負ぶわれたままのノエルが、かたかたと身体を震わせながら、言った。
「ダメ…………あれは、ダメだよ……!」
「……ノエル? ダメって、どういう意味――」
「あ! そうだ! この色、落書きするのに丁度いいじゃーんっ!」
微かなノエルの声を掻き消すように、ポルトが大声を上げた。
人差し指をまるで指揮棒のように振るい、くるくるとその場で回っている。灰色の物体で遊ぶのが、随分とお気に召したようだ。……しかし落書きって、筆記用具なんか持ってきてる素振りはなかったが。
「えひひひひ! いつもは夜の闇相手に落書きしてたからねぇ。昼間っから落書きに勤しめるのは役得だわ! 灯せ――――『ヘスダーレン』っ!」
唱えても、変化はいまいち分からない。太陽が燦々と照らしている時間だし、元々ポルトの身体は光を発しているので、本当に魔術を発動しているのか疑わしいくらいに変化がないのだ。
しかし、灰色の物体の前で指を振るうと、流麗な文字らしき記号が、光によって刻まれていく。
「えひひひひ! どう⁉ 昔っから考えてたの! あたしのサインよ! すっごいでしょーっ!」
「いや…………小さくて読めねぇよ」
ここからそこまで、何十メートル距離があると思ってんだ。
しかも、灰色の物体も小さければ、ポルトの書いた文字も小さいものだから、視力が平均値な俺には判読は難しい。
まぁどの道、俺、この世界の文字読めないんだけど。
――――――――――――――――――――――――――――――――――――ドクン
「……? アルレッキーノ、なにか言ったー?」
「ん? いや、俺は特になにも――」
――――――――――――――――――――――――――――ドクン――――ドクン
「……いや、やっぱ聞こえるよ? 変な音が」
「あぁ、俺にも聞こえた。どこから聞こえてんだ? ハサン、お前には――」
――――――――――――――――――――――ドクン――――ドクン――――ドクン
「……私にも、はっきり聞こえるわ。それに、どんどん大きくなってる。これは……鼓動?」
「音の発生源を特定しないことには、はっきりとは――」
「…………げて」
「え?」
――――――――――――――ドクン――――ドクン――――ドクン――――ドクン
段々と近づいてくる、足音のような鼓動。
それに合わせて、俺の無い心臓も早鐘を打っているかのようだった。頭の回転が、異常に速くなる。咄嗟に俺は、声もなく『根堅洲國王の怪腕』を発動させていた。
――――――――ドクン――――ドクン――――ドクン――――ドクン――――ドクン
背中のノエルが、なんと言っているのか、分かったから。
震える声で、怯えた声で、それでも。
ノエルは仲間を案じて、その言葉を口にしていたから。
「逃げて――――ポルトぉっ‼」
「へ?」
ドクン――――ドクン――――ドクン――――ドクン――――ドクン――――ドクン
鼓動が。
波打ち、蠢くような鼓動が。
灰色の物体から発せられる鼓動が――――一層大きくなる。
「な、なに言ってんのさ、ノエル――」
――――――――――――――――――ドクン――――――――――――――――――!
瞬間。
ひときわ大きな鼓動と共に、格子で囲まれた灰色の物体がぶくぶくと泡立ち――――急激に膨らんだ。
格子からはみ出んばかりに、一気に膨張する。
ぐじゅう、と嫌な音を立てて。
格子の隙間から、灰色の物体が漏れ出してくる。
漏出したそれらは禍々しい形へと一気に膨らんでいき――――やがて、それは魔物となった。
昨日ですっかり顔馴染みになった、ハルピュイアとナイトゴーントに。
奴らは、灰色の物体の近くにいるポルトを認めると、そのひん曲がった爪を伸ばしてきた。
「ひ――――っ!」
咄嗟に、身を屈ませるポルト。
俺は『大地の蠢動』と『根堅洲國王の怪腕』を同時に動かし、瞬時にポルトの下まで向かった。
その準備は、とっくにできていたから。
「潰せっ!『根堅洲國王の怪腕』っ!」
ぐしゃぁっ!
生まれたてのハルピュイアとナイトゴーントは、瞬く間に握り潰され、魔力の粒へと還元される。
クソっ、嫌な予感が大当たりか!
この灰色の物体は、やはりただの箱なんかじゃなかった。
火口が魔物の巣になっているんじゃない。他の場所に巣があるのでもない。
この箱こそが――――魔物を次々に生み出していたのだ!
――――――――――――――――――ドクン――――――――――――――――――!
再び、灰色の箱が大きく鼓動を鳴らす。
その瞬間、格子の中身が大きく膨らみ、弾けた部分が欠片となって飛んでいく。
格子の外へ飛び出した灰色の物体は、各々に膨らみ、形を作っていく。
「チッ……おいおいマジかよ……!」
気が付けば俺たちは、数十体の魔物たちに包囲されていた。
その全てが目をぎらつかせ、明らかに俺たちのことを狙っている。
まるで、巣を守ろうと躍起になっているカラスみたいだ――――そんなことを思っていた切那。
「GISYAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAA!」
「GUOOOOOOOOOOOOOOOOOOOOOOOOOOOOOOOOOOOOOO!」
「GYAOOOOOOOOOOOOOOOOOOOOOOOOOOOOOOOOOOOOO!」
ハルピュイアは、ナイトゴーントは、シャンタクは。
三者三様の叫び声を上げて――――一斉に俺たちめがけて襲い掛かってきた!
火口で待ち受けていたのは、魔物を生み出す謎の物体……⁉
次回更新は明日22時頃! お楽しみに!
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