第45話 禿山の火口
閉鎖された空間、村という社会制度の中での、情報伝播の速度を、俺は甘く見ていた。
「あんたら、山の魔物を全部倒してくれるんだって⁉」「村長さんに聞いたよ! あんたたちが魔物を一掃してくれるって!」「魔物を退治してくれるんでしょう?」「もう生贄なんて出さなくても済むんだよなっ⁉」「村を救ってくれる救世主だって⁉」「この村を救ってくれるって聞いたぞ! なぁ、そうなんだよなっ⁉」「魔物たちを一捻りしてくれるって!」「この村を魔物から救ってくれるだなんて」「ありがたやありがたや」「おぉ、神よ……感謝します!」「魔物全部いなくしてくれるって聞いたけど、本当だよなっ⁉」
俺たちが一夜を明かしたあばら家の前には、早朝(なのか? ずっと明るい所為で、いまいち時間の感覚が湧かない)にも拘らず、大勢の人間が詰めかけてきていた。
人の口に戸は立てられないというが…………あのジイさん、速攻で俺たちのことを言いふらして回ったんだな。
まさに老若男女問わず、だ。騒がしくて、ノエルたちも揃って起きてしまった。
「あぁ。朝飯が済んだら、魔物の討伐に向かう予定だ。……で、相談なんだが、少し食糧を分けちゃもらえないか? 手持ちの分は、昨日で食べ尽くしちまってな。家の中の三人が腹減らしちまってんだ」
「ありゃ、そいつはいけねぇや。ちょっと待っててくだせぃ」
一人の村人が、いそいそと自宅に戻っていく。
すると、それに触発されたのか、我先にと村人は自分の家へ戻り始め、食糧を持って戻ってきた。しかも、量はまるで競い合うかのように多くなっていき、どんどん家の中に運び込まれていく。
結果として、昨日の夕食の二倍ほどの食糧が、囲炉裏の前に山積みにされることになった。
村人たちは満足げに帰っていくが…………どうしろというんだ。これを。
「うわぁ、朝から豪華だわ! 食べていい? 食べていいよね?」
「…………私、朝からこんな量は無理ね」
「これ、肉って奴だよね? これは……米? 麦? んんん……よく分かんないけど、美味しそうだし、いっただっきまーす! …………これが正真正銘、最後の晩餐になるかもだし」
「縁起でもないこと言わないで、ポルト」
肉でも米でもパンでもなんでも、次から次へと平らげていくノエルを尻目に、ハサンとポルトは浮かない顔をしている。まぁ、勝算の薄い勝負ではあるからな。気分が沈むのも已む無しか。
けどまぁ、安心しとけ。戦うのは俺だし、お前らを守るのも俺だ。
だって。
「うん、これおいしいよ! ハサンもポルトも、もっと食べなよ! わたしが全部食べちゃうよ?」
幸せそうに食糧を頬張っている、ノエルを見る。
彼女の望みを叶えるのが、俺の使命だから。
こんなところで、足踏みなんかしていられるか。
ノエルが助けたいと願うなら――――村だって世界だって、救ってやる。
誓いを胸に、俺は三人の、ほんの少し楽しげな食事風景を眺めていた。
†
「ほ、本当にここからでいいんですかい?」
「あぁ。寧ろここから出る方が都合がいい」
生贄を捧げるために建てられた、背の高い木造の櫓。
その上で、俺たちは出発準備を整えていた。俺はいつも通り、蓑の中にノエルを背負っている。ただ、朝食を結局残らず平らげたこのお子様は、失礼だが、昨日より少し重い。少しふらつくようにしながら立っていると、それを支えるように、真っ黒い外套を纏ったハサンが上ってきた。
ポルトはチカチカと光りながら、俺の顔の周りを飛んでいる。
ドームの天井を見ると、予想通り、生贄をドームの上に出すための穴があり、厳重に蓋がされている。夜中に色々考えたのだが、俺たちは通常の村の出入り口ではなく、この生贄用の出口から出発することにした。
村の男たちが一斉に力を込め、鉄の蓋を開ける。
「じゃあ、ご武運を。頼みますよ、勇者様!」
「……あぁ、任せとけ」
勇者様、ねぇ。
こそばゆい呼び名だ。こちとらそんな大きな志なんざ持ってない。ただ少女一人の我儘に全力で付き合ってるだけだ。
簡素な造りをした階段をのぼり、ドームの上に出る。
すると、すぐに鉄の蓋は閉められ、俺たち一行だけがドーム状に取り残される。空を見上げると、昨日あれだけ倒したにも拘らず、大量の魔物たちが悠々と翼を動かしていた。
……やっぱ、なにかがおかしいんだよなぁ。
どんなからくりなのか――――村長曰く魔物の巣になっている、火口を見てみればわかる話か。
「で、どうやって山の頂上まで登るつもり? アルレッキーノ」
開口一番、ハサンは毅然とした口調で訊いてきた。
ほぉ。昨日はやつれるくらいに落ち込んでいたというのに、どうやら腹は括ったらしい。ポルトはまだ不安そうな顔をしているが…………なぁに、ただ数が一気に出てくるだけなら、そこまで問題はない。俺が全力で相手すればいいだけだ。
「わざわざドームの上に出たってことは、なにか考えがあってのことなんでしょう?」
「あぁ。山道を順繰りと行くのは、正直面倒だからな。ここは一丁、チートコードでショートカットといくぜ」
「? どういう意味?」
「こっちだ」
ハサンの質問に敢えて答えず、俺はドームの上をぴょんぴょんと移動する。
ここで普通に答えちまったら、つまらないからな。
ドームの端まで行くと、鉄の足場は山の中腹にべったりと張り付いていた。ドームというより、ニッケル村を覆う鉄の形状はホールケーキを四等分した一片の形に近い。一部は山とそのまま接続しており、完全な円形にはなっていない。
村の最奥部にある村長の家に行った時、天井が低くなっていないことから、それには気付いていた。
剥き出しの岩肌に、俺は寄りかかるように腕をつく。
「動け――――『大地の蠢動』」
呪文のようにその名前を唱えると、ぐぐ、と岩でできた足場がせり出してきた。
俺はその場でぴょんと飛び上がり、突き出てきた平らな足場に着地する。
「さぁ、乗りなよハサン。ポルトもついてきな。こいつで一気に、頂上まで行っちまおうぜ」
発想の原点は、エレベーターだ。
道中魔物に襲われる危険性は変わらないが……どうせ俺の魔術は、地に足さえついていればどこで発動しようと大して変わらない。ぐるぐると螺旋状に山を登るよりは、一気に直線で登った方が速い。ただそれだけの、シンプルな話だ。
「……その足場、本当に大丈夫よね? いきなり崩れたりとかは……」
「おいおい、俺の魔術で操ってる大地だぜ? そんな心配はねぇよ」
「ま、魔物に襲われた時は、どうするのさ? そんな小さな足場じゃ、逃げ場がないじゃないか!」
「俺の魔術で対処するから心配要らねぇよ。なんだお前ら、二人揃って俺のことを信頼してくれてないのか?」
「…………分かったわよ。身の安全は、任せたからね」
「ま、まぁ、守ってくれるって約束してくれたんだし……信頼してないなんてことはないさ! うん! じゃあ、行こっか!」
思ったより簡単に言い包めてしまった。
ハサンは、しかしまだ完全に足場のことを信用し切れないのか、足で何度か、確認するように踏み締めてから、ようやく乗ってきてくれた。ポルトは、そこが定位置であるかのように俺の顔の周りを飛んでいる。目がチカチカするから、あまり飛び回るのも勘弁していただきたいのだが。
さて、これで準備完了か。
んじゃ、行くぜ。
「登れ!『大地の蠢動』っ!」
瞬間。
足場は岩肌を荒く砕きながら――――猛スピードで上昇を始めた。
「きゃあああああああああああああああああああああああああああああああああああっ⁉」
「きゃはははははははははははははははははははははははははははははははははははっ‼」
「うわぁああああああああああああああああああああああああああああああああああっ⁉」
三者三様に悲鳴(と、一部歓声)を上げ、必死に俺にしがみついてくる。
突然の大声に、俺の頭はキンキンと痛みを訴えていた。鼓膜があったら、まず間違いなく破けていただろう。本当、つくづくかかしでよかった。
「ちょ、速いっ‼ 速いってこれぇっ‼ あ、アルレッキーノぉっ!」
「きゃははははははっ! これおもしろ―いっ‼ びゅーんって! びゅーんってなるーっ!」
「わわわ笑ってる場合じゃないでしょーっ‼ と、止めて! 止めてよアルレッキーノぉっ!」
「……んだよ、もう」
背中のノエルは一人はしゃいでいるのだが。
他の二人がうるさいので、ひとまず、上昇を一旦やめて停止する。二人とも、この世の地獄でも見たかのようにぜーはーと息を吐き、俺の身体にしがみついていた。まるで幽霊だ。
なんだ、俺になんの恨みがあるというのだ。
「も、もうちょっと、ゆっくり……」
「そんなこと言ってると、魔物に襲われちまうだろうが――――っと、さっそくお出ましか」
「GISYAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAA!」
甲高い叫びを上げて襲い掛かってきたのは、禍々しい顔をしたハルピュイアだった。
鈎爪で俺たちを捕えようとしてくる。そのまま捻り潰して食らうつもりか? けど、残念だったな。
「『根堅洲國王の怪腕』、っとぉっ!」
岩肌から轟音を立てながら伸びてきた腕が。
ハルピュイアを鷲掴みにし、そのまま握り潰す!
悲鳴を上げる間もなく果てた魔物は、単純な魔力の粒と化し、キラキラと落ちていく。
「ったく、しゃあねぇなぁ。『根堅洲國王の怪腕』を常時展開しながら、ゆっくりめに登っていくか。魔物の数も減らせるし、一石二鳥って考えよう」
「ほ、本当……心臓に悪いわ。アルレッキーノ。人間にはね、耐えられる速度の限界ってものがあると、私思うの」
「な、なんだか、重力の果てを見た感じがした……なんでか、足が震えてる……」
「……お前ら、俺の元いた世界にいたら、絶対ジェットコースターとか苦手な女子だったんだろうなぁ」
「じぇっとこーすたー? そんなのがあるの? 今のとおんなじ感じ? わたし、それ乗ってみたい!」
「あー、今度再現してやるよ。そんじゃ、行くか。上へ参りまーす、ってか」
仕方なく、周囲に常に二本の岩の腕を展開しつつ、ゆっくりと岩肌を上昇していく。
それでも、律儀に山道を行くよりは疲れないし、速く済むだろう。
ハサンとポルトの二人は、高速での上昇がトラウマになっているのか、未だにびくびく震えているが。
まったく、少しは俺の背中でうきうきとしている、なんでも楽しんでしまう達人の心構えを見習ってほしい。……いや、やっぱいいや。このレベルでハサンやポルトにまで楽しまれてしまっては、ストッパーがいなくなってしまう。
パーティ内の役割分担って大事。
「しっかし、意外だな。ハサン」
のんびりと、時折襲い来る魔物を握り潰しながらの道中。
なにも黙って、ただ壁を上昇していくだけではつまらない。暇でも潰そうと、俺はハサンに声をかけた。
「お前の口から、生贄を捧げるという悲劇を減らしたいんです、みたいな台詞が出るとはな。昨日なんか、ノエルが助けてって言ってたのを、止めようとしてたじゃねぇか」
「むぅ、そうだよハサン。なんか、そういうふーしゅーがどうとかって」
「…………一部の地域では、魔物を神聖視して、魔物の生贄に捧げられるのを名誉だと思う信仰もあるのよ。ニッケル村がそうだった場合、私たちが介入すれば、話がややこしくなる…………あの時はそう思ったから、止めたまでよ」
「それじゃあ、本当はどう思ってるの?」
「……生贄なんて、やっていい訳ないじゃない。バカげているわ。特に、親が子供を、孫を、生贄にしようだなんて…………正気の沙汰じゃないわ」
それは。
それは、親に売られたハサンが言うと――――一際、重い。
そう考えると、ニッケル村の生贄の風習を、一番憎んでいるのは、もしかしたら、ハサンなのかもしれない。
「あっ! アルレッキーノ、ノエル、ハサン。もう少しで頂上に着くよ!」
「おっ、いよいよか」
確かに、あと数メートルのところで壁が途切れている。
さて、ここからが正念場だ。
鬼が出るか蛇が出るか――――果たして山の頂上は魔物の巣窟か、否か。
あと、三メートル。
二メートル。
一メートル。
遂に――――
「ここが、頂上か……!」
そこには――――なにもなかった。
中央に向けて凹んだ地形。これは……地理の授業で習った、カルデラ地形というやつだろうか。思ったよりも広い頂上の景色は、自然の風景としてはそれだけで圧巻ではあった。
しかし、それだけだ。
魔物の巣窟どころか、魔物一匹さえいやしない。
まるで、魔物自身がそこを避けているかのように――――
「あ、あれ……」
「ん?」
俺に負ぶわれているノエルが、おずおずと頂上の陥没した中心部を指差した。
目を凝らしてみてみると、なにかが浮いている?
小さな、格子状の網に囲われた、灰色の物体。
だだっ広い頂上部にあるのは、そんな、得体の知れない物体一つだけだった。
頂上にあったのは、謎の物体一つだけ……?
次回更新は明日22時頃! お楽しみに!




