第4話 そして二人しかいなくなった
「GYAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAA‼」
凄まじい雄叫びと共に、ダークドラゴンはどたどたと農場の中で暴れ狂った。
子供たちは口々に悲鳴を叫び、必死になって逃げようとする。
だが、サイズ感がまるで違う。
彼らが懸命に脚を動かした分は、ダークドラゴンにとって一歩にも足りない。
軽く振るわれる尾。びっしりと鱗に覆われたそれに触れるだけで、身体がズタズタに千切れて死んでいった。潰れた臓物が畑に散らばり、一秒後にはそれもダークドラゴンに踏み潰される。
口から吐き出される漆黒の炎は、豊かに実っていた農作物を一瞬にして灰に変えた。
爪には、さっきまでビゾーロが身に着けていた服の残骸がこびりついている。きっと奴も死んだのだろう。畑を逃げ惑う奴隷たちと同じように、まるで蚊でも打ち払うかのように。
俺を蹴飛ばしていた少年が千切れて死んだ。
俺を殴りつけていた少女が裂かれて死んだ。
俺を罵倒していた少年が火に巻かれ死んだ。
俺に頭突きしていた少女が灰になって死んだ。
次々に、まるでゲームみたいに人が死んでいく。
ボロボロの掘っ立て小屋も、巨大な足に踏み潰され、跡形もなく崩壊した。
ものの数秒で、生存者なんてどこにもいなくなった。
目に映る視界にはもう、死体と、灰と、炎とそして――――ダークドラゴンがいるだけだ。
――――ノエルは?
そうだ、ノエルはどこに行った?
さっきまでここで話していたノエルは、どこに?
「…………すけ……て……」
声が聞こえた。
しかし、彼女の姿は見えない。ノエルは、俺の目が見えないところに隠れ潜んでいた。
俺の背中を覆う、蓑の中。
感触なんてない、温度も痛みも感じないのに、何故だかノエルがそこにいるのだけは感じ取れた。
ダークドラゴンの姿を見て、咄嗟に潜り込んだのだろう。
賢明な判断だろう。悲鳴を上げる行為は、恐怖心を払う効果しかない。耳が聞こえる相手には、自分の居場所を示すだけの意味しかない。だから声を潜め、見えない場所に隠れるのは有効な手段だ。
その、筈なのに。
「GIAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAA‼」
ダークドラゴンはずんずんと、俺たちの方へと近づいてくる。
まるで、ここに俺とノエルがいることが分かっているかのように、巨体をうねらせてやって来る。
――――かつて、小鳥は言っていた。
魔物は肉や骨ではなく、魔力でできた生命体だと。
どんな生命体にも魔力は宿っており、それを求めて魔物は人や動物を食らうのだと。
だとしたら、ダークドラゴンを始めとした魔物たちには、魔力を持った生物を探し出す、本能的な機能があるんじゃないのか?
肉食獣が、獲物の匂いを追って仕留めるように。
だとしたら、隠れたって意味がないじゃないか。
ノエルがここにいることは、ばれてしまっているのか……?
「GIOOOOOOOOOOOOOOOOOOOOOOOOOOOOOOOOOOOOOOOOOOOOOOOO‼」
ぼたぼたと、眼前に涎が垂れる。
もうすぐ近くまで、ダークドラゴンは迫っていた。その息に毒素が含まれていれば、俺は枯れ果て、ノエルだってお釈迦になるだろう肉薄した距離。
間違いない。
ダークドラゴンは、ノエルがここにいると気づいている。
あんぐりと大きな口を開けているのが、その証拠だった。
――――俺は、なにもできないのか?
一〇年前、死ぬ前に猫を助けたように。
身を挺して庇うことさえ、今の俺にはできない。
喋れもしない、動けないかかしの身体が恨めしい。
俺は、守れないのか?
常に笑顔を絶やさず、俺に話しかけてくれたノエルを。
マフラーや靴を、俺にプレゼントしてくれたノエルを。
他の子どもたちみたいに、憂さ晴らしで暴力を振るうことさえなかったノエルを。
これだけ救われておいて、俺は、この子の命一つ、守れないのか?
そんなのは――――死んでも、御免だ。
――動け。
――動け。逃げろ。
――動け。動け。ここから、早く。
――ノエルを、助けるんだ。
――動け、動け、動け動け動け動け動け動け動け動け動け動け動け動け動け動け動け動け動け動け動け動け動け動け動け動け動け動け動け動け動け動け動け動け動け動け動け動け動け動け動け動け動け動け動け動け動け動け動け動け動け動け動け動け動け動け動け動け動け動け動け動け動け動け動け動け動け動け動け動け動け動け動け動け動け動け動け動け動け動け動け動け動け動け動け動け動け動け動け動け動け動け動け動け動け動け動け動け動け動け動け動け動け動け動け動け動け動け動け動け動け動け動け動け動け動け動け動け動け動け動け動け動け動け動け動け動け動け動け動け動け動け動け動け動け動け動け動け動け動け動け動け動け動け動け動け動け動け動け動け動け動け動け動け動け動け動け動け動け動け動け動け動け動け動け動け動け動け動け動け――――――――――――――――――――――――――――――
「――――動けってんだよぉっ! このっ、かかし野郎がぁっ!」
声が、轟いた。
俺の声だ。
一〇年振りに、無い耳で聞く自分の声。
その叫び声と同時に。
目の前のダークドラゴンの口に、畑の土でできた巨大な拳が突っ込まれていた。
「な、なんだ、こりゃ……⁉」
待って待って、状況の整理が追い付かない。
今、なにが起きている?
どうして俺が喋れている? 一〇年も喋っていないのに。
っていうか、かかしだろ? 今の俺は。
かかしなのにどうして、俺は――
「っ、アルっ! 前っ!」
蓑に隠れていたノエルが顔を出し、怯えた形相で叫ぶ。
見れば、土で作られた拳にはいくつもの亀裂が入っていた。びきっ、びきっと砕けていく音も聞こえてくる。ダークドラゴンの強靭な顎が、挟み込んだ拳をも噛み千切ろうとしていた。
この土の拳だって、一体なんなのか、俺には見当もつかない。
どういう奇跡だ? どうして畑の土が動く?
かかしの俺が喋って。
畑の土がダークドラゴンに反撃して。
あぁ、もう訳が分からない! 頭が沸騰しそうだ!
ばきぃんっ! と歪な轟音が響き、土の拳が砕かれた。
「GIAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAA‼」
「く、来るなっ! 来るんじゃねぇっ‼」
一〇年ぶりに、やっと手にした声で叫ぶ。
冗談じゃない。声を得て、ノエルという守るべき者がいて。
それなのにこんなところであっさりと、強いだけの害悪に踏み潰されて終わりだなんて。
トラックに轢かれて終わっちまった前の人生の二の舞は――――御免だ!
「来るなって、言ってんだろうがぁああああああああああああああああああああああっ‼」
瞬間。
地面が一斉に隆起し、巨大な棘の山と化して――――ダークドラゴンの巨体を貫いた。
「GA…………⁉」
明らかな困惑の色を浮かべながらも、ダークドラゴンは微かに痙攣し、そのままぐたっと針山の上で果てた。
鋭い土の突起は、数え切れないほどにダークドラゴンの身体を貫いていた。どれが致命傷になったのかさえ、まったく分からない。でたらめに過ぎる。
でも、これをやったのは、きっと俺だ。
だって、さっきも今も、俺の叫び声に呼応して、畑の土は動いたのだから。
土で拳を作ったのも。
土でダークドラゴンを幾重にも串刺しにしたのも。
多分、俺なんだよ、な……?
「アルっ! アルレッキーノっ!」
ふと、名前を呼ばれた。
俺をその名で呼ぶのは、この世界にたった一人だ。この世で誰よりも愛おしい、可愛らしい少女。
「ノエル! ノエル、無事かっ⁉」
「アルっ! アルが喋った! お話しできたの⁉」
そこかよ。
いや、俺も驚いたけど、今はそこじゃないだろ。
「の、ノエル。怪我はないか?」
「う、うん。大丈夫。…………これ」
視線を移すと、横たわる巨大な死骸が目に入る。
ダークドラゴン。
小鳥に聞いた話じゃ、この世界に跋扈する魔物の中でも最上位に位置する、凶悪な魔物らしい。そんな奴が、今は串刺しのオブジェとなり下がっている。
「これ……アルが、やっつけたの?」
「……あ、あぁ。多分、な」
「そうなんだ! アル、ありがとう! すごい、アルってすっごく強かったのねっ!」
ぴょんとうさぎのように跳ね、ノエルが抱きついてくる。
すごい……のか? まだ俺がやったっていう確証はないし、自分がやったという実感もないのだが……。
「それに、お喋りもできたのね! すてき、すてきだわ! アル、なんでずっと黙ってたの?」
「い、いや、黙ってたんじゃない。喋れなかったんだ。声を出せたのも、今日が初めてだ」
「そうなの? なんでいきなり、お話しできるようになったのかな? 不思議なの」
「あ、あぁ。俺にも分からん……これを、俺がやったのかどうかさえ……」
「でもありがとう!」
ぎゅうっ、とノエルは抱き締める力を強めてくる。
「いつも、ずっと夢に見てたの! アルがわたしとお話ししてくれないかなぁって。そうしたら、きっとすっごく楽しいのになって、そう思ってたの! 夢が叶ったわ! 恐かったけど、今日は最高の日よ!」
「そ、そうか。なら、よかったよ――――っとと」
そうだ、忘れるところだった。
喋れるようになったら、まず真っ先に言わなければなことがあったんだ。
絶対に忘れられない、俺の心の支えになった少女への言葉。
「ノエル。マフラーや靴、それに、アルレッキーノっていう名前…………ありがとな」
「? なんでアルがお礼言うの? お礼言うのはわたし。アルがいたから、毎日が楽しかったし、今日だって助けてもらったわ。アル、ありがとう! 大好きなの!」
「あ、あぁ。ありがとう。そう言ってもらえて、俺も嬉しいよ」
「ねぇ、アル。アルはお話しできるだけなの? 一緒にお散歩とかはできないの?」
「ん? んー、どう、だろうな……」
試しに腕や脚に神経を集中させてみる。
…………なんだろう、根拠はないが、イケそうな気がする。
「ノエル。俺の足元に、俺と地面を結んでる杭があるだろ? そこに結んである紐を解いてみてくれないか?」
「ん、分かったの!」
びしぃっ、と敬礼のポーズをして、いそいそと紐を解く作業に入るノエル。
やがて、足元の窮屈な感じが消え、身体が一瞬、宙に浮いた。ノエルに昔履かせてもらった靴が、ひし、と地面を踏みしめ、自重を支える脚となった。
「お、おぉ……歩ける。歩けるぞ、俺! 喋れるし、歩ける! もう役立たずじゃない!」
「? アルは、かかしさんでしょう?」
「あぁかかしだ! でも、ただのかかしじゃない! 喋れる! 歩ける! ノエル、お前と一緒にどこへだって行ける! ノエル! 俺の生きる支えになってくれた、お前の役にようやく立てる!」
ずっと、ずっと感謝してたのだ。
笑顔で話しかけてくれることに。マフラーをくれたことに。靴をくれたことに。名前を付けてくれたことに。
俺はずっと、救われていた。
だから、恩返しがしたいんだ。
「ノエル。どこか行きたい場所はないか? やりたいことはないか? 些細でもなんでもいい。願いがあるなら、俺に言ってくれ。その願いを、俺に叶えさせてくれ。俺に、恩返しをさせてくれ」
「……? よく分かんないけど…………お願い、聞いてもらえるの?」
「あぁ、なんでも聞くさ。俺がこの姿になったのはきっと、ノエルの役に立つためだ」
ふと、畑だった場所へ目を向ける。
掘っ立て小屋みたいな粗末な家は、もう燃え尽きて煙をぶすぶすと排出しているだけだ。今や巨大なオブジェへと姿を変えた畑の向こうでは、きっと血の海が広がっていることだろう。今回の襲撃で、雇い主であるビゾーロ=パンタローネも、その奴隷たちもみんな死んでしまった。
ノエルただ一人を除いて。
彼女はもう、奴隷という鎖に縛られてはいない。
どこへだって、言っていいのだ。その権利がある。
「……アル」
「なんだ?」
「……アル、アルレッキーノ。わたしね、もう一度家族に会いたい」
「…………」
「どこにいるか分かんないけど……村の名前も、分かんないけど……でも、もう一度おかーさんと、おとーさんと、妹と会いたいの! 一緒に、わたしの故郷、探してほしいの! …………ダメ、かな……?」
「まっさか」
その瞬間、ダークドラゴンの死骸が小さく爆発を起こした。
肉や骨の代わりとなる魔力が、きらきらと宝石のように瞬いている。アメジストの欠片みたいなそれは、地面に染み込んでいき、すぐに見えなくなっている。
まるでそれは、花火のようだった。
誓いの言葉を飾り立てるような。
「お前の頼みなら、なんでも聞くさ。両親探しの旅、か。いいぜ、行こうノエル。俺も全力でサポートするから、さ」
「ほ、本当に? で、でもわたし、本当になにも覚えてないの……場所も、名前も、なんにも…………それに、わたしは……」
「構わねぇよ。お前のためなら、どんな苦労も惜しむものか。まぁ、取り敢えず行ってみようぜ。どうなるかは……まぁ、その時々で考えてみればいいさ」
ノエルよりも先に、俺は一本しかない足で器用に跳ねるように進む。
ぽかんと呆気に取られていたノエルだったが、後ろからてとてととついてくる音が聞こえる。…………忘れていた。今の彼女は裸足で、服だってズタ袋みたいなそれなのだ。歩くテンポも考えなければ。
かかしに転生したけれど。
俺はこの娘の願いを妨げる全てを、道を阻む全てを討ち滅ぼそう。
俺は、他の誰でもない俺自身に、強く強くそう誓った。
ようやくプロローグが終了となります。
次回更新は30分後! アルとノエル、2人の冒険が始まります!