第37話 異世界の話
乱雑に掘り返されたような跡が目立つ、種を植える前の畑みたいな野原。
エイセンから一〇メートルほど離れたそこで、俺たちは待機を余儀なくされていた。
エイセンの定めた森の掟では、人間に濫りに森の情報を教えてはいけないらしい。ピクシーみたいに弱い魔物は、逆に人間の狩猟対象にもなりやすい。魔物に対する恨みからピクシーを攻撃する人間もいるし、中には性的な欲求、嗜虐的な趣味によってそうする人間もいるだろう。
掟を守ることで、ピクシーたちは他でもない、俺たち人間から身を守っているという訳か。
俺はもう人間じゃないけどな。
そういう訳で、森から抜けるルートを教えてもらえるのは、仮にもこの森の一員だったポルト一人だけという運びになった。俺たちは二人の声が届かない位置で、樹に寄りかかってのんびりと待機という訳だ。
「……ねー、アル」
「んー? どうした、ノエル」
「暇なの」
わぁ、単刀直入でいらっしゃる。
まだ待ち始めて一〇分も経っていないのだが、ノエルは早くも暇を持て余してしまったらしい。そういえばさっきから俺の周りをぐるぐると回ったりと、手持無沙汰な雰囲気を出してはいたな。
んー、しかし暇と言われても、かかしの俺は遊んでやることもままならない。
隣で座っているハサンは、自分から子供が苦手とカミングアウトするほどだし、ノエルの相手は荷が重いだろう。
「暇かぁ。んー、どうするか……」
「そういえばアルレッキーノ。あなた、異世界から来たのよね?」
と。
ここで会話に割り込んできたハサンは、意外なことを訊いてきた。
……あぁ、そういえばノエルとポルトが寝ている間、そんな話をしていたっけか。
「あぁ、そうだけど」
「その話、ノエルにはしたの?」
「してあるぞ。なぁ? ノエル」
「うん。アルが別の世界から来たんだっていうのは、聞いてるよ?」
「そうじゃなくって、その別世界の話よ」
「? どういうことだ?」
「鈍いわね。だから、あなたが一〇年前までいたっていう、私たちから見た異世界の話でもしていればいいじゃない。私も興味があるし、ノエルの暇潰しにもなるんじゃない?」
「…………あー、なるほど」
そういえば、そういう話はしたことがなかったな。
盲点だった。こっちの世界で見聞きすることが目新し過ぎて、こっちの世界の人間という視点が抜け落ちていた。
そうだよな。ノエルやハサンからしてみれば、俺が元生きていた世界の方が異世界だ。ポルトも興味を示していたし、そりゃ別の世界と聞けば胸が高鳴るのが人情というものか。
「……とはいっても、面白いかどうかは保証しねぇぞ? こっちの世界みたいに、魔物がいるって訳でもないし、魔術もない。平凡で退屈な世界だったんだし」
「それだけ聞くと普通に羨ましいわね。魔物がいないなんて、人間からすれば安寧の極みだわ」
「あー、それもそうか」
「聞っきたっいなー。アルの元いた世界のお話、聞っきたっいなー」
「分かった分かった。えーっとそうだな、俺の元いた世界は――」
そこから俺は、思い出せる限りの元々生きていた世界の話をした。
生まれて、平凡な家庭で育って、平穏に学校に通って――――猫を助けて死ぬまでの、一部始終をだ。
凄かったのは、目をキラキラと輝かせるノエルからの質問責めだった。なにせ、『学校』と言っても意味が通じないのだ。この世界に『学校』に値するものが存在しないから、そもそも『学校』とはなんぞや、という話にまで掘り下げて解説することになってしまった。
たかだか『学校』一つとってもそうなのだから、他の話になると余計に大変だった。
遊園地、高層ビル、コンクリートジャングル…………どれもこれも、この世界には存在しないし、まるで意味の通じない言葉だ。そういう意味の分からない言葉に限って、ノエルの琴線に引っかかるのか、目を黒水晶のように輝かせて質問を繰り返してくる。
それに丁寧に答えることが――――別に、そんなに嫌という訳じゃなかった。
寧ろ、楽しんで話していた。
そして同時に、自分がどれほど恵まれた環境で暮らしていたかが分かった。
この世界は『統治』がされていない。だから『法律』もないし、だからこそ『悪』が蔓延ってしまう。魔物という危険因子もいるし、村同士の交流も少ないようだ。
俺の生きていた世界は違った。国が国として『統治』され、『法律』によって縛られることで『悪』は規制されていた。だからこそ俺は、平和を自覚することさえなく生きてこれたのだろう。
自分の、行き過ぎた『正義』さえ、『普通』だと思い込むことができたのだろう。
まぁハサンやポルトを、困った女の子を見捨てておけないと言って仲間にしちまう辺りは、ハサンの言う通り、俺の困った癖なのだろうけど。
この世界を、どうにか俺のいた世界に近づけられないだろうか。
勿論、俺のいた世界だって欠陥はたくさんあった。そういう要らない部分は取り除いて、もっといい世界を作ることは――――って、俺はなに考えてるんだか。
生まれ変わったかかし一体が、いきなり政治のことを考えてたよ。
しかし……ノエルの望みを叶えても、彼女やその家族が魔物に脅かされる生活は変わらない。その憂いを、少しでも取り除ければ、それが最善なんじゃないだろうか――――。
「……アル? どうかした? 難しい顔しちゃって」
「……いや、なんでもねぇよ。ってか俺、顔変わんねぇだろ」
「んー、上手くは言えないけど、なんだか悩んでる顔してたよ?」
「そうか? まぁ、なんでもないから心配すんな。で、他に訊きたいことはあるか?」
度重なる質問責めにも慣れてしまった俺は、自分から質問を催促し始めていた。
畑の隅に立ってた一〇年で半ば摩耗しているとはいえ、俺にとっては『異世界』こそが日常で、当たり前で、普通だったのだ。いざ説明しろと言われると、あの特徴のない世界をどう説明したものか、悩みどころでもあった。
それならば、ノエルの思いついた質問に答えていく方が、よほど話の進みが早い。
ノエルは腕を組み、うんうん唸って考え込んでいる。これは決して質問のネタが尽きたのではなく、寧ろ逆で、興味があることが多過ぎてなにから聞くべきか迷っている顔だ。もう結構な付き合いになるし、ノエルの顔色を読むことも容易になってきたな。
ようやく質問を絞り切れたらしく、ノエルはぱぁっと、ヒマワリみたいに明るい表情を浮かべて顔を上げた。
「じゃあじゃあ、アルの家族って、どんな人たちだったの?」
「家族?」
これはまた意外な方向からの質問だ。
家族のこととか…………言われるまでほとんど忘れてしまっていた。
「うん! だってアル、かかしになる前は人間だったんでしょう? だったら、家族はいるはずでしょう? アルの家族ってどんな人たちだったのかなーって、気になったの」
「んー、そうだなぁ」
思い返そうとしてみるが、頭に霞がかかったように、はっきりとは思い出せない。
見知らぬ猫一匹のために命を擲ってしまうような俺のことだ。家族のことをどこまで想っていたのか、今や自分でも分からない。それでも、思い出せる限りのことは話してみた。
「…………普通の、あっちの世界じゃ一般的な家庭だったよ。両親がいて、妹が一人。母親は専業で主婦やってたけど…………父親は、なにやってたかな。まぁなにかしらの仕事はしてた筈。妹とは…………仲は、そこそこよかったよ。そうだな、ハサン、お前との関係に近いかもな」
「…………なによそれ」
「いや、遠慮なくものを言い合えるというか。変に気を遣わない関係っていうのかな」
「……今までの話からすると、あなた、かかしに生まれてまだ一〇年じゃない。私、こう見えて今年で一六歳よ? 年下じゃない。私の方が姉よ」
「残念でしたー。俺はあっちの世界で一八年生きてたから、合計したら二八歳でーす。精神年齢的に俺の勝ちでーす」
「すぐに勝ち負け持ち出すのは、精神年齢が低い証拠だと思うけど」
「……っくくく、ははははっ。そうそう、正にこんな感じの間柄だ。懐かしいな、妹が目の前にいるみたいだぜ。――――まぁ、ざっとこんな感じさ。これでいいか? ノエル」
「ふーん……そう、なんだー……」
「……って、興味なしかよ」
「興味ないって訳じゃないもん」
頬をぷくぅと膨らませ、ノエルはそっぽを向いてしまった。
??? 俺、なにかおかしいこと言ったか? 普通に質問に答えてただけなんだが……。
「な、なぁハサン。ノエルの奴、急にどうしちまったんだ?」
「……あなた、あっちの世界でも鈍感とか言われてた覚え、ないの?」
「ねぇよ」
「あっそ。じゃあ私が言ってあげるわ。この鈍感かかし」
何故かハサンにまで詰られてしまった。
? 俺、なんか悪いことしたかぁ?
「ふーんだ。もうアルの話なんかいいもん。それより…………ハサン。ハサンにも、色々聞いてみたいな」
「……なんで私にまで飛び火するのよ」
「だってわたし、ハサンのこと全然知らないんだもん。山賊を、むりやりやらされていたのを、アルに助けてもらったってことくらいしか」
「……それで充分じゃない」
「あ! あとあと、ハサンの魔術を使うと、空飛べるってことも知ってるよ!」
「……あれは、私の魔術っていうより、アルレッキーノの魔力とそのコントロールがあるからこそで――」
「わたし、ハサンのこと、もっと知りたいな。せっかく一緒に旅をしているんだもの! 色々なこと知り合って、仲良くなりたいの!」
外套に包まるようにして座っているハサンの眼前に、ノエルがどんどん顔を近づけていく。
言っていることは牧歌的で平和なのだが……ノエル、それは圧が凄いぞ。なんで無意識にプレッシャー与えてんだよ。
「……私のことなんか、知らなくたって旅に支障はないわ。そうでしょう?」
「ししょー? よく分かんないけど、わたしはハサンのこと好きだし、知りたいの。ハサンは、わたしのこと知りたくない? 興味ない?」
「そこまで積極的な興味はないわ」
「…………」
「な、泣きそうな顔したってダメよ!」
「ちぇー」
「嘘泣きだったの⁉ …………あなた、意外と油断ができないわね」
「いいじゃーんちょっとくらい教えてよー。なんでハサンは顔の半分隠してるのー? 息苦しくないのー? なんで山賊なんかやってたのー?」
「……だから、そんなこと知らなくても旅に支障は――」
「ハサンの家族って、どんな人たちなの?」
と。
ノエルが無邪気な響きで、そんな問いかけをした瞬間、ハサンの表情が凍りついた。
……まずい。ノエルは、ハサンの事情について知らない。だからこそ無意識に、悪気なく、地雷を踏み抜いてしまう。
ハサンは、実の家族に売り飛ばされて、山賊稼業に手を染めていた。
その中で、幾度となくその身は穢され――――ハサンにとっては、思い出したくない過去になっている筈だ。
ここは、話の流れを変えないと――
「み、みんなお待たせ~。エイセン様から、道、教わり終わったよ~…………」
と。
なんとも丁度いいタイミングで乱入してきたのは、ふらふらと頼りなさげに飛んできたポルトだった。
「あ、ポルト! 時間かかったねー、そんなに道大変だったの?」
「あーあーあーあー! 今、今喋りかけないで! 忘れる! せっかく詰め込んだ道忘れちゃうから、ちょっとあたしへの質問は今NGで!」
「えー? じゃあわたしも一緒に覚えるから、教えてよー」
「それができないからあたしが一人で覚える羽目になってんでしょうが! あうー…………頭痛が痛いぃ…………頭が、爆発しそうだわ……」
「……随分大変だったみたいだな、ポルト」
おかげで助かったが。
しかし、エイセンに相当道をぎっしりと詰め込まれたらしい。二日酔いみたいに頭を抱えるポルトからは、今にも沸騰したように湯気が出てきそうだ。
「んじゃ、ポルトが道を忘れちまう前に、さっさと出発するか。ほら、行くぞノエル。ハサンも」
「うん! アル、また背中に乗っててもいい?」
「たまには自分の脚で歩けよ……。ハサン? どうかしたか?」
鈍感な振りをして、ハサンに問いかける。
家族の話を振られて、ハサンが大丈夫な筈はない。だからこそ、事情を知っている俺だけでも、まるで気にしていない風を装う。
座ったまま俯いていたハサンは、ゆっくりと、顔を上げた。
「えぇ……なにも、なにも問題はないわ。アルレッキーノ」
「そうか。んじゃ、行こうぜ」
「えぇ」
なにも、なにも問題はない。
その言葉を信じて、俺たちは一路、『惑いの森』を抜けるべく歩を進め始めた。
第3章、少々不安要素からのスタートです。このパーティは果たしてどうなってしまうのか……?
次回更新は明日22時頃! お楽しみに!
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