第36話 束縛と自由
「ほっほっほ。お早い到着でしたな、アルレッキーノ殿。ハサン殿。ノエル殿。それにポルトも」
バジリスクを倒してから、小一時間ほど経った後。
『惑いの森』という名前は伊達ではなく、複雑に入り組んだ地形を、ポルトに案内されて右へ左へと、それこそバジリスクを倒した時並の大立ち回りだった。正直、ポルトがいなかったら、こうしてエイセンの元へ辿り着くこと自体、不可能だったかもしれない。
で、ようやく到着したエイセンは、緑色の舌を躍らせてけらけら笑っている。
確かに……この笑みは狸親爺のそれだ。少なくとも好々爺の笑みじゃない。
「いやはやしかし、本当にバジリスクを退治してくださるとは…………驚きですな。ダークドラゴンを倒したという話も、これでは与太話ではなさそうだ。いやいや、疑っていた訳ではありませんぞ?」
「……情報が早いな。どこからその話を?」
「いえいえ。儂は森の中で起きたことなら、全て知っておりますでな。ほっほっほ」
「……そーかい」
さすがにポルトみたく、ほいほいと話してはくれないか。
ふと隣を見ると、全身を強張らせているハサンとポルトが立っていた。ハサンの表情までは窺い知れないが、ポルトは顔に至るまでガチガチだ。顔面の筋肉が引き攣っている。
まぁ、エイセンが自分たちを殺そうとしたって疑惑を持ったままだもんなぁ。
バジリスクを倒した後、なにが起こったのかも知っているだろうに…………そこについて謝ろうとしないのも、二人の疑念をさらに深める要因かな。
「ともあれ、礼を言わねばなりませぬな。あのままバジリスクを放置していたら、早晩、森のあらゆる植物は枯れ果て、この森は滅んでいたでしょう。儂やピクシーたちの命をも危うかったかもしれない。誠に、感謝しております」
「い、いいえぇ、当然のことをしたまでですわ」
上ずった声で、ハサンが応える。
あの夜、俺の前では強気な姿勢を崩さなかったハサンだが――――相手が魔物となると、やはり勝手が違うのだろうか。手も微かに震えている。布で隠した口元は、一体どんな表情をしているだろう。
「それに、感謝の言葉なんて要りませんわ。これは取引。私たちは先に条件を満たしました。エイセン殿も、お約束は守っていただきたいのですが…………如何ですか?」
「ほっほっほ。勿論ですじゃ。この森から出る道でありますな? 勿論お教えしますとも。森の命が保たれたのですじゃ。そのくらいは安い安い。――――しかしその前に、一つ問題を片付けなければなりませんな」
「問題……?」
「ポルトや」
「…………!」
びくっ、とポルトが全身を震わせた。
手足や翅が小刻みに揺れている。緊張しているのか、額には大粒の汗が浮いていた。
……首尾よくバジリスクを退治できたんだし、不問に付される可能性も考えていたが…………やっぱ、そうは問屋が卸さないか。
「お主は昨日、儂の言うことに背いたな。アルレッキーノ殿たちを、お主は当初、まったく別の方向へと案内しておった。辿り着いた先は、お主らピクシーの巣じゃ。違うか?」
「…………違わない、です……」
「一体どういう腹積もりだったのか、説明してもらおうかのう。事と次第によっては、お主は森全体の利益より、自分の恐れを優先させた森への背信者じゃ。儂の定めた掟を忘れた訳ではあるまい。森に背いた者は、二度と――」
「あー、そこに関しては俺から説明させてもらおうかな。いいよな? ポルト」
段々と険しくなっていくエイセンの声と、石のように強張っていくポルトの身体。
流石にこれ以上、辛そうなポルトを見ているのは忍びない。俺は咄嗟に、ポルトとエイセンの間に入った。
「アルレッキーノ殿…………しかしですな。この森には――」
「知ってるよ。掟っつーもんがあるんだろ? けど、あんたにそんな凄みのある声出されたら、ポルトだってビビっちまうだろうさ。こんな状態で、まともな言い訳が立つか? それに、ポルトを責めてるんだとしたら筋違いだ。昨日、ピクシーの巣に泊めてもらったところも含めて、全部作戦だったんだぜ?」
「……なんですと?」
「あ、アルレッキーノ……?」
背後で、ポルトが消え入りそうな声で呼んでくる。
まぁ、不安だろうな。なにせ、そんな作戦、誰にも話しちゃいない。ハサンは納得しなかっただろうし、ポルトはそれどころじゃなかったしな。
安心しろ、一番不安なのは俺だ。
口八丁だけでこの堅物を納得させなきゃいけないんだ。まったく、ほんの一〇年前まで善良な高校生男子やってただけだっつーのに、どうして俺がこんな詐欺師紛いの真似までしてるんだか。
でもまぁ、魔物とはいえ害はないし。
困ってる女の子を放っておく奴は――――男じゃねぇよな。
「エイセン。あんた、バジリスクがどんな魔物かは知ってるよな? 相手を石化させる視線に、毒の息に毒の牙…………オプションは色々ついてるが、要はでかい蛇だ。蛇っつーのは全身が筋肉な上、硬い鱗で覆われてる。俺の大地を操る魔術なら打倒し得るが、すばしっこくて当たらねぇ。ハサンの風の魔術じゃ、鱗に阻まれてダメージにはならねぇ」
「ふむ」
「だから、相手の動きを潰す必要があった。それには、相手を混乱させるのが手っ取り早い。あんただって、いきなり想定外のことが起きたら、固まっちまうだろ?」
「ふむ……そうですなぁ。まぁ儂の場合、元から動けませんがな」
「そこは例えって奴だよ。とにかく、バジリスクを混乱させる一番の手立ては――――やっぱ、ご自慢のその視線だ。相手を石化させる呪いの眼。そいつを潰すのが手っ取り早かった」
「……それと、ピクシーの巣に泊まったのと、なんの関係がありますのかな?」
「焦んなって。――――バジリスクの眼を潰すのに、効果的だったのは、偶然にも、ポルトの魔術だ。ポルトは魔物にも拘らず、魔術を使える。それも光魔術だ。蛇は眼だけじゃなく、熱でも獲物を感知する。そんなポルトは、バジリスクを混乱させるのに適役だったんだ」
「……では何故、昨日の内にバジリスクを退治しなかったので?」
「時間の問題だ」
「時間、ですとな?」
「あぁ。蛇っていうのは変温動物――――つまり体温が一定しない動物だ。昨日の昼過ぎや、巣に辿り着くであろう夜中の時間は、蛇が最も活動しやすい、体温を一定に保ちやすい時間だったんだよ。だから、体温が一定せず、動きの鈍い朝方を狙ったって訳だ。それでもやっぱ、予想より手強かったけどな。いやぁ、ポルトは役に立ってくれたぜ。バジリスクを倒せたのは、ポルトがいたからって言っても間違いではねぇな」
半分は、ハッタリだ。
トロントがいくら物知りだっていったって、さすがに蛇の身体の構造とか、況してやピット器官の仕組みなんて知る由もないだろう。変温動物という言葉だって、今初めて聞いたかもしれない。
俺だって、完全に理解してる訳じゃないしな。
体温の件なんかは、もうテキトーだ。当てずっぽうである。昼寝交じりに聞いてた生物の授業の記憶を、必死に手繰り寄せながら言っていた。
俺が持ってる、ポルトを庇えるような手札は、これで全部だ。
後は、それが通じるかどうか――――
「…………ふむ、そういうことでしたなら、致し方ありますまい。あくまで、ポルトはあなた方の作戦に従ったのみ、ということですかな?」
「……その通りだ。なんか不服か?」
「いえいえ、滅相もありませぬ。寧ろ、そうなればポルトは、この森の英雄ということになりますな。いや目出度い目出度い!」
……どうやら、納得してくれたようだ。
かかしの表情が変わらない点を、今ほど感謝したことはないな……。素の俺だったら、きっとガチガチに固まった表情筋で嘘がバレていただろう。俺、かかしに生まれてよかった。
「そうなれば、ポルトにはなにか褒美をやらねばなりませぬな。なにせ森を滅亡の危機から救った立役者の一人ですからな。アルレッキーノ殿たちに道を教えるという褒美を授けておいて、ポルト一人がお預けというのはいけませんからな。平等ですな。平等」
「へ⁉ い、いいんですか……エイセン様?」
「勿論じゃ。ほれポルト、なにか望みがあるなら言うてみるがよい。叶えられる限りは、叶えてやろうぞ」
「……だったら」
おずおずと、ポルトが前に出ていく。
エイセンと、一対一で対峙するポルト。こう見るとやはり、存在感のスケールが違う。巨木の姿をしたエイセンの前で、ポルトは、言い知れぬプレッシャーを感じていることだろう。
それでも、ポルトは言い切った。
勇気を振り絞って、声を張り上げた。
「だったら、あたしは――――アルレッキーノたちと、旅がしてみたい!」
「……なに?」
エイセンだけじゃない、俺たちも全員、揃って耳を疑った。
俺たちと、旅がしたい?
いきなりの発言に、俺たちは固まってしまう。しかしポルトだけは意気揚々と、元気溌剌に言葉を続ける。
「あたし、魔物なのに魔術が使えるのが自慢だったけど…………それでも、インプ一匹倒せないって、自信、失くしてたんだ。それに、いくら魔術が使えたところで、あたしはこの薄暗い森の中で一生を終えるんだから、そんなの関係ないって、心のどこかで、思ってた。――――でも! アルレッキーノたちと、バジリスクを倒して思ったんだ! この人たちと一緒なら、もっと広い世界を、外の世界を、見ることができるって!」
「……それで、この森を出ていくというのか。ポルトよ」
「……掟に背く願いだってのは、分かってます。でもあたし、掟に縛られて、自分の力を活かせないで死んでいくのは、嫌なんです!」
「……掟とは、なにもお主らを縛るばかりのものではない。同時に、お主らを守るものでもある。自由と無謀は紙一重じゃ。森を抜けた後、お主を守るものは何一つないのだぞ?」
「大丈夫! 危なくなったら、アルレッキーノたちが守ってくれますから! ね! アルレッキーノ!」
「へ? お、俺か?」
急に振られてしまい、つい素の返事をしてしまった。
ポルトを仲間に加える、か。考えてもなかった選択肢だが…………魔物を倒す上で共同戦線を組んだ身だし、本人も相当に乗り気だ。
それになにより。
「ポルト、仲間になってくれるの⁉ また一緒に行水したり、おしゃべりしたり、お昼寝したりできるの⁉ わーいっ‼」
「お、溺れさせるのは、勘弁してよ! ノエル!」
「はーいっ!」
「うっわぁ信用できない返事!」
…………俺の背中で、ノエルが大層乗り気でいらっしゃる。
さりげなくハサンに目線を送るが……ここまで話が進んじまったら、ご破算にするのもあれだしなぁ。ハサンも、仕方がないとばかりに小さく首を振っている。
まぁ、せっかく仲間になりたいって言ってくれてるんだし、断る理由もあるまい。
ノエルの遊び相手が増えるしな。
「……あぁ。俺の強さは知ってるだろう? エイセン。ポルト一人くらい、余裕で守ってやるよ」
「…………ふむ。ならば、好きにするがいい。二度とこの森の敷居は跨がせぬがな。掟は、守る者を守り、破る者を排斥する――――努々、忘れるでないぞ」
「はいっ! 今までお世話になりました!」
まるで軍隊みたいに、ぴんと背筋を伸ばすポルト。
そのままにっかりと笑い、俺たちの下へ舞い戻ってくる。まったく、あんな死ぬかもしれない戦闘に巻き込まれたっていうのに、物好きな奴だ。
「さて、ではこの森から抜ける道をお教えしましょうかの。ポルトや、お主に頼む最後の道案内になるの。近う寄れ」
「は、はい!」
「それと…………これだけは、言っておかねばなりませぬな。アルレッキーノ殿、ノエル殿、ハサン殿」
巨大な目で俺たちのことを見ながら、エイセンは言う。
まるで、老婆心からの忠告のような一言を。
「この森は平和よ。平穏そのもですな。お主らの進む道は、この森より数段険しいものになりましょうぞ」
第2章、完結! 次回から第3章に入ります!
次回更新は明日22時頃! お楽しみに!




