第35話 手負い蛇
ぽっかりと、空に穴が開いている。
今さっき、俺とハサンが『奴隷解放戦閃』でぶち開けた大穴から、燦々と太陽の光が降り注いでいる。そのおかげで、今まで暗がりに包まれていたこの場所の、詳しい地形がようやく分かってきた。
かつてバジリスクだった、薄紫の魔力が雨のように注がれる大地。
そこには、正に無数のインプの石像が、無造作に積み上げられていた。蛇の巨体によって、強引に平らに均された地形の奥には、これまた無理矢理掘り進んだような洞穴がある。バジリスクは、きっとそこをねぐらにしていたのだろう。見ればうっすらと、鱗の跡が地面に残っている。
が、もうそこを棲み処とし、我が物顔で森を汚していたバジリスクは、いない。
残っているのは、巨大な土の壁と、無数の棘を生やした巨腕だけだ。それも、俺が魔力を注ぐのを止めると、徐々に形を崩していき、堆い土山に変わっていった。
「ほい、もう終わったぞノエル。目ぇ開けても大丈夫だ」
「ほ、本当? そ、そーっと…………ふわぁ……なにこれ、きれい……!」
蓑の奥からひょっこりと顔を覗かせたノエルは、降り注ぐ魔力を見て目を丸くしていた。
魔物を倒すと魔力に還る。それは、ダークドラゴンやエントを倒した時に見て知っていたけれど。
これだけのサイズの魔物が、しかも間近で倒されると――――こんなにも、美しい風景を生むものなのか。
俺たちは揃って、その光景に見入っていた。
そんな忘我の境地から、いち早く復帰したのは、意外にもポルトだった。
「…………はっ! ちょ、え、ま、待って、え、マジで? 本当に……バジリスクを、倒しちゃったの……⁉」
「ん? なんだ、なにを今更」
顔を突っついてくるポルトに、俺は呆れて応える。
バジリスクを倒したのは、もう何分も前の話だ。息絶える瞬間も、その死骸が爆散する光景も、一緒に見ていた筈だろうに。
それほどまでに、ポルトは自分たちが引き起こした現実を信じられないらしい。何度も何度も目をこすり、ほっぺを千切れるくらいに引っ張っている。
「夢じゃねぇよ。認めろ、現実だ。俺たちは、バジリスクを倒したんだ」
「…………へ? お、俺たちって……?」
「お前も入ってんだぞ、ポルト。お前が目くらましをしてくれたおかげで、作戦がスムーズに嵌まったしな」
「……あ、あたしの魔術で……バジリスクを、倒した……?」
「あー、まぁ、うん、語弊はあるが、それも正解っちゃ正解だ」
あんまり調子に乗られても鬱陶しいから、そこは言葉を濁しておく。
しかし、予想に反してポルトは騒ぎ立てることもなく、自分の手をじっと見つめて止まっている。なにか考え事でもしているんだろか。
とん、と軽く身体が傾くくらい、横から小突かれる。
「ん? なんだよ、ハサン」
「……お手並み、お見事だったわ。まさか本当に、バジリスクを倒すなんてね。ダークドラゴンを倒したっていうのも、この分じゃ、嘘じゃなさそうね」
「そりゃどうも。でも、お前らのおかげでもあるんだぜ? ハサン。『風神の蠢動』や『奴隷解放戦閃』、助かった。バジリスクの目を潰せたのは、お前とポルトのお手柄だ。感謝するぜ」
「…………そこが疑問なのだけど」
「ん?」
急に声を潜め、ハサンは言ってきた。
疑問? なにか今の戦闘で、不手際でもあっただろうか。自分で言うのもなんだが、割と鮮やかに決まった方だと思ったんだが。
「……石化が効かないあなたなら、最初から毒の視線なんか無視して、『黄泉王の巨腕』でもぶち込めばよかったじゃない。尾をあんな風に地面に縫い付けて、突進のコースを土の壁で狭めて――――やり方が迂遠だわ」
「……バジリスクは、蛇って生き物は全身が筋肉だ。一撃当てれば勝てる自信はあったんだが、相手のスピードがな、厄介だった。目を潰したのは、脚を潰すためでもあったんだ。まぁ、お相手さんに脚なんかなかったんだが」
「それでも、もっとさっさと倒せたんじゃないの? 私やポルトの魔術なんか使わなくても――」
「使わなきゃいけなかったんだよ。昨日の、あの状況になっちまった時からな」
「……まさか、ポルトのため? 妖精一匹のために、こんな大立ち回りを演じたの?」
「まぁ、魔物とはいえ、悪い奴じゃなさそうだしな。それに、困った奴は放っておけないんだよ」
「…………あなたが一番の困りものよ、えぇ本当に」
俺の意をばっちり汲んでくれたハサンは、がっくりと肩を落とし、深々と溜息を吐いた。
すまんね、こればっかりは性分だ。直らねぇ。
なにしろ猫一匹助けたばっかりに死んじまった男だからな、俺は。
――――と、その時。
「ぎぎぃ」
妙な声が聞こえた。
同時に、いつか聞いたような、小蠅みたいな不快感を伴う羽音が聞こえてきた。それも、一匹や二匹分じゃない、もっとたくさんの、なんなら無数の。
バジリスクが寝床にしていたであろう、洞穴の方へもう一度目をやる。
すると――――石化していたインプたちが、一斉に元に戻っていたのだ。
彼らは鋭い爪を剥き出しにし、小さな牙を見せながらこちらへ向かってくる。
どういうことだ? まさか、バジリスクが死んだから――――その毒の視線の効力も、切れたってことか⁉
「っ、きゃぁあああああっ⁉ ここ、今度はインプの群れ⁉ ななななんで⁉」
「狼狽えないでポルト。インプ程度なら、私でも――」
「いや、どうやら他にもいるみたいだぜ」
地中に巡らせていた魔力が感知する。
周辺の樹木が――――いや、樹木に見える魔物が蠢き始めるのを。
インプと同時に現れたのは――――大量のエントたちだった。
いや、エントとも、微妙に違う。顔がない。元々ただの樹だったものが、無理矢理動いているようにも見える。
まさかこいつら、エントに成ったのか?
バジリスクの身体から放たれた、大量の魔力を浴びて。
普通の樹が、魔物もどきに変じたのか?
「っ⁉ え、エントまで⁉ ま、まさかエイセン様、最初っからこのつもりで――」
「っ? どういうことよ、ポルト!」
「も、森の掟にあるんだ! 人間に、濫りに森の情報を渡しちゃいけないって! あ、あたしは、道案内して、人間に森の情報を渡しちゃったし、アルレッキーノたちは知っちゃったから――――あ、あたしたちを、全員、この場で、殺すつもりなんだぁっ‼」
「……っ、あり得るわね。くそっ、あの狸親爺――」
「それはどうかと思うけどなぁ」
「「こんな時にのんびりとしてる場合っ⁉」」
うおぉ、まさかハモりでツッコまれるとは思わなかった。
まったく、昨日話題に出てからすっかり悪役だな、エイセンの奴。まぁ、俺も気に入ってる訳じゃないが。
「くっ……この数はヤバいわね! アルレッキーノ! またさっきの奴で――」
「いいよ、俺がやる」
「え? で、でも――」
「――――『泥濘の棘波』」
静かに、魔術の名前を口にした。
ただし、地面に注いだ魔力の量は、バジリスクを貫いた時より、少し多めだ。
結果――――悲鳴が上がる間さえなく、全てのインプとエントもどきが、土製の棘によって串刺しとなって果てた。
インプは魔力と化して消えていき、エントのように動いていた樹木は元通り、物言わぬただの樹に戻った。
そして俺たちの目の前には――――巨大な結晶めいた棘の塊がが、現代芸術のように聳えていた。
「…………やっぱり、バジリスク討伐もあなた一人で充分だったんじゃない」
「そんなことねぇってば。みんなの力あってこその勝利だぜ。なぁ、ノエル」
「うん! アルはすごいねー、なでなでー!」
意味は分かっていないのだろうけど、とにかく満面の笑みでノエルは俺の頭を撫でてくれた。
あぁ、この笑顔だ。
この笑顔に、俺は一〇年間、ずっと救われていた。
その恩を、返してやんなきゃな。
家族を探し出すという――――彼女の望む形によって。
「さぁ、行こうぜハサン、ポルト。さっさとエイセンから、この森から抜けるルートを聞き出そう。こんな陰気な森、とっととおさらばしようぜ」
これにて一件落着! いざ、エイセンの元へ!
次回更新は明日22時頃! お楽しみに!




