第31話 夜の密談
水の跳ねる音が、心地よく聞こえる。
「そーっれ! ばっしゃーん!」
「うひゃぁっ⁉ ちょちょちょ、ノエル! そんなにぶっかけられたら溺れちゃうよ!」
「えへへ、ごめんねー」
「…………元気ねぇ、あなたたちは」
ピクシーの巣穴がある洞穴から、すぐ近く。
湧き水の溜まった小さな池で、ノエルとハサン、そしてポルトは、行水をしていた。
全員、水着なんて持っている訳もない。一糸纏わぬ姿を晒し、森の中で水の感触を楽しんでいる。
行水と一口には言うが、ノエルとポルトは水を掛け合い、水遊びに夢中になっている。一方ハサンは、浅い池の縁に座り、静かにその身を清めていた。水に入る際でも、口元を隠す布は欠かさない。褐色のなだらかな身体には、しかしやはり、所々に傷跡が残っていて、痛々しい。
「…………で、あなたはそこで突っ立っているだけかしら? アルレッキーノ」
「ん? 俺か?」
池の近くの壁に寄りかかる俺に、背を向けたままハサンが言ってきた。
やはり、口調的に男である俺に裸体を晒すのには躊躇いがあるのか、ハサンは服を脱いでからまったくこっちを向いてくれない。……正直、かかしという今の姿で興奮とかは特にしないのだけど、女性の裸とか、見れるものなら見ておきたいという下心はあった。
ノエルは幼過ぎるし、ポルトは小さくてよく見えん。
……まぁ、見たところでどうもできないんだけどな。かかしだし。
「ないとは思うが、いきなり魔物が襲ってきた時に備えてんだよ。決してお前らの裸が見たいとかいう目論見はない」
「ここまで語るに落ちるとは思わなかったわ……まぁ別に、見たければ見ればいいと思うけど。今更、気にはしないわ」
「……そういうこと言われると、見るのに抵抗が出てくるんだが……」
飄々と言ってくるが、ハサンの言葉は字面ほど軽くはない。
なにせ山賊によってその身を幾度も凌辱されているのだ。男というカテゴリ丸ごと嫌っていても、嫌だと思っていても、なんら不思議ではない。
……やっぱり、こんな下心は封印しておくべき代物だよな。
女性の裸を、例え本人の許しがあろうと濫りに見ようとするなんて、男として失格だ。
「アルー? アルはこっち来ないのー?」
反面。
無防備かつ無邪気なノエルは、すっぽんぽんの身体を隠すという発想がそもそもないのか、元気にこちらへぶんぶんと手を振ってくる始末。
来ないのー? って言われても……俺、かかしだぞ? しかも畑に立って最低一〇年物の骨董品だ。水なんか入ったら、傷口からみるみる傷んで腐っちまう。
「ここでお前らを見守るのが、俺の仕事だ。それよりノエル、ほどほどにしとけよ? 手加減しないと、ポルトの奴、本当に溺れるぞ?」
「そ、そうよ! アルレッキーノももっと言ってやって! あたしは――――わぷぁっ⁉」
「えへへへっ! 大丈夫だよ、ポルトってさいきょーなんでしょ?」
「あたしは最強のピクシーだけど、それでも水はヤバいってのー!」
……まぁ、楽しそうでなによりだ。
ポルト曰く、ここの湧き水はこの森でももう数少ない、バジリスクの毒の影響を受けていない清流だそうだ。今の内に、さっぱりしておくのはいいことだろう。
「ねぇ、アルレッキーノ」
「なんだ――――っとと。い、いきなりこっち向くなよ!」
ざぱぁっ、と音を立て、ハサンが立ち上がる。
水でしっとりと濡れた身体は、やや発育が足りないながらもどこか艶めかしく、ぴんと尖った胸が挑発的なラインで目に焼き付いてしまう。うっすらと筋肉の浮いたくびれも、形の良い尻も、男の目を釘付けにするほどに魅力的で――――水を弾く褐色の肌に、思わず視線が奪われる。
咄嗟に、俺は身体を九〇度転回し、ハサンの肢体から目を逸らす。
「……で、なんだよ。ハサン」
「…………あなた、女児の身体にしか興味がないかかしなのかしら?」
「んな訳ねーだろ! そりゃ女の身体っていったら、出てるところは出てて引っ込むとこは引っ込んでた方が――――っていやいや! だ、第一、俺はかかしなんだから――」
「……そうよね」
「? ……ハサン?」
「いいの。なんでもないわ」
言うと、ハサンは再び背を向け、池の端にしゃがみこんだ。
手のひらで水を掬い上げ、肩からかけ流す。その仕草一つ一つが、どこか妖艶で、目を引かれてしまう。ぼさぼさだった紫の髪も艶々と光り輝いて、とても、綺麗だ。
本当に――――山賊なんてやっていたとは、思えない。
……なんで、こんな娘が山賊なんかに――
「アルレッキーノぉっ!」
「ん――――んおぉっ⁉」
ばちぃんっ! と音を立てて。
ポルトが再び――今度は素っ裸で――俺の目に抱き着いてきた!
ただでさえ暗い中、ポルトの頼りない光魔術に頼っているというのに、視界の半分が塞がれる! しかも猛烈な力でだ! なんだなんだ、何事だ⁉
「もう無理ぃっ! 溺れるっ! 溺れちゃうからぁっ! アルレッキーノもちゃんと言ってやってよぉっ!」
「ポルトー? アルのとこいるの? 暗いよー」
「うっさいバーカ! あたしはやめてって何度も言ったもん!」
「うー、ごめんなさいぃ……」
「な、なななな泣かなくたっていいじゃない⁉ なんでこれっぽっちで泣くのよ⁉」
「な、なんでもいいから離せポルト! 取れる! 俺の目が取れるから!」
焦ったような声に、半分笑った嘘泣きの声。
賑やかな喧騒の中――――俺は、確かに。
僅かに笑ったような、ハサンの目を見た気がした。
†
「すぅ……すぅ……」
「う、うぅぅ…………お、溺れる……溺れちゃうぅぅ……」
身長差をものともせず、ノエルとポルトの二人が並んで眠っている。
二人とも一糸纏わぬ素っ裸で、服は大好評洗濯中だが、火の傍だし、寒いということはないだろう。それに、二人の身体には、ハサンが身に着けている外套がかけられている。
猟師の使う網を更に縫い直したのだろうか? 細かく編み込まれたその外套は、防御力の低いハサンの服装において唯一にして最大の良心だ。
で、そのハサンだが。
何故か眠ることなく、俺の隣に立っていた。
服は勿論洗濯中で、樹に吊るしてあるから――――当然のように、全裸で。
自らの秘部を隠すこともなく、手を後ろにした状態で、俺と同じように壁に寄りかかっていた。
「…………」
「…………」
「…………」
「…………」
き、気まずい……!
夜にハサンと二人っきりというのは、これが初めてではない。昨夜もそうだった。しかし、その時は食事を届けたくらいだったし、なにより、服は着ていた。
褐色の肌を、膨らみかけの双丘を、少し毛の生えた恥丘を、こうも晒してはいなかった。
……形容しがたい空気が、二人の間に流れている。なんだこれ、俺の理性が試されているのか? いやいや確かに俺ってば生まれ変わる前は健全な男子学生だったけど、転生した今となってはただのかかしですし――
「アルレッキーノ……」
「っ!」
そっと、倒れるように――――手折られるように。
ハサンが、俺の方に寄ってきた。
力を抜いて凭れ掛かり、身体を預けてきた。
――――正直に吐露してしまえば、今ほど自分の身体に触覚がないのを悔やんだことはない。未成熟な女性の身体が、俺の身体に触れているというのに、俺にはその感触を味わう機能がないのだ。
胸を俺の腕に押し当てるようにしながら、ハサンは言う。
「…………やっぱり、あなたはかかしなのよね。人間が魔術でかかしの振りをしているとか……そういうんじゃ、ないのよね……」
「……? ハサン……」
「……私、夜には全員の夜伽をするのが、務めだったから。身体で、あの男たちを悦ばせるのが…………私の、仕事だったから」
「…………!」
「……私、あなた相手じゃ、役立たずね……」
「……そんなことはねぇよ」
寂しそうにつぶやくハサンに、俺はそう言っていた。
役立たずだなんて、とんでもない。
それに、そんな価値観で自分の価値まで、測ってほしくない。
「俺はノエルにもハサンにも、ポルトにだって、『役に立ってほしい』なんて思ったことはないさ。役立たずだなんて嘆く必要はない。それに、お前はお前自身が思っている以上に、俺たちを助けてくれているよ」
「……昼間の、エントの件なら、それはやっぱり、あなたの魔力のおかげよ。私は、魔術のきっかけを提供しただけ」
「でも、ノエルを助けてくれた。そこになにか、打算や計算はあったか?」
「…………」
「仲間っていうのは、そういうもんだと思うぜ、俺は。役に立つ必要なんかない。傍にいるだけでいい、そう思えるからこその、仲間だろ」
「…………私は」
ハサンは、昨夜と同じように、口元を覆う布を取り払った。
現れるのは、傷跡だらけの口元。見れば、身体もただ艶めかしいだけではない。至るところに痛々しい傷があり、その痛みを想像するだけで、居た堪れない気持ちになる。
「私は……役に立たなきゃ、いけないの。そうじゃないと、生きている価値がないわ。だって――」
「もうそんな場所からは、離れちまったんだよ、お前は」
「…………!」
「他の連中がどう言おうと、ハサン、お前は俺とノエルの仲間だ。無理に役に立つ必要はない、一緒にいてくれるだけで充分な、そんな仲間だよ」
「……どう、して? 私が……私が、ノエルに、あの娘に知られたくない情報を、握っているから? あなたが、山賊を殺して埋めたことを、知っているからなの?」
「そんなんじゃねぇよ。まぁ黙っていてほしいのは本当だけど――――なんていうか、あの時のお前は、困っていただろ? 属していていいって、許された山賊がいなくなって」
「…………」
「困ってる女の子を見たら、助けちまうのが男の性なんだよ」
「……なによ、それ。ばっかみたい」
「おー、バカで結構。こちとらそのバカをやった所為で、こんな世界に転生しちまったんだしな」
「……こことは違う世界から来たって話? それ、本当なの?」
「本当だよ。一〇年前まで、俺はこことは全然違う世界で、普通に生きてたんだ。普通、よりはちょっとばかり正義感強めにな」
「……なんで、こっちの世界に? それも、かかしの姿で」
「猫を庇って死んだらこうなってた」
「なにそれ。…………あなたって、かかしになる前からバカだったのね」
「あぁ。そのバカで、女の子一人救えるなら、安いものさ」
「…………バカ」
にっ、と、ハサンは不器用に微笑んだ。
口元の布を巻き直しながら、ハサンは質問をしてきた。
「明日はバジリスクを倒さなくちゃいけない訳だけど…………勝機はあるの?」
「なんだよ。ポルトだけじゃなく、お前まで不安なのか?」
「……あなたの強さは、身に染みて分かってるわよ。でも、バジリスクは俗に言うS級の魔物。『聖都』の魔術師が十数人がかりで、ようやく互角の勝負ができるっていう、化物中の化物よ? そんなのを相手に、あなた一人で――」
「一人じゃないさ。お前がいる。それに、ポルトもいる」
「……私はともかく、ポルトも?」
「あぁ。二人が協力してくれるなら、確実にバジリスク如きぶっ倒せるさ」
「ご、如きって……大きく出たわね。……協力しなかったら?」
「力づくで突破するだけだ」
「……ノエルもそうだけど、あなたも充分、助けてあげたくなるような性格してるわよ」
「そうか?」
「えぇ」
それだけ言うと、ハサンはノエルたちと同じように外套に潜り込み、静かに青い目を閉じた。
――――明日のバジリスク退治。
まぁきっと、俺一人でもどうにかなる。だがそれじゃ、ポルトがこの場所まで寄り道したことの言い訳にはならない。
勝った上で、倒した上で、ここに来た理由付けをしなければならない。
まったく、無理難題を突き付けてくれるぜ――――けど。
「よりによってバジリスクとはね。元・現代の高校生を舐めんなっつーの」
アルレッキーノ、バジリスク相手に勝算あり……⁉
次話更新は1時間後! お楽しみに!




