第29話 疑惑の眼差し
「このあたしについてきなさい! あなたたちを、バジリスクの下まで華麗に案内してあげるわ!」
薄い胸をこれでもかと張りつつ、ポルトが宣言してから、もう何時間経っただろうか。
俺たちはひたすら、鬱蒼と樹々の茂る森の中を歩いていた。
奥に進めば進むほど、道は狭く、樹の枝に遮られて陽の光さえ届かない。足元もどんどん悪くなっていき、時折ハサンが足音を立ててしまうほどだった。
歩き疲れてしまったノエルは、俺に負ぶわれ、蓑の中ですややかな寝息を立てている。
「ねぇ。まだなのかしら?」
ぱきっ。
今日は珍しく、足音を連発しているハサンが、苛ついたように口を開いた。
無理もない、もう随分な時間歩いているし、人間であるハサンは疲れてしまうのが当然だろう。かかしの俺や、宙に浮かんでいるポルトは疲労とは無縁だが、人間はそうもいかない。ちょうど、俺の背中で寝ているノエルのように。
薄暗い森は、時間の感覚さえ奪っていくから。
精神的な疲労度も考えれば、ハサンの口調も已む無しといったところか。
「もう随分歩いているけれど…………バジリスクの巣はまだなの? ポルト」
「ま、まだまだよ。全然まだまだ! あなた、ハサンっていったわよね? ここがどこか知っている? ここは人呼んで『惑いの森』! なんでそう呼ばれるか分かるかしら⁉」
「…………」
「人が思わず戸惑って、迷いに迷って遭難してしまうほどに深く! 難解で! 入り組んだ森だからそう呼ばれているのよ! あなたたちが引っ掛かったエントのイタズラなんか、この森では序の口よ。本領はとにかく茂りに茂って茂りまくる、この樹々たちなんだから‼」
「……あっそ」
ハサンは、これ以上ポルトの高い声を聞くのも嫌だと言わんばかりに、力なく頷いた。
まぁ確かに、ポルトの言うことにも一理ある。
鬱蒼と茂る樹々。それによって遮られる日光。光を失ったことにより、奪われる平衡感覚と時間感覚。それは徐々に人から正気を奪っていき、さらに石や樹の根などの障害物だらけの足場は冷静さを削いでいく。
そうなってしまえば、もう遭難は確実だろう。
『惑いの森』――――初めはエントが大量にいるだけの森だと思っていたが、この数時間、エントとは一体も遭遇していないし、単なる虚仮威しではないという訳か。
「なぁポルト。一つ訊いていいか?」
とはいえ、黙々と歩くのは性に合わない。
こんな暗い中、葬列みたいに黙って歩いていたんじゃますます気が滅入ってしまう。少しでも場の雰囲気を和ませる意味でも、俺はポルトに話しかけてみた。
「? なにかしら? あたしに訊きたいこと?」
「あぁ。俺が聞いた話じゃ、魔物は魔力でできているんだろ? だから、魔力を削って行使する魔術は、使えない筈だって聞いてたんだが…………お前は、さっき見せてくれた通り、魔術が使えるんだよな?」
「えぇそうよ!」
どんっ、と自分の胸を叩き、軽く噎せるポルト。
調子に乗りやすい奴だな…………ノリはリュアを思い出す。あいつは、ここまで自信過剰ではなかったけどな。自分の実力に関しては、寧ろ謙虚だった気さえする。
「あ、あたしはね……ごほっ、ごほごほ……。えっへん! あたしはね、群れのピクシーの中でも唯一、魔術を使うことができるの! すごいのよ! だって唯一無二だもん! あたしが最強! ナンバーワンね!」
「どうしてだ?」
「へ?」
「いや、だからどうして、お前だけは魔術を使えるんだ? 他のピクシーは使えないんだろ?」
「…………どうしてって訊かれても……うーん。なんでかしら。パパもママも、普通のピクシーだしなぁ」
「? パパもママもって……お前、両親がいるのか?」
「なに言ってんの? 当然じゃない。あ、かかしだから分かんないかな?」
……そう、だよな。言われてみれば当たり前だ。
魔物だって生き物なんだし、子がいて親がいるのは…………いやいや、ちょっと待て。
魔物って、身体が全部魔力でできているんだよな?
現にこうしてポルトという魔物の二世がいるということは、じゃあ魔力で内臓まで全部作られているっていうことなのか?
今まで倒してきた魔物は、全部倒すと爆発四散して、完全に魔力に還元されていた。だから、俺は勝手に魔物って奴は、魔力の詰まった風船みたいなイメージでいたんだが……。
違うのかな?
しかし、だとしたらエントとかトロントとか、どうやって子供作るんだろうな……魔物の生態に、少し興味が湧いてしまった。
「質問は終わりかしら? あたしも一つ、あなたに訊きたいことがあるんだけど」
「ん? 俺か? いいぜ、なんでも訊くといい」
「あなた、かかしでしょ? なんで動いて喋って、魔術まで使えているの?」
「…………さぁ?」
意地悪でもなんでもなく、俺はそう答えるしかなかった。
寧ろ俺が知りたいわ、その辺の事情は。
「魔物、ではないんでしょ? 実はエントの死骸から作られたとか? あ、でもエントは死ぬとすぐに魔力に還っちゃうんだっけ……」
「まぁ俺は、昔こことは違う世界で生きててな。そっちで死んで、生まれ変わったらこの世界でかかしやってたんだよ。で、気づいたら動けてたし、喋れてた。魔術も使えてた」
「こことは違う世界? なにそれなにそれ? 詳しく聴いてみたいわ!」
「バジリスク討伐が終わったらな。ちゃっちゃと済ましちまおうぜ、こんな面倒事」
「あう…………そ、そうね。さーぁついてきなさい! このポルト様が導いてあげるんだから!」
「その前に、ポルト」
と。
今までずっと口を噤んでいたハサンが、静かに声を出した。
「? なにかしら?」
「この先、さすがに暗過ぎるわ。夜目が利く自信がある私でも、もうあんまり見通せない…………明るくすることはできないかしら? あなたご自慢の光魔術で」
「なぁんだそんなこと? まっかしときなさいって! まったく、これっぽっちの暗闇でものが見えなくなるなんて、人間ってば下等生物ね!」
俺の横に立つハサンが、怒りを抑えているのがひしひしと感じられる……。
なんとも無邪気なその表情を見る限り、ポルトの奴、本気で悪気なく煽ってんだろうなぁ…………一番性質が悪い。
ハサンから溢れ出る怒気にてんで気付かないポルトは、指をぴんと伸ばし、指揮棒のように振った。
「灯せ!『ヘスダーレン』!」
ポルトも、リュアの言っていたコツ通り、魔術には名前を付けているみたいだ。
魔術名と思しき名詞を口にすると、ポルトの小さな人差し指の先端に、豆電球程度の光が灯った。その光は、宙にくるくると線を描き、数秒間、その場に滞空し続けていた。
「えひひひっ! すっごいでしょこの魔術! 空に落書きだってできるのよ! 数秒間しか持たないけど…………でも、どうかしらハサン! これで前が見えるようになったかしら⁉」
「……えぇ、おかげでよく見えるわ。アリガトウネ」
「えひひひひひひひひっ! いいのよそんなお礼なんて! えひひひっ!」
うわぁ……皮肉に気づいてもねぇ。
後々痛い目を見るんだろうなー、と思っていた、ちょうどその時。
「さぁ! この最強なあたしを先頭に、いざバジリスク討伐隊出ぱ――――きっ、きゃぁあああああああああああああああっ⁉」
甲高い悲鳴を上げ、ポルトが物凄いスピードで俺の顔めがけて飛んできた。
眼球代わりの赤いボタンにしがみつき、ぶるぶると震えている。半分になってしまった視界には、光の筋が一条残っており、その先端に、悲鳴の元になったと思しき存在がいた。
「……なんだ? こいつ」
小さななにかが、宙に浮かんでいる。
二枚の翅で空を飛ぶそれは、しかしポルトのような人型をしていない。手足はあるが、肌の色は浅黒く、サイズに反して巨大なその頭の半分ほどを眼が占めている。そして、額には弱々しい角が一本。
どう考えても魔物です。本当にありがとうございます。
しかし、お世辞にもあんまり強そうには見えないな…………。
「こいつはインプね。低級の魔物で、群れで人間一人を襲ったり、小動物を傷つけてそこから魔力を奪う奴よ。……まぁ、はっきり言って雑魚ね」
「そうか。…………念のため、駆除しておくか」
言って、俺は足元から地面に魔力を注ぎ込む。
すると、たちまちインプの真下から細い腕が伸び、その小さな身体を握り潰した。瞬間、「ぴぎぃっ!」と小さな悲鳴が聞こえたが、死体から血が流れ出ることもなく、インプは魔力へと還っていった。
確実に、今まで戦った中で一番弱い魔物だったぞ……。
戦いにすらなってないというか。
「おい、終わったぞ、ポルト。もうインプはいないから」
「ほ、本当⁉ 本当よね⁉ 嘘じゃないわよね⁉ 嘘だったら燃やすわよ⁉」
「嘘じゃねぇよ、自分で調べてみろ」
「ちょ、ちょっと待ってて。本当、ちょっとだけだから! ちょっとだけ待っててね!」
そういいつつ、なかなか目ん玉から離れてくれないポルト。
ようやく俺の目から手を離したのは、それから何分も経ってからだった。インプがいないのを確認すると、ポルトは再び胸を張って言う。
「さ、さぁ! このあたしについてきなさい! バジリスクなんて、あたしがけちょんけちょんにしてあげるんだからぁ!」
「……ハサン。こいつ、本気でバジリスクをどうこうするつもりなのかねぇ?」
「アルレッキーノ。あなた、カマキリに食われるチョウがドラゴンに勝てると思う?」
ポルト、お前の最終的な査定結果は『カマキリに食われる』というオプション付きの蝶々だそうだ。
うん、俺もそれが妥当だと思う。
まだまだ道は長い、のか……?
次回更新は明日22時頃! お楽しみに!




