第28話 妖精ポルト
「え、えひひ……やっぱ、バレてます、よね……?」
その妖精は、照れ臭そうに頬を掻きながら笑った。
そんな小さな挙動を目にするのも困難なほどに、彼女は、小さかった。
スタイルのいい八頭身をしているのに、身体の全長がノエルの顔の大きさと大して変わらないのだ。ちょっとした動きは見逃してしまいそうになるし、今みたいにキラキラ光っていなければ、そもそもどこにいるのかさえ分からなくなってしまいそうだ。
ポルト、と呼ばれたその妖精は、樹の皮を鞣したワンピースの裾を摘み上げつつ、エイセンの目の前で恭しく礼をした。
「ごめんなさい、悪意があったのではないのです。ただ、エイセン様の方で大きな音が聞こえたので、心配になって……」
「嘘を吐け。余所者の気配を嗅ぎつけて、様子を見に来たのだろう? 儂にその程度の嘘が見破れんとでも思うとるのか。まったく…………お主は口を開けば嘘ばかり――」
何故だか、出てきた妖精はすっかりエイセンに説教を食らってしまっている。
エイセンに寄り添うように立っていたハサンは、身動きが取れなくなっている。困ったような目線をこっちに向けてくるが、そんな目で見られても俺にはどうにもできん。そこの空気にひたすら耐えてくれとしか言えん。
それより、気になったのは、妖精についてだ。
「なぁ、ノエル」
小さな声で、傍らにいるノエルにしか聞こえないように話す。
意を汲んでくれたのか、ノエルは首を傾げながらも同じく小声で応えてくれた。
「? なぁに? アル」
「あの妖精……って言って、通じるか? あいつ、一体なんなんだ? あれも魔物なのか?」
「んと、あの小さな女の子のこと? うん、ピクシーっていう魔物だよ。森に棲んでて、イタズラ好きな困った魔物なの。でも、花の蜜とかを飲んで過ごしてて、人間を襲うことはないみたい…………って、おかーさんの読んでくれた絵本には書いてあったわ」
「なんでも書いてあるな、その絵本……」
さっきハサンもツッコんでたけど、一体どういう絵本を読まされてきたんだか……。
――――やがて、エイセンは一頻り説教し尽くしたのか、満足気に息を吐いた。
その隙を、ひたすらエイセンの隣に立たされていたハサンが見逃すことはなかった。話がこれ以上脱線しない内に、本筋へと戻しにかかる。
「エイセン殿。こちらのピクシーが、私たちを案内してくださるということですか?」
「ん? あ、あぁ、そうでしたな。お待たせして申し訳ない…………えぇ。こちらは、ピクシーのポルトといいましてな。ほれ、ご挨拶なさい」
「は、はいっ!」
ポルトと呼ばれた妖精は、翅を羽ばたかせながら少し下がり、俺とハサンを同時に視界に入れられる位置へと移動する。
本当、見れば見るほど小さな身体だ。それでいて、今まで見たどんな魔物よりも人間に近い形をしており――――正直、素直に魔物として見ることができない。
まぁ道案内をしてくれるというんだし、無駄に敵視する理由もないか。
「初めまして皆々様。あたしはポルトと申します。以後、よろしくお願いいたします」
「……アルレッキーノだ。こっちはノエル。そっちに立っているのはハサンだ。こっちこそよろしくな」
「っ⁉」
「ん?」
「…………い、いえ……なんでもありません……」
ふい、と顔を逸らすポルト。
んー……? 今、ポルトの奴確かに、なにかに驚いたようなそぶりを見せたんだが…………気の所為か?
「おほんっ。……えー、バジリスクの巣穴の位置については、ポルトも知っておりますでな。すぐに案内させますで。ポルト」
「は、はい! エイセン様!」
「儂はもう寝る。バジリスクの毒が、いよいよ眼以外も侵蝕してきたようでな…………後は、頼んだぞ。この方々を、あの忌々しい蛇の下へ案内をしてくれ……」
「か、畏まりました!」
言うと、エイセンはポルトの返事も待たずに目を閉じた。
本人の言う通り、毒が全身に巡っているのだろうか。眠りに就いたと思われるその身体を改めて見ると、枝は随分と細く、幹の巨大さにとても見合わない。右眼も酷い状態になっていたし、もしかするとここら一帯のエントを倒してしまったことは、俺が思っている以上にエイセンにとって痛手だったのかもしれない。
まぁ、だからといって魔物を倒すのをやめろと言われて、聞く気はないけどな。
こちらに――人間に――害を為してくるようなら、悪いが敵対させてもらう他ない。
……今回みたいに、魔物同士の諍いに巻き込まれるとは、思っちゃいなかったけどな。やれやれ、また寄り道か。
「……えひひ、どうやら寝たみたいね」
と。
聞き覚えのある、しかしワントーン低い声が不穏に聞こえてきた。
見ると、ポルトがエイセンの左目だった部分に近づき、げしげしと容赦のない蹴りを入れていた。胸と身長以外はモデル体型のポルトは、脚がすらりと細長く、その分、蹴りの勢いも強かった。しかし、エイセンはピクリとも起きる気配を見せない。
低く、そして嬉しそうな笑い声が響いた。
「えっひひひひひひ! あーうるさい奴が寝ちゃって清々したわ! まったく、ちょっと覗き見してたくらいでうるさいったらないのよ、エイセンのクソジジイったら! そのまま一生眠ってろって―の!」
俺もノエルも、ハサンさえも、唖然とした。
高笑いを上げ、悪態を吐きながらエイセンの身体に蹴りを入れているのは――――ついさっきまで恭しく畏まっていた、ポルトなのだ。
一瞬、ジキルとハイドみたいに別人格が現れたかのかと思うほどの豹変ぶり。目をぱちくりさせてそれを眺めていると、ポルトはゆっくりと俺の方へ向き直った。
ジーっと、俺のことを真っ直ぐな目で見つめている。
「……な、なんだよおま」
「すっごーい! かかしが、かかしが喋ったわ! 知らなかったかかしって喋るのね! 外の世界ってやっぱり不思議で魅力的ぃ!」
しゅばっ、と素早く翅を羽ばたかせ、ポルトは一瞬の内に俺の眼前に移動していた。
な、なんか、リアクションがノエルと似てるな…………この世界で幼い子供っていうのは、どいつもこいつも本当はこんなテンションなのか?
「……あなた、ポルトっていうの?」
「んー? あ! あなたはノエルっていう子だったわね! うん! あたしはポルト! ピクシーのポルトよ! うわぁ! あなた、髪の毛サラサラね! 綺麗だわ、それに真っ黒だわ! 不思議不思議! ピクシーなんてみんな金髪ばっかりなのに!」
ポルトは次の標的を定めたように、今度はノエルの髪の毛の中に潜り込んだ。
ノエルの絹のように艶やかな髪の中を、ポルトは泳ぐように移動している。髪の毛がぐちゃぐちゃに絡まってしまい、すぐに遭難してしまったが。慌てふためくポルトを、ノエルが一緒にあわあわしながら救出している。
……なんだこの光景、癒される。
困ったような目を向けられても、俺だって困る。丸太の腕でどうしろというのだ。
仕方なく、俺は溜息を吐くついでにハサンに視線を送る。ハサンはボタンでできた俺の目の意を汲んでくれたのか、俺と同様に溜息を吐き、ポルト救出に加わってくれた。
もつれた髪の毛からポルトが抜け出せたのは、約五分後のことだった。
「ぷはぁ! びっくりしちゃった、あんまりにサラサラな髪の毛だったから、思わず溺れちゃったわ。人間の髪って怖いのね……!」
「! あ、アル……わ、わたしの髪って……怖い、の……?」
「怖くねぇよ。髪が怖いってどういう発想だよ」
「まったくよ。あんまり手間取らせないで――」
「あー! あなた! あなたも不思議ね! その髪の色! ブルーベリーみたいでとっても綺麗だわ!」
懲りてないのかこいつは。
今度はハサンの髪の毛に突進していきやがった。
ベリーショートのハサンの髪に、絡まることはまぁないだろうけど――――けど、あまり暴れられて、顔の布が取れてしまっては大変だ。
あの傷は、本人が希望する以外では見せたくないだろうし。
案の定、今度は絡まることのなかったポルトは、蠅のようにぽいと払われてしまっていた。
「もう、酷いなぁ! せっかく人間と出会えたのよ⁉ もっと色々見せてちょうだい! ハサン、っていったっけ? あなたの肌の色も素敵! 常夏の国ではみんな肌が焼けて黒いんだって聞いてたわ。でもあなた、黒っていうより茶色よね。あたしたちと全然違う! 不思議だわ!」
「……そんなことより、ポルト。あなた、私たちをバジリスクの下へ案内してくれるんでしょう?」
「っ……、え、えぇそうよ! 感謝しなさい! このあたしが、あなたたちをバジリスクの下まで導いてあげるわ! いいえ、それだけじゃない――――バジリスクなんて、あたし一人で華麗に倒してあげちゃうんだから!」
おぉ、今度は急にどうした?
いきなりの上から目線と、唐突な宣言に、俺たちは再びあんぐりと口を開ける他なかった。俺の場合、開ける口さえないから、ただぼーっと突っ立ってるだけだ。
え? 今この妖精、なんて言った?
バジリスクは自分が倒すって?
「ハサン。ピクシーがバジリスクを倒すのって、可能なのか?」
「……あなた、アリがドラゴンに勝てるかって質問を他人にする?」
「OK。どれくらい差があるのかは痛いほどによく分かった」
「し、失礼ねハサン! あたしは、ただのピクシーじゃないわ! あたしはね、生まれた時から特別なピクシーなのよ! いわばハイピクシー! いいえスーパーピクシーね! まったく新しい新種の魔物として、頭に確と刻み付けなさい!」
「特別?」
ハイピクシーだかスーパーピクシーだかは知らないが、一つ引っかかったのは。
特別――――その言葉の意味だ。
「ふふん! 聞いて驚きなさい! あたしはね、なんと! 魔物には不可能だと言われていた魔術を、使うことができるのよ! しかも、光属性の魔術をね!」
「魔術を? 魔物が?」
え? それって不可能なんじゃなかったっけ?
魔物は、身体全部が魔力でできている。魔術を使うということは、魔力を消費するということだから、魔物が魔術を使うのは、自ら己の身を削っているに等しい筈。
だが、堂々と胸を張るポルトが、嘘を言っているようにはとても見えない。
「嘘ね」
だが。
世の中にはどんなに堂々としていても、そんな態度に騙されない奴もいるのだ。例えばハサンとかな。ハサンは冷淡に、非常に冷たい声と視線でバッサリと切り捨てた。
「魔物は魔術を使えない。これは常識よ。そんな小手先の嘘で私たちを騙そうだなんて、甘く見られたものね。なにが目的かしら?」
「う、嘘じゃないわ! 第一、そこのかかしだって魔術使ってたじゃない!」
「いや、俺魔物じゃねーもん」
「アルは魔物じゃないよ?」
「アルレッキーノは魔物じゃないからね」
「三人がかりで言われなくても分かったわよ!」
「第一、光魔法を使えるだなんて、狂気の沙汰の嘘ね。光魔法の適合者は、一〇〇〇人に一人いればいい方だっていうくらいの確率よ? その分、効力は強いらしいけど…………そんな一〇〇〇分の一の確率が、まさか魔物だなんて、そんなことあり得る訳が――」
「うー! いいわ、そんなに言うなら見せてあげる! 動かぬ証拠ってやつをね!」
言うと、ポルトは俺たちの背丈より少し高い位置まで飛翔した。
まるでIT企業の関係者みたいに、ろくろを回すポーズを取ったポルトは、なにやらぶつぶつと呟いている。元々身体が小さいのに加えて、声まで小さくてはさすがに聞こえない。呪文詠唱と思しきそれは数秒で終わり、祈るように目を閉じていたポルトはカっと目を見開いた。
「灯せ!『ドッペルゲンゲル』!」
高らかに魔術の名前を叫ぶ。
その雄叫びとは裏腹に――――俺達の目の前には、小さな光の球が一粒、ゆっくりと落ちてきた。
…………え? これだけ?
これが、光魔術?
俺の困惑は、ノエルもハサンも同様に感じているらしく、ハサンは恐る恐るその光球に手を伸ばしていた。指先が触れそうになった、その瞬間。
「熱っ」
ひゅっ、と素早くハサンが手を引っ込める。
なるほど、光っているだけではなく、熱エネルギーも持っているようだ。火球、という奴を生み出せる魔術なのだろうか。リュアの使う炎魔術と、あんまり変わらないような気もするが……。
光球はやがて、ゆっくりと地面に落ち、じゅっ……、と花火を水につけたような音を立てて消えた。
「はぁ、はぁ、はぁ――――ど、どーよ! この光魔術があれば、あたしはこの森で最強! 無敵! 最高なんだから! バジリスクなんて、あたしが一撃で吹き飛ばしてあげるわ! あなたたちは、あたしの輝かしい伝説の目撃者として、特別に案内してあげるんだからね!」
小さな火球一個作り出しただけで、全身に汗を浮かべるポルトがなんか言ってる。
……まぁ、前言は撤回しよう。ポルトは魔物だが、何故か魔術は使える。ここまではいい。
いや、想定外ではあったけどな。しかし、実物を見せられれば認めざるをえまい。正直、非常に驚いたというのが感想だ。どういう原理なのか…………もしかして、ポルトも俺と同じように、異世界からの転生者なのだろうか。
まぁ、それは後で本人に聞けばいいとして。
「なぁ、ハサン。ポルトの奴、バジリスクに勝てると思うか?」
「アルレッキーノ。あなた、セミがドラゴンに勝てるかって質問を他人にする?」
よかったな、ポルト。
アリからセミにはランクアップできたみたいだぞ。
案内役は、魔術が使える魔物? この先や如何に!
次回更新は明日の22時頃! お楽しみに!




