第27話 エイセンの頼み事
「条件、と言いますと……?」
エイセンの言葉に、ハサンは慎重に応えた。
俺とノエルは、後ろで動向を見守っている。俺はどうしても言葉が荒いし、ノエルはきっと事の成り行き自体よく分かっていない。こういう交渉事は、山賊として幾度となく修羅場を潜り抜けてきた、ハサンに任せるのが得策だろう。
勿論、法外な条件だったら突っ撥ねる他ない。例えば失った魔力の供給源代わりとして、ハサンやノエルにその身を捧げろとか、腕一本置いていけとか言うんだったら、即座に俺の魔術が唸るまでだ。
しかし、エイセンが提示した条件は、意外なものだった。
「この森の奥、その行き止まりに一匹のバジリスクが棲みついておりますでな。ハサン殿ご一行には、そのバジリスクを駆除していただきたい」
「……はぁ?」
思わず、俺はそんな声を出していた。
バジリスクというその名前には、聞き覚えがあった。小鳥からも、そして、それ以前からも。
この世界において、魔物と称される巨大な蛇だ。しかも相当強力な。
けど、しかし。
「おいおい、どういう訳だ? あんた、魔物だろう? なのに、同じ魔物の討伐を、俺らに頼むのか?」
そうだ、そこがおかしいのだ。
人間から魔物を倒すよう頼まれるなら分かる。理解できる。けど、今話しているのは害はないとはいえ、れっきとした魔物だ。その魔物から、同じ魔物を倒すよう頼まれるだと? それはさすがにおかしいだろう。
「ほっほっほ。『同じ』魔物ではありませぬ。儂はトロント、向こうはバジリスクですぞ」
「そういう意味じゃねぇよ」
「知っておりますとも。しかし、例えばあなた方とて、善良な村人に悪辣な山賊退治を依頼されれば、それを断る理由はないでしょう? 同じことでございます」
さっき、ハサンが自分のことを山賊崩れと称したからだろうか。妙にタイムリーな例えだった。
それとも、小鳥や他の動物から、俺と山賊とのことを知っていて言ってるのか……?
「…………」
「ほっほっほ。あくまで例え話でございますよ、アルレッキーノ殿。しかし、儂もほとほと困っておりますので。バジリスクというこの魔物、儂にとっては百害あって一利なし、正に迷惑この上ない存在でございまして」
「……どういうことですか?」
「ハサン殿。バジリスクの生態について、どの程度ご存知ですかな?」
「……魔物の中でも最上位、S級と称される魔物ですね。口からは毒を吐き、目を合わせた者を石化させてしまうと言われています。また、牙からは常に猛毒の雫が滴っていて、近づくだけでも危険だとか――」
「そうです! それこそが、迷惑千万な理由なのです!」
急にエイセンは語気を荒げ、バサバサと頭上の木の枝を大きく揺さぶった。
瑞々しい木の葉が、雨のように降り注いでくる。何枚かはノエルの長い髪に引っかかり、ノエルをまるで森の妖精のように飾り立てていた。
リュアのお下がりである真っ赤なワンピースだけは、綺麗にこの森から浮いていたが。
「儂らトロントは、根から地中の魔力を吸収して生き永らえている魔物です。しかし、その地中に最近、バジリスクの毒が混じり、儂らはそれと気づけずに、魔力と一緒にその毒をも吸収してしまうのです。お陰でほれ、この通り」
言って、エイセンは今まで閉じていた右眼を、ゆっくりと開いた。
……一言で言ってしまえば、『醜悪』だ。果実が腐ったかのようにぐちゃぐちゃに潰れた右眼には、最早生気が感じられない。瞼が開いた瞬間、ハサンとノエルが一瞬顔を顰めた辺り、腐敗した臭いも酷いのだろう。どろりと融けた眼球は、今にも眼窩からこぼれ落ちてしまいそうだった。
痛覚のない俺でさえ身震いするほど、痛々しい。
「これだけではありませぬ。以前よりも葉は減り、この声も濁ってしまいました……。全ては奴が……バジリスクが、この森を住処と定めてから起こったことなのです。まったく、獲物となる人間などほぼ来ないこの森に、何故あのような強力な魔物が棲みついているのか…………理解に苦しみますな」
「おいたわしいことですわ、エイセン殿」
ハサンはようやく立ち上がり、エイセンの腐敗した右眼球に寄り添っていく。
触れることさえ躊躇われる、ぐちゃぐちゃに蕩けた眼球。それを恭しく撫で、ハサンはふやけてしまいそうなほど優しく、布で隠された口を動かした。
「私も同胞である山賊から傷をつけられた身…………その辛さは、痛いほどに理解できます。バジリスクのことが、許せないでしょう。できることならば、自分の手で屠ってしまいたいと、そうお思いになるでしょう。それは、当然のことですわ」
「おぉ……分かってくれますかな。ありがたいことですな……!」
「えぇ、分かりますとも。ご安心なさってください、バジリスクなど、我らが見事討ち滅ぼしてくれましょう――――できるわよね? アルレッキーノ」
「へ? 俺?」
いきなりの名指しに、思わず変な反応を返してしまった。
そりゃまぁ、バジリスクを倒すとなれば、主戦力になるのは俺だろうけどさ。
「まぁ別に、できるとは思うぜ? もう何日も前になるけど、俺、ダークドラゴンを倒したこともあるし」
「え⁉ だ、ダークドラゴンを⁉ それ本当なの⁉」
「ほ、本当ですかな⁉ ダークドラゴンといえば、数ある魔物の中でも最上位の怪物ですぞ⁉」
あ、そういえば話してなかったっけか。
俺の後ろから、おずおずとノエルが出てくる。俺がダークドラゴンを倒したことの証人は、考えてみればノエルしかいないんだったか。
「ほ、本当だよ? わたしのこと、アルは助けてくれたの。こう、地面がね、ぐさぐさぐさーって! すごかったんだから!」
うん、何一つ伝わらない俺自慢をどうもありがとう。
とはいえ、ダークドラゴンを倒した、という実績は、エイセンのみならずハサンの心にも、大いに響いたらしい。二人とも目の色が明らかに変わっていて、なんだかノエルが俺を見る目に似ていた。
「で、ではアルレッキーノ殿。此度のバジリスク退治、お願いしてもよろしいですかな? 勿論、成功すればこの森から抜ける道筋をお教えしましょう。訳あって、他の者を介す形にはなりますが…………しかし、お約束は致します!」
「あぁ、いいぜ。バジリスク退治、このアルレッキーノが確と承った」
断る理由がないし、なによりこの森を抜ける道を知るには他に選択肢がない。
第一、魔物を相手にする方が、人間を相手にするよりよっぽど気が楽だ。もう二度と、あんな悪夢みたいな思いはしたくない。思い出しただけで鳥肌ものだ。
俺はエイセンからの申し出を、二つ返事で承諾した。
「とはいえ、エイセン。さすがに『どこにバジリスクがいるのか』くらいは教えてくれよ。分かってはいるんだろ? 探すところまで俺たちに任されたんじゃ、負担がさすがにでかいぜ。またエントとか、他のトロントとかと出くわして、森を無駄に荒らすのも避けたいしな」
「えぇ、存じておりますとも。しかし見ての通り、儂はここから動けないものでしてな。代わりに道案内する者を手配いたしますな」
「道案内?」
「――――ほれ、来ておるのだろう? 顔を出しなされ、ポルトや」
エイセンが呼びかけると、その背後から、小さな光が浮かび上がってきた。
いや、違う。それは単なる光じゃない。
光を纏った、小さななにかだ。
よく目を凝らして見ると――――それは小さな人間の形をしていた。
金色のポニーテール、緑の眼、人間とは違って尖った耳。樹の皮を鞣して作ったような衣装に身を包んだそれは、左右二対四枚の翅を動かし、宙に浮かんでいる。
紛れもなく、その姿は――――絵本に出てきてもおかしくなさそうな、妖精のそれだった。
動く樹、喋る樹と来て、今度は妖精……⁉
次回更新は明日22時頃! お楽しみに!




