第18話 慰み者のハサン
その少女の姿に、俺は見覚えがあった。
ブルーベリーを思わせる、暗い紫色の短髪。ぼさぼさの髪の下、褐色の肌をした顔はきつい目つきをしており、下半分は何故か布で隠されている。服装は真っ黒な外套を纏っているが、その下は布をテキトーに巻いただけで、非常に露出が多く危なっかしい恰好をしている。
彼女は、そうだ、数日前、俺とノエルが初めてステュクス村を訪れた時。
夜中になって襲撃してきた山賊たちに、乱暴を働かれていた少女だ。
確かその時は、『ハサン』と呼ばれていた。……それが、彼女の名前だろうか。
「…………!」
いや、名前なんて今はどうでもいい。
とにかく、一刻も早く、この少女を殺して隠さないと――――
「っ……!」
待て、待て待て待ってくれ。
俺は今、なにを考えた?
一瞬だけ脳裏を過った、悍ましい考えに思わず首を振る。殺して、隠す? それは、それは本来、やってはいけないことだ。人を殺すなんて、絶対にやってはいけない禁忌――――
あぁでも、俺はそれを、ついさっき、やってしまったのだ。
どうしよう。山賊の一人である少女相手に、俺は取る行動を図りかねていた。
少女は鋭い目つきで、俺のことを睨んでいる。
や、やはり仲間を殺されて、怒り心頭なのだろうか。俺は、俺は一体、どうすればいい?
「こ、これは……」
思わず声に出してしまったが、その先になにも続かない。
なにを言えばいいのかさえ、まったく分からない。
すると少女は、何故か深々と溜息を吐き、裸足のまま俺へ近づいてきた。
「っ……!」
「緊張しなくていいし、言い訳も結構よ。全部、見てたから」
「ぜ、全部……」
「そう。あなたが山賊たちを皆殺しにして、それを隠すところまで、全部。…………なににビクついてんのか知らないけど、責めるつもりなんか毛頭ないわ」
「……なに……?」
「寧ろ、感謝したいくらいね。あのクズ共を殺してくれて、ありがとう。礼を言わせてもらうわ」
少女は、かつて自分の仲間だった山賊の埋まる地面を、裸足で蹴りつけるようにしながら歩いてくる。
感謝? なんで俺は、人を殺したっていうのに、感謝なんかされているんだ?
意味が分からず突っ立っていると、少女は顔の下半分を隠している布を外して見せた。
「…………!」
「……これを見せれば、私がどんな扱いを受けていたかくらいは、察せられるんじゃない? それとも、一から説明した方がいいかしら? 私としては、どちらでも構わないけれど」
「……いや、いい。充分だ」
「そう」
少女は言いながら、再び口元を布で覆い始めた。
…………彼女の顔の下半分。そこに隠されていたのは、酷い傷跡だった。
きっと、山賊たちの玩具にされていたのだろう。歯もほとんど残らず抜かれており、舌は異様に細く削れていた。
彼女が仲間内でどう扱われていたのか、察するには充分過ぎる。
「これで分かったでしょ? 私が、あのクズ共を殺してくれたことに、感謝した理由」
「…………あぁ」
「……納得いってないって顔ね。表情なんてなくても、なんとなく察せられるわ。面白いわね、あなたって」
「……それでも、俺がお前の仲間を殺したことに、違いは、ないだろ……」
「そんなことで悩んでたの? 呆れた。随分と牧歌主義な育ちね。まぁ、かかしだから仕方ないかもしれないけど」
「…………?」
「断言するけど、連中が死んで悲しんだ人間なんて、この世界に皆無よ? 寧ろ助かった人の方が多いんじゃないかしら。今回で言えば、あの村の子供たちや住人とか」
「……!」
「悪行が善行で帳消しになる、なんて思わないけど――――少なくとも、あなたがやったことは、私や村の連中にとっては『都合がいい』ことだったわね。それで充分なんじゃない?」
「……村の」
「ん?」
「村の子供たちは――――それに、リュアとノエルは、無事か? 無事なのか⁉」
遅ればせながら、少女の言葉で俺はようやく思い出す。
そうだ、ここに来た最大の目的は、ステュクス村の攫われた子供たちを助けることだ。
ノエルを、リュアを、助けることだ。
少女はきょとんとしたように目を見開いて、ふらふらと洞窟の方へと戻っていく。
「三人」
顔に布を巻き終わった少女は、指を三本立てて言った。
「三人、あいつらが連れて行ったわ。微かに悲鳴とかが聞こえた。…………詳しくは、あなたの方が知っているんじゃない? こんなこと言いたくはないけど……美味しそうな匂いがしていたのは、確かだわ」
「…………」
三人。
それが、今回の犠牲者数か…………クソっ。俺が山での修行を早々に切り上げていれば、子供たちは死なずに済んだかもしれないのに。
俺が、山賊を殺すことも、なかったかもしれないのに。
「でも、他の子供たちは無事よ。私が見張っていたから、それは保証するわ。リュア=ステンノも……あと、あのちっちゃい子。ノエルっていうのね。あの子も無事よ。今は、洞窟の中で眠っているわ」
「! 本当か⁉」
「ここで嘘を吐く理由が見当たらないでしょうに……。まぁでも、タダで返すって訳には、さすがにいかないわね」
「なに……?」
洞窟の前に立った少女は――――勢いよく、腕を振り上げた。
瞬間、ぱきんっ、と上空で切断音が聞こえる。しばらくすると、少女の頭上から少しずれた場所に、切断されたと思しき小枝が落ちてきた。
切断面は非常に鋭く、まるで鋭利な刀で両断したかのようだ。
今のは…………速過ぎて視認できなかったが、風の魔術か?
「私も一応、山賊の端くれ。『慰み者のハサン』とは私のことよ。情けない通り名だけどね。神を嘲笑い、魔物を模倣する山賊の末席を汚す者として、欲しいものは奪い取るわ。ここはひとつ、オーソドックスに脅迫させてもらおうかしら。かかしさん……アルレッキーノって呼ばれてたわね。あなたに子供は返さない」
「っ…………お前」
「あら、私も殺してみせる? いいわ、やってみなさいな。きっと簡単よ。そこの小枝をへし折るより簡単に、私の命なんて摘み取れる。けど、あなたが大地を操っているその一瞬に、私の魔術で、洞窟内にいる子供たちの首の皮一枚くらい、裂くことはできるわ。私の魔術は、他の山賊共と比べても格段に弱いけど、少なくとも、それくらいはできる」
「……!」
「あなたと相打ち覚悟で差し違えるくらいなら、そんな意趣返しの方が一〇〇〇倍マシだわ。…………脅迫の手順としては、間違っていないでしょう?」
「…………お前は、なにが望みだ?」
気が付けば、俺はそんな言葉を口にしていた。
少なくとも人間だった頃の俺なら、きっと言わなかったであろう質問だ。自ら山賊という『悪』を標榜する人間の要求など、全て突っ撥ねるのが正道だ。『悪』の要望が一つでも叶うことになれば、それは『正義』の敗北に他ならない。
けれど、俺はたった今、殺人という最上級の『悪』を為したばかりだ。
しかも、それを隠した挙句、『ありがとう』という言葉で心が僅かばかり救われた気分になってしまった。
――『自分の命さえ、道具同然に擲つ君の「正義」が、どこまで続くものか…………』
ボロボロに朽ちていた神様の言葉が、頭の中で響き渡る。
あぁ、畜生め。あの神様は、俺がこうなることを予測済みだったのだろうか。俺なんかのちっぽけな、普通の『正義』が儚くも崩れて、悪党の要求を呑むような奴になり下がるのを。
「あら、話が通じるようで嬉しいわ。脅迫に屈してくれなかったら、それこそ人質の命を使わなくちゃいけなかったもの。私、そんな汚れ仕事は御免だわ。山賊はさせられているだけだもの。あ、言っとくけど、私はあのゲス共みたいに人を殺したりはしないわ。そんなの真っ平よ、気持ちが悪いったらないわ」
「御託はいい。……で、なんなんだよ。なにを要求する気だ?」
「私を、あなたの仲間にして」
「…………は?」
予想もしていなかった言葉に、俺の言語野は一時停止に陥った。
えーっと…………なに? このハサンという少女、一体なにを言ってきた?
「あなた、あのノエルって娘と旅をしているのでしょう? そのパーティに、私を加えてほしいってだけよ。それ以上の要求はないわ」
山賊の少女・ハサンの意外な申し出に、アルレッキーノは……⁉
次回更新は明日の22時頃! お楽しみに!




