第17話 悪を駆逐するのは
【注意】
胸糞心理描写注意です。苦手な方はご留意を。
かかしの身体は、呼吸をしていない。
だから、思い切り叫んだ後でも、俺の喉はフラットだった。痛むことも、荒ぶることもない。過剰に空気を求め、ぜーはーと息を吐くこともない。
なのに。
「…………!」
息なんかしていないのに――――息が、荒くなっていくようだった。
『大地の蠢動』を解除し、地面に降り立つ。血の臭いが色濃く残っているであろうそこに、自分の身体を近づける。
俺が怒りのままに、振り下ろした巨大な拳によって、地面は凹み、クレーターのような様相を呈している。
その底で――――山賊たちが、潰れて死んでいた。
「……ぅ、ぇええ……」
思わず、嘔吐く。
吐けるものなどなにもないのに。口もないのに。
胸が禍々しいなにかでいっぱいだった。
できることなら、それを吐き出して楽になりたかった。
俺は今――――人を、殺したのだ。
クレーターの底で、山賊たちは間違いなく息絶えている。見ればすぐにそれと分かる。全身は潰れ、中に入っていた内臓は堪え切れずに破裂し、体外に飛び出している。割れた頭部からは橙の脳が液状になって漏れ出し、まるでウニでもばら撒いたかのようだ。圧力に耐えられなかった身体は――――あぁ、もう無理だ!
見たくない! 認めたくない!
俺が、俺がやってしまったのか?
だって、仕方ないじゃないか。相手は山賊、俺のいた現代社会にて言い換えるなら強盗団だ。犯罪者だ。それも、人間を食うという大罪を犯した、大犯罪者だぞ。殺されたって、仕方ないじゃないか。
――――と、他人事なら言えるのだろう。
でも、今回殺したのは、他ならぬこの俺だ。
魔力を使って、魔術を用いて、山賊と言えども人間を殺したのは、紛れもなく俺だ。
まるで、魔物と同じように――――
「っ、違う! 違う、違う違う違う違う違う違う違う! 俺は、俺は……!」
首を振って否定しても、目の前の死体は消えない。
俺が殺したという事実は、消えてくれない。
だって、だって仕方ないじゃないか。
俺だって、殺したくて殺したんじゃない。魔物みたいに、魔力を目当てに殺したんでもない。
山賊たちが、そもそも悪いんじゃないか。こいつらが、子供たちを攫って食ったりしていなければ、俺だって、こんな強硬手段に出ることはなかった。ちょっと一発、大きめの魔術を見せつけて威嚇して、もう二度と悪さはしないと誓わせて――――そのくらいの筈だったんだ。その程度で、終わらせる筈だったんだ。殺すつもりなんて、最初は全然なかったんだ。
なのに、あぁ、殺してしまった。
取り返しのつかないことをしてしまった後悔が、波のように襲い掛かってくる。まるで押し潰されるようだ。傷だらけになった身体が、このまま折れてしまいそうになる。
息苦しい。息なんてしていないのに。
胸が痛い。痛みなんて感じないのに。
『君に、ピッタリの世界がある。君が我慢できないほどに、「悪」に、「間違い」に、「過ち」に満ち溢れた世界だ』
俺をこの世界に転生させた、ボロボロの神様の言葉が思い起こされる。
あぁ、そうだ。俺は我慢できなかったんだ。山賊たちの『悪』に。『間違い』に。『過ち』に。
でも、自分の命を擲ったあの時とは、全然違う。
俺が今奪ったのは――――自分でなく、他人の命だ。
他人の『悪』を、『間違い』を、『過ち』を糾弾するために、その命を奪った。
命を奪うことが、『悪』ならば。
俺の行いそのものさえもまた――――『悪』なのだと、そうは言えないだろうか。
俺は、俺は『正義』なんか実行していない。できていない。
俺が行ったのは、『悪』に対する『悪』だけだ。一方の『悪』に対して、別の『悪』をぶつけただけじゃないか。こんな、こんな法律もなにもない世界で。
『悪』を打倒した自分こそが、『悪』なのではないかという、悍ましい自問自答。
答えは出ている筈なのに、心がそれを受け付けない。激しい拒否反応は、苦悶となって痛みなきかかしの身体を傷つける。
「……と、取り敢えず、これは……どうにか、しなきゃ」
どうにかしなきゃ。
そんな、曖昧然とした言葉が、口を衝いて出ていた。
どうにかするって、どうするというのだ? なにをどうしたところで、奪った命が戻ってくる訳でもない。それとも、そんな魔術でも探すというのか? 死人さえ生き返らせるような魔術を? あり得ない話ではないかもしれない。魔術の元は魔力という生命エネルギーだ。なら、理論上、他人への治癒魔術なども可能だろう。
けど、相手は人食いという『悪』を為した山賊だぞ?
生き返らせてどうしろというんだ。寧ろ死んだ方がよかったんじゃないのか?
なら、山賊を殺した俺は『正義』なのか?
もしそうなら、俺はこんなに考え込んだりしないだろう。もっと晴れ晴れとした気持ちでいる筈だ。相手は魔物じゃない、元の俺と同じ、血が通い理性を伴った人間だったのだ。その命を、俺は無慈悲に摘み取ってしまった。
どうにかしなきゃ。
でも、どうにもできない。
どうすることも、できやしない――――
「……か、隠さなきゃ。バレないように、そうだ、バレないように……」
気が付けば俺は、魔術で土を操り、目の前のクレーターを埋めにかかっていた。
隠さないと――――その発想は、極々自然に頭に湧いていた。
誰から? それは、ノエルやリュア、それに他の子供たち、そして村の人たちから。
バレないように。
俺が、山賊を殺したことがバレないように。露見しないように。
幸い、大地を操るのは俺の得意とするところだった。現場が山だったのが、不幸中の幸いだった。周囲の泥を、土を、緑さえも根元の地面ごと自在に動かし、巨大な穴を埋めていく。
焚火の痕跡ごと。
血に濡れた凶器ごと。
潰れた死体ごと。
全て全て、埋めて隠していく。そこに誰かがいたという、痕跡自体ないかのように。
ほんの数分で、隠蔽作業は終了した。事が起きたのを知っている俺ですら、注視しないと周囲との違いは分からない。よもや事情を知らない人間が、ここで山賊たちが殺されたことを知るのは不可能だろう。
もう誰も、俺を咎めるような人はいない。
何故なら、俺の犯行は誰にも露見しないから。
俺が山賊を殺した証拠など、もうどこにも残っていない。
どこを探しても、もう見えない。
「…………は、あははは、はは……」
そう思うと、自然に笑い声が込み上げてきた。
そうだ、もう終わったんだ、全部。
帰ろう。ステュクス村へ。みんなが待っている。
なにも知らないみんなが、子供たちの帰りを心待ちにしているんだ。
リュアも、そしてノエルも――――一緒に帰ろう。
それで、今回の件は終わり――
「へぇ――――やっぱ、凄いのね。あなたの魔術って」
突然の声に、俺は一瞬固まった。
山賊が拠点としていたと思しき、眼前の洞穴。
そこから這い出てきたのは――――顔の下半分を布で隠した、一人の少女だった。
思い悩むアルレッキーノの前に現れたのは……⁉
次回更新は明日の夜10時頃! お楽しみに!




