第14話 見えざる急襲
魔術の修行を始めてから、早数日が過ぎた。
修行場になっている、リュアの家の裏にある山は、もう元の地形をほとんど留めてはいなかった。あるところは不自然に凹み、あるところは恣意的に隆起し、あるところは人為的に奇妙な形が作られている。その全てが、俺の魔術によるものだった。
なにせこちとら、木でできたかかしだ。疲れることを知らない。
魔力も尽きる気配なんてないし、俺は時間があればあるだけ、魔術の練習に費やすことができた。
ここ数日の練習を回想している今だって、『大地の蠢動』を発動させ、しゅるしゅると大地を自在に駆けていられる。
練習を始めた頃とは、集中の度合いもまるで違う。一点に集中しなければ発動できなかった魔術も、今では他のことを考えながらでも発現させられる。
『大地の蠢動』で、俺は真っ直ぐに空めがけて駆けた。
一直線に伸びる地面へと、魔力を注いでいく。イメージするのは、ダークドラゴンを倒した時のような、荒波のように隆起する大地。
「『泥濘の棘波』!」
リュアにアドバイスされた通り、俺は全ての魔術に名前を付けた。
今の俺に思いつく、地面そのものの動かし方、その先の攻撃や防御に対する名前は、全部で八つほど。その全てに、俺はイメージしやすい名前を付けた。
『泥濘の棘波』もその一つだ。
唱えた瞬間、足元の地面が明らかに変容した。まるで棘のように鋭く隆起し、一瞬にして地面は針山地獄と化す。ダークドラゴン相手に繰り出した時に比べ、大きさは抑えている。だが手応えを見る限り、一つ一つの棘を山と同じくらいのサイズにまで巨大化させることだって可能だろう。
好奇心に負けてうっかりやってしまうと、地形そのものが変わりかねないから、絶対にやらないが。
…………実を言うと、一回こっそりとやろうとして、リュアにこっ酷く叱られたのだ。彼女曰く『山が二つに増えちまうだろう⁉』とのことだ。俺から発される魔力を感じ取り、咄嗟に止めたのだという。
まぁ確かに、今の『泥濘の棘波』には、小指の先ほどの魔力しか使っていない。
…………実は俺、魔術師としての才能がチート級なんじゃないか?
かかしとして生まれたハンデに対する、見返りって奴か? 俺をこの世界に転生させた神様っぽい奴の言い分も、まるで俺がこの世界でなにか為すべきことがあるかのような感じだったし。
まぁ、あのボロボロの神様がなにを考えていようと、俺の為すべきことはただ一つ。
俺の心の支えになってくれたノエルの望みを、叶えることだ。
そのためにも――――魔術の鍛錬は、欠かせない!
「『巌の合掌』!」
『泥濘の棘波』で尖っていた地面が――――一瞬にして、平らに均される。
というか、一掃される。
『巌の合掌』は、大地そのものを手に見立てた合掌による攻撃だ。対象の左右にある地面を盛り上げ、そのまま手を合わせるように両側から押し潰す。鋭利な棘になっていた大地も、地面から盛り上がった手の平によって押し潰されたのだ。
その合わせた手を、硬く固め、拳として振り下ろす!
「『黄泉王の巨腕』!」
バキィッ! と破砕音が鳴り響く。
拳を振り下ろした瞬間、大地が真っ二つに割れるような亀裂が走った。
「げっ、やっべ……」
鬱蒼と木々が茂り、光が入ってこないのを除いたって、底が見えないほどの大きな裂け目だ。危ない、少し力加減を間違えたようだ。もう少し間違えていたら、この山そのものを割ってしまっていただろう。
そんなことになったら、リュアになんて言われるか分かったものじゃない。
この場にリュアと、巻き込む危険性があったノエルがいなくって、本当に良かった。ほっと胸を撫で下ろす。
さて、この亀裂はどうにかしないとな。
「ちっ……やれやれ面倒だな。――――『根堅洲國王の怪腕』!」
唱えた瞬間、俺の背後に土でできた巨大な二本の腕が出現する。
亀裂の両側から、巨大な腕を生やしたのだ。大地から伸びるそれらを、それぞれ逆方向へ、思いっ切り引っ張り合わせる!
びきびきびきびきっ、と砕けるような音がして――――やがて、割れた地面は元通り、裂け目だけ残してくっついていた。
ふぅ、上手くいったか。魔力を流して地面の下の様子まで探ってみるが、落とし穴のような構造にはなっていない。しっかりと、裂け目は封じられている。作戦はひとまず成功といったところだ。
「ふぅ、焦ったぁ……。こんなところに底なしの穴なんか作ったら、リュアになに言われるか…………いや、もしかして、音でバレてるか?」
もしそうだとしたら、最早逃げ場はない。
大人しく、お説教を食らうだけである。
くっはぁ……しまったなぁ。力加減を完全に間違えた。
「……こういう時って、自分から謝っといた方が短く済むよなぁ? はぁ……時間もいい頃合いだろうし、そろそろ帰るか。……怒られるのが目に見えてると、憂鬱だがなぁ」
はぁ、とついつい溜息が出てしまう。
世のお父様方は皆もれなくこんな気持ちだったのだろうか――――そんなことを思うと、なんだか切ないような気持ちになった。
†
「ただい――――ん? なんだ、誰もいないのか?」
開け放された裏口から家の中に入るが、家内は静まり返り、物音一つ立ちはしない。
もう月が出ている時刻なのに、照明すらついていなかった。火のついていない蝋燭が一つ、台所で寂しそうに立っている。
いつもは帰ってきたら、いの一番にノエルが迎えに出てくれるんだが。
そうだ、ノエル。
ノエルは、どこに行った?
家の中を一通り探してみるが――――別にかくれんぼをしている訳ではないようだ。本当に、家の中のどこにも、ノエルとリュアの姿はない。
「近所の人と喋ってんのか? なにか用事があるとか……言っといてくれりゃいいのになぁ」
不安を掻き消すように、俺はわざと大きな声でそう言った。
ざわざわと、胸が騒ぐのだ。
なんだか嫌な、嫌な予感がする。
まるで数日前、ダークドラゴンが襲来する前みたいな――――本能的に、嫌な予感が――
「あ! アルレッキーノさん、帰ってたのか! よかった!」
バンッ、と扉を開けて入ってきたのは、村の住人の一人だった。
酷く慌てた様子の彼は、荒く息を吐きながら俺の元まで駆け寄ってくる。
「良かった……あんたがいなくて、困ってた、とこだ…………いや、まずはすまん! 謝らせてくれ! おれらがいたのに……クソっ! あぁ、いや、すまん……」
「い、一体どうしたんだよ? なにかあったのか?」
「りゅ、リュアと、ノエルちゃんが――――さ、山賊に、攫われた!」
「…………は?」
今、この人はなんて言った?
ノエルが、どうしたって?
攫われたって…………。
「そ、それって、どういう――」
「く、詳しい話はこっちで! 村長が、あんたを呼んでんだ! すぐに来てくれ!」
男は俺の腕を引っ張り、また荒い息を吐きながら走っていく。
ノエルが、攫われた?
俺のいない内に――――しかも、リュアまで一緒に。
なんだよ、それは。
なんで、なんで――
「っ…………全然、守れてねぇじゃねぇか。クソ……っ!」
†
「本当にすまぬ! アルレッキーノ殿。ステュクス村を代表して、まずは、謝らせてくれ……!」
村長は、数日前に会った時とはまるで別人のようにしおらしくなっていた。
覇気がなく、ただの年老いた老爺となっていた。目の下にはくっきりと隈と皺が刻まれ、今にも泣きそうなほどに瞳を潤ませている。その涙を堰き止めているのは、唯一、村長という崩してはならない肩書だった。
「わしらが山賊に対抗できていれば……こんなことには……」
「いい、あんたらからの謝罪なんて、俺は求めちゃいないんだよ。欲しくもない。だって、悪いのはあんたらじゃないだろう?」
「…………そう、言ってくれるか」
「時間が惜しいだけだ。それより、教えてくれ。俺がいない間に、なにがあったんだ?」
村長の家の玄関口で、俺は早口にそう問うた。
奥には、村長の奥方なのだろう、これまた一気に老け込んでしまった老婆が腰を屈めている。酷く申し訳なくなさそうに、さっきから何度も頭を下げている。
いい、いいんだそんなの。謝罪なんか欲しくない。
今、俺が知りたいのは、求めているのは。
ノエルがどこに行ったのか――――それだけだ。
「わしらにも、詳しいことは分からぬ。なにが起こったのか…………わしらは、普段は起きとるんじゃ。早寝して、いつも早起きしておる。あんな昼に、眠気に負けるなど今までなかった! だから、だからきっと奴らが、山賊の奴らが――」
「落ち着け村長! 一体なにがあったんだって訊いてるんだよ!」
「こ、これを……!」
わなわなと震えながら差し出してきたのは、一通の手紙だった。
開いて見せてもらうが…………書いてある文字は、日本語でも英語でもない、全く未知のものだった。そりゃそうか、ここは異世界だ。日本語が通じるからって、日本語の読み書きまでそのままって道理はない。
「っ……すまねぇ村長。俺はかかしだから、文字が読めないんだ。なんて書いてあるんだ?」
「こ、子供を……子供を、攫ったと」
「子供を?」
「あ、あぁ――」
「む、村中の子供たちを、全員、攫ったから――――返してほしければ、この村にある食糧を、全て、寄越せと…………そう、書いてある」
村長の言葉に、俺は一瞬、無い自分の耳を疑った。
村中の子供たちを、全員攫った?
なんだそれは。じゃあ今、ステュクス村に子供は一人もいないっていうのか? そりゃ確かに、連れられてきた時に子供の姿は見なかったが、家の中にいるとかじゃないのか? 村中から子供を一人残らず攫うだなんて、そんなのどう考えても不可能じゃないか。ハーメルンの笛吹き男じゃあるまいし、どこで誰が見ているかも分かんないのに――
「…………薬でも、撒かれたのか? 村長」
さっき、村長は言っていた。昼から眠気に負けるなんて、今までなかったと。
じゃあ、今日は負けちまったのか?
真っ昼間に、眠気に。
「あ、あぁ……多分、そうじゃ。儂も、他の村民たちも皆、示し合わせたように眠っておった。きっとその内に、山賊は、子供たちを……!」
「っ……」
ノエルや、リュアだけじゃない。
村中の、全ての子供たちを攫われたのだ。村長として憤慨の至りだろう。
目的は食糧か……。薬を村中にばら撒いて眠らせた時に、食糧を奪わなかったのは、奪い返されるのを恐れたためだろう。それよりも人質を取り、交換材料として提供させた方が、危険性は高いが、その分確実ではある。
なにしろこちらには、他ならぬ俺がいるのだ。
ノエルを人質に取ってしまえば、俺の武力的な介入も防ぐことができる。当初はリュアに対する策だったのだろうが、リュアもたまたま眠っていたから、人質として攫われてしまったのだろう。
戦闘面では敵わない山賊たちが、搦め手で来ることは予想して然るべきだった。
くそっ、なにを俺は呑気に、魔術の練習なんかしていたんだ……!
「村長。対応策は? この脅迫に、どう対応する気でいる?」
「……正直、今この村は困窮しておる。僅かたりとも、山賊に提供するような食糧は元よりないんじゃ。しかし…………村の子供たちの、命がかかっておる。期限は、もう刻一刻と迫ってきておる……ここは、山賊たちに屈する他に手立ては――」
「奴らの、山賊の居場所は分からねぇのか⁉」
「分かったところで、我々には対抗する手段がない……村で唯一、魔術を使えるリュアも、奴らに拐かされてしまった……。魔術には、我々ではどうあっても――」
「俺がいるじゃねぇか!」
思わず俺は、大きな声で叫んでいた。
すっかり逃げ腰に、弱腰になっちまった村長を見て、心のどこかに火が付いたのだ。少なくとも、俺が村にやってきた初日には、村長はもっと老獪で、掴みどころのない印象だった。
こんな腑抜けた姿は似合わない。
第一、食糧と引き換えに子供たちが戻ってきたって、その後の生活をどうするっていうんだ。山賊からの提案には、対抗しか手が残されていないじゃないか。
「俺がいる! 俺は魔術を使えるし、あいつらを倒すこともできる! あいつらが、子供たちを手にかける前に! その自信はもうある! この数日間で、リュアがくれた自信だ!」
「…………頼んでも、よいのか。アルレッキーノ殿」
「あぁ、必ず子供たちを助けてくる! 約束する!」
こちとら命より大事なノエルを攫われているんだ。黙って見過ごす訳にはいかない。
それに、リュアには世話になった。この村の人たちにもだ。
放っておくことなんか、できる訳がない。
「……奴らは、この村の裏山を根城にしてはいるが……定期的に場所を変えるのか、拠点を掴めたことはない。リュアも、その両親も、山賊討伐に尽力していたのだが…………」
「山にはいるんだな?」
「……? それは、そうじゃが――」
「それさえ分かりゃ、充分だ」
俺はそれだけ告げると、急いで裏山の方へ向かう。
『大地の蠢動』で、足元の地面を動かし、高速で。
山賊のアジトは分からない、が、山にいるのなら、話は早い。
「俺の魔術で、見つけてやる……! 山賊共ぉ……お前ら、手ぇ出しちゃいけない奴に手ぇ伸ばしたなぁっ‼」
怒りのボルテージは当然MAX。
例え後でリュアに怒られるようなことになってでも――――地形を変えてしまってでも、必ずノエルは助け出す!
アルレッキーノ、駆ける! 果たしてノエルとリュアは……⁉
次回の更新は30分後! お楽しみに!




