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かかしに転生した俺の異世界英雄譚  作者: 緋色友架
第0章 奴隷村潰滅編
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第1話 ありふれた転生譚


「後悔していないかい?」


 低い地鳴りのような声に、俺は目を開けた。


 真っ暗だ。自分の身体も、その輪郭さえ視認できない。光という概念が唐突に消滅したかのような、暗闇の中に俺はいた。

 地面かどうかも定かじゃない場所に横たわる俺の、すぐ目の前に、男が立っている。何故だろう、それだけははっきりと見えた。


 醜悪な男だった。


 目も鼻も融け落ち、歯はガタガタで黄ばんでいる。頬肉さえどろどろで、見える皮膚は下手くそな粘土細工みたいに嫌な色をしていた。

 人間のような形ではあるが、人間でないことは確かだった。


「聞こえなかったかな? なら、もう一度訊こうか。君は、後悔していないかい? 今までの人生に」


 起き上がろうにも、どうにも身体が重い。

 全身が岩でできているようだ。ピクリとも、指先一つ動かせない。

 だから、俺は男の問いに答える術を持たなかった。


 今までの人生に、後悔があるか、だって?


 そんな問いかけは、きっと普通の人間にするものじゃないだろう。精神科の患者か、或いはもう、人生を『今まで』という四文字で集約できてしまうほどに死期の迫った人間にくらいにしか。


 そうだ、思い出した。

 俺は――――トラックに撥ねられたんだった。


 理由は、極々ありふれたものだった。きっと車という凶器の存在なんてまるで知らないだろう子猫が、無邪気に車道を横断していた。そこにちょうどトラックが差し掛かって――――後はもう、お決まりだ。反射的に、気づいたら身体が動いていた。

 あの子猫は、助かったんだろうか。

 がむしゃらに動いた、その先の記憶は限りなく曖昧で、はっきりとは覚えていない。けれど、軋んだ身体が横たわる最中、ざりざりと、頬をやすりで撫でられるような感触があったのは、覚えている。あれは、子猫の舌だったんだろうか。だったら、きっと猫は助かったんだな。

 それなら、よかった。


「なんだい、満足気に笑っちゃって。その様子じゃ、今生に未練なんてなさそうだね」


 男はどこか不満そうにそう言った。

 べちんっ、と肉の剥がれ落ちそうな両手を叩き合わせ、男は続ける。


「素晴らしいね。正に英雄だ。自分の命をゴミのように擲って、自分以外の尊き命を救う。そんなことができる人間は、ここ数百年ではなかなか見ないね」


 素晴らしい?

 英雄?

 それが俺のことを指して発された言葉だと気づくのに、少し時間がかかった。だって俺は、そんな大それたことなんかしていない。

 子猫が、車に轢かれそうになっている。

 そんな場面に出くわしたら、誰だって俺みたいな行動に出るだろう。普通のことだ。


「ふん、すましちゃって。どうせ、自分がやったのは普通のことだ、なんて考えているんだろう?」


 図星。

 男は、俺の考えが読めるかのようにそう言った。そんな風にずばずば言い当てられると、どこか怖い。俺は読まれないようにと、表情を少し硬くした。


「君もそうだけど、英雄的な素質のある人間は決まって自己評価が低い。自分のやったことは大したことじゃないと、普通のことだと、誰でもやることだと、勝手に決めつける。自分以外の人間が、どれだけ卑しく醜く意地汚く、自分のことしか考えない下衆だなんて知らないかのように――――いや、君なんかは本当に、知らないのかもね。それはそれで、ある意味お幸せなことだけど」


 醜悪な男は、愚痴でも言うかのようにべらべらと続ける。皮肉を言われたのはさすがに分かったので、抗議を示すために眉間に皺を寄せてみるけれど、男は構わず続けた。

 まるで俺の意思なんて、男には関係ないかのように。

 男はただ、決定事項を淡々と読み上げる、その作業の退屈を紛らわすために喋っているみたいに。


「五、六〇〇年ほど前の聖女の話を知っているかい? 彼女も、君と同じだ。スケールは大分違うけどね。片や猫一匹、片や国全体だ。けど、自分がやったことを誇りもせず、当然の普通だと思い込む、その過小評価は一緒だよ。悲劇的に命を失うのも、また、ね」


 男がなにを言いたいのか、俺にはさっぱり分からなかった。

 そもそも、ここはどこだ? 俺は、じゃあトラックに轢かれて死んだとしたら、ここはあの世っていう場所なのか?

 この男は、何者だ?

 偉そうにべらべらと語ってはいるけれど、一体誰なんだ?


「僕は物知りだからさ。そういう風に語られ、創られたからさ。時たまいる君みたいな奴が、とてもじゃないが信じられない。僕が知っている人間と、あまりにかけ離れているからね。人間は千歳の昔から変わらず――――欲深い、その筈なのに」


 ああ、疲れた。


 男はそう言うと、今にも肉が剥がれ落ちそうな腕を高々と掲げ、骨が見え隠れする指を組んだ。

 そのまま勢いよく弾けば、とてもいい音が鳴るだろう。男は崩れた表情で、俺のことを見て言った。


「君が『普通』だと過小評価するそれは、紛れもなく正義だ。ただし、明確な『悪』『間違い』『過ち』を前提にした、ね。猫を見捨てるという、命を粗末にするという『間違い』の前に、君は抗えず『正義』を行使した。――――そんな君に、ピッタリの世界がある。君が我慢できないほどに、『悪』に、『間違い』に、『過ち』に満ち溢れた世界だ。自分の命さえ、道具同然に擲つ君の『正義』が、どこまで続くものか…………物知りな僕でさえ知らないなにかを、見せてくれよ。少年」


 ばちぃんっ、と男が指を鳴らす。

 その瞬間――――俺の意識は指と一緒に弾き飛ばされたかのように、遠退いていった。







 目を覚ますと、そこに広がっていたのは田園風景だった。

 いや、東京というコンクリートジャングルの、その都心部寄りで育った俺には、真の田園風景なんて知る由はない。だから、今目の前に見えている光景が田園のそれなのかと問われると、いまいち自信はない。


 見果たせないほどに、広大な農地だった。


 芽が出ている畑もある。ちょうど収穫時期の場所もある。まだ土を耕している段階の農地もある。

 そこで働いていたのは、明らかに年端も行かない、少年少女たちだった。

 皆一様に、ズタ袋に穴を開け、腰の辺りを紐で縛っただけのようなボロボロの格好をしている。ボロボロなのは服装だけじゃない、彼ら彼女の身体も、見るも無残にボロボロだった。


 全身に傷や痣を刻み。

 顔を腫らしている子もいた。

 打撲痕が痛々しい子もいる。

 それでも子供たちは一言も発さず、荒い息を吐きながら鍬を、鋤を使って畑仕事をしている。

 まるで、それしか許されていないかのように。

 黙々と、ただ淡々と。

 目に光さえ灯さずに。


 ――――なんだよ、これは。


 俺の知っている、子供の表情じゃない。

 子供の仕事は遊ぶことと、勉強することだ。死んだ目で、畑仕事をすることじゃない。

 少なくとも、俺はそうだったし、そう教わってきた。


 それに第一、ここはどこだ?

 さっきまでの、あの世みたいな場所とは違う。明るい陽は昇っているし、なにより俺とあの醜悪な男以外の人間が――あれが人間だったかはさて置いといて――いる。


 訊きたいことが、山のようにあった。

 ここはどこだ? 何故子供が働いている? なんでそんなに傷だらけなんだ?


 そう、訊こうとして――――そこで気づいた。


 声が、出ない。

 それだけじゃない。声を出すための口の感触が、どこにもない。

 手も、脚も動かない。

 なんだ、これは。なにが起こっている?

 俺は、俺の身体は、どうしちまったんだ?



「チチチチ。なんだ、やけに喧しいかかしだな」



 目の前に、小鳥がやってきた。

 ハチドリのように俺の顔の前で、バサバサと羽ばたいて静止している。表情こそ読めないが、童話に出てくるような真っ青なそれは、まるで嘲笑うかのように声を出した。


 というか、鳥が喋った⁉


 男の言葉が思い出される。『君に、ピッタリの世界がある』――――つまり、ここは俺が元いた世界じゃないのか?

 鳥が人間の言葉を喋るような、そんな世界?


「チチチチ。なにを言っている? お前が? 人間? おいおい、頭でも打ったかよ。狂う脳味噌もないくせに」


 ほら、よく見てみろ。


 小鳥は一層近づいて、くちばしは俺のすぐ眼前まで迫っていた。

 ぎょろりと大きな、小鳥の瞳。


 そこに映り込んでいた俺の姿は――――かかし、だった。


 茶色の、麻を編んだ髪の毛に。

 目を模した、真っ赤なボタンが二つ。

 笑顔で固定された、木の枝で作られた口。


 俺は、見知らぬ異世界に――――かかしとして、転生させられていた。


 今回から新しい異世界転生譚が始まります!

 次回の更新は30分後予定!

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