【壱】のいななき、黒の大神
◇◇◇
拝啓、お兄ちゃん
天高く日は昇り、草木青々と萌ゆる季節となりました。
もうすぐお兄ちゃんがお役目のために東京へ赴き一年・・・・・・
東京での生活は如何お過ごしでしょうか?
日々のお役目でお疲れではないでしょうか?
ついなは晴れて今年、神憑きとしてお兄ちゃんと同じくお役目を授かれる年齢と相成りました。
ついなはこの時を一日千秋の想いで待ち焦がれておりました。
つきましては、私も近々そちらへ赴こうと思います。
二週間後の午後辰の刻(6時)にて
逢えるのを心待ちにしております。
敬具
◇◇◇
・・・・・・公園のベンチに腰掛けて手紙に目を通し、舞田総司は眠そうな目で木陰から天を見上げた。
一週間前、雑多に仕舞われた二週間前の新聞の隙間から発掘されたその手紙をポケットに仕舞うと呆然と立ち上がりながらつぶやいた。
「・・・・・・そうか、ついなうちに来るのか」
総司は元々からあまり感情を表すのが苦手な男である。
だから、感じたことは口から言う。
「やべぇな」
ついなはもう二倍近く年の離れた幼なじみだ。
しかしどう言うわけか総司の許嫁であり、お互い婚姻する約束があるのだが、そんなのあんまり特殊なこととは思えない総司にしてみれば兄妹同士の腐れ縁みたいなものである。
(おまけについなも『お兄ちゃん』なんて呼ぶもんだからよけいに妹としてしか見れないで居る)
しかし、ついなの方は困ったことに昔からその因習に対して真剣で花嫁修業も真剣にこなしてきたのである。
すなわちついなは性格的にも日本における理想的な花嫁そのものの人格を有しており、昔からいささかだらしなかった『お兄ちゃん』にも好きであるからこそお小言も多かったのだ。
ついでに、総司もついなと同じ村の生まれで政府公認の神憑きである。
仕事のために村をで出て東京に引っ越してきて一年、政府からカモフラージュのために通わされている高校でも『田舎から全寮制の高校に転入してきた一般市民』を無難に演じきれている。
しかし、アパートでの私生活においては彼の隠し持つ本性・・・・・・つまりは、だらしなさは隠しきれなかったのである。
アパートの自室は今完全に腐海もかくやという悲惨な有様。
万年床の布団の下には健全な男子なら一度は目を通す性の聖典。
おまけに机の上には(言い訳ではなく)友人から彼女が遊びに来るからと押しつけられたいかがわしいでぇぶいでぇまで有る始末。
それをついなが見てしまったなら、お小言で済めばまだ幸運。
下手をすれば・・・・・・思いつかないが(考えたくないだけかもしれないが)おそらく面倒くさい事が待っていること請け合いである。
後で暇があったら読もうと思って持ってきたこの手紙を呼んだ今、時刻は丁度午後4時30分。
しかし、今から仕事が有るのである。
急げば何とかなるか・・・・・・いや、何とかしなければ面倒くさいことになる!
そう思い、総司は珍しく・・・・・・真剣な顔をして、呟いた。
『ナキノカミ タルノカミ オンヤクジョウニテ カクリヨノハザマヲチムスベ』
その言葉に大気が応えるように、一陣の風が吹いた。
公園では、夏も本番となってきた季節だというのに元気に駆け回っている子供たちの姿があちこちに見える。
そして、風が過ぎると・・・・・・公園からあれだけ楽しそうに駆け回っていた子供たちの姿が、ぱたりと消えた。
まるでそう・・・・・・賑やかな演劇の舞台の、その裏側にでも迷い込んだかのように。
『チビキノヒモロギ』生と死の境界、この世とあの世の中間位相。
可能性の狭間の軸に自分と周囲の霊的存在をチューニングして、この空間へと連れ込むのが今囁いた呪文である。
元は特殊霊的災害対策局の局長の持つ能力であり、呪文という記憶そのものが局ではありふれた装備の一つである。
霊的存在は、それぞれがそれぞれのチャンネルを持ち、通常チャンネルの合わない存在は早々お互いに気づくことがない。
鼻が利くので捜し当てることはできるのだが、こうやって無理矢理そのチャンネルを合わせることで神憑きは狩りの効率を上げるのである。
しかし、公園とは案外に雑念の多い場所である。
雑念は拡散する念、それは必要以上に狩りの対象をその場に呼び寄せるのだ。
実際、総司の目の前には狩りの対象以外にも・・・・・・有象無象の異形の霊魂・・・・・・『禍魂』たちがぞろりと並び、一気にこちらを見据えていた。
「・・・・・・」
総司は相変わらず、なにを考えているのかわからない表情でそれを見上げると・・・・・・口元だけは、犬歯を見せて微笑んだ。
『『『WOOOOOOOOOOOOOOO』』』
禍魂たちはうめき声を上げると、一気に総司へ向かって集まり・・・・・・総司の居た場所を埋め尽くした。
すると、まるで禍魂たちの尾でイソギンチャクのようになったその塊から真っ黒な陰が飛び出して着地する。
それは、艶めく漆黒の毛並みを持つ狼だった。
「《う゛ぁ う !!》」
狼の一吠えは、波状に広がる衝撃派のようになって禍魂の塊を吹き飛ばした。
犬科の動物の鳴き声には、退魔の力が宿っているという。
特に、山の神の化身とされてきた『狼』なら尚のことである。
「がうぅっ!!」
狼は広い公園を自在にはしりまわり、まるで追尾弾のように迫り来る無数の禍魂を交わしては鋭利な爪で引き裂き、噛みつき引きちぎっていく。
そして禍魂の一体の頭を踏み台に飛び上がると、今度は丸い塊のようになって人の形をとり、陰を突き破るようにして現れた総司が黒いオーラをまとった拳を構えて一気に禍魂の群の中を貫き、地に足を着いた瞬間には禍魂たちはガヴン!!というまるで万力で掘削されたような音と共に崩壊した。
そう、神憑き、『噛みつき』。
狼とは『大神』。
神憑きとは、大神の力をその身に宿すことで狼と人の姿を自由に行き来する人狼。
そして狼の持つ神威を自在に使いこなす事こそ、神憑きが日本の正当な霊的守護者である証なのである。
総司は禍魂の群の中心に隠れる、特大の禍魂に目を向ける。
「居たな・・・・・・今回の獲物!!」
総司が政府から討伐依頼を請け負った、蜘蛛のような八本足を持つ禍魂は、怯えるようにビクリと震えるとガサガサとその場から逃げ出そうとする。
総司は足下の石を拾うと、それに黒い神威を纏わせて振りかぶり、制止の言葉と共に野球選手のような豪速球を投げた。
「待ちやが・・・・・・れっ!!」
黒い神威を纏った石は、まるで小さな狼のように形を変えて、大きく口を開き大型禍魂に到達した。
その瞬間、ガヴン!!と掘削音と共に大型禍魂が四散する。
その時、蜘蛛のような大型禍魂の腹に当たる位置からだらりと人の腕のようなものがはみ出した。
「・・・・・・!!」
(誰か喰われたのか? そんな報告は受けていない・・・・・・が)
総司は考える、しかしその間にも大型禍魂は周囲の禍魂を取り込んで修復していく。
禍魂の塊に飲まれながら、腕の主はか細い声で・・・・・・滓かに呟いた。
「・・・・・・ブラ・・・・・・ス・・・・・・カ」
「・・・・・・!!」
総司は考えるのをやめて、グッと足に力を込めて駆けだした。
黒い神威が全身を包み、素早い狼の姿となってさらに加速する。
「《ぅぅぅうううううう゛ぁおおおぉぉぉぉぉぉぉぉ・・・・・・ん!!!!》」
狼となった総司は全力の神威を遠吠えに乗せて、禍魂たちの隙間を縫うように、大型禍魂の腹を狙撃した。
ボフッ!!!! と、大型禍魂の腹が爆散した。
中から姿を現したのは・・・・・・銀色の毛並みを持つ気絶した狼だった。
「《!!》」
『WOOOOOOOOOOOOO!!!!』
落とし物を慌ててを取り戻そうとでもするかのように、腹を失った大型禍魂は先と同じように再生しながら大口を開けて銀の狼に迫る。
しかし、その上顎に拳がパシィンと綺麗な音を立てて当たった瞬間、大型禍魂はピタリと制止した。
追いついた総司の、神威を纏った拳である。
「さぁ、たらふく喰え!!」
ゾルン!! と総司の神威が瞬く間に大型禍魂を包み込む。
すると大型禍魂は・・・・・・
ガヴン・・・・・・バグモググシャゴリュゴチャゴグン!!!!
・・・・・・と、まるで見えない狼の群に喰われていくかのように全身を掘削されていき、やがて消滅した。
そして総司は迫り来る禍魂の群の中心で勢いをつけて銀色の狼を背負うと、パンと両手を合わせて囁いた。
「チビキチウイノオヤクジョウ アイナリモウス」
「・・・・・・あら、お宅のワンちゃんですか?」
何気ない顔をして、どこにでも居るようなオバチャンが銀色の狼を背負う総司に話しかけた。
禍魂たちは消え去って、子供たちの喧噪も戻ってきている。
元の世界のチャンネルへと戻ってきたのだ。
「あぁ、はしゃぎ過ぎて散歩の途中にダウンしちゃったみたいで」
総司が激しい戦闘を繰り広げてきたことはおろか、総司の背負うそれが犬ではなく狼であることすら知らないオバチャンは、若干パーマの付け過ぎな髪を振るわせながら不機嫌な顔をする。
「まったくもうっ、ワンちゃんを散歩させるときはちゃんと縄につないでもらわないと困りますよっ!! ここは、皆の!! 公園なんですからねっ!!」
わざわざ『皆の』を強調するように文句だけ告げると、オバチャンはそのまま通り過ぎていった。
あの大型禍魂は、ほおっておけばこの狼の神威を吸って、周囲の禍魂を取り込み実体にまで害を成す『荒神』にすらなっていたかもしれない。
いや、そこまで行かなくても子供たちを含めた公園にいる人々の精神・・・・・・魂に少なからず悪い影響を及ぼしていたに違いない。
彼がその『皆の』平和を守っていた事など、オバチャンは知らないのだから当然のことなのかもしれない。
総司もそれは当たり前のことであるため、それを気にすることはないのだが・・・・・・
「俺のじゃないんだけどなぁ・・・・・・」
総司は、困り果てたように背負った狼を見てそう呟いた。
「・・・・・・そうだ、時間!!」
まだ午後5時を指している時計を見て、総司はガッツするように拳を握ると、狼を抱えたまま自分のアパートへと全速力で駆けだした。
◆
「お帰りなさい、お兄ちゃんv」
まるで輝かんばかりに綺麗に清掃された部屋の中、三つ指をたててお辞儀する幼い少女がそこに居た。
買ったばかりの都会風なカジュアルな服装の上に、同じく純白のエプロン・・・・・・そして、昔と変わらない足下まで届きそうなこげ茶色の髪と呪符で留めたツーサイドアップ。
そして、嬉しそうにピクピクする一対の狼耳・・・・・・宇野鶴ついな、総司の許嫁。
彼女は予定より二時間も早く部屋につき、清掃を完了していた。
勉強机の上には、礼儀正しく性の聖典とでぇぶいでぇが並べてあった。
「ああ、一年ぶりだな。ついな」
相変わらず表情は変わらない、寧ろ自然に見える微笑みをたたえているが・・・・・・彼に尻尾があるならば間違いなく内股に縮こまっている(怯えていることを表す)だろう。
しかし、ついなは総司に小言を言うでもなく、何か面倒くさいことをいい始めるでもなく、そのまま総司の年齢にしてはたくましいくらいの胸に抱きついた。
「お兄ちゃん・・・・・・お兄ちゃんお兄ちゃんっ・・・・・・逢いたかったよぉ」
総司の胸にグリグリ顔をこすりつけながら、ついなは涙混じりに、一年ぶりに再会した総司を堪能するかのようにそう言った。
総司は一瞬惚けた後、ため息をついて狼を抱えていない左手でついなの頭を撫でた。
「あぁ、一年ぶりだな・・・・・・ついな」
総司は、少しも変わっていない妹分の婚約者に安心しつつ・・・・・・玄関に銀色の狼を優しく降ろしてついなを抱きしめた。
「はぁ・・・・・・おにいちゃんv ・・・・・・あれ、そのひとは?」
うっとりとしながらついなが総司を潤んだ瞳で見上げる。
しかし、すぐにその目は降ろされた狼の方に移った。
『ひと』とついなは言った、ついなも神憑きであるから見抜いているのだ・・・・・・この狼が神憑きであることを。
「あぁ、仕事の途中で・・・・・・」
総司が、そこまで言ったところでだった。
銀色の狼が、同じ銀色の神威に包まれて・・・・・・人の大きさになって爆ぜた。
その中から現れたのは・・・・・・
銀色の長くボサボサした髪の毛に、白い肌・・・・・・
ついなと同じ、銀色の狼耳をした・・・・・・
総司と同じ年頃の、全裸の美女だった。
「・・・・・・・・・・・・」
先と同じ微笑みのままの(尻尾があれば以下略な)総司と・・・・・・
「・・・・・・お兄ちゃん?」
開けた口から犬歯を見せつつ、総司の背中を抓るようにつまんだついな。
「さぁて、お布団の下にあったものの事も含めて・・・・・・ちょっとお話しよっか?」
「あ、あ、あ、あぁ・・・・・・」
まるで壊れた人形のように、同じ顔のまま冷や汗を垂らしつつドモりまくりながらついなに何とか返事をした総司は、ついなに連行されるように部屋の奥へとつれて行かれたのだった。
次回予告
「ま、まて誤解だ話せばわか「ガヴッ」」
勝って嬉しいはないちもんめ
「な、な、なにを言ってくれるかこの間女め!!」
あの子じゃ嬉しい、あの子じゃ判らん
「あぁ!? てめぇこそ何訳のわからねぇ事ゴチャゴチャゴチャゴチャ言ってやがる!!」
慌て噛みつくあの子が欲しいか
「それでは、転校生を紹介しま~す♪」
何も知らないあの子が欲しいか
「こりゃあ土蜘蛛の巣だねぇ」
判って嬉しい
「ぬ・・・・・・あ・・・・・・ざ? だ? へんななまえー」
はないちもんめ
【弐】つ ふためく男と女
「オレ(・・)は・・・・・・何だ?」