【零】
太古より・・・・・・
神は人、そして土地の力によってこの世界のあちこちに存在してきた。
力の本質を持つのではなく、その力こそが彼らの本質であり、その形質、性質、そして在り方は人の世界と人の時代と共に刻々と変化する。
人知れず幽界に住まい常人の観測から解放されている彼らは
まさしく神でもあり、魔でもあり、霊でもあり、怪でもある。
一神教の信じられている西洋においては、その他の有象無象の力たちは等しく悪魔とされてきた。
故に西洋文明由来の、現在の世を包む科学では忌まわしき魔の力の存在は広く知られてはいない。
しかし、それでも尚その力を現代にまで受け継いだ存在が居る。
八百万の神の国、日本。
かつて無数の『山(異世界・ヒモロギ)』が点在し、八百万の神々が今も生きるこの国。
荒ぶる神どもの霊威を鎮め、和と平をもたらす日本の霊的管理者たる存在。
山の獣であり人間、異界たる山を失って尚人の世の幽界を天津神に代わって守り続ける大神の使途。
それが・・・・・・神憑き(カミツキ)と呼ばれる存在。
私たち、『狼』の一族もまた、その末席である。
□
「・・・・・・・・・ふぅ」
夜。 薄い蝋燭の灯火の下で、ついなは溜息をついて筆を置いた。
濃い茶黒の髪の登頂から生える二対の大きな耳が、疲労を露わにするように大きくピクンと動いている。
その耳はまさに、髪と毛色を同じくする狼のそれだった。
本来その幼い体の足下まで届くであろう長い髪は、座っているため三分の一は畳にうねった放射状に広がり、ツー再度アップの髪型に結んだ白いリボンには神代文字の文様が金色の塗料で記されている。
そして、その身に纏う白袖はまるで白無垢を前にした花嫁のようでもあった。
そう・・・・・・宇野鶴ついな(うのづる~)はまさに、その幼さに反して結婚を前にした歳頃の娘のように落ち着いていた・・・・・・ある種、悟った雰囲気をその身から醸し出していた。
書留を記すその机を挟み、座敷に座する厳格な風体の夫婦・・・・・・宇野鶴家の現当主であるついなの両親は、娘と同じくして悟った雰囲気を持ちながら、静かについなに話しかけた。
「ついな・・・・・・可愛い我が子よ、『おめでとう』」
「今宵九つの齢を以て、あなたは正式に宇野鶴家第百四十七代目の神憑きとして防衛省特殊霊威災害対策局の認可を受けました」
我が子の成長と、そして早すぎるとはいえ職に就く権利を有した祝いの席にしては・・・・・・両親の表情は、重く険しいものだった。
ついなは内心で微笑みつつも、膝の前に両の指を三つつき、深く深く両親にお辞儀をすることでその『祝いの儀礼』の言葉に返答した。
予め言おう、これは決してついなからして滑稽に映る両親をあざ笑う笑みではないのだ。
ついなはしつけの行き届いた、それこそ年齢不相応なまでに慎み深い性格の持ち主だ。当然ここまで育ててくれて尚、普通の『親』という生き物がそうであるようにしてついなに未だ深い愛情による涙を見せる両親には、感謝と敬愛の気持ちを抱かずには居られないのだ。
しかして何故ついなは両親の涙を前にして表面でもなく内面で微笑んだのか・・・・・・
そしてついなの両親は、涙を袖で拭いながら先の威厳を保てぬままに語り始める。
「あぁ、ついにこの時が来てしまったんですねぇ・・・・・・」
「言うな、宇野鶴の一族に女が生まれて九年間ずっと背負い続けてきた定めではないか」
ついなの父は泣き崩れる母を抱きしめながら、己をも鼓舞するように言う。
自分に比べ、愛する妻もまた余りに若いのだ。
そして、今まさに娘もまた余りに若い身空で一族の宿縁と向き合う義務を貸せられているのだ。
「ついな、お前はこれから余りに歳の離れた舞田の男子と今生の契りを結び・・・・・・そして若きうちに子をなさねばならぬ
そしてその身に血と共に太古より宿る荒神を完全に浄化せねばならん
三千年も続く因縁の末期となるとはいえ、まだ余りに幼いお前のその重い宿命を背負わせたのは紛れもなく私たちだ・・・・・・恨むが良い
この代のお役目にたどり着くは開祖よりの悲願、当主としてこの宿命は絶対だ。
しかし今は・・・・・・今だけは当主としてではなく、父として可愛いお前の抱いた恨み、聞き届けてやりたいのだ」
嘗て、ついなの母親は無理矢理に決められていたこの婚礼に猛反発したものだ・・・・・・母には好きだった男が居た、それよりやはり母はまだ幼かった。
実害に基づく因習程恐ろしいものはない、結局母は父と契りを代わし子を成した・・・・・・そうしなければ、自らのうちに眠る神が己の腹を喰い破りかねないからだ。
故に、ついなの抱く感情はそれと同様に激しく、そして恨みに満ちていると両親は確信していた。
そして、涙混じりの父の言葉に・・・・・・ついなは面を上げて両親の顔を見る・・・・・・
「・・・・・・・・・・・・っ!?」
その瞬間、ついなの両親は息を呑んだ。。
その表情は、その年齢と、その宿命に反して余りにも澄み切ったものだった。
しかし、それは無表情と言うには余りにも生命力にあふれていて・・・・・・それはついなの父も母も見たことのない表情だった。
それもその筈だ、厳格な宇野鶴の家においてもや、ついなは常に感情を表に出すことはなかったのだ。
苦しくても、辛くても、楽しくても、喜んでも、宇野鶴の跡取りにふさわしい振る舞いを強制されるまでもなく自ずと身につけていたのだ。
そんなついなが、生まれて始めて見せる『本当の表情』・・・・・・
それが、この澄んだ笑顔だったのだ。
「つ、ついなよ・・・・・・」
「御父様・・・・・・御母様・・・・・・いや。パパ、ママ
私は、少しも恨んでないよ? 私を産んでくれたこと、私を育ててくれたこと、私にお役目にふさわしい稽古をつけてくれたこと・・・・・・
いくら感謝してもしたりない、私はパパとママが本当に大好きなんだ
嘘偽りも、仮面もない本当の気持ちとして、私は今そう思ってるよ
だから、お世話になりました!」
再び深くお辞儀するついなの言葉に、両親は愕然とした。
まさか、我が子がここまで自然な言葉で自分たちに思いの丈を伝えられるとは思っていなかったからだ。
才能はあった、礼儀も持っていた、しかしここまで我が子が『大人』であったとは思っても見なかったのだ。
まさかここまで、我が子が自分の役目と向き合っていたなんて・・・・・・
「私は、一族の宿願とお役目を果たしに東京へ行くよ・・・・・・
そして、お兄ちゃんと必ずや沿い遂げて愛し合って、たくさん子供を作ってくるからね!!」
・・・・・・・・・!?
「つ、ついな?」
「なぁに?」
些か白くなった父が声をかけると、ついなはえらく気軽にある意味歳相応な返事をしてきた。
そこに、それまで厳格な花嫁修業を繰り返してきた女の側面は微塵も見えなかった。
今度は父に一歩遅れて凍結状態から帰ってきた母がついなに問う。
「あ、あの、ついなちゃん? 何をするか分かって言ってる? ねぇ」
「もちろん、お兄ちゃんと毎晩盛りのついた狼のようにねっとりと肌を重ねて・・・・・・」
「女の子がそんなはっきりと生々しい表現するんじゃありません!!」
父が思わず止めるために言った言葉に、ついなは頬を膨らませてぷぅと声に出す。
「え~本音で話して良いって言ったのはパパじゃない?」
「い、いやしかし・・・・・・」
薄暗い部屋の雰囲気はそのままに、小学三年生の花嫁に言い負かされるようにたじろぐ二人の大人の姿が、そこにはあった。
「私お兄ちゃん大好きだもん、それに親公認でお兄ちゃんとあんな事やこんな事・・・・・・いいや、それよりもしきたりに縛られたお兄ちゃんに無理矢理組み敷いてもらうのも良いかも・・・・・・ううんそれが良い、なんてったって燃えるから!!」
育て方を盛大に間違えたかもしれない・・・・・・
そう思いつつ先とは全く違う意味で愕然とした両親をよそに、ついなは潤んだ瞳と高揚とした顔を虚空に向けて、愛しの『お兄ちゃん』に向けて囁いた。
「はぁん・・・・・・お兄ちゃん、愛しのついながもうすぐそっちに行くからね」