4−1
「失礼します」
出来るだけいつもと同じ、平坦な口調に聞こえるように気をつけてそう言うと、ドアを閉めた。
進藤エミリは現在、端的に言うと干されていた。
まわってくるのは、しょうもない事後処理ばかり。今提出してきた書類だって、逃げ出した人面犬を捕獲するというしょうもないもので、人面犬が逃げ出すのはエミリが知っているだけで二十六回目だ。もうわざと逃がしているんじゃないかと思うレベルだ。
何故こんなに地味な仕事しかまわってこないのか。その理由はよくわかっていた。
先日のGナンバーの一件で、隆二達の側に立ち、あまつさえ研究班に銃を向けたからだ。ただでさえ、自分は周りによく思われていない。仕事ができることだけが取り柄だったのに、京介の一件で自分の評判は地に落ちて、先日の件でマイナスだ。人が足りないから、首にならないだけマシなのだろう。
周りのひそひそ話は不愉快だし、仕事がないのはつまらない。
それでもエミリは後悔などしていなかった。自分は間違ったことはしていない。胸を張ってそう言える。
確かにマオの永遠に手を加える結果になってしまったが、それでもやはり、あの時あのままマオが消えるに任せているよりもよっぽどいい結果だっただろう。もっと上手く動けたかもしれないが、それでもあの時銃をつきつけたことは、動いたことは、間違いだなんて思っていなかった。
結果的に、マオをまた実験体に戻してしまったことは心苦しけれども。毎月毎月研究所に呼びつけて、申し訳ない。二人は気にしていないみたいだけれども、エミリは気にしているのだ。
なんとか働きかけて、実験に協力してもらう報酬として金銭を支払うようにしたが、その解決方法も、あまり愉快なものではないな、とも思っている。
小さく溜息。
思ったようには動けない。エミリ個人で動ける範囲には限度がある。そしてエミリは、組織の枠から抜け出せない。
自分にうんざりしながら、自宅に向かう。
途中、鞄にいれていたケータイが震えた。
見てみると、マオからのメールだった。実体化している時のマオは、やたらとたくさんメールを送ってくれる。他に送る相手がいないからかもしれないが、実のところ、エミリはそれが最近楽しみだった。
今回霊体に戻るのは、明日だったっけな。
カレンダーを思い描きながら、メールを確認する。
その内容に小さく微笑むと、自宅へ向かう足を速めた。
「ただいまー」
「おかえり、エミリ」
自宅には既に父がいた。
「ただいま、ダディ」
いつものように軽く笑いかけてから、
「ね、わたしの子どものころのおもちゃって、どこにしまってあるっけ?」
早口で尋ねた。
「おもちゃ?」
和広は怪訝な顔をしてから、
「エミリの部屋の、クローゼットのうえ、かな」
「ありがとう」
頷くと、足早に部屋に戻る。クローゼットのうえの方は、あまり気にしていなかった。椅子を持ってくると、クローゼットの上の棚を覗き込む。確かにダンボールがいくつかあった。
おもちゃ、と書かれた箱を見つけると、ひっぱりだしてくる。
色々と物をとっておいてくれる家でよかった。
少し埃っぽいそれに軽く咳き込みながら、ダンボールを開ける。昔親しんでいたおもちゃがたくさんつまっていた。
多分、あると思うのだが。
人形やおままごとのセットをかきわけて、お目当てのものを探す。
「あ、あった」
ピンク色の箱を取り出す。これならきっとぴったりだろう。
「ダディ」
それを持ってリビングに戻る。
和広は一度エミリを見てから、
「これはまた、懐かしいものを」
目を細めた。
「これ、マオさんにあげてもいい?」
「それはエミリのものだから、好きにすればいいが」
「ありがとう」
明日持って行こう。心に決める。
「しかし、なんでまた」
「お洒落な箱が欲しいっていうから」
「……最近は、すっかり仲がいいね」
ほんの少し、和広が笑った。
改めて言われると、なんだか照れくさい。
「おまえは、ずっと実験体と距離を置いて生きていくのかと思っていたよ」
「……わたしだって、色々考えて、変わるんだよ」
いつだかも言ったようなことを言うと、
「そうか」
微笑んだまま頷かれた。
父はずっと、Uナンバーである隆二達を担当していた。彼らと普通の人間のように接する父のことを、変わっていると思ったこともあった。
でも、今ならわかる。彼らはなにも変わらない。自分達と。
父のことはずっと大好きだけれども、最近は特に誇りに思う。組織に流されず、自分の価値観を築いている父を。
「恵美理は今後、神山さんたちと敵対する命令がでたら、できなさそうだねぇ」
巫山戯た調子で言われた。
そんなこと、考えてみたこともなかった。彼らともう敵対するつもりなんて、エミリにはなかった。
そんなことになったら自分はどうするのだろう?
一瞬悩んだものの、
「そんなのダディ、決まってるよ」
軽く肩を竦めて答えた。
「もうそういう命令はわたしのところに来ないよ」
干されているんだから。
言外に込めた意味に、和広も少し苦笑いをした。
「恵美理」
「なに?」
「やめるのならば、遠慮せずにやめなさい」
真面目な顔で言われた言葉になんて返事をするべきか悩む。
色々考えていることはあるけれども、干されている現状があるけれども、研究所をやめることはそんなにすぐには考えられなかった。だって、エミリから研究所をとったら何も残らない。そのことが自分でわかっているから。ここまでの人生、研究所を中心に生きてきた。今更、それなしでの生き方を考えられない。
「うん、考えとく」
それだけいうと、真面目な父の視線から逃げるように、きびすを返し、
「あ、そうだ恵美理」
引き止められた。
振り返ると、父はいつもの穏やかな笑みを浮かべていた。安心して、そっと肩から力を抜いた。
「なんだったか、深夜にやっていたテレビ番組。心霊写真がどうたらとかいう」
「ああ、オカルトクエスト?」
おおよそ父が言うとは思えないテレビ番組に、語尾が奇妙に跳ね上がった。
「ああそうそう。それ、ビデオとっていたよな?」
「うん、録画しているけど」
マオに頼まれて写真を番組に送って以来、いつ採用されるか楽しみにして、こっそり録画していたのだ。なんだか恥ずかしいからこれは内緒だけれども。
「なんだか知り合いが見たいと言っていてな」
「そうなの? いつの? あんまり古いのだともう消しちゃったけど」
「今月のだとは思うんだが。もう一回確認しとく」
「うん。わかったらDVDに焼いておく」
頼むよ、という父の言葉に頷きかけて、今度こそ自室に戻った。マオにメールの返事を打たなければ。