3−3
胸元で揺れる猫を、ぴんっと軽く弾く。
ふふふっと、笑みがこぼれた。
ソファーに横になりながら、マオは存分にペンダントを楽しんでいた。
もうすぐ日付が変わるころ。お風呂に入るからと外していたそれを、つけ直したところだった。
やっぱり、これ、可愛いなー。
「……お前、寝るならベッドいけよ」
マオの足元の方、床に座った隆二がつまらなさそうに声をかけてくる。
「わかってるよー」
「あとちゃんと、髪の毛乾かせよ」
「わかってるってばぁー」
今、ペンダントを愛でるので忙しいんだから、放っておいて欲しい。
隆二は、マオを一瞥すると、どうだか、とでも言いたげに肩を竦めた。
まったく、隆二は本当、ちっともマオの気持ちをわかってくれない。すっごく嬉しいからこうしているのに。嬉しいっていう気持ち、ちゃんと伝わっているんだろうか。
飄々と本を読んでいる隆二を見ていると不安になる。
傍においていてくれることも、面倒をみてくれていることも、本当に嬉しいと思っているし、感謝しているし、こんなに大好きなのに隆二にはいまひとつ、伝わっていないんじゃないかなーと思うときがある。
だってほら、ひとでなしだし。
それに、マオも言葉で全部を伝えられるほど、賢くない。
溜息まじりに起き上がると、タオルで濡れた髪を拭く。
「……ドライヤー使えよ。せっかく買ったんだから」
やっぱり呆れたように言われる。
本当、隆二は注文が多い。
「めんどうなんだもん」
なんだか素直になれなくてそう言って唇を尖らせると、
「……やってやるから、もってこい」
心底面倒くさそうだったが、思ってもないことを言われた。
「え、本当!?」
「嫌なら自分でやれ」
言って隆二の視線がまた本に戻る。
「やじゃない!」
慌ててそう言うと、立ち上がって洗面所にドライヤーをとりにいく。
戻ってくると、隆二は読みかけの本を適当に床において、ソファーに腰掛けた。
「そこ」
「はーい」
指差された隆二の足元、床に座る。
「……あ、これかスイッチ」
背後からちょっぴり不安な声が聞こえるけれども、気にしない。もしかしたら、隆二がやると酷いことになるかもしれないけれども、気にしない。
大事なのは結果じゃないのだ。隆二が髪を乾かしてくれる、と言い出したことなのだ。
ぶぉぉぉっと、ドライヤーから出た温風が髪を揺らす。
思っていたよりも手慣れた手つきだった。そっと触れる手と風が嬉しくて心地よくて、目を細める。
機械の類いにはめっぽう弱いが、決して隆二は不器用じゃないのだ。機械さえなければ、なんでもそつなくこなしてしまう。
料理だって、すっかり上手になったし。
「隆二はー」
ドライヤーの音に負けないように声をはりあげる。
「なんでもできてすごいねー!」
素直な感嘆の言葉に、
「お前がなんにもできなさすぎなんだよ」
ちょっと笑いながら言われた。
それはまあ、そうかもしれない。字も、練習しているけれども難しいし。なんにもできない。
ちょっと落ち込んでしまうと、
「ばーか」
くしゃくしゃっと髪の毛をかきまわされた。
「ちょっとぉー」
振り返ると、隆二が笑っていた。楽しそうに。
それになんだか嬉しくなる。最近の隆二は優しいし、前よりもいっぱい笑ってくれる。多分、本人は無自覚だから言わないけど。言ったら恥ずかしがって、もう笑ってくれないかもしれないし、また意地悪されるかもしれないから。
ドライヤーを止めて、
「いいんだよ、ゆっくりで」
隆二が優しく言った。
「零歳児なんだから」
からかうような言い方だったけど、やっぱりいつもよりちょっと声が優しい。
「……もう、一年経つよ」
発生してから。
小声でそう訂正すると、
「あれ、そうだっけ」
時間の感覚に乏しい隆二は軽く首を傾げた。
隆二のところにきてからだって、一年経った。
「まあ、対して変わらないよな」
「隆二から見たらそうだろうね」
「だからまあ、ゆっくりでいいんだよ」
ぽんぽんっと頭を軽く叩かれた。
「ん」
それに素直に頷く。
それを見て隆二は満足したのか、またドライヤーのスイッチをいれた。
「それに、ほら、あれだろ」
「んー?」
「ケータイは、お前の方が使いこなしてるだろ」
「それは、ねー?」
だって、機械は隆二が不得意過ぎるから。
「それに」
そこで隆二は、躊躇うようにちょっと間をおいてから、
「一緒に学んでいこうって言っただろ」
なんだか早口で言った。
それに思わず振り返りそうになるのを、
「前向いてろ」
ぐっと頭を押さえつけられて、妨害される。
多分、今、隆二はちょっと照れている。
それに思い至ると、ふふっと笑みがこぼれた。
隆二が約束をちゃんと覚えていてくれたことが嬉しい。すぐに色々忘れちゃう人だから。
「はい、終わり」
「ありがとー」
振り返ると、
「どういたしまして」
いつもどおりの、ちょっとつまらなさそうな顔で隆二が答えた。
「ほら、そろそろ寝ろ」
「はーい」
実体化している時に嫌だな、と思うのは、ちゃんと夜寝るように言われることだ。幽霊のときだったら、夜中どんなに起きていても何も言われないのに。
でもやっぱり、幽霊のときよりも眠くなる。実体化していると動き回るからしかたない。
「寝る時それ、外して寝ろよ」
首元を指差される。
「これ?」
ペンダントをつまむと、頷かれた。
「お前、寝相悪いから寝ている間に首しまるかも」
そっけなく言われる。
バカにされて一瞬むっとしたけれども、よくよく考えてみれば心配されている気がしてきた。だから怒るのを一度ぐっと堪えて、
「わかったー」
小さく頷くにとどめた。
「それじゃあ、おやすみなさい」
立ち上がる。
「うん、おやすみ」
軽く片手を振った隆二は、また本の世界に戻っていた。
隣の部屋のベッドに潜り込む。すっかりマオ専用となったスペースだ。
ペンダントを外すと、ちょっと迷ってからタンスの上に置いた。
何かお洒落な箱かなにかにいれておきたいな。幽霊に戻っている時に、万が一どっかにいってしまったら困るし。とりあえず、明日何か箱がないか隆二に訊いてみよう。
思いながら目を閉じる。
うつらうつらしながら、思う。
何かお返しがしたいな、と。
実体化したなら、なにかお礼の品を買いに行くこともできるじゃないか。言葉や態度だけじゃなくて、物をプレゼントできる。そうしたら、マオの気持ち、ちょっとはわかってくれるかもしれない。あの駄目駄目隆二でも。
今月はもう、明後日には元に戻ってしまうから難しいけど、来月になったら隆二がいない隙をついて、買い物に行こう。一人ででかけるなとか言われているけど……。まあ、いいや。怒っている隆二も笑顔になるぐらいの、なにか素敵なものを探そう。
自分の想像にふふっと笑みが溢れる。
喜んでくれるもの、あるといいな。
そんなことを思いながら、意識は落ちていった。