8−2
一晩ぶりに見るマオの顔は、涙でぐちゃぐちゃになっていた。こんな風に泣かせてしまったことが心苦しい。
「……ごめん」
隆二が右肩にそっと触れると、ぴくっとマオの肩が震えた。
間に合わなかったことが、悔しい。
マオが泣き顔のまま、ふるふると顔を横にふった。それでもまた、泣きそうになる。
それを見ているのが耐えられなくって、マオの頭をそっと抱き寄せようとしたとき、
『隆二っ、後ろっ!』
隆二の肩越しに何かを見たマオが悲鳴をあげた。慌てて視線を動かした隆二の目に映ったのは、エクスカリバーを片手に立ち上がる一条の姿だった。
咄嗟に、マオの頭を抱え込む。守るように。これ以上、傷つけさせないために。
『りゅーじっ』
そんなことよりも、迎撃した方がいいと気づいた時には、一条はもう真後ろまで来ていて、
『隆二っ!』
マオの悲鳴をかき消すように、ばんっと大きな音がした。銃声。
「っ!」
振り返ると、一条が、右手を押さえて呻いていた。
からんっと持っていたエクスカリバーが落下し、隆二は慌ててそれを奪い取った。
視線を音の方に向けると、真っ青な顔をしたエミリが、まだ硝煙のでる銃を片手に立っていた。
「それ以上、動かないでください」
斬りつけるように一条に言いながら、銃を構えたままゆっくりと近づいてくる。
「両手をあげて!」
エミリの声に、一条はしばらく悩むようなそぶりを見せたが、血の出る右手を押さえながら手をあげた。
「助かった。ありがとう、エミリ」
マオを背後に庇うようにしながらも礼を言う。
「いえ、遅くなってすみません」
一条から目を離さずにエミリが答えた。
「……どうしてここが」
一条が苦々しい口調で言った。
「ここは花音との思い出の場所なのに。よく家族できた、思い出の……」
「知るかそんなこと」
吐きすてるように隆二は答えた。だからなんだ。この場所がわかった理由なんて、ただ一つだ。
「人間の若者の情報網はすげーんだよ」
菊や葉平といったなんでもない人間の若者のおかげだ。隆二が、一晩走り回ってもわからなかった手がかりをみつけてくれた。
その情報を元に、エミリが車の行き先を探しだしてくれたのだ。だから厳密には、研究所の力もちょっと入っているが。
郊外の古びた教会。その場所を聞いた瞬間、走りだしていた。
入り口には、鍵がかかっていた。合鍵をエミリが手に入れてくると言っていたが、それを待っている余裕はなく、手っ取り早く天井のガラスをぶち破って入った。それだけのことだ。
完全には間に合わなかったけれども、最悪は避けることができてよかった。
「一条稔。エクスカリバーをはじめとした道具を許可無く持ち出したことは重罪ですよ」
エミリは銃口を向けたまま一条に近づくと、鞄から取り出した手錠を片手にかけた。一条は大人しくされるがままになっていたが、
「……進藤の娘。実験体に肩入れするお前も似たようなものだろう」
負け惜しみのように呟いた。
「研究所から見たらそうかもしれませんね」
吐き出された言葉をエミリは受け流した。
「でも、わたしからすれば全然違います。そのことをわたしは知っていますので」
言いながら手錠の片方を長椅子に繋ぐ。手慣れた様子で身体検査をし、他に武器を持っていないことを確認すると、ようやく銃口を外し、隆二達の元に駆け寄った。
「マオさん、大丈夫ですか!」
隆二の影に隠れているマオに声をかける。
『エミリさん……』
泣きそうな顔をしたマオがエミリを見た。
そうすると、隠れていた右腕も見えた。
「……それ」
エミリが小さく呟くと、マオは慌てたように隆二の背中に隠れた。腕を隠すように。
『……ごめんなさいっ』
「マオ」
涙声の謝罪に、隆二がその頭をそっと撫でる。
それを見て、
「一条っ!」
一声吠えると、エミリは再び銃口を一条に向けた。かっと激情に駆られたように。
それを、
「エミリ」
隆二は、名前を呼ぶことで止めた。
「だけど、神山さんっ」
たしなめるように名前を呼ばれて、エミリが顔だけで振り返る。
「だって、こいつはっ」
振り返ったエミリは怒ってもいたが、泣きそうな顔でもあった。
「あんたはその引き金を引くべきじゃない」
まだ戻れるんだから。
「でもっ」
「やるなら俺がやる」
その言葉に、エミリが小さく息を呑んだ。
ゆっくりと立ち上がると、
「マオを頼む」
エミリの肩をマオの方に押し、そっと前に出た。
『りゅーじっ』
マオの声を背中に受けながら、ゆっくりと一条の前に立つ。
「U〇七八」
隆二の視線を受けて、一条が呟いた。
「神山隆二だよ」
今更実験体ナンバーで呼ばれることに、何か特別な感慨を抱くわけでもないが、そう訂正する。
「うちの居候猫が世話になったな」
「……わたしの娘だ」
「違う」
座り込んだその胸倉を掴む。椅子に繋がった右手がひっぱられたのか、一条がうめき声をあげた。
その耳元に顔を近づけると、低い声で小さく、一言告げた。一条だけに聞こえるように。
「俺のだ」
そのまま返事は待たず、腹に一発拳をぶちこんだ。
ぐっと呻いて、一条の体が崩れる。手を離すと、ぼたりと床に体が落ちた。
手加減してやったのに。
咳き込みながら、恨みがましい目でこちらを見てくる。
たったこれだけのことで、そんな被害者面しやがって。自分がしたこと、わかってんのか?
ドス黒い感情が足元から立ち上ってきた。呻いている一条を見下ろす。
だってまだ、息の根がある。
止めてしまえ。不愉快だから。
倒れた体に、更に足を叩き込んだ。一発、二発、三発。
『りゅーじっ』
怯えたようなマオの声がする。
それで我に返った。
久しぶりに黒い感情に支配されて動くところだった。
足元の一条にまだ息があることを確認すると、一つ溜息をつく。
本当はここで嬲り殺してもおつりがくるぐらい、この男が不愉快だが、そうするわけにもいくまい。エミリの立場もあるし、このまま殺してしまったら諸々のことが闇に葬られることになる。ここで一条を生かすことは、研究所に対して、一つ貸しぐらいになるはずだ。
必死に自分に言い聞かせる。そうでもないと、本当に殺しかねない。
「エミリ」
「はい」
背を向けたまま声をかけると、意外にもしっかりした声でエミリは返事をした。
「あと、頼んでいいか」
「はい。それがわたしの仕事ですので」
深呼吸して、強張った顔を繕ってから振り返る。
泣き顔のマオの肩を支えて、青い顔で、それでもしっかりとエミリが立っていた。
「ありがとう」
「いいえ」
二人のところに近づくと、入れ替わるかのようにエミリが立ち上がった。一条の方に向かって行く。
「マオ」
名前を呼ぶと、マオがすがるように左手を伸ばして来た。その手を掴み、そっと頭を撫でる。
「ごめんな」
怖がらせて。
『ごめんなさいっ』
何故だか謝るマオに、小さく微笑んでみせる。
「帰ろう。一緒に」
その言葉に、マオは小さく頷いた。




