6−2
駅のファッションビル、そこの女子トイレにマオはかけこんだ。変な顔をする周りの人は気にせず、洗面台に手をつき、あがった呼吸を整える。走り過ぎて喉が痛い。
顔をあげると、鏡の中の自分は泣きそうな顔をしていた。髪の毛も乱れている。
一体、なんだっていうの。
柚香と話していて、ブレスレットが買えたのが、あまりにも嬉しかったからお礼に飲み物をご馳走することにした。一階のレジに並んでいたら、後ろから肩を掴まれた。そのままぐいっと、力任せの後ろに引っ張られる。
「いたっ」
振り返ると、見たこともない中年の男性がいて、マオを見ると驚いたような顔をした。それから次に、泣きそうな顔になり、
「ようやく見つけたっ、花音!」
大きな声でそう言った。
花音? 誰それ。
「ちが、あたしはっ、マオで」
言いかけた言葉は無視され、右手を掴まれる。そのまま、男は黙ってマオの腕を掴んで店を出て行く。
「ちょっと、おじさんっ! 離してよっ」
「花音」
男は呆れたような顔で振り返ると、
「お父さんに向かって、おじさんとはなんだ。いい加減、機嫌を直せ」
なんてわけのわからないことを言う。
「マオだってばっ!」
周りの客達は様子をうかがうようにマオ達を見ていたが、男が父親だと言ったことで、年頃の娘のプチ家出とでも思ったのか、視線を逸らした。
男はまた前を向くと、ぐいぐい歩いて行く。ファーストフード店が遠くなる。
一体誰と勘違いしているのか。
「おじさんっ! ちょっと、あたしはマオで! 花音なんて名前じゃないし! おじさんのことなんて知らないし! っていうか、父親なんていないしっ!」
ぎゃんぎゃん叫んでも、男は無視をする。
路上に停められた黒い車。男はポケットから鍵を出しながら、それに近づく。男の持ち物らしい。
これは本格的にヤバいかもしれない。
どきどきと心拍数がはやくなる。
なんでもいいから逃げなくっちゃ。
男が助手席のドアをあけ、
「乗りなさい」
突き飛ばすようにマオを押し込む。
「いっ」
悲鳴をあげたマオを気にせず、男はドアを閉める。そして自分は車の前をまわって、運転席側にまわった。
逃げるなら、今だ。
落ち着け落ち着け。ドラマの主人公みたいに、最高の瞬間を狙わなくっちゃ。
男が運転席のドアに手をかける。がちゃり、とドアがあき、それと同時にマオもドアをあけた。転げ落ちるようにして車から飛び出すと、後ろをみないで走りだす。
「花音っ!」
後ろから男の声がする。
逃げなくっちゃ。どこか安全なところ。
ぱっと目に入ったのが、駅ビルだった。息を切らしながら駆け込み、男が入れない女子トイレにまで逃げ込んだ。
それが今だ。
一体、なんだっていうのよ。
思い返したら、怖くて体が震える。
大きく息を吸って、呼吸と気持ちを整えた。
それにしても、どうしよう。いつまでもここにはいられない。あの様子だとすぐには諦めなさそうだし、また出会ったら嫌だし。怒られるかもしれないけれど、隆二に迎えに来てもらおう。
そう決めると、ずっと肩からかけたままだった小さなポシェットをあける。そこからケータイを取り出そうとして、
「あれ?」
そこにケータイはなかった。そういえば、ファーストフード店のテーブルに置きっぱなしかもしれない。
「……もうっ」
隆二に連絡が取れないなんて、どうしたらいいんだろう。
鏡の中、泣きそうな自分と見つめ合う。考えなくっちゃ。
家に帰れればあとは心配いらない。だけど、あの男がまだうろうろしていたら、ちゃんと帰れるだろうか。そんなに距離はないけれども。
隆二は多分、あんまりにもマオが帰ってこなかったら探しに来てくれるはずだ。ぶつぶつ怒りながらも。いつも、そうだから。
だから、うまくどこかで隆二と会えるのが一番いい。連絡とれない以上、運任せになるけど。
隆二がいそうなところを通って、家まで帰る? 普段、お買い物で通る道を通って。
マオが考えついたのは、そこまでだった。
自分でも行き当たりばったりだなぁ、と思う。
溜息。
でもまあ、もしかしたら、あのおじさんの本当の娘を見つけて帰ったかもしれないし。楽観的な考え方は、ここでもむくむくと持ち上がる。そう考えたら、なんだか帰れる気がしてきた。
手を洗って、髪の毛を整える。
ひょいっと女子トイレの外を伺うが、あの男の姿はない。
よしじゃあ、なるべく目立たないようにして、何かあったら悲鳴があげられるように人通りの多いところ通って、ついでに隆二がいそうなところ通って帰ろう。
そう決めると、そろそろと女子トイレから脱出した。




