08 アポロンの策謀
赤い部屋の扉が開いた。
意外と簡単だった。正攻法の問題だ。ここはノーヒントで大丈夫。
これで四つのキーワードを獲得した。
あの解答の布石としてアポロンの「弓矢」を絡めるとは、案外洒落が効いている。
しかし期待していたアポロンは、結局この部屋には現れなかった。
太陽神アポロン。天空神ゼウスと黒衣の女神レトとの子であり、月の女神アルテミスの双子の兄。数ある神々の中でも、最も美しいと言われる神である。
芸術の守り神、竪琴の名人、弓の名人、人間に初めて医術を教えた神、真理の神。暖かい心と冷静な頭脳の持ち主で、ギリシア人の理想像として崇拝されているのだ。
アポロンといえば月桂樹の冠――キューピットの矢の逸話で有名だ。
双子の女神アルテミスに使える妖精ニンフの一人に、ダフネという娘がいた。アポロンはその美しい娘に恋をした。
ある日アポロンはエロス――別名キュービットの持つ小さな弓矢を嘲弄する。それに腹を立てたエロスは、仕返しに金の矢をアポロンに、鉛の矢を妖精にそれぞれ放ったのだ。
金の矢は恋を抱き、鉛の矢は恋を拒む。その効力によりアポロンは妖精を求愛した。一方のニンフはアポロンを頑なに拒絶した。
それを見かねた妖精の父、河の神ペナイオスは、ストーカー男から娘を守るために、妖精の体を月桂樹に変えた。変わり果てた彼女の姿を見て、アポロンは心の底から悲嘆した。そして彼は、月桂樹の枝から冠を作り、永遠の愛の証として肌身離さず身に着けている――と言い伝えられているのだ。
求愛を妖精に要請か。そんな言葉遊びはさておき――。
私は、先程の「緑の部屋」に妖精ニンフが訪れたように、この「赤い部屋」に太陽神アポロンが登場するのではないかと内心期待をしていた。
しかしアポロンは現れなかった。女神の兄は、どうやら私に救いの手を差し伸べる気はなさそうだ。
この監禁劇の首謀者はアルテミスではない可能性が高い。更にはアポロンを拒む妖精の逸話。これらの要因から、ある仮説が私の脳裏を掠める。そう――。
この事件の黒幕は、女神アルテミスの兄アポロンではないか?
おそらく経緯はこうだ。兄妹は何らかの理由で仲違いした。兄は妹を監禁し、何らかの利権を独占しようとしている。それは神としての支配権か、あるいは現実社会の相続権なのか?
そこに私が、何らかの理由で巻き込まれた。その理由とやらは――まだ不明だが。
きっとアポロンの策謀を解き明かす鍵は、妖精ニンフと名乗る少女が握っている。それなら少女がアランを避ける理由も説明が付く。つまり猟犬アランは、アルテミスではなくアポロンの使者である可能性が高いと推察される。
バラバラであったパズルのピースが、少しずつ体を成していく。そして残りの鍵部屋は、創世記の流れからして――おそらく三つ。
展望が開ける予感を抱きながら、私は扉の向こうの暗黒の空間に身を投じた。
背後で何時ものように扉が閉まる。視界が闇に包まれる。
そして再び、猟犬アランの――
「お見事です、聡明なる名探偵殿。嗚呼、今回も完敗でございます」
真犯人アポロンの使者の拍手の音が、闇の世界に響き渡った。
(つづく)