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朱鳥の剣  作者: 望月あさら
■ 2 ■
9/22

2-2

「朱鳥の剣だぁ!?」

 午後七時十分。

 松山潤は、自分の家の玄関口にある電話に向かって、突然そう声を張り上げた。

 その声を聞きつけた兄の有喜がリビングからひょっこり顔をのぞかせたのに気がついて、受話器を持っていない反対の手でしっしと追い払う。

 彼の姿が消えたことを目で確認すると、リビング方向に背を向け、受話器を持ちなおした。

「今更そんなに驚くようなことか? 愛理があれを手にすることは、前々からわかっていただろう?」

 受話器の向こう側から聞こえてくるのは、そんな極めて冷静で呆れかえった薫の声だった。

 幾分音を落として潤は返す。

「そうだけどさあ、俺は何にも聞いてないぜ。何で薫は知ってんだよ?」

「私だとて今日聞いた。お前が愛理と会っていないというのは本当のことらしいな」

「家が隣だからって毎日顔を合わせてるわけじゃないよ。それに、昨日なんかはお互いに忙しかったし」

「ああ。そうか。男子サッカー優勝おめでとう」

「どうも。って、薫のクラスだって、女子バスケ優勝したじゃん」

「当たり前だ。私がいてどうして負ける?」

「お前がやる気なくしたら負ける」

「ご名答」

「って、そんなことはどうでもよくってだねっ」

 こうして電話をしているのは、決して薫とお互いに昨日の球技大会の優勝を喜び合うためなどではない。

 大体、潤が家屋敷に電話をしたのだとて、薫に用事があっての事ではないのだ。

 ただ、一番最初に電話に出たのが薫で、少々挨拶程度の言葉を交わすつもりが、なぜだかこうなってしまっているだけで。

「しかし、そこまで驚くことはないだろう? もとから愛理が朱鳥の剣を手にするのは時間の問題だった」

「それはそうだったけど、俺が問題にしたいのは、朱鳥の剣を愛理が持ったっていう話を、あいつからも兄貴からも聞いていないということだ」

「最早持ったというわけじゃない。用意が整ったという話だ。だから、愛理にも有喜さんにも報告義務はない。いや、もともと朱鳥の剣は『司』とは全く関係のないものだ。あれを扱えるのが莫大な『浄化力』を持つ者だけで、その莫大な『浄化力』を持つ者はたいてい『司』であるから、代々朱鳥の剣を『司』が保有しているという歴史ができあがってしまっているだけのことだ。つまり言ってしまえば、愛理が正式にあれを手にしたとしても、だからといって、皆に報告する以前に私たちに知らされる必然や必要は全くないということだ」

「必然や必要は、だろ? それと気持ちはまた別問題だ」

「気持ちの問題か……つまり、お前は拗ねているんだな?」

「違うっ!」

 薫の不愉快な指摘を、潤は反射的に大声で否定していた。

 すると、受話器の向こうの薫は小さな溜め息をついたようだったが、もっと否定の句を並びたてたところで彼女には軽くあしらわれるような気がして、潤はただ、彼女の次の言葉を静かに待った。

「まあ、だからだな、潤。愛理がいつも以上に、私たち以上にプレッシャーを感じてしまっているということを私は言いたいんだ」

「……まだ朱鳥の剣もらってないんだろ?」

「そうだが、だからこそ余計に、だろ?」

「ああ……まあ、そうかな」

「今日、とりあえず私はあいつの話を聞いて釘をさしておいたが、はっきりいってあてにはならん」

「釘をさした? どういう風に?」

「何かあったら私を呼べ」

「……それは見事にあてにならないなあ……」

「愛理自身も約束しきれないとは言っていたよ。だから、あいつの動向には注意してやっていてほしい。愛理に気を払いつつ、日常生活もまっとうに送ろうとするには、私とあいつとの距離は開きすぎている」

「……俺のほうが近いって?」

「物理的な話だ。生憎と、愛理の親友という座は誰にも渡せん」

「俺は別にあいつの親友になろうとは思わねえよ」

「ほう……親友の座は要らんのか。だったらお前がほしいのは愛理の――」

「下手に勘繰るな! その辺のことは、――薫っ、お前なあっ!?」

 ボリュームを落としてはいたものの、またもや本気になって潤は怒鳴り付けていた。

 彼女が自分を面白がってからかっているだけだという事はわかっていたのに、どうしてこんなにもむきになってしまったのだろう、と、潤は一人静かに赤面せずにはいられなかった。

 が、電話の向こうの薫もさすがに潤の顔が赤くなっていることなど見て取ることはできず、「話を戻すが」と言って改めて切り出ししていた。

「愛理もこのところ一人突っ込んでいってしまっていることに気後れはしているようだったよ。いつもお前に言い返しているのは、もう意地のレベルだろう。ただ、反省しながらも改善の様子が全く見られないのは、恐らく、普段は自覚できても、いざという時にはそんなことなどすっかりと忘れてしまうからだろうな」

 愛理が一人で突っ込んでいってしまっているのは、決して彼女が自身の力を過信しているからではない。

 それは潤にもわかっていた。

 ただ、彼女は『魔』の気配を感じた途端に抑制をなくしてしまうのだ。

 躍起となって、『魔』の気配だけを求めて飛び出していってしまう。

 それは何も今に始まったことではない。

 彼女が『精霊使い』、『浄化者』として動き始めてからいつも、だ。

 そのたびに、距離的に愛理と近いところにいる潤は彼女の背中を追ってきた。全身で『魔』にぶつかっていく彼女のフォローをし、怪我の手当てをし、傷ついても『魔』に立ち向かおうとする彼女を援護してきた。

 だが、いつまでもそんなことはしていられない。

 これからもずっと自分がうまい具合にそばにいることはできない。

 それに、『司』に求められるべきは、もっと絶対的な実力であるはずなのだから。

 自分もだが、愛理だとて、まだまだいくらでも成長しなければならないのだ。

 いくらでも。

 どこまででも。

「わかったよ、薫。俺からも話しておく。今回はただの事件では片付けられないしな。俺だって、いいかげんあいつのうしろ守んのは嫌だし」

 潤がそういうと、薫は、

「まあ、お前が言ってどれだけ愛理が耳に入れるかは疑問だが、全く言わないよりはましだろう」

 と呟いた。

 それは事実、潤の脳裏をよぎったことでもあるので、電話口でしみじみと頷いてしまう。

「……確かにな。愛理にはいつも救急箱がそばにいるわけじゃないという事を思い知らせないとな」

「救急箱ですか。ひどい言いようだなあ」

 潤は呟いた。 

 彼には、『精霊使い』、『浄化者』とはまた違った特別な力があった。

 それが、治癒能力。

 一般的にその能力が認知されている『三大陸世界』においてですら、めったに現れることのない能力だ。

 治癒能力といっても、人によって治癒の仕方も治癒できる対象も違ったが、潤は外傷全般の傷口をふさぐことができた。

 右手を傷口にかざし精神を統一することで、柔らかな光を放ちながら傷を癒していくのである。

 そんな特殊能力者に一番お世話になっていると間違いなく言えるのが、今話の対象となっている愛理なのだ。

 彼女はどれほど無謀なことをやらかしても、すぐ背後には潤がいるので、痛い思いはそれほどしていないのである。

 絶対に彼女が未だ五体満足で暮らしていけているのは自分のおかげだと、潤は信じて疑わない。

「それじゃあ、そういうことなので頼んだぞ」

「ああ。わかった」

 答えて潤は電話を切ろうとした。

 が、受話器の向こう側から漂ってくる気配に違和感を感じて、耳から離しかけた受話器をまた押し当てた。

 案の定、薫の訝しげな声。

「……ところで、潤。お前、何の用事でここに電話してきたんだ?」

「――――」

 大したことじゃなかったからもういい、といって電話を切った。

 愛理のことやれ朱鳥の剣のことやれの話の後で、とても律子に借りているマンガの話などする気にはなれなかった。

 電話に手を添えたまま大きく一つ溜め息をつく。

 これからするべきことの道筋を立てると、一応有喜に一言言っておこうとリビングに向かった。

 と、背後の玄関で音がした。呼び鈴が鳴ったので、踵を返し、カギを開けドアを押し開く。

「こんばんは」

 現れたのは美央だった。

 手にはきんぴらごぼうの入った丸い皿。

「あれ? 美央?」

 有喜が彼女の声を聞きつけてリビングから顔をのぞかせた。

 お隣さんでれっきとした有喜の婚約者でもある彼女は、行く手を開けた潤に微笑みかけながら迷わず中に進んでいく。

「夕飯はまだ? これ、たくさん作っちゃったから御裾分け。おばさんは?」

「ああ。キッチンで夕飯のしたく。そっちもまだなのか?」

「うん。今珍しくうちのお母さんが料理してるの」

「へえ。今日、おばさんの帰り早かったんだ」

「珍しいでしょ?」

 潤はそんな会話絵を交わしている二人に寄っていった。

 ソファに座り、今までテレビを見ていた有喜が「なんだ」といった視線を向けてきた。

「ちょっと隣行って来るよ」

 家にいる間は、潤も有喜も、愛理も美央も普通の日本人だった。

 四人にはちゃんとした家族がいる。

 父と母。

 彼らは子供たちがどのような力を持ち、どのような使命を帯びているかなどということは一切知らない。

 『精霊使い』や『浄化者』、『司』のことも、『六大陸世界』の人間にはできるだけ知られてはいけないのだ。

 それは、『三大陸世界』と違う歴史を歩んできたこの世界をパニックに陥れるわけにはいかない、などという理由からなどではなく、『三大陸世界』に『六大陸世界』の人間が足を踏み入れることを恐れているためだった。

 『六大陸世界』の――現代の文化は、電気などというものからかけ離れた生活をしている『三大陸世界』にとって、世界を破滅に導きかねないものなのである。

 だから、『三大陸世界』のことを知る『六大陸世界』の人間は最小限にとどめるべきで、潤たちはそのために、両親にも自分が背負っている事実を話していないのだ。

「隣? 愛理ちゃんか?」

 有喜が尋ねた。

 潤は、「話、あるから」とだけ答えた。

 それ以上は言う必要はなかった。

 いくら有喜が自分の師匠で、確かに愛理のところに行こうとするのは自分たちの秘密に関することであったとしても、できる限り家族のいる場では、家の中ではその話は避けたかった。

 それは有喜にしても同じこと。

 今までだとて、家の中でそのような話を持ち出す時は細心の注意を払い、最小限のことにとどめてきている。

 すぐに戻るから、と言い置いて潤は足早にその場を去ろうとした。

 もうすぐ松山家も橋本家も夕飯だ。

 それまでには話を終えておきたい。だから。

 ――けれど。

「あら」

 と言って、美央が潤の行く手をふさいだのだ。

 潤は彼女の言葉に足を止め、一瞬呼吸も止め、間の後、かたまった表情でゆっくりと美央を振り返った。

 台詞を復唱する。

「愛理は、まだ帰っていない……?」

 平然と彼女の姉は、そうよ、と答えた。

 潤は、その瞬間に頭の中で考えを巡らせた。

 愛理がまだ学校から帰ってきていない。

 彼女が家に帰ってきていない理由は、一体どこにある?

 どうして、まだ帰ってこない?

 何が、彼女をそうさせている?

 その原因は、一体どこにある?

 いったい、

 どこに……?

「――ばっ……ふざけてる……っ」

「おい、潤!」

 困惑して呼びとめる有喜の声を背に、潤は真っ直ぐ玄関を飛び出した。


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