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朱鳥の剣  作者: 望月あさら
■ 2 ■
8/22

2-1

 今日の風は優しかった。

 今日の陽射しは暖かかった。

 そのためなのだろうか、橋本愛理は一人、理科室の窓際から離れられないでいた。

 南校舎の二階。

 窓の下には、下校していく生徒たちの姿とざわめきがあった。

 いつも通りの光景で、愛理だとて、つい先ほどまではいつもと変わらずにいた。

 いつも通り登校して、いつも通り授業を受け、休み時間を友達と過ごし、最後のホームルームの後この理科室に掃除に来、終わらせた。

 だけど、その掃除の最中にふと、愛理は窓から空を見上げてしまった。

 白い雲がたくさんかかる青い空だった。

 そして胸元に違和感をおぼえ、そこから動けなくなってしまったのだ。

 もう、この部屋には愛理以外誰もいない。

 理科室の清掃担当だった他のクラスメイトたちは、ゴミをまとめるという名目を見つけた愛理を残して先に帰っていった。

 だから、一人。

 おもむろに愛理は手を首筋に這わせた。

 緩やかに吹き込む風に揺れる長い黒髪を片手でまとめながら、もう一方の手で首元をまさぐった。

 細い銀色のチェーンを首からはずす。

 それを、空に掲げるようにして見る。

 虹色のペンダントヘッド。

 太陽に透かすようにして見つめた。

 その、胸元の違和感。

「――――」

 これが渡されたのは、もう一昨日のことになる。

 昨日は球技大会の二日目で、出場した女子バレーボールが優勝を狙える位置にいたこともあって、一日、そのことに没頭できた。

 今日は、厄介な英単語の小テストが六時間目にあり、意識をそちらにもっていく事でバランスを保てていた。

 だけど、今。

 雄大な空を見て、思い出してしまった。

 胸元にある、異質な物の存在。

 目をそらすことなど出来るはずもない、その現状。

「――――」

 知らぬ間に溜め息が口をついて出る。

「おい、愛理」

 突然背後から名前を呼ばれて、振り返った。

 理科室の引き戸の傍には薫が立っていた。

 愛理と同じ青いスカーフのセーラー服は、華奢な男にも見える彼女に果たして似合っているのか似合っていないのか、それは未だにわからない。

 そんな薫が、丁寧にも扉を閉めて寄ってくる。

「どうしたの、薫。理科室(ここ)に何か用?」

 彼女は愛理から一番近い机の上に鞄を置き、それに寄りかかるようにして立った。

 腕を組むと息をつく。

「何か用かだと? お前こそこんなところでぼうっと何をしているんだ? 渡り廊下から見えたぞ」

「……ああ。そうか」

 愛理の向かっている窓から右手側の空を見上げようとすると、北校舎と南校舎を結ぶ渡り廊下にぶつかる。

 三階のあそこからなら、この窓がよく見下ろせた。

「そんなに『石』が珍しいのか?」

 抑揚のない口調で薫はきいてきた。

 冷たいとすら感じてしまう、いつもと同じ彼女の顔がある。

「……そうやって何事でもないように言われると、自分がバカに見えてくるわ」

「それは結構なことだな」

「あまり結構ではないんだけど?」

「それで、どうしたというんだ」

「どうしたって……」

 そういう経緯でそういう事をきく? と返そうとして、やめた。気力がなかった。

 薫がこうして尋ねてきているのだ。恐らく、渡り廊下から自分の姿を見かけた時点で、最早自分の心中のことなどわかってしまっているのだろう。

 隠そうとしても、ただでさえ鋭い洞察力の持ち主であるこの親友の前では隠し通せるわけはない。

 第一、言葉にする機会がなかっただけであって、隠しきりたいことでもないはずだ。

 ……が、それでもたまらなくなって、愛理は視線だけは空に逃がした。

「プレッシャー、かな」

 数秒考えて、こたえた。

 言葉を繋いでも嘘が出てくるだけのような気がして、それ以上は口に出来なかった。

 薫は愛理の背後で、「ほう」と呟いている。

「珍しいな」

「そうかな」

「そうだ。そうだよ。いつも後先考えずに突っ込んでいっているお前が? ここに来て怖がっているとはな」

「……怖い、だなんて言ってないんですけど」

「プレッシャーを感じている、だろ? 怖がっているのと一緒だ」

「……薫の思考パターンには、本当に時々驚かされるわ……」

「ありがとう」

「誉めているわけでもないんだけどね」

「よい風にとったほうが、ハッピーに生きられるというものさ」

「信じられないほどポジティブ」

「そうやっていけば、深く考えずに済むという話だな」

「…………」

 さすがに驚き、愛理は微かに両眼を見開いて薫を振り返った。

 案の定、そこには真顔の薫がいたが、愛理の眉根が寄せられていくのを見て、彼女は少し口元をほころばせた。

 途端、愛理は恥かしいほどの情けなさに襲われる。

 顔をそむけずにはいられなかった。

「……そうだよね。みんな、プレッシャーを感じていないわけはないよね」

 『司』になる、その思いは『司』候補生全員のものだ。

 だから、一昨日に与えられた最終試験にプレッシャーを感じないわけにはいかないだろう。

 問題は、そのプレッシャーをどう処理するかということなのだ。

 ただ怖がって時を過ごすではなく。

「潤はどうなんだ?」

 松山潤。

 彼と愛理はクラスも家も隣。

 会える機会は薫よりも断然多い。

「特に話してないけど……変わった様子もなかったような……」

「そうだな。あいつもあいつなりに一生懸命だろうが、正直、潤がお前ほどのプレッシャーを感じているとは思えない。それは、私もだ」

「でも、何も変わらないわ」

「変わらない? 何が? 『司』に対する思いとでもいうのか?」

「それは違う。悪いけど、私は薫や瞳子ほど『司』には拘ってない」

「知ってるよ。潤もそうだろうよ。それはしかたがないだろう。私や瞳子が『司』に求めているものと、お前や潤が『司』に求めているものは違うのだからな。だから、私が言いたいのはそういうことではない」

「じゃあ、どういうこと?」

「現状、愛理が背負っているものと、私たちが背負っているものの重さが違うということさ」

「背負っているものの、重さ……?」

 薫は、小さく口にする。

「朱鳥の剣」

「――――」

 愛理は、言葉をなくす。

「ビンゴだな。やっぱり、あのとき有喜さんがお前だけを残した理由はそれか」

 頷いた。

 薫や他の仲間に朱鳥の剣のことを言わなかったのは、口止めされていたからというわけではなかった。

 言葉としてあらわすことを恐れただけだ。

 物は、伝説の剣。

 五十年ぶりに稼動する、それ。

 自分にこそ相応しいという声はずっと以前からいくらでも耳にしてきたが、(きた)るべき時を目の前にすると、また気持ちは変わってくる。

 まだ本物を目の当たりにすらしたことのない剣。本当に自分でいいのかという、途方もない不安に覆われるのだ。

 怖がっているといったら怖がっているのかもしれない。

 剣そのものの力や、剣が抱えている歴史に自分は耐え切れるのかという……。

「嫌になっちゃう。ここに来て尻込みするなんて。朱鳥の剣。あの剣を預かってもいいって言ったのは自分だわ。どうだ、ってきかれて、考えて、わかった、ってこたえた。ちゃんと自分で決めて返事をしたはずだった。……なのにね、……」

「その瞬間の覚悟を忘れたということか?」

 静かに薫が聞いた。

 愛理は、薫の顔を見つめ、その言葉を口の中で繰り返した。覚悟。

「――――」

 開け放たれている窓に向かう。

 下の桟に、肩幅より広いぐらいで両手をつけ、足も広げると、ぐっと、腕を伸ばしたまま前屈みになって背筋を伸ばした。

 目の前には白い床があった。そこに横から黒髪も垂れてきた。

 右手には、先ほど首からはずしたペンダントが握られている。

「覚悟」

 言い切って体を起こした。

 乱れた髪とセーラー服を整えた。

 視線は、窓の外に向けたまま。

「忘れそうだったよ。危ないなあ。――覚悟。何で『司』になりたかったか、なりたいのか、本筋じゃないところに押しつぶされてわからなくなっていたら、意味がないよね」

 窓の下からは、いつものとおりに生徒たちが帰っていく音がした。

 靴でアスファルトを蹴る足音、一日の授業が終わったことを喜ぶ声。

 白い雲は、まだ太陽にかからない。

「薫。おしえて。『穴』を見付けるには、歩き回る以外、どうすればいい?」

 今回の異常自体の原因とされる、突然開いた『穴』。

 それを見つけ出しふさがないことには、どれだけ『魔』を『浄化』しようとも、問題が解決したとは言えない。

 一昨日、薫が他の三人に告げた当面の目標は、『穴』を見つけるということだった。

 そして、目標達成のために彼らがとることにした方法は、ひたすら歩くというもの。

 望ヶ丘近辺で『穴』が開いていることはわかっていた。だったら、しらみつぶしに歩き回り、『魔』の気配を探っていけばそのうち見つかる。一番確実な方法なのだ。

 だが、愛理は今、それでは時間がかかりすぎると思った。

 そんなに悠長に構えていていいはずはない、と。

「……他の方法か。確かに、お前の察するとおり、無いわけではないがな」

「だったら、おしえて」

「リスクが伴う」

「わかってる。覚悟の上だわ。私には、薫がどうしてその方法を言い出さなかったのか、潤と瞳子がどうして他の方法を求めなかったのか、その理由も、わかってる」

 恐らく、その方法は愛理にしかできない。しかし、愛理にその事実を示した場合、彼女が一人で無茶をする確率も高い。

 だからだ。

 だから、誰もそれを口にしようとはしなかった。

 愛理本人ですら。

「……覚悟か……」

 薫が呟いた。

 その口調が聞き慣れないもののような気がして、愛理は振り返った。

 薫は少し首を傾げ、愛理を見ていた。

「――『魔』の痕跡を探るんだ」

 不意に薫が口にしたのは、愛理の求めた解決方法だった。

 眉をひそめる。

「もっとわかりやすく言えば、その『魔』の来た道筋を探ると言うことだ。その『魔』が道すがら置いていった残り香、とでも言えばいいかな。それを逆に辿っていけば、穴にぶつかる可能性は高い」

「残り香を、辿る……」

 愛理もそのような方法を聞いたことがないわけではなかった。

 力の強い『魔』なら、空気中に痕跡を少しずつ残しながら移動をする、と。

 感覚的にはまさに残り香、だ。

「ただ、もうすでにわかっているとは思うが、うまく辿っていくためには、辿る人間の感知力が強くなければならない。空気中の雑然とした残り香の中から、ただ一つの残り香を特定しなければならないからな。安易にできることではない」

「でも、私にはできるというのね」

 わざわざ教えてくれると言うことは。その真意は。

「……そうだ。そして、今回の四人の中でなら、お前にしかできないことでもある」

 愛理は『浄化力』も感知力も人並みはずれていた。潤や瞳子はその両方とも確かに強くはないが、薫も『浄化者』の中として考えれば十分に強力な力を持っている方だった。

 が、その薫にもできないこと。

 愛理にしかできないこと。

 だから薫は、愛理が一人で向かっていってしまうことを恐れてこの方法を口にすることをしなかったのだ。

「それと、先ほどリスクと言ったがな……」

「全部おしえて」

 薫が戸惑うのを見て取って、愛理は強く促した。

 彼女の厳しさをはらんだ眼差しが、愛理を一直線にとらえる。

「……いいか。よく聞け。そのような残り香を有効な分だけ置いていける奴なら、そいつは馬鹿にならないほど強い『魔』、ということだ」

 強い力を持つ『魔』ほど認識することができる。その姿がはっきり見えずとも、力の強い『魔』なら、漂ってくる感覚で居場所を特定することができる。

 残り香もそれと同じ事だと薫は告げた。

「それと、もう一つ。『魔』の残り香を探し当てると言うことは、『魔』の念に触れるということでもある。弱い念ではあるが、触れ続ければ、影響が出ることも十分に考えられる」

 人の力を食うためには、『魔』は人の体内に入りこまなければならない。

 精神体である彼らが体内に入りこむのに特別な入り口などは必要ないが、その人間と『魔』の、生まれついて持っている波長が合わなければ、『魔』が中に入るのは困難だとされていた。

 しかし、例外はあった。

 『魔』の宿す強い思い、念と、人間の念が同じものであるなら、それを道しるべに『魔』は人間の体内に入りこめるのだ。

 つまり薫は、愛理が残り香となって宙をさまよっている『魔』の念に触れることで、その念に同調していまい、それによって『魔』に入りこまれる危険性を示唆しているのである。

 また、これが最も憂慮すべきリスクだ、とも。

「わかったわ。覚えておく」

 愛理はそうこたえた。

 薫が本意でなく話したことはわかっていたが、安心させるためであっても大丈夫とは言えなかった。

 自分は『司』になる。

 薫も、潤も瞳子も『司』になる。

 抱えている信念はそれだけだ。

 強く求めているものはそれだけだ。

 朱鳥の剣。確かに負担だ。自分が使いこなせるか、その確信は全くない。

 けれども、その負担をも抱え乗り越える先に『司』への道があるというのなら、『魔』を排除できる圧倒的な力を手にすることができるなら――強くなることができるなら。

 やってみせる。自分の道を見定めるためにも。

「愛理ぃ? 何やってんの?」

 そこに、突然理科室の扉は開かれ、そのような声がした。

 薫と共にとっさに視線を向けると、扉のわきには真奈が立っていた。

 あ、と声を上げ、真奈は惑う。

「小山先輩。すみません。内緒話の最中でした?」

「ああ。でも今終わったところだよ」

 明るい口調で薫は言って、凭れかかっていた机に乗せていた鞄を手にした。

 愛理に向き直る。

「それじゃあ、何かあったら誰かを呼べよ」

「わかったわ。気をつける」

「気をつける、か。信用できない言葉だな。……わかった。誰か、じゃない、私を呼べ」

「薫を? 絶対?」

「約束しろ」

「守れないかもしれない」

「知ってる。それでもいい」

「……うん。そうするわ。約束する」

 自然に笑って愛理は答えた。薫は踵を返して扉に向かった。真奈と擦れ違う瞬間に視線を合わせるが、無言のまま去っていく。

「『誰か、じゃない、私を呼べ』」

 薫の背を見送ってから、真奈はそう彼女の口調を真似て言った。

 愛理はそんな真奈に失笑してみせる。

「何やってんのよ」

 すると、友人の言。

「それはこっちの台詞だってば。こんな胡散臭いところで何やってるかと思えばさ、小山先輩と内緒話とはね」

「嫉妬?」

「めちゃくちゃ嫉妬。気分最悪。だから、ジュース一本おごるように」

「何よ、それ」

「喉乾いたから」

「あら、そう。で、何しに来たの?」

「その態度冷たいなあ。まあ、そんなことわかりきっていたけどさ。部活行くでしょ?」

「お誘いということね」

「籍置く以上はちゃんと参加しましょーね」

 にっこりと笑って、次期演劇部部長内定者は言ってくれた。

 彼女がわざわざ愛理を迎えに来たということは、ともすると愛理がこのまま学校からいなくなるのではないかという不安を持ったからなのだろう。

 現に、愛理としては今すぐにでも学校を離れて『穴』の探索に出かけるつもりだったから、彼女の洞察力には脱帽するしかない。

 いい友人に恵まれたものだ、と、薫の顔も思い浮かべて愛理は軽く嘆息する。

「わかってる。ちゃんと行くわよ。でも、一つだけ頼みごとしてもいい?」

 顔の前で人差し指を立て、少し甘えるようにして愛理はそう言った。

 愛理からのお願いとあってか、真奈は少し顔を輝かせて「何?」と尋ね返してきた。

 愛理はそんな真奈に微笑みかけると、立てていた指で左手側の教室の隅を差して、言うのだ。

「ゴミまとめるのさ、手伝ってよ」

「――――」

 隅に野ざらしで積み上げられているゴミの山を見て、真奈は見事に絶句。

「……私、当分理科室の掃除当番じゃないんですけど……?」

 顔を引きつらせて視線を向けるものだから、愛理は最高級の笑顔を返してあげる。

「うん。知ってる」

「……ジュース、本当におごってよね」

「うん。ウーロン茶でいいよね?」

 そうして二人は、ほうきとちり取りとゴミ袋を持って、それを無言で片付けにかかったのだ。


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