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朱鳥の剣  作者: 望月あさら
■ 3 ■
20/22

3-8

「おい愛理! 大丈夫か!?」

 赤い光が世界を席巻した直後、愛理は正気を取り戻していた。

 正気を取り戻したというのは、つまり、光が去ったと思った瞬間、彼女は自分が今まで何をしていたのか、それがわからないことに気づいたのだ。

 自分は、一体何をしていたのか。

 『穴』を塞ぐためには、『穴』に群がる魔を排除しなければならず、それをなすために自分は朱鳥の剣でもって『浄化』をしたはずだ。

 現に、自分は『魔』のいなくなった『穴』を『結界』で守っている。

 だが、いつこの『結界』を張ったのか、その記憶は定かではない。

 『浄化』をした。

 その直後からの記憶がない。

 周りを認識できたのは、そう。

 潤が、呼びかけたから。

 彼が、濡れた地に腰を下ろす自分に近寄ってきたからだ。

「どうしたんだよ、ぼうっとして! 大丈夫なのか? 何ともないのか?」

 同じように屈みこんで必死に問いかける彼の顔をまじまじと眺めてしまった。

 潤の表情には、疲労も顕わだ。

「一体どうしたんだよ!?」

 強く問いかけられて、やっと「大丈夫」とだけこたえる。

「ならいいけど。お前、変だぞ? ……あいつに、会ったからか?」

「え?」

 反射的にそう返していた。

 あいつに会った?

 ひっかかるものを感じて、必死に思い出そうとした。だが、朧な記憶を明確に引っ張り出すより先、潤が慌てたように「なんでもない」と口にしていた。

 彼の顔を見ていたら、突然言葉がよみがえってくる。

 

 

 「なんで、君は一人で泣いてるの?」

 

 

 違う。それはもう何年も前の、幼い頃の記憶だ。どうして今になって思い出されてくるのか。

「とにかく、大丈夫なんだな? だったら、動いて問題ないな?」

 頷いた。

 心に引っかかりを覚えても、それよりも気になることは、現状、どれだけでも転がっていた。

 宙に漂う、無数の光。

 どうして、『魔』がこうもここにいる?

 自分は『浄化』したはずだ。

 手ごたえは、それなりに感じていたような気がする。

 なぜこんなことになっているのかと潤に訊ねたら、そっけなく「俺がききたい」と返された。

 朱鳥の剣のせいなのか、と咄嗟に思う。

 まだ全容など全く解明されていないに等しいという、伝説の剣。

 それが、手にある。

 気を失っていても『石』の形に戻ることはなく、長年共に戦ってきた戦友のように、しっくりと手中に収まっている。

 透明の刀身に目を落とし、握りなおした。確かな硬質の感触を確かめて、愛理は視線を上げた。

「……現状、手当たり次第、『魔』を排除するしかないということね。潤、あなたは大丈夫なの?」

 彼が、「大丈夫じゃない」と答えるはずなどなかった。案の定、さっきまで正体無くしてた奴がふざけんな、と悪態づくとすっくと立ち上がった。

 途中、顔をしかめたようでもあったが、それには見て見ぬふりをした。

 愛理も立ち上がる。その場が斜面で自分自身が斜めになっているせいもあってか、頭がふらつき、目の前が真っ白になった。

 それでも平衡を保っていようとしたが、体はバランスをとっていられない。

 腕をつかまれ、ぐい、とひっぱりあげられた。

 白い世界から抜け出たところで、腕をつかむ潤を見る。

「貧血があっさり完治したら、世間の女どもはそうも苦労しない」

 回りくどい嫌味だわ、と言いかけたが、億劫に感じてやめた。

 意地で彼の手を払いのけると呼吸を整える。

 剣を持ち直し、改めて周囲を見渡す。

 濁った光の舞は続き、降り続く雨にそれらが淡く反射して、実際数より多く見せているようだった。

 自分は光の海で溺れている。

 そんな錯覚を覚える。

「……知ってるとは思うけど、私、今『穴』守ってるのよ」

 短く「知ってる」という声がする。

「……この光、どのくらいで全部消えてくれるかしら」

「そうだな。お前が馬鹿でかい『浄化力』を後五回」

「私を殺す気?」

「もしくは三回」

「二回が限度よ」

「いいや。この散らばりようじゃあ、最低三回だな。でも、これでも楽になった方なんだぞ」

「え?」

「さっきのお前の『浄化』。それで、だいぶ瘴気が弱まった。あれがなかったら、俺はここまでお前に近づけなかった」

「…………」

「『精霊』で弱らせてから、襲いかかってくる『魔』を『浄化』したほうがいい。直接いくと、精神の方がいかれる」

 潤の話を聞き終えるが早いか、愛理は不意に、ぶん、と剣を一閃させた。

 目の前にいた『魔』数匹が、断絶魔をあげながら消え失せていく。と同時に、沁み入ってくる、禍々しい意識。

 気持ち悪さに顔を歪めながら、なるほどね、と愛理は納得する。すると、たった今忠告したばかりの彼は、目を白黒させて愛理を見下ろすのだ。

「お、お、お前……っ。人の話なに無視してんだよ! そうやったら精神に負担が大きいって、言ってやったばかりだろう!?」

「でも、実際に経験してみないとわからないことってあるわ」

「んなことやってたら体がもたんだろうがっ!?」

「それに、免疫、だいぶついたと思ったから」

「は?」

 聞き返してくる彼に、それ以上言えることは何もなかった。

 愛理が大丈夫言い切れる根拠はどこにもない。ただ、自分がそう思った。もう『魔』の侵入を許したりはしない。どこかにあった隙間は埋め尽くしてしまった。だから、大丈夫なのだ、と。

 けれど、何が自分にそう思わせたのか、何があって、自分はそう思うことができたのか。

 ここにいる『魔』に負けはしない、と、その自信は一体どこからやってきたものなのか。

 

 

 「なんで、君は一人で泣いてるの?」

 

 

「――――」

 心の中に蹲る、甘く、苦々しいものを感じて、眉間に力を込めた。

 引っかかりを振り払うように、強く「私の『結界』の中に入って」と潤に告げると、『精霊』を改めて呼んだ。

 声に導かれ、集まってくる『地の精霊』。

 愛理の言葉に従って、周囲の『魔』に一斉に襲いかかっていく。

 『魔』の叫びがする。

 それを愛理は聞き入れはしない。

「『浄化』!」

 声にならぬ音を上げて『魔』は消滅する。

 背後でも、『魔』の気配がいくらか消えた。

 潤が『浄化』をしたためだ。

 彼の舌打ちが聞こえる。

「本当に、きりがねえ……!」

 『水の精霊』が集まった。

 潤の声と共に『魔』に襲いかかった。

 愛理と潤は、その隙を突いて『魔』に剣を食らわせる。『浄化』をなす。

 繰り返し繰り返し、二人は交互に『精霊』を呼び、『浄化』を行った。

 少しずつではあっても『魔』の数が減っていっていることは感じられたが、爆発させたたった一度の愛理の『浄化』に適うようなものではなかった。

 それは、無意識のうちに『浄化』をなしていた愛理にすらわかった事実だった。

 潤の疲労、舌打ち。

 雨でただでさえ体は冷たく重い。その上に、嫌気がさすほどの無数の『魔』、傍若無人に心のうちに入り込もうとする意識。

 果ての見えない戦いを強いられる不安。

 自分が『浄化』をする前は、自分に近寄れないほどの『魔』の勢いだったという。

 今この状態でも著しい体力の消耗を禁じえないというのに、『浄化』以前はどれほどのものだったのか。

 近寄ることが不可能だったものを、一瞬にして可能にまでした『浄化力』とは、どれほどのものであったのか。

 自分一人の力でできたことではない。

 潤が目にした『魔』の現状を見据えさせられて、愛理は痛感する。

 朱鳥の剣。その、計り知れない強大な力。

 自分が、本当に扱いきれるのか?

「――愛理!」

 何度目かの『浄化』の後、『精霊』を呼ぼうとした愛理を潤が止めていた。

 精神集中の世界から我に返り、背後にいる潤に視線を向けた。と、光の海から視野の中に、濡れ落ち葉の上を滑りながら飛び込んでくるものがあった。

 瞳子、だ。

「瞳子!?」

 潤が飛び出した。傷付き、『結界』をも破られた彼女を守るべく、そばに寄ると自らの『結界』を広げ、瞳子をも包み込む。

「『地の精霊』!」

 愛理は咄嗟に、潤と瞳子に襲いかかろうとした『魔』をめがけて『精霊』を放っていた。

 『魔』を粉砕するのと同時に、瞳子が顔を上げる。

「薫が……!」

「!?」

「潤、交代!」

 今度は愛理が走り出す番だった。

 『穴』を守るという役目を強引に潤に押し付けると、斜面を滑り降り、『地の精霊』を先行させつつ、瞳子が飛び出してきた『魔』と木の間に入っていった。

 『穴』から少しでも離れると、『魔』の海の濃度は薄くなった。

 先ほどと比べようがないほどに視界はよくなり、ここが森であることが今更ながら思い知らされていた。

 愛理は、『結界』を持たず、『魔』と奮闘している薫の影を目にした途端、先を走らせていた『地の精霊』を薫の援護に向かわせた。

 幾たびも地面にたたきつけられたのか、彼女のセーラー服は泥と濡れた落ち葉にまみれていた。

 滑り込むようにして傍らにつくと、薫を狙って迫ってきた『魔』を朱鳥で両断する。『結界』を張る。

「薫、大丈夫!?」

 気が抜けたのか、『結界』が張られると同時に彼女は座り込んでいた。

 呼びかけると、薫は疲労の隠しきれない笑みを浮かべてみせた。

「何が大丈夫だ。お前のほうこそ大丈夫なのか?」

「私? 私はこれといって――」

「全く恐れ入るよ。こんな瘴気に当てられて戦意を喪失していたというのに、今じゃあ吹っ切れてなんともないとはな。――朱鳥の剣、力の片鱗を見せてもらったぞ」

「――――」

 自分勝手に愚痴とも文句とも取れる言を終わらせると、彼女は立ち上がる。

 言い返したいことがあっても、言葉の最後に朱鳥のことを持ち出されては、それ以外のことは何も話題にはできない。

「私は何もしていないわ」

「では、あれは誰の仕業だ?」

「意識が、なかったみたい」

「だろうな。おかげで私たちはお前の深層の意識を見させてもらったさ」

「……何、それ?」

「潤は何も言ってなかったのか? あいつと一緒だったんだろう?」

「ええ。今は瞳子といる」

「気を少し抜いた隙に、『魔』に弾き飛ばされた。集中力が限界に達していたところだった」

「……私は、どれだけ意識を手放していたの?」

「……本当に覚えていないのか」

「……わからないわ」

「私はてっきり、お前は夢を見ているのだと思った」

「夢?」

「そうだ。夢、だ」

「……引っかかっていることはあるの。でも、昔のこと。小さい頃の言葉。……私……それを……?」

 「まあ、いいさ」と、薫も潤と同じタイミングで話を打ち切っていた。

 愛理が心の奥底からこみ上げてきたものをつかまえようとした、直前。

 二人とも、夢ではなく、愛理に現実を認識させる。

「とにかく、ここをどうにかしなきゃいけない。そのためには、情けない話だがな、私たちはお前とその剣に頼らなきゃならない」

 言い終えると、薫は口から溜まった唾を吐き出した。僅かに赤く見えたのは気のせいではないだろう。口の中を切っているのだ。

 途端愛理も、舌の上に苦い血の味を感じた。

 立ち上がった時に顔をしかめた潤、地面を滑ってきた瞳子、血を吐き出した薫。

「――わかっているわ。薫、二人と合流しましょう。それで、『結界』を、小さくして」

「……お前だって無傷じゃない。一回が限度だぞ」

「二回よ」

「自分をもっといたわれ」

「いたわって殺されたくないわ」

「私はお前が自滅するのを見るほうが嫌さ」

「大丈夫よ」

「お前の大丈夫は当てにならん」

「でも、私は現にここにいる」

「……本気か?」

「まあ、誰のおかげかは、知らないけど」

 過去に何度か大丈夫でないことがあったことは事実だ。本来、何度か死んでいてもおかしくない身であることはわかっている。

 それが今まで見事に免れているのは誰のおかげか。

 言わずもがなではあったが、今は考えが結論に至らないようにした。

 愛理は、精神を統一する。

「我が名はアイリ。我が名を刻印する『地の精霊』よ、我が声を聞け。その力をもって、血路を切り開け!」

 『精霊』が水しぶきをあげながら走った。

 道すがら、出会った『魔』に襲い掛かり、その動きを止めた。

 愛理と薫は、『精霊』が作った闇の道を、他の『魔』にふさがれないうちに走り向けた。

 『穴』を守るようにしてそこにいる潤と瞳子の元に寄っていく。

「薫!」

 声をあげたのは、先程足に作った擦り傷を潤に癒してもらっている瞳子。

 薫は守るように彼女に背を向ける。

「瞳子、大丈夫か?」

「私は平気。ごめん、守りきれなかった」

「気にするな。なんてことはない」

「薫、傷」

 瞳子のすり傷をふさいだ潤がそう問いかける。が、薫はクールに「大丈夫だ」とこたえるだけだった。かわりに、愛理、と促すように、確認するように、名を呼んだ。

 愛理は告げる。

「今から『霧』の『結界』を小さくするわ」

「何だと!?」

 潤が驚きの声をあげた。

 瞳子も驚愕の表情を浮かべた。

 『結界』を小さくする。

 その言葉だけで愛理が何をなそうとしているのか、理解できるのだ。

 つまり、『結界』内で愛理の『浄化力』を爆発させるのだ、と。

 それは、先程潤が冗談で口にしたことでもある。だが、潤にしてみれば、冗談の域を出なかったことなのだ。

「ば……何考えていやがるんだ……っ! お前本調子じゃないこと忘れているだろう!?」

「三回やれって言ったのはどこの誰よ!」

「冗談に決まっているだろう!? やってみろ、ぶっ倒れるぞ!?」

「大丈夫。何とかなる」

「その根拠のない自信は一体どこから来るんだ!? さっきも足元やばかった奴がっ。強がりいえる状態なのかよ、本当にできると思っているのかよ!? たとえこの身果てても、なんてバカなことは聞かないぞ!?」

「何よ、ここに来てドクターストップ? それこそ聞く耳持たないわ! 大体、私だってこんなところでくたばる気はないし、」

「だったら!」

「でも他にどういう手があるっていうのよ!?」

「――――」

 愛理だとて、自分の身をかけて戦うことを望んでいるわけじゃない。

 当たり前だ。

 楽に、簡単に事が処理できるなら、それで済ませている。

 けれども、現状、他の方法がない。

 潤は背中の傷をかばっているし、瞳子と薫の疲労も濃い。

 一つ一つの『魔』が相手ならば、自分達が負けるような相手ではない。

 だが、持久戦に持ち込まれた今、自分達に分はないのだ。

 地道に一つずつ排除していったとして、一体どれほどの時間がかかる? どれほどの体力を持ち合わせればよい?

 これだけ戦ってきて、まるで見当はつかないではないか。それは、自分たちの負けを意味しているに等しい。

 ならば、一番可能性のある勝ち方を選ぶのが得策だろう。

 自分と、朱鳥の剣。

 そう。伝説の剣が、今、手の中にある。

「――大丈夫よ。私、生きるために自分にかけるんだから」

 独り言のようにそう口にした。

 「『穴』、しっかり守ってよね」と言い置いて、三人から少し距離を取った。

 一歩、二歩と足を進め止めると、深呼吸をした。

 右手にある剣を持ち直す。

 疎らに瞬く光の波を見据えつつ、一つ大きく頷いた。

 それを合図に、薫の『霧』の『結界』は、徐々にその直径を狭めていく。

 迫り来る『精霊』の壁に追い立てられるようにして、『魔』は愛理たちのほうに寄り集まってくる。

 光の濃度が、あがる。

 視界全体が、眩暈を起こしそうな輝きで覆われる。

 声が、する。

 

 

   ナンデ

   ナンデ

   ナンデ

 

 

 声が、聞こえる。

 

 

   シニタクナイ

   シニタクナイ

   シニタクナイ

 

 

 声、声、声。

 無数の、限りない、声。

 それを受け止めつつ、愛理は朱鳥の剣の刀身に左手を沿わせた。

 目を閉じ、深く呼吸をする。

 剣の鼓動を、感じ取る。

 そして、

「『浄化』!」

 閉じられた目蓋の向こう側を、赤い光が覆い尽くした。

 その光に、体全体の皮膚が吸い寄せられ、急激に体温が上がり、下がったような気がした。

 その後、光は、消え失せる。

 愛理は、地におちる。

「愛理!?」

 膝を突き、手をついた。

 完全に意識を手放しきれなかったのは、まだだからだ。

「おい、愛理……!」

 困惑する潤の声が届く。

 だが、そんな響きがなくとも、愛理自身にもしっかりわかっていた。まだだ、と。

 まだ、『浄化』され尽くしていない、と。

「……もう一度……」

「バカ言うな!」

 すぐさま叱責が飛び、愛理はそれ以上口にはしなかった。

 例え、『魔』の大半が消え失せたから今より『結界』を小さくすることはできると薫が言っても、それは高が知れていた。

 第一、『浄化力』を特定のものではなく、空気中に放つこと自体が無謀な自殺行為なのだ。

 いくら『魔』がほんの小さな一ヶ所に集められていたとしても、空気中に『浄化力』を放つのであるならば、ただ『魔』を『浄化』するのとは違う、無駄な力が要ることになる。

 あと少し。

 そう。

 あともう一度、今と同じだけの『浄化』をすれば、間違いなく『魔』はすべて排除できる。

 かといって、自分にそれができるのか。

 もう一度、立っているだけの力があるのか。

「――――」

 否。

 立たなければならない。

 『浄化』せねばならない。

 自分は、生きる。そのために、ここにいる。

「待て、愛理!」

 立ち上がろうと四肢に力を込めたその時、潤が駆け寄ってきた。そのままでいろ、と、彼も屈みこむと、目を覗き込むようにして愛理を見る。

「痛いところは? 怪我はないのか?」

「……わからない。なかったと思うけど、雨で体が冷えちゃって、感覚が、あまりない」

「そうか」

 呟いて、潤はあたりに目を向けた。

 宙に漂う、『魔』。

 連続して起こった二度の『浄化』という爆発に恐れをなしたか、様子をうかがって、ただそこにいるだけである。

 だが、彼らが自分たちを排除したがっているということに変わりはないのだろう。

 隙を見せたら、また襲いかかってくる。果てのない攻防を繰り返すことになる。

「…………」

 ……まだ、だ。

 まだ、『浄化』し尽くせていない。

 もう一度、もう一度できたなら――。

「愛理。お前、ここ狙え」

 不意に、視線を向けた潤はそう言った。

 一瞬、何を言っているのかわからなくて、その目を見返した。

 だが、潤が指差しているのは、幻覚ではない。

 幻覚ではなく、潤の、心臓。

「……え……?」

 何を言っているのか、と問い返すより早く、彼は告げる。

「『結界』から出て、『魔』を自分の中に閉じ込める。だから、その俺を狙え。俺一人を『浄化力』で満たすぐらいなら、何とかなるだろう?」

 確かに。

 けれど――。

「朱鳥の剣は、『魔』以外のものは傷つけないって聞いたことがある。だから、大丈夫だ」

 自信なのか、単なる強がりなのか、真っ直ぐに見据えてくる潤に、愛理は苛立ちを抑えきれない。

「大丈夫って――! そんないいかげんな根拠聞いて、大丈夫なのね、って私が納得するわけないじゃない!」

「お前だって聞いたことあるだろう!? 結構有名な言い伝えだ」

「だからって……!」

 「うるせえ!」と怒鳴りつけて、潤は右手を動かした。愛理が止めるより早く、彼は腕を剣の刃に押し当てる、引きあげる。

「――――」

 掲げられた腕には、確かに傷一つついていない。

「……わかったな?」

 どこか震える声で、潤は言った。

「……けど……」

 と愛理は続けた。

 途端、がつん、と、あげられていた潤の手が頭の上に落ちてくる。

 重みで愛理は下を向く。地を、見る。

「けどってなんだよ、けどって! ごちゃごちゃ言ってる場合か!? お前は生きるんだろう!? 生きるために『司』になるんだろう!?」

 生きる。

 決めた。

 そう、決めた。

 決めたのは、自分。

 他の誰でもなく、この自分。

「だったらっ。むちゃしてでも『司』になってやろうじゃねえかよ。いいか。これは試験なんだ。俺たちがパスしなきゃいけない、最大級の試練なんだ。だったら、やるべきことは一つだろう!?」

 やるべきことは。

 ただ一つ。

 『魔』を排除し尽くす。

 それが、『司』の使命。

 課せられた役。

 だから。

「瞳子! 『穴』守っていてくれ!」

 だから。

「薫! 『結界』もたせろよ!」

 だから、だから――。

「――一回きりよ」

 走り出そうとした背中に告げた。

 彼は振り返った。笑った。

「重々承知!」

 ――だから、私は勝つ。

 愛理は、立ち上がった。

 潤は、愛理から五、六、メートルほど距離を取ると向き直った。

 手にあった剣を『石』の形に戻し、少し間を置く。

 雨の降りしきる、暗い森の中。

 彼は、『結界』を、解く。

 両腕を、広げる。

 全てを受け止めるように、大きく、真っ直ぐに広げる。

 光の揺らめきが、一斉に息を潜め彼を見た。

 そんな中、潤は全てのものに届けるように、叫ぶのだ。

「お前ら、人間を喰いに来たんだろう? 人間を喰うために、あのちっこい『穴』を通ってきたんだろう? だったらこい! 俺の中にこい! みんな受け入れてやる、全部だ、一つ残らずだ! 俺の中に来て、俺を喰ってみせろよ――!」



「……!」



 『魔』が、動いた。 

 光の波が、激流となって潤に注ぎ込まれていった。

 あたりの『魔』の気配は失せる。かわりに潤が体を捩る。

 彼の体の中を、無数の『魔』が蠢きまわっている。

「う……おおおおおおっっ……!」

 戦っている。

 体の中で、『魔』の侵入を必死に耐えている。

 戦って、耐えて、いるのだ。

 潤は、潤は――。

「……愛理ぃっ……!」

「!」

 弾かれるようにして愛理は地を蹴った。

 最後の力を振り絞って真っ直ぐに駆けた。

 ねらうはただ一点。

 彼が自らの指で示した、その場所。

 潤の、心臓。

「――――」

 身を貫く白濁した刀身。

 感じ取るのは、その鼓動、体温、血のかよう音。

 愛理は、声の限りに、叫ぶ。

 

 

「『浄化』!!」

 

 

 場を包み込む絶叫。

 脳を揺るがす叫喚。

 耳に届く、無数の、声、声、声、こ・え。

 

 

  ナンデ  

  ナンデ  

  ナンデ  

  ナンデ  

 

  僕タチハタダ、

  僕タチハタダ、

  僕タチハタダ、

  僕タチハタダ、

 

  自分タチノ宿命ヲ

  自分タチノ宿命ヲ

  自分タチノ宿命ヲ

  自分タチノ宿命ヲ

 

  課セラレタ望ミヲ

  課セラレタ望ミヲ

  課セラレタ望ミヲ

  課セラレタ望ミヲ

 

  カナエヨウト……

  カナエヨウト……

  カナエヨウト……

  カナエヨウト……

 

  僕タチハタダ、

  僕タチハタダ、

  僕タチハタダ、

  僕タチハタダ、

 

  生キタカッタダケナノニ

  生キタカッタダケナノニ

  生キタカッタダケナノニ

  生キタカッタダケナノニ

 

 

ソレダケ、ナノニ……



 

 

 

 闇夜の静寂と共に、朱鳥の剣はその姿を無くした。

 愛理は、遠のいていく意識の中、『石』をしっかりと握り締めた。

 そして、力なく崩れ去る体を潤に預けたまま、目を閉じ、無限の声に、そっと返す。

「わかっている……。わかっているの……。でも、私も生きる。私も、生きたい……ただ、それだけ。だから、だから、私――、」

 

 

 絶対に、泣かないわ。

 

 

「お疲れ、愛理」

 耳元で囁かれたその言葉を最後に、彼女は意識を手放した。



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