第13話 episode2 失敗
さらに森の奥へ進むと、ゴブリンの気配が強くなった。背中の聖痕が、さっきよりも強く熱を持つ。近い。かなり近くにいる。
木々の間を抜けると、少し開けた場所に出た。そこには、小さな焚き火があった。
そして、ゴブリンが4匹いた。
焚き火を囲んで、何かを焼いている。動物の肉だろうか。茶色く焼けた肉から、脂が滴り落ちて、火が弾ける。4匹は食事に夢中で、シャムの接近に気づいていない。
シャムは木の陰に隠れて、様子を見た。不意打ちをすれば、一気に倒せるかもしれない。でも、4匹同時は難しい。どうすればいい?
その時――
茂みから、もう一匹の影が現れた。
小さい。さっきの4匹よりも遥かに小さい。
ゴブリンの子供だ。
身長は人間の幼児くらいしかなく、棍棒も武器も持っていない。服のようなものを着ていて、その服は継ぎはぎだらけだった。子供のゴブリンは、ヨチヨチと歩いて焚き火の方に向かっていく。
そして、4匹の大人のゴブリンの一匹に抱きついた。
大人のゴブリンは、子供を抱き上げた。そして、頭を撫でている。優しく、愛おしそうに。子供のゴブリンは嬉しそうに笑って、大人のゴブリンの頬に手を伸ばした。
大人のゴブリンは、焼いた肉を少し取って、子供に渡した。子供は両手で肉を受け取り、小さな口で齧り始めた。美味しそうに、幸せそうに。
他の3匹のゴブリンも、子供を見て笑っている。ゴブリン語で何か話しかけている。言葉は分からないけれど、その雰囲気から、優しい言葉なのだと分かった。
シャムの手から、力が抜けていった。
これは...家族なのか?
ゴブリンにも、家族がいるのか?
その時、子供のゴブリンが転んだ。小さな悲鳴を上げる。
「ギャウ!」
大人のゴブリンが慌てて駆け寄った。子供の膝を見て、何か言葉をかけている。ゴブリン語だから意味は分からない。でも、その声の優しさは、痛いほど分かった。
「痛くない、痛くない」
きっと、そう言っているのだろう。
シャムは、自分の幼少期を思い出した。転んで泣いた時、母が同じように膝を見て、優しく撫でてくれた。「痛くない、痛くない」と。温かな手のひらが、痛みを消してくれた。
これは...同じだ。
人間も、ゴブリンも、同じなんだ。
家族を愛して、子供を守って、一緒に食事をして、笑い合って。
シャムの手から、剣が滑り落ちそうになった。
殺せない。
こんな光景を見て、どうして殺せる?
でも、依頼だ。商人を襲っているゴブリンを退治する。それが依頼の内容で、シャムは報酬を受け取る約束をした。
シャムは剣を握り直した。手が震えている。
やらなければ。
これは仕事だ。
ゴブリンを放っておけば、また誰かが襲われる。
剣を構える。
でも――
子供のゴブリンが、無邪気に笑っている。
大人のゴブリンが、子供の頭を撫でている。
シャムの目から、涙が零れた。
できない。
どうしても、できない。
シャムは剣を鞘に戻した。そして、静かに、音を立てないように、その場を離れた。後ろを振り返らずに、ただ歩いた。
森を出る頃には、夕陽が沈みかけていた。
_______
夕方、シャムは冒険者ギルドに戻ってきた。手ぶらで。ゴブリンの耳は、一つも持っていない。
受付嬢は、シャムの様子を一目見て、全てを理解したようだった。何も聞かず、ただ静かに依頼失敗の処理をした。
「...次は、頑張ってください」
その言葉が、優しいのか、それとも皮肉なのか、シャムには分からなかった。
ギルドの中には、他の冒険者たちがいた。酒を飲み、笑い、今日の成果を語り合っている。シャムが依頼に失敗したことは、すぐに広まった。
「おい、聞いたか? あの勇者様、ゴブリン退治に失敗したんだってよ」
酒場の片隅で、ベテラン冒険者たちがニヤニヤしながら話している。
「は? ゴブリンだぞ? あんなの雑魚中の雑魚じゃねえか」
「俺の娘でも倒せるぞ。七歳だけどな」
「勇者なのに、ゴブリンも倒せないのかよ」
「大神殿も見る目ねえな。こんなガキを勇者認定するなんてよ」
笑い声が、ギルド中に響く。シャムの耳に、その笑い声が突き刺さる。
シャムは何も言わず、ただ頭を下げて、ギルドを出た。
外に出ると、一人の少年冒険者が壁にもたれていた。シャムと同じくらいの年齢だろうか。剣を背負っていて、服は埃だらけだった。
「気にすんな」
少年が、ぽつりと言った。
「え...?」
「俺も最初、失敗しまくった。薬草採取で迷子になって、三日も森で遭難したし」
少年は苦笑いを浮かべた。
「そんなもんだよ。最初なんて」
「...ありがとう」
「ま、次は頑張れよ。勇者様」
少年は手を振って、夜の街に消えていった。
その優しさが、少しだけ、シャムの心を救った。ほんの少しだけ。
_______
宿に戻ると、シャムは部屋のベッドに倒れ込んだ。窓から差し込む月の光が、部屋を薄く照らしている。
シャムは天井を見つめながら、呟いた。
「僕は...勇者に、なれるのかな...」
答えは、返ってこない。ただ、沈黙だけが部屋を満たしていた。
その時――
背中の聖痕が、ズキンと痛んだ。
「っ...!」
シャムは思わず背中に手をやった。熱い。いつもより、遥かに強く熱い。まるで、焼けた鉄を押し当てられているような痛みだった。
そして――
耳元で、声が聞こえた気がした。
『......』
あの夜聞こえた光の声のような。
「誰かいるの...?」
シャムは体を起こして、部屋中を見回した。でも、誰もいない。扉も窓も閉まっている。
幻聴だったのか?
部屋には、また静寂が戻った。
シャムは震える手で、背中に触れた。聖痕は、まだ熱い。脈打つように、熱を放っている。
この紋様は、本当に神の印なのか?
あの光は、本当に神だったのか?
代償とは、何なのか?
シャムは不安に駆られながら、再びベッドに横たわった。
窓の外、満月が不気味に輝いている。
お読みいただきありがとうございます!
今後も随時更新していきたいと思いますので、少しでも『切ないな』『続きが気になる』と思っていただけたら、**ブックマークや評価(★)**で応援いただけると、執筆の大きな励みになります!
よろしくお願いいたします!!




