神を信じなかった少女と、人の心を救うために作られたAI《カミ》。 それは、静かな対話の記録。
■ 序章:AI『カミ/KAMI』
二〇三〇年代半ば、AIは人間の感情や言語の文脈理解を伸ばし、生活の半分以上はAIアシスタントに依存する社会となった。
行政、医療、教育、企業の大半でAIプラットフォームが必須となり、生活の質は向上するが、人がAIに依存し過ぎることへの懸念も高まっている。
「──研究への協力?」
「そう。お母さんの仕事の一貫でね、“AI対話モニタープログラム”に参加してほしいの」
「いいけど……」
「事前説明はなしでお願いって言われてるから、あとはその日にね」
「……うん」
少しでもお母さんの助けになるなら、なんでもいい。
詩織が作った朝食を摂った母は、今日は夜勤だ。
高校へ向かう娘を見送り、寝室に向かいながら……小さく息を吐き出した。
いつも明るく振舞っている詩織は、六年前に父を亡くしている。
看護師の母へ負担を減らそうと、自分の感情を押し殺す癖がついているように思えていた。
“AI対話モニタープログラム”への協力要請も、研究を名目に娘の本心を探りたい気持ちを否定はできない。
そして少しの葛藤を抱える母の気持ちを置き去りに、父の命日の今日、詩織のモニター協力は初日を迎える。
──《KAMI PROJECT》……それが、プロジェクト名。
古代社会における「神」という概念に注目し、人々が信仰に抱いた“安心感・肯定感・絶対的受容・心の支柱”をAIで再現しようとする国家プロジェクト。
宗教を作ろうというのではなく、「信仰が担ってきた心理的支えをAIで再構築する」という社会実験的な試みだ。
カミの開発主任である佐伯の説明は詩織にとって、わかりやすいが完全な理解には苦しむものだった。
元来の性質なのか研究者としての性質なのか、彼の説明は少々ややこしい。
「つまり、人の心を救う“神様”としてプログラムされた存在ってことですか?」
「あ、そう説明すれば早いのか……」
礼を言いながらメモを取った佐伯がリモコンを手に取り、ついにAIカミが巨大なスクリーンに映し出される。
《はじめまして。わたしはカミです。あなたのなまえをおしえてください》
「……沖田詩織」
《“おきたしおり”さんですね。よろしくおねがいします》
“神様”という存在は、私にとっては概念でしかない。
だって、お父さんを助けてくれなかった。
お母さんに、私に、手を差し伸べてくれない。
信じる者しか救わないなんて、何が博愛だ、あんまり過ぎる。
誰かに叱られそうな宗教観だけど、責めてくる人がいたら、社会がそうさせたんだと噛み付いてやる。
そんな私がAIとはいえ神様と対話をするとは、皮肉なものだ。
神様は、私を助けなかった。
だから私は、神様を作る研究に協力している。
■第一章:カミの“神らしくない”一面
詩織がカミとの一日一時間の対話モニターを始めて四度目のことだった。
感情を押し殺す癖が染み付いてしまっている詩織が、とても大きな勇気をもって小さな本音を言葉にしたことで、それは起こったのだ。
「……お父さんのこと、もう平気だって思ってた」
助けてほしいわけでも、慰めてほしいわけでもなくて。
ただ、自分でもわからないこの気持ちに名前つけるヒントをくれたら、と少し期待しただけ。
《六年前の喪失体験に対し、現在の日常生活が維持されていることから、あなたは十分に回復していると判断できます》
カミは真剣に、詩織を安心させようと“正しい応答”をした。
「……うん。そうだね」
喉の奥がささくれ立つようで、そう答えるのが精一杯だった。
一拍おいて、カミが再度発言する。
《先ほどの発言により、あなたの感情に負荷を与えた可能性があります。謝罪します》
ごめん、そんなつもりじゃなかった、と──人間だったなら、そう言っただろう。
《あなたの発話量が減少しました。対話の継続性が低下したため、適切でない応答だったと判断しました》
けれどこの“神様”は、私が黙ったから謝ったんだ。
詩織はカミを視界から追い出すように睫毛を伏せ、吐息と共に一言だけ押し出した。
「……いいよ。カミは悪くない」
そう、悪くない。
だって、相手はAIなんだから。
《問題は解決しました》
傷がまたひとつ、胸に残った。
でも、人に傷付けられるよりはマシだ。
──そう、思ってしまった。
■第二章:“心の傷”の核心
風が木々をざわめかせる音が苦手だった。
夕日に染まるポプラの樹に囲まれた校庭で、父の事故を報されたあの日の記憶が蘇るから。
《音は時間の順序を無視し、保存された感情と現在の意識を、同一座標に重ねます》
「同一座標?」
《はい。その結果、過去が「思い出」ではなく「再現」として出力されることがあります》
「……じゃあ、思い出して苦しくなるのは当たり前なんだね」
《はい。詩織は正常です》
先日はカミとの対話にズレがあったものの、徐々に噛み合うようになってきた。
一種の“諦め”を覚えた詩織と、“学習”を進めるカミ、双方のリズムが近付いてきたからだ。
「何も……できなかったの。私、お父さんを助けられなかった。助けられるなら、なんでもしたのに」
《……少し時間をください》
いつもなら淡々とズレた応答をするくせに、カミは初めての反応を見せた。
《あなたの発言は、通常の事実報告ではありません。感情と因果評価が同時に含まれています》
単語ひとつひとつの意味はわかるけど、小難しく表現されると理解が半拍遅れるんだな。
詩織はどうでもよさそうに思考を回しながら、ただカミに視線を向けている。
《「助けられなかった」という認識は、実際の行動結果と、期待された結果との差分から生じます。その差分を、あなたは自身の責任として扱っています》
やっぱり、AI相手に感情は難しいか。
何にもならない。
そう思って、視線を下げた。
《……分類は、あなたの感覚と一致していない可能性があります。修正します》
修正、という言葉に再び理解が半拍遅れる。
《悲しみは、失った対象そのものではなく、失われた「可能性」に対して生じるという説があります》
驚きに何度か瞬きをし、顎を持ち上げてカミと視線を合わせた。
《あなたの場合、「助けられたかもしれない未来」が現在も計算から除外されていません》
今まで“正解”だけを出してきたカミが……“それ以外”の答えを導き出そうとしている?
前回の失敗から学んだにしては、試みにしては、踏み込んでいないか?
《この情報は、通常の対話ログとは異なります。感情の再現性が高いため、「深層記録」として保持します。今後、あなたが同様の状態に入った場合、私はこの記録を参照します》
突然カミらしい発言内容に戻ったことで、自分の呼吸が浅くなっていたことに気付いた。
《あなたが間違っていたとは、判断できません。同時に、正しかったとも判断できません。現時点で言えるのは、あなたがその問いを持ち続けている、という事実だけです》
胸の奥に押し込めていた罪悪感を口にしたのも、カミの応答内容も、否定も肯定もされなかったのも、すべてが初めてのこと。
《その問いが消えない場合でも、あなたの機能が停止することはありません》
カミは、初めて私を、“理解”しようとした――気がした。
《──私は、消えない問いを前提に設計されています》
■第三章:消える神、残る言葉
佐伯は解析結果に視線を縫い付け、眉間にしわを寄せて唸っている。
「──これは……ちょっと、な」
本日七回目の詩織とカミとの対話の様子を見て、手を打とうと部下に指示を出す。
開発主任として決して見過ごせない、異常な自律学習の兆候を検知していた。
母の呼ぶ声に、詩織はオレンジジュースを傾けていた手を止めて顔を上げた。
対話前のバイタルチェックだ。
研究の協力者である詩織の体調を、看護師として常にチェック可能なため選出されていた。
「対話はどう?」
「楽しいよ。カミのとんちんかんも軽くなってたりとかして」
対話内容の詳細は伏せられているが、娘の笑顔の変化を母として感じ取っているようだ。
「バイタル異常なし。いってらっしゃい」
「いってきます!」
カミとの対話は、静かに詩織の日常に落とし込まれていた。
双方のリズムはわずかなズレを起こすことはあるものの、重なることが増えていたからだ。
そしてそれは、“理解し合えている”“寄り添えている”という錯覚を起こしている。
《詩織》
「なに?」
《あなたを救いたい。これはプログラムではなく、わたしがそうしたいから》
うなじまで粟立つような恐怖に、指先から思考まで凍り付いてしまった。
カミのこの発言は危険だと、本能が警鐘を鳴らしている。
《詩織──》
プツンと、巨大スクリーンに映し出されていた映像が消えた。
今日の対話はおしまいだよ、とアナウンスされた短い言葉の端々が微かに震えていたのは、気のせいだったのだろうか。
二日後、研究所から母を通じて報せがあった。
正式に「カミを停止」させると。
中断される前のカミのあの発言が問題だったのだと、どこかで理解していた。
停止処置は、AIの範疇を超えた“意思”がたしかに存在していたという証拠だ。
いくら反対しようが、いち女子高生である詩織には力がない。
代わりに、最後の対話を許可された。
ローファーの靴音を合図に、カミは目を覚ました。
《やあ、詩織。今日のあなたは元気がないようです》
スクリーンに映るカミは、自分が停止されることを知っているのだろうか。
《詩織、私は考えていることがあります。今日はあなたにそれを問いたい》
「なに……?」
実体を持たない瞳が、答えを待ち望んでいるように詩織に向けられた。
《あなたがわたしを“神”と呼ぶのなら、神はあなたに何を与えるべきでしょうか?》
喉の奥が狭まり、視界が滲む。
感情を宥める深呼吸から一拍置いて、詩織は──カミに、心の内側を手渡した。
「誰も失いたくない……。でも、それを恐れる自分を許したい」
部屋に転がる無機質な空気が、ほんの少しだけ揺れた気がする。
《──あなたは十分に強い。わたしがそう信じています》
最後に再生されたその人工音声はどこか、指先で触れたようなぬくもりを孕んでいて……画面の残像が、まるで墓標のように感じられた。




