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第八話|背中越しの温度


澄と初は会議室の中にいた。

これまでの出来事をすべて初に打ち明けた澄は、涙が止まらなくなっていた。


こんな状況は初にとって初めてで、どうにか慰めようとするものの、何をすればいいのかわからなかった。


「……それで、これからどうする?」


澄は袖で涙を拭いながら、しゃがみ込んでいる初を見つめる。

その瞳には、答えを求めるような揺れがあった。


初は一度深く息をつき、少しだけ冷静さを取り戻してから考え込む。


「うーん……そうだな。これから会社に来る前に、先に俺に連絡してくれる?」

「蒼は俺がうまく外に出すから」


「え……?そんなの、大丈夫?迷惑じゃない……?」


初は顔を上げ、柔らかく笑った。


「仕方ないだろ。俺たち、友達なんだから」



それからというもの、澄が会社に来る前には必ず初にメッセージを送るようになった。


『これから行くね?』

『わかった。俺から連絡するまで待ってて』


初は毎回それとなく理由をつけて蒼を外に出し、澄が顔を合わせないようにしていた。


「蒼、コーヒー買ってきてもらっていい?」

「……あ、はい」


そんなやり取りを何度も繰り返すうちに、もともと人見知りだった澄も、少しずつ初との距離を縮めていった。


けれど、その日——


いつものように澄は先にメッセージを送り、

初もいつも通り蒼にコーヒーを頼んだ。


そして初は、その隙に下へ降り、澄を迎えに行き、一緒にエレベーターへ乗り込む。


——扉が閉まりかけた、そのとき。


「待って」


閉じかけていた扉が、再び開いた。


そこに立っていたのは、コーヒーを二つ持った蒼だった。


「……っ!?蒼!?なんでこんなに早いんだよ」


初は思わず一歩後ずさり、澄を背中で庇うように隠す。


「いや……ちょうど空いてたんで」

「それより初さん、さっき忙しいって言ってませんでした?なんで下に……?」


澄はびくりと体を震わせ、反射的に初の服の裾を掴む。

初もさらに一歩下がった。


澄の額が初の背中に触れ、互いの体温が静かに伝わる。


(……初の匂い……)


初はわずかに振り返り、小さな声で囁いた。


「大丈夫。声、出さないで」


蒼は怪訝そうに初を見つめ、その背後を覗き込むように身を乗り出した。


「……?初さん?後ろ、誰かいるんですか?」

「あー……その……彼女。ちょっと人見知りでさ……」


そう言いながら、初は自然な動作で後ろへ手を伸ばし、澄の手をそっと握る。


(……っ、手……)


「……ああ、なるほど。じゃあ、俺は次にしますね」


蒼は軽く頷き、そのままエレベーターを降りていった。


扉が閉まり、ようやく初は大きく息を吐く。

振り返ると、澄はまだ俯いたまま、彼の服を強く掴んでいた。


「はああああ……マジで焦った……」


初は深く息をつき、肩の力を抜く。


そんな初の姿を、澄は初めて見た。

ふっと顔を上げ、くすっと笑う。


「あはは……初がそんなに慌ててるの、初めて見たかも」


初は振り向く。


そこにあったのは、涙の名残を残しながらも、どこか明るく輝く笑顔だった。


一瞬、言葉を失う。


そして、そっと手を伸ばして澄の頭をくしゃりと撫でた。


「……お前、笑うなよ!誰のせいだと思ってるんだよ!」


そんなやり取りを重ねるうちに、

澄は最初の頃のように怯えることもなくなり、初とも自然に話せるようになっていった。


「……あ、そうだ。澄、あとで時間ある?」


「ん?このあと配信があるけど……夜10時以降なら空いてるよ?」


「そっか……じゃあまた今度……いや、でも……」


初は言い淀む。

何か言いたそうで、けれど言えないような表情だった。


「……明日までに仕上げないといけなくてさ」

「?どうしたの?」


澄は首を傾げ、ぱちぱちと瞬きをする。


そして、あっさりと言った。


「じゃあ、私が初の家に行けばいいんじゃない?」

「……えっ!?」


その反応を見て、澄は三秒ほど固まったあと、ようやく自分の発言に気づく。


「え、あ……ごめん。都合、聞いてなかったね……?」


(……やば、完全に間違えた……)


初は額を押さえながら、きょとんとした顔の澄を見る。


「いやいや……そういう問題じゃなくて……」


澄は一瞬固まり、慌てて言葉を継ぎ足す。


「あっ……初って彼女いるよね?ごめん、それなら——」

「いない!彼女なんていない!一人暮らしだから!」

「え、じゃあ大丈夫じゃない?急ぎなんでしょ?じゃあ11時くらいに行くね?配信の準備もあるし、先行くね!」


初が言い終わるよりも早く、澄は軽やかに駆け出していく。


その背中を見送りながら、初はぽつりと呟いた。


「……いや、そういう問題じゃねえんだって……あいつ……」



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