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第一話|あの日から色が変わった

「……少し、話せる?」


メッセージを送信してから、(すみ)はじっと画面を見つめていた。

指の関節はわずかに白くなり、まるで何かを握りしめて離さないような力が込められている。


数分後、スマホの画面がふっと光った。


【蒼:……うん、いいよ】


澄は唇を噛みしめながら、ゆっくりと指を動かす。


【澄:別れた。】

【澄:理由は……まあ、いろいろ。】

【澄:でも……なんか、君と話したくて。】

【澄:だから──】


そこで指が止まった。


画面の上に浮かんだ文字を見つめながら、まるで何かの返事を待っているかのように、手が宙に浮いたまま動かない。


【澄:……】

【澄:昔、悩んだときはいつも君に話してた。】


──既読。


そのたった二文字の灰色の表示を見つめるたび、胸の奥がきゅっと締めつけられる。


……今でもこうして、私のメッセージを読んでくれるんだね。返事は遅くても、ブロックだけはしないなんて。


(ほんと……ずるいよ、蒼。)


ピロン。

画面が再び点いた。


【蒼:うん、昔はそうだったね。】


澄はふっと笑った。


その笑顔には、少しの苦味と、懐かしさと、泣きそうな気配が混じっていた。



——八年前——


あの頃、私たちはまだ高校生だった。制服のまま廊下を駆け回り、古びた校舎と広いグラウンド、校内をうろつく何匹かの犬まで、すべてが思い出の一部。


汗のにおいと、湿った空気が混ざった、ちょっとむせるような匂い。でも、それさえもなぜか落ち着く匂いだった。


何もかもが、無邪気に楽しかった日々。だけどその年、全部が少しだけ変わった。


高校三年に進級したその年、人数不足のクラスが解体されることになった。学校の規定で、クラスはバラバラにされ、元の仲間たちは散り散りに。


そして——澄は「蒼」に出会った。


「じゃあ、転入生のこと、クラス委員お願いね」

先生は教室を出ていきました。


「は、はいっ、分かりました」


元気で明るい澄は、迷うことなく教室の後ろに座る転入生の元へ向かった。


彼の名は、(そう)


無表情で、どこか話しかけにくそうな雰囲気。青みがかった灰色の髪は短く、前髪が少しだけ顔にかかっている。


「えっと……」


澄が声をかけると、蒼は少しだけ顔を上げた。その感情の見えない目に、一瞬だけ緊張が走る。


「私はクラス委員の澄。困ったことがあったら、何でも言ってね?」


蒼は顔をそらし、頬杖をついたまま


「……うん、まあ……」


それが、二人の最初の会話だった。


キンコンカンコーン——


チャイムが鳴り、昼休みが始まる。澄は振り返る。蒼は席に座ったまま、誰とも話さず本を読んでいた。


「……友達作らないのかな?」


小さくつぶやいてから、澄は席を立つ。とことこ歩いて、蒼の机の前にぴょこんと現れた。


「ねぇねぇ〜、何してるの?」


突然の声に、蒼は眉をひそめて顔を上げた。


「本、読んでるんだけど。見れば分かるでしょ?」


「ひど〜い。そんな言い方ある?」


澄はにっこりと笑う。


「ねぇ、今日の放課後、残って自習する?」


「……君に関係ある?」


「みんなでご飯行くんだけど、来ない?」


蒼は一瞬だけ目を伏せた。


本当は断ろうと思っていたのに、目の前の澄の、期待としつこさが混じった視線に負けてしまった。


「……まあ、別にいいけど」


「やった、決まりね!」


そう言って澄は席へと戻り、他のクラスメイトとまた笑いながら話し始めた。


あの満面の笑み、太陽みたいに明るい性格。

誰とでもすぐに仲良くなれる、不思議な子だった。


澄はその日から、強引に蒼の世界に入ってきた。

そして蒼も、それを拒むことはなかった。


彼の灰色だった世界に、ほんの少しだけ、色が混じり始めた。


その日から、澄は蒼を見かけるたびに話しかけるようになった。


最初はただの興味だった。


「こういうタイプの人、私にどう反応するんだろう?」


それだけだったはずなのに——


「ねえねえ〜」

「聞いて聞いて、今日ね——」

「……ねえ、なんで無視するの?」


「……面倒なんだよ」


「えーっ、私だから?」


「いや、誰に対してもこう」


「じゃあ、ちゃんと返事してよね」


「……考えとく」


本当にもう、いちいち反応が薄い。話したいのに、いっつもそっけない。


運動会の日。

クラス委員の澄は、大事な出席表をなくしてしまった。

「どうしよう……出席表、なくしちゃった……」

「……怒られる……」


澄は制服の袖をぎゅっと握る。


教官の目は明らかに不機嫌で、声もきつかった。


「なにやってんだ。勝手なことすんな。探してこい。見つかるまで全員帰らせんぞ!」


「……はい……」


澄は肩を落として職員室から出て、クラスに戻った。


「……みんな、ごめん……」


その場に立ち尽くしながら、ぽろぽろと涙がこぼれ落ちる。


「大丈夫だよ、澄。泣かないで」

「家に帰れなくても、そんなの平気だよ!」

「泣かないで!ほんとに大丈夫!」


クラスメイトたちは次々と彼女の周りに集まり、優しく声をかけてくれた。


そして教官も、少し落ち着いた様子で戻ってきた。


「今回は見逃す。みんな、帰っていいぞ」


全員が帰った後も、澄は教室に残っていた。


(……やっちゃったな……)


そのとき、静かに誰かが隣に座った。


驚いて顔を上げると、そこにいたのは蒼だった。


「……そんな大したことじゃない。気にすんなよ」


感情の乏しい声。でも、その言葉はなぜかあたたかかった。


「……うん、ありがとう」


「……じゃ、俺行くわ」


何も言わずに立ち去る背中を、澄はぽかんと見送る。


でも、口元だけは——そっと笑っていた。



その日から、澄はことあるごとに蒼を誘うようになった。


「ねぇ〜、一緒に帰らない?地下鉄〜」

「嫌だ」

「え〜、いいじゃん〜ちょっとだけ〜」

「……だから嫌だって」


机の周りをくるくる回りながら、澄はしつこく付きまとう。


昨日、たまたま帰りが遅くなって、蒼がクラスの女子と一緒に帰っているのを見かけたのだ。


「はあ!? ちょっと、昨日さぁ——」

「◯◯ちゃんと一緒に帰ってたでしょ!?」


ぷんぷん怒りながら、机をパシパシ叩く。


蒼はちらりと顔を上げ、いつもの無表情で言った。


「……たまたま。方向が同じだっただけ。あんな時間だったし、女の子一人にさせるのも悪いだろ」


「なっ……!」

「……なにそれ! 私だって女の子なんだけど!?それってひいきじゃん!めっちゃ不公平なんだけど!」


怒ってくるくると回る澄に、蒼は静かにひとこと呟いた。


「……そうだよ」

「俺は今、あんた()()()()()にしか返事してない」


それきり、蒼はまた視線を落とした。


澄はきょとんとして振り返る。


「……は!? なにそれ……」


顔が一気に真っ赤になって、言葉がどこかに飛んでいってしまった。


(……どういう意味なの……)


學校で毎日会えるのに、澄はそれでも、家に帰ってから必ず蒼にメッセージを送っていた。

受験が近づくにつれ、みんながそれぞれ勉強に集中し始めた。


それでも、澄は相変わらずしつこく連絡を続けた。


【澄:あのさ、返信もっと早くしてくれない?】

【澄:一日一通って……こっち日記書いてるみたいじゃん】

【蒼:……面倒なんだよ】

【蒼:試験終わったら、ちゃんと話すから】

【澄:えっ!ほんと!? 絶対だよ!?】

【蒼:……うん】


蒼はやっと静けさを手に入れた。

なのに、心のどこかが、ほんの少しだけ——寂しかった。

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