3 退出後の書斎
「さて、従者君。ティオ君と言ったね。君はミアさんのことをどう思ってる?」
ミアが退出した後の書斎。ソファーに座り直したロベルトが、向かいに座るティオに尋ねた。
「私がお仕えする伯爵家の大切なご令嬢だと思っております」
ティオが真面目な顔でそう言った。それを聞いたロベルトが笑った。
「ははは。お堅いねえ」
そう言うと、ロベルトはソファーから立ち上がり、机の引き出しから一つのファイルを持って来た。
「俺は枢密院副書記官長を務めているが、もう一つ別の仕事をしている。帝国内外に『皇帝陛下の目と耳』を張り巡らせ、情報を集め、帝国に害をなす者を排除する仕事だ。子どもの頃から市井の仲間と連んでいた経験が役に立ってるよ」
ロベルトがニヤリと笑った。ティオは表情を変えず、無言のままだった。
ロベルトがファイルを開き、それに視線を落とした。
「君のとこの大切なご令嬢の最初の婚約相手、侯爵嫡男だけど、隣国との禁制品の取引で莫大な利益を上げている疑いがあった。ある日突然、俺のところに決定的な証拠が舞い込んできてね。お蔭で、奴の密輸ルートを壊滅することができた」
ロベルトがファイルのページをめくる。
「そして、二人目の婚約相手、辺境伯嫡男は、隣国のスパイと通謀し、帝国の機密情報を提供する代わりに、多額の金品を受け取っていた。こちらも、ある日突然、重要な証拠が手に入った。お蔭で、隣国のスパイ網は壊滅。帝国の安寧が守られた」
ロベルトが、パタンとファイルを閉じた。ティオの顔を見る。
「これらの証拠は、匿名の情報提供者から届けられた。ご丁寧にも、伯爵家、ミアには何ら非のないことが明らかな証拠付きでな」
ロベルトがソファーから身を乗り出し、ティオの顔を見つめた。
「これ、お前の仕業だろ?」
「どうしてそう思うんですか?」
顔色ひとつ変えずにそう答えたティオに、ロベルトが軽薄な笑みを浮かべながら応じた。
「実は、侯爵家と辺境伯家に匿名の脅迫文が届けられていたということが分かってな。悪事を改めないのなら、ミアとの婚約を破棄しろという内容だった」
ロベルトが上着の懐から2通の書状を取り出した。
「侯爵家と辺境伯家がそれぞれこの脅迫文を無視した結果、悪事は暴かれた。そして、両家は慌ててミアとの婚約を破棄したという訳だ」
ロベルトが2通の書状をローテーブルに置いた。ティオは無言でその書状を見つめる。
「つまり、謎の情報提供者は、政敵の攻撃や義憤が理由ではなかった。『ミアを守る』、それが真の目的だった」
ロベルトが、ティオの右手側、今は誰も座っていない、先ほどまでミアが座っていたソファーに顔を向けて言った。
「お前、ミアに惚れてるな?」
今まで冷静だったティオが、驚いた表情でソファーから立ち上がった。
「な、何を根拠にそんなことを。私はお嬢様の従者。それ以上でもそれ以下でもありません!」
明らかに動揺するティオに、ロベルトが笑いながら言った。
「ははは、『伯爵家』じゃなく『お嬢様』の従者か。まあ、安心しろ。お前の想いは誰にも言わないよ。俺は、お前のその行動力、情報収集能力に興味がある」
ロベルトがソファーから立ち上がった。軽薄な笑みが消え、冷徹な官僚の顔になった。
「ティオ、俺に仕えろ。お前のその力を、皇帝陛下のため、帝国のために使え」
「嫌だと言ったら?」
「ミアが死ぬことになる」
その言葉を聞いたティオが、ゆっくりと丸縁メガネを外した。
まるで辺りの空気が凍りつくかのような冷たい、殺気に満ちた鋭い視線。
ティオが感情を押し殺した声でロベルトに言った。
「ミア様に手を出したら、絶対に許さない……」
「ははは、悪かった。冗談だよ」
ロベルトが軽薄な笑みを浮かべた表情に戻り、体を投げ出すようにソファーに座った。
「安心しろ。俺はミアを気に入った。俺の家の若い女の使用人を見下さず、嫉妬もせず、素直に褒めることができるミアに好意を持った。自然体で誰にも平等に接することができる貴族の子女は滅多にいないからな……だからこそ、婚約の話をした」
それを聞いたティオが、メガネを掛け直した。いつもの真面目そうな顔に戻り、ゆっくりとソファーに座った。
ロベルトが、足を組みながら言った。
「ただ、宮中伯家としては、彼女を迎えるに当たり、もう少しメリットが欲しいところだ……お前が俺の部下になることが、婚約を進める条件だ」
ロベルトが、苦笑しながら話を続ける。
「自分で言うのも何だが、俺は皇帝陛下最側近の宮中伯の嫡嗣で能力も高い。俺ならミアを幸せにできる。お前も既に俺のことを洗いざらい調べて、そのことは分かってるんだろ?」
ティオは否定しなかった。無言でロベルトを見つめる。
ロベルトが畳み掛けた。
「部下になるといっても、常に俺の下で働けという訳じゃない。必要なときに仕事をお願いするだけだ。それ以外は自由にしてもらっていい」
ティオがしばらく考え込んだ後、口を開いた。
「ミア様を幸せにしてくれるんですね?」
「……ああ、約束する。この命を懸けて、彼女を幸せにすると誓おう」
しばしの沈黙の後、ロベルトが今までになく真剣な表情でそう答えた。
ティオがロベルトを真っ直ぐ見つめて言った。
「分かりました。貴方にお仕えします」
「よし、決まりだ!」
ロベルトがソファーから立ち上がり、ティオに手を差し出した。
ティオも立ち上がり、ロベルトの手を取り握手した。
「話は以上だ。お前の愛するご令嬢のところに行きな」
「それでは失礼いたします」
ティオが頭を下げて、ドアに向かって歩き出した。
その時、ロベルトが急に思い出したように口を開いた。
「念のため言っておくが、ミアが俺の妻になれば、当然、俺とミアは夜を共にすることになる。それは覚悟出来てるんだろうな?」
それを聞いたティオは立ち止まった。ドアの方を向いたまま、背中越しに答える。
「それがミア様の幸せになるのであれば」
「分かった……安心しろ。お前の大切なミアは、俺が必ず幸せにしてやるよ」
ロベルトが真面目な顔で言った。
ティオは背中越しに会釈すると、ドアを開けて書斎から出て行った。