貴公子様はお茶目でいらっしゃる
馴れ初めと言えばまぁ、そう。
王国の辺境。
隣国からの侵略と、隙あらば襲ってくる魔物たちから国の中央を守るべく防衛にあたっている辺境伯は、氷の貴公子と呼ばれていた。
辺境で戦いに明け暮れるような人なのだから、きっと蛮族みたいな粗野で粗暴な大男なのかもしれない、と彼の事を知る前の中央にいる令嬢たちは噂するが、しかし一度彼を見ればまるで王子様のよう……と頬を染めときめく始末。
実際の王子よりも麗しの美貌を持つ彼は、しかし普段は辺境にいるため滅多に王都へ姿を見せる事はない。
けれども彼の武勇は王都にまで届いている。
彼の功績、武勇伝はそれこそ一晩で語り切れないくらいにあるけれど、そのほとんどは敵に対する容赦のなさであったり、圧倒的な実力であったり。
黙ってさえいれば王都で蝶よ花よと育てられている令嬢たちにとっても憧れの存在であるけれど、しかし内面は苛烈にして冷酷。敵に一切の情けをかけない事は有名な話である。
敵が魔物や他国の者であるのなら頼もしいが、そうでなければ恐怖でしかない。
国内で罪を犯し、大衆の前で処刑する事すら生温いと思われた犯罪者などは、辺境伯の元へ送り届ければ凄惨な死に方を約束できる。そう言われているくらいなのだ。
悪い事をすると辺境伯様がお仕置にやってきますよ、なんて幼い子供の躾にまで利用される始末。
それくらい、彼の名は広まっていた。
「――それで? 以前送った偽聖女が……何でしたか?」
王都からわざわざ足を運んでやってきた第一王子ランセルに、ライアスはどこか揶揄うような目と、一切の興味もなさそうな平坦な声色で問うた。
「実は……彼女は偽聖女などではなかった」
「そうですか。それで?」
「真の聖女であるアリアータは、今どこに……?
彼女の名誉は回復された。となれば、王都の神殿が彼女のあるべき居場所なのだが……」
「ふふ。おや失礼。
名誉は回復されたも何も、貶めておいて回復とは……マッチポンプでしかないなと思いまして。
いえ、殿下を悪し様に言う意図はないのですよ? 失礼、辺境では婉曲な物言いを好まないのもありますもので。つい、思ったことを『素直に』口から出してしまいました」
「ぐ……」
痛いところを突かれたみたいな顔をして、ランセルが表情を歪めた。
ライアスの言葉を全て否定したかったが、できるはずがなかった。
「それに、真の聖女と言いますが殿下は偽聖女のアリアータとの婚約を破棄し真の聖女だと認めたイルフィナと結婚する、と宣言していたではありませんか。彼女こそが真の聖女だったのでしょう?」
「私は彼女に騙されていたのだ!」
バンッ! と耐え切れなかったようにランセルがテーブルに両の掌を叩きつけた。
その拍子に皿の上の料理がほんの少しずれたが、ライアスは特に気にしなかった。
皿の上のソースがはねてランセルの服に飛び散ったところで、知った事ではないからだ。
ナイフやフォークがテーブルから転がり落ちたところで、わざわざ自分が拾ってやる義理もない。そういうのは給仕の仕事である。
「騙されて、ねぇ……
では、真の聖女だと偽っていたイルフィナの目的は何だったのですか?
殿下を篭絡し殿下の立場を貶めて、第二王子を立太子させようという敵対派閥の手の者だった、とでも?」
言いながらもライアスはわかっている。イルフィナの家は第二王子ではなく第一王子を支持していた家だ。
わざわざランセルを陥れる必要のない家だ。
おおかた将来立太子して次の王になるであろう男と結婚すればいい暮らしができると踏んでの事だろうな、とはライアスでも簡単に想像できるくらいイルフィナはあからさまだったというのに……しかしこのボンクラは気づかなかった。ハニートラップにああも簡単に引っ掛かるとか、馬鹿なのかこいつは……と以前王都に呼ばれた時に見かけた二人の事を虫けらを見る眼差しで一瞥したのをライアスは憶えている。
忠告してやろうとかは思わなかった。
それはライアスの役目ではなかったからだ。
ランセルの側近になるはずの令息たちや、ランセルの身近にいる大人の仕事だ。
ライアスはそうでなくとも辺境の守りを固めなければならないのに、馬鹿の子守りまでする程の忠誠を持ってはいなかった。
大体王都で生活している者たちは辺境に住む者を軽んじている部分がある。
田舎でロクな生活もできていない未開の原始人。
そんな風に思っている奴は一人や二人ではない。
ライアスは見た目が無駄に洗練された美形であるからこそ彼に対して直接そういった蔑みは投げかけられていないけれど、それ以外の辺境の者には惜しみなくたっぷりとそういった軽んじる空気を浴びせられているのだ。
内心でライアスは「辺境の人間で蛮族選手権とかやったら優勝するのは自分だと思うんだけどな」と思っているが、口には出さない。外面を取り繕うのが上手くなったのは、くだらない用事で呼びつける王家のせいであって、そうじゃなかったらライアスは見た目こそ貴公子と称賛されるものの中身はそこらの山賊の頭みたいになってたっておかしくはなかったのである。
ちなみに呼びつけられる理由の一つは、ランセルの妹にあたる王女がライアスの見た目を気に入り、事あるごとに会いたいと国王に頼んでいるからだとか。
ただそれだけの理由であれば、ライアスがわざわざ辺境からやって来る必要はないし、それだけなら断っても許される。
けれども国王はそれ以外にも理由をつけて、ライアスを呼びつけるのだ。
本当に忙しくてそれどころじゃない時は「無理に決まってんだろタイミング考えろ」と王相手であっても言うけれど、あまりに何度も断ると今度は王女が直々に辺境まで押しかけてくる可能性がある。
鬱陶しい女を面倒だから魔物の餌にしてしまいたい衝動に駆られた事もあるが、流石にそれをやるのは不味いとライアスだってわかっている。
王女の我侭がライアスの許容範囲を超えたならその時はどうなるかわからないが、少なくとも今はまだ様子見の時である。
それはさておき、ランセルが真の聖女だとのたまっていたイルフィナは確か子爵家に引き取られた庶子だったはずだ。一応辺境にもそういう噂は聞こえてくる。
対するアリアータは侯爵家の令嬢だった。
貴族は魔法が使えるが、なんでもかんでも使えるわけでもない。各々には得意な属性というものがあって、その中でも光属性というのは希少なものだ。
光属性の魔法には結界というものもあって、それは魔物を寄せ付けない。
かつて、この国で初代聖女となった女性が国を覆うように要石というものを設置させ、そこに光魔法を使う事で結界を一定期間維持できるようにして以来、光属性を使える者は聖女となるべく定められた。
希少ではあるが、いつの時代にも光属性の魔法が使える者は複数名存在している。
聖女なのは、光属性を使える者はほとんどが女性であるからだ。極少数、男であっても光属性を扱える者が現れるけれど、女性と比べると圧倒的に少ない。
光魔法が使えるからとて使える者全てを聖女とするわけにもいかない。
光魔法は結界を作るのに必要ではあるけれど、それ以外にも役立つ魔法は存在するのだ。
だからこそ結界の維持は聖女の役目とし、それ以外の者たちはそれ以外の役割をこなす。
聖女というのは、光魔法が一番強い者へ与えられる称号だった。
希少な属性、その中で最強。
そんな女性はいつしか王家やそれに近しい家で取り込む形となっていった。
だからこそアリアータはランセルの婚約者だったのだ。
ところがイルフィナにコロッと落とされて、何もしていないアリアータにありもしない罪をかぶせて、ランセルは国王夫妻が帝国へ招待されている隙にアリアータを偽聖女として断罪し、更に真の聖女であるイルフィナを虐げていた性根の腐った女など自分の婚約者として相応しくないから婚約を破棄する! などと宣言し、更には偽聖女なのだからと追放した。
というのをライアスが知ったのは、アリアータ本人からであった。
何故って追放先がご丁寧にもライアスのいる辺境だったので。
ランセルに言われてアリアータを追放する役目を仰せつかったであろう彼の側近もどきに、いかにこの女が悪辣で醜悪な存在であるかを声高に告げられて、そうしてランセル殿下の伝言ですとライアスはクソみたいな茶番をわざわざ聞かされる羽目になったのである。
そうしてこの犯罪者は魔物の餌にでもしてやってくれ、と言って側近もどきは去っていったのだ。
とりあえず気分を害したライアスはアリアータの言い分も聞いた。
側近もどきの話は誇張されすぎているような気もしたし、何より正義は我にあり! みたいな空気が漂っている挙句、陳腐な内容すぎてライアスの脳内にあまり入ってこなかったので。
途中話を遮って側近もどきにアイアンクローをかまそうかと思っていたくらいつまらない話だった。
その点アリアータの話は淡々としながらもわかりやすかったので、ちゃんと最後まで聞いたけれど。
「イルフィナの家は第一王子を支持している派閥だった。ついでにそこの庶子が聖女候補の一人になって、近づく機会を得た。
まぁ、余計な欲が出たんだろうなとは見なくてもわかりますがね」
「あぁ、たかが子爵家の庶子が、思い上がりも甚だしい。
それで、アリアータは今どこに?」
早く会わせろ、とばかりにランセルが言う。
お昼の食事時にやって来て一方的に偽聖女に騙されてただの、本当に自分が愛していたのはアリアータだっただの、少し前にメイドたちが話していた娯楽小説の内容みたいな――というかその作品のセリフにしか聞こえない、聞くに堪えない言葉をランセルは並べ立てる。
ライアスは知っている。
ランセルに後がない事を。
帝国から戻ってきた国王夫妻がアリアータ追放を知った時には、ランセルはイルフィナを勝手に城に呼び寄せて、すっかり結婚したみたいな気持ちで過ごしていた事を。
そしてそれが、国王夫妻の怒りに触れた事を。
イルフィナの稚拙な嘘にコロッと騙された事もそうだが、そうでなくともアリアータの言い分も聞いて、事実を明らかにするべきだった。だというのに愛するイルフィナと結ばれたいという気持ちが先走ってランセルはアリアータの言い分を聞く事もせずほとんど勢いだけで自分に賛同する側近もどきを使い強引に追放したのだ。
王命に逆らって勝手な婚約破棄。
相手の言葉を鵜呑みにし、真偽を確認しない杜撰さ。
更には次の聖女として有力どころかほぼ確定していた相手を追放。
しかも真の聖女だとのたまっていたイルフィナの実力はアリアータと比べればお粗末なゴミレベル。
どれか一つであっても相当問題しかないのに、複数しでかしている時点でそりゃあブチ切れるだろうよ。国王夫妻も、アリアータの家族も。
その後国王にボコボコに叩きのめされたらしいランセルの表情は、未だに腫れが引いていないので今まで褒めそやされていた美貌は残念な事になってしまっている。
殴られた後、癒しの魔法をかけてもらう事すらされずに、ランセルは城を追い出されたのだ。アリアータへ謝罪し連れ戻して来いとばかりに。辺境まで全力ダッシュで行けとか言いたい気持ちもあっただろうけれど、のんびりしている余裕もないだろうから、辺境までは馬車で運ばれてきたようだけれども。
昼食時にやってきたのもあって、着くなりランセルは自分の身に起きた不幸を語り始めた。ついでに昼食を強請ってもきた。
一緒にやってきた側近もどきは大人しかったが、こちらは単純に顔が腫れすぎて上手く喋る事ができないから黙るしかないのだろう。
物を食べるのにも苦労しているようだった。
アリアータを連れ戻せなければ、お前らはただでは済まん! と国王に宣言されたらしく、ランセルは必死だった。
アリアータがここで無事に保護されていると信じて疑ってすらいない。
「今どこに、も何も。
一応ここにいますがね」
「早く会わせてくれ」
「会わせるも何も、いるでしょ。ここに」
「……え?」
ここ、と言いながらライアスは自分の皿を示した。
「大体、貴方の言葉としてそちらの側近が伝えた内容、まさか忘れてしまったのですか?
魔物の餌にでもしてやってくれ、と確かに言ったのですよ」
「ぁ……」
ランセルの顔が一瞬で真っ青になった。
人間ってこんな瞬時に顔色が変わるのだな、とライアスは新たな気付きを得た。
「なのでまぁ、一部は聖女ですね。
何、ただの食物連鎖ですよ、殿下」
ゆるりと笑う。
見た目だけなら完璧な美しさを誇るような男の笑みは、この場の状況を気にしなければ見惚れる程に美しかった。
けれどランセルの目には、ライアスの笑みはさながら魔王のような笑みで。
ひっ、と喉の奥からひきつったような悲鳴を出したのは、ランセルか、それとも側近としてついてくるしかなかった男の果たしてどちらが先だったか。
辺境では倒した魔物の肉を食料とする事をランセルは知識として知ってはいた。
結界ですべてを覆ってしまえば魔物は本来やってこないかもしれないが、しかし完全に密閉するかのようにしてしまうと、他国の結界と自国の結界との間、狭間では魔物があふれてしまう。そうして結界が弱まるような事になった時、そこから一斉に魔物がなだれ込んでくれば、国は一瞬で混乱に陥り多くの民の命が失われる事になりかねない。
だからこそ、少しだけ結界を弱くしている部分がある。
それが、ライアスの治める辺境にある魔の森と呼ばれる場所だった。
結界の弱い部分から入り込んだ魔物を倒して、間引く。一所に魔物を閉じ込めたままだと、そこで縄張り争いだけではなく魔物同士での食物連鎖も発生し、残った魔物は人の手に負えない強大なものになりかねない。
だからこそ、あえて魔物を誘き寄せて、強くなる前に倒すのだ。
強くなる前、といっても弱い魔物であっても戦う力のない者からすれば脅威だ。騎士ですら油断をすれば命を落とす事もある。時折やけに強い魔物だってやってくるのだから。
ランセルはアリアータを偽の聖女と断じた時、愛するイルフィナとの仲を邪魔する女などさっさと処分してしまえばいいと思っていた。ランセルの婚約者という立場に胡坐をかいてイルフィナへ嫌がらせをするような性悪など大衆の前で処刑するのですら生温いと思っていた。
魔の森まで追いやって、魔物の餌になってしまえというのはあの時は本心だった。
アリアータが王都から追放されて数日。
両親が戻ってきてそこでようやく自分の立場が危ういと気づかされたランセルは、急いで辺境伯の元へとやってきたわけだ。
側近が彼にアリアータを押し付けたというのであれば、いくらなんでも本当に魔物の餌になどするはずがない。きっと、アリアータは保護されているのだと思い込んで。
しかし目の前にいる男は、王族の言葉に従ったまでですが、と平然としている。
更にはアリアータを食したらしい魔物を倒し、それを食事としているのだ。
皿の上の肉は、程良い焼き加減だ。ランセルは最初、いかに自分があのイルフィナという偽の聖女に騙されていたかを語りながらも食事も進めていた。
王都で出される肉よりも大きく味も若干いつも食べているものと違っていたけれど、味はまぁまぁであったためランセルは特にこの肉についての出所を聞いたりはしなかった。
しかしライアスの言葉を理解した今。
皿の上にまだ半分ほど残っている肉を、ランセルはこれ以上食べ進める事ができなくなってしまった。
アリアータを食べた魔物の肉。
肉の上にかけられた深い赤色のソースはまるで血のようにも思えてしまって。
「う……っ」
目に涙を浮かべたランセルはマナーも何もあったものではないとばかりに席を立ち、そうして駆け出した。
恐らくトイレに駆け込もうとしているのだろうなぁ、とライアスは察したが、ついでに間に合わないんだろうなとも察してしまった。
メイドには余計な手間をかけるが、まぁ仕方がない。
側近としてついてきた男もランセルに遅れて席をたち、うわぁ、と情けない悲鳴を上げながら後に続いた。
「まったく……魔物が人を襲って食べる事などわかりきっているだろうに」
そうでなくたって、魔物じゃなくても肉食動物なら場合によっては人を襲って食べる事もあるというのに。
直接人を殺して調理して食べるのを問題視するならわかるが、魔物に人の法など通じるはずがないのだから、人は襲われるし場合によっては食べられる。
ランセルとてそれをわかったうえで、アリアータを魔物の餌にしろなどと言ったのではなかったのか。
「魔物の餌にしろと言った女が必要になったからとて、魔物の腹の中におさまった後で取り戻そうなど手遅れが過ぎるな」
はっ、と鼻で笑う。
追放したアリアータがとっくに魔物の腹の中、となればもうランセルが返り咲く機会はない。
そうでなくとも、自分をありもしない冤罪で追放させた男に謝罪はともかく今までの事は水に流してやりなおそう、などと言われたところで。
自分を殺そうとした相手と、何の禍根も残さずやり直せるなど土台無理な話だろうに。
いくら相手が聖女と呼ばれていようとも、聖女というのはただの称号でしかないのだから。
――二人が情けない悲鳴を上げながらも逃げ帰っていった、という報告を聞いてライアスは果たして無事に帰れるのかね……と他人事のように呟く。
馬車はどうにかなったとはいえ、帰りにはアリアータもいるであろう事を見越されてのもの。
けれどそこにアリアータはいないとなれば、一体何のために帰ってきたと叱責を受けるのは目に見えている。
ランセルが次の王になる道は絶たれたと言ってもいい。
そうなれば次の王になるのは王女だろうか。
そうなれば王配選びでまた一悶着起こるのだろうな。考えるだけでも面倒な予感しかしない。
「いやまぁ、しかしこれで見捨てる決心がついたとも言えるか」
「もともと見捨てるつもりだったのでは?」
「はは、手厳しい。確かにそうですね。今の王は悪い人ではないのだけれど、凡庸すぎた。悪政を敷かぬだけの善性はあれど、しかし我が子可愛さに甘やかしていた。
結果として、王族の苦労などもロクに知らぬままなんでも自分の思い通りになると思い込んだ甘ったれた我侭坊主と箱入り娘が次代となれば……この国もそろそろ潮時かと思ったって仕方がないだろう?」
そうでなくとも辺境は中央を守るためにあるというのに、なくなれば困るのは中央のくせに、その平和がどうやって維持されているかも忘れてこちらを軽んじていたのだ。
ランセルが失脚した以上、王女が次の後継者、女王となるのは確定だろうけれど。
王配としてライアスが、などと言い出すとは思わないが、しかしあの王女様だ。
可能性がゼロとはとてもじゃないが言えなかった。
自分は辺境での暮らしが気に入っているというのに、王女の我侭でライアスを王配に、などと言われて自分が王都へ引っ張り出されるような事になれば堪ったものではない。
そうでなくとも、しょっちゅう呼び出されていたのだ。
王女がこれから女王になるからと、今までのような我侭が許されないとなって素直に諦めてくれるとはとてもじゃないが思えなかった。
王女がライアスに会いたいがために王都へ呼び出された時、王からもいくつかの相談事を聞かされてはいたけれど。
凡庸だと言ったのはその内容がライアスから見てもどうでもいいものばかりだからだ。
国のための悩みであったとしても、それは周囲の側近と話すべき内容であり、わざわざ辺境から辺境伯を引きずり出してまでやる事ではない。
今まではまだ許容範囲内であったけれど、聖女を追放して挙句魔物の餌にしろ、と言われた事で王家への忠誠もほぼ消滅した。
「結界の要石については、どうにかなる。
要石に力を注ぐ光魔法の使い手に関してもだ。
であれば、いい加減あの国から独立しようと思っているのだよ。
どう思う? アリアータ嬢」
「どう、も何も。
私の身の安全、家族の無事、領民たちの今後。
それらが保証されるのであれば、私に否やはございません」
「そうか。なんとも欲のない事だね。
勿論既に君の生家に連絡は入れているし、侯爵殿も流石に王家に愛想を尽かしたようだからね。
領地を捨てる事になるとはいえ、領民まるごとこちらへ引っ越して王家からの独立だ。
国はもしかしたら荒れるかもしれないけれど。
これも一つの時代の流れってやつかな」
ははっ、と軽やかに笑うライアスに、アリアータはこれを笑いごとで済ませるこの人も大概ね……と口には出さないが思っていた。
一応片方だけの言い分を信じるわけにもいかないからさ、と軽い口調でアリアータは何があったのかを聞かれたのだ。
その上で、ライアスは問いかけた。
王家にまだ忠誠心はあるかい? と。
国王陛下や王妃殿下は良くしてくれたけれど。
しかしランセルにいい思い出が何もない。
彼が反省したとしても、喉元過ぎてまた同じような過ちを繰り返さないとも限らない。
アリアータの中でランセルへの信用度合いなどそれくらい――つまりは、底辺である。
ここで保護されたとしても、そのうち王家からアリアータを連れ戻しに誰かしらやってくるだろう。
そうして、前の事などなかったかのようになるのなら。
王家にはランセルの他に王女とまだ幼い王子が一人だけ。
ランセル以外に年頃の王子がいたのなら、そちらの婚約者として……となったかもしれないが、ランセルだけなのでそうもいかない。
他の王家に近い血筋の家に嫁ぐにしても、そちらには既に決まった婚約者がいる。
そちらをやめてアリアータを、となれば表向きはともかく水面下では色々と揉めるのがわかりきっていた。
だからだろうか。
何があってもランセルの婚約者はアリアータであるのだと、揺るぎない事実なのだと周囲は思っていたし、仮にアリアータが聖女じゃなくなったとしても、その時はランセルの婚約者に別の聖女がなるだけだ。
アリアータが婚約者の座に胡坐をかいていたわけではない。ランセルこそがそうであるのだ。
であれば、アリアータが聖女である以上、彼女の結婚相手はランセルのままだ。
やらかす前までならまだ、歩み寄ろうという気持ちもあったけれど。
してもいない嫉妬に狂ってイルフィナを虐めただとか、王子の婚約者の座に胡坐をかいてるだとか、好き勝手な事を言われて挙句魔物の餌になれとまで。
これでやり直せは無理な話だ。
絶対に戻りたくない。
戻りたくないけれど、でも家族や領民たちを捨てるのは少しばかり躊躇いがある。
せめて王弟殿下とかいたならそちらに嫁ぐとか、別の相手がいるのならまだしも、ランセルとの結婚などアリアータの中では絶対に嫌だとなってしまったので。
貴族としての責務? 聖女としての役目?
ランセル以外の男性ならまだしも、彼とだけは絶対に嫌。
生理的に無理レベルにまでなってしまったのだ。
それでも無理を押して子を作れなんて言われたら、ベッドに入った時点で枕の下にこっそりと忍ばせた武器でランセルの喉元を掻っ切ってやりたいくらいには、無理です。
据わった目で言い切ったアリアータに、ライアスは爆笑した。
ある程度懐の広いはずの女にここまで嫌われるって滅多にないよ、と涙を浮かべ手を叩き、盛大に爆笑したのである。
ライアスだって流石にアリアータに対して情はあった。
聖女として頑張ってこの仕打ち。
まるで中央の辺境に対するかのようで、親近感も持ってしまった。
人の忠誠心なんだと思ってるんだ。
いつまでもあると思うな親と金。ついでに国への忠誠心。
そんな気持ちである。
だからこそ、そのうち王家からの使者がアリアータを連れ戻しにやってくるのはわかっていたが、アリアータはそれを拒否した。
戻るにしても、彼女がまたランセルの婚約者継続のままでは絶対に嫌だというのは言うまでもなく、他の条件を話し合うような機会があるのならまだ一考の余地はあったけれど。
よりにもよってアリアータを迎えにきたのはランセルである。
王家としてはそれが当然の結論だったのかもしれないが、この時点でアリアータの中の王家への忠誠心とかは木っ端微塵に吹っ飛んだのである。
他の使者ならアリアータも姿を見せて話し合いをしようという気になった。
とりあえずランセル殿下との婚約はあちら有責の破棄で、というのが聖女として戻る最低条件だと告げて。
けれどもやってきたのは当の本人。
その相手にお前有責の婚約破棄でなら王都に戻ってやってもいいですけど、なんて言ったところで、あの我侭王子が素直に言う事を聞くはずがない。
何故ってアリアータとの婚約を勝手に破棄したからこそ、彼の立場は崖っぷちなのだ。
復縁しないと助からないのがわかっているのに、アリアータからの婚約破棄を受け入れるはずがない。
そして、ランセルが失脚する以上、ランセルの妹が即位する事になる。
ライアスは辺境伯で、辺境から出るつもりはないけれどしかしあの王女はライアスを殊の外気に入って何かと王都へ呼び寄せようとしているのは今更変える事のできない事実であって。
彼女が女王になるのなら、王配には是非ライアスを、と言い出す可能性はアリアータも高確率で言うでしょうねぇ、と否定する様子もないくらいに頷けるもので。
ライアスは辺境伯としてやる事はやってるが、王配としてあの我侭王女を支えろとか言われるなら単身で魔の森キャンプした方が余程マシだと思っている。魔物はいくら殺しても問題にならないけど、王族を殺すと問題になってしまう。
下品な言い方になるが、ライアスは王女と結婚して初夜を迎えたとして、あの女に対して優しく接して気持ちよくして……などという事を全くしたいとは思えないのだ。
それならまだ金出して娼婦相手にした方がマシ。
王族よりも身分は下かもしれないが、辺境伯とてどちらかと言えば選ばれる側ではなく選ぶ側なので。
ついでに言うなら血筋も大切だけど、どっちかといえば辺境では実力主義なので。
あの王女は無い。辺境で暮らしここでの常識で考えると、あの女だけは無いのだ。
見た目は良いけれど、辺境では見た目だけの女などなんの役にも立たないのだから。
いっそ、独立しちゃおっかな……なんて呟いたのは、半分冗談半分本気だった。
その呟きに、でしたら我が侯爵家と領民たちと私も是非、とのっかったのがアリアータである。
聖女としての地位がほぼ確定している私は、それなりにお役に立てますわ、と売り込んだのである。
両親や親類、領民たちが王家とまだ関係を続けていくつもりなら、人知れずアリアータは出奔するくらいの気持ちであったが、もし彼らも王家を見捨てるのであれば。
受け皿は必要である。
とりあえず侯爵家に早馬飛ばして内密で連絡を取り合って、かくしてライアスは王家からの独立を決めた。
王家と敵対したところで、正直こちらにはそこまでの問題がないのもあっさりと決めてしまった要因だった。
辺境で賄えない生活に必要な道具や食料といったものは、普段隣国からやってきた行商人たちとやりとりしていたので。中央からだと馬鹿みたいに足元見て金額ふっかけてくるし、その上大して物は良くないしで、それもまた独立しても問題ないか、というポイントになってしまった。
「とりあえず、聖女アリアータは王子の望み通り魔物の餌になってしまったので、新しい名前で聖女としてここで働いてもらう形になりそうだけど。
それでいいの? とは聞かないよ。だってもうそこは織り込み済みだからね。
聞くべきはこれからの新しい君の名だ」
新しい君の名前はどうする?
そう問われて、アリアータはきょと、と目を瞬かせた。
「それなら、新しい旦那様になる貴方につけていただきたいわ」
「えっ?」
「え?」
「旦那? えっ?」
「あら、違いますの?
聖女は基本的にその血を受け継がせていくために、王家やそれに近しい血筋の相手と婚姻を結ぶでしょう?
王家から独立するとなれば、ここで該当するのはライアス様、貴方でしょうに」
あまりにも当たり前のように言われて、ライアスは珍しく思考が停止するのを感じていた。
言われてみれば……確かにそうかもしれないんだけども……でも、えっ?
結婚? 彼女と? 俺が?
結婚相手とか全くそんな事を考えたりもしなかったから、寝耳に水というか、むしろ死角からローリングソバット叩きこまれたみたいな気分で一杯なんだけど……と困惑しているうちに、アリアータは続けて言った。
「それに、自分の王配としてライアス様を指名しようとする王女殿下だって独立したなら独立した辺境伯領と王家の仲を強化しようとしてより一層貴方に拘るかもしれません。
貴方が独身である以上。
けれどそこで、独立したついでに聖女と結婚したとなれば。
無理に引き離す事もできず、かといってこちらと敵対するわけにもいかず、さぞ悔しがるでしょうね。地団太踏んで」
「何それ面白そう。採用」
――かくして。
辺境伯領は王国から独立し、その後どこからともなく現れた光魔法の使い手リリアータとライアスは結婚し盛大な式を挙げたのである。
その時点で二人の間に愛なんてものはなかったけれど。
しかし今までは聖女として淑女として色々と制限されてきたリリアータは、ここでは公の場じゃない限り猫なんていくらでも脱ぎ捨てて構わないと言われのびのびと過ごしていたし、ライアスもまたそんなリリアータに遠慮などしなかった。
「政略と言えばそうだし最初に愛があったか、と言われれば確かになかったけれど。
でもリリアータは面白い人だからね。愛かはわからないけれど、好意的な感情はあるよ」
とはライアスの言葉であったし、
「綺麗な面の狂戦士だと思ってましたが案外話が合うんですよ。騎士団の皆さんと拳で語り合ってる時なんて、思わず実況に熱が入ってしまいますわ。
愛? あるかはわかりませんけれど、好意的な感情はございましてよ。
案外お茶目な方なので面白くもありますし」
リリアータもまたそう語っている。
そうして多くの民を受け入れる事となった元辺境伯領は徐々に賑わいを見せ発展していくこととなった。
お互いの間に愛があったかはわからないが、それでも。
民の目から見た二人は、間違いなく相思相愛であったと言われている。
タイトルは聖女から見た感想です。
次回短編予告
虐げられてる聖女が神様に救われる話。
嘘は言ってないのになんだろうこの白々しさ……
次回 つつぬけ聖女様
キーワードにきっとある意味公開処刑とかそういう感じの単語が入るよ。
投稿は近々。
※感想で突っ込まれたのでここでも補足を。
王女じゃなくて次の王になるの第二王子じゃないのなぁぜなぁぜ? されたけど、第二王子は王女よりも年下です。ぶっちゃけ立太子するにはあまりに早すぎるので、辺境伯が第二王子を立太子~とかの発言は、彼自身ないなと思ったうえで言ってます。
第二王子を担ぎ上げようとしてるとなると、王家を傀儡にしますよってのがバレバレなのでそういう貴族がいないとは言い切れないけど表向き堂々とそう言う奴はいない。
作中に追加しようにもどこに付け足していいのか現時点ちょっと悩むのでそのうちいい感じに修正できそうならするかもしれません。どう足掻いても文字数が無駄に増えてぐだる気しかしない(´・ω・`)
※どう足掻いても余計な文章増えそうだなぁと四苦八苦してたらスタイリッシュにこうすればええんやで、ってとてもスマートな修正を誤字脱字報告してくれた方のおかげでほぼ解決しました。ありがとうございます。この作品に限った話ではありませんが、他の気になる部分もちょこちょこ時間を見つけて修正していこうと思っております。
書いてる本人は脳内である程度把握した情報でも文章に書いてなかったら伝わるわけがないのでそこら辺今後もうちょっと注意していきたい所存。