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ジェニア様が部屋を後にされてからアンの様子をうかがうと彼女は「すごい方でしたね」と苦笑した。同感だったので私も「そうね」と返した。
先程の話のことを説明した方がいいのだろうけど、なんと言えばいいのか……「びっくりしたでしょう」「実はね、私、前世の記憶があるの」いろんな切り出し方を考えてみてもどれも実際言葉にならなかった。
「お嬢様、難しいお顔をされていますね」
「え、あ、うん、さっきの話」
アンはどう思った? そんな簡単な言葉が続けられなかった。
「私は学がありませんので、よくわかりませんでした」
「そう。……私のこと、おかしくなったと思う?」
「いいえ。きっと神様がお嬢様にお与えになられたご事情がおありなのでしょう」
そう言って祈るように顔の前で手を組んだ。彼女は元々修道院が運営する孤児院で幼少期を過ごしているため信心深いところがある。今回のことも「神様の思し召し」と結論付けたようだ。細かい説明をしなくていいのは助かったけれど、おそらくそういう部分も気遣っての返答に思えた。
入寮し一日を置いて本日は入学式。制服を身にまとうと背筋が伸びるような気がするのは前世の記憶の名残りだろうか。先日、この世界が乙女ゲームの世界観を元にしていると知って、膝丈スカートのブレザー制服を着用することに納得がいった。
校舎には原則、従者を同伴することは出来ないから私が授業に出ている間、アンは私の部屋を整えるのはもちろんのこと、寮監の下で共有部分の掃除や洗濯などの仕事に従事することになるらしい。寮には邸宅同様使用人の部屋があり、そちらは二~四人部屋だそうで、昨日の朝、アンが「先日いらっしゃったご令嬢にお仕えしていたリュナさんと同室でした」と教えてくれた。公爵家の侍女と子爵家の侍女が同室? と思わないでもないが、そこは深く考えてはいけない気がして、「良かったね」と相槌を打った。
扉を開けてくれた彼女に行ってきますと挨拶をして部屋を出る。初日の勢いであればどこかでジェニア様が待ち構えているかもと身構えていたが、入学式の行われる講堂にたどり着くまでに彼女の姿を見ることはなかった。
身分を示して受付を済ませ、講堂に入る。厳かな室内は扇状に座席が広がり、中央に設えられている壇上には立派な装飾が施された演台が置かれていた。座る場所に決まりは無いらしく、見渡してみると既知の相手と固まって話している人たちもいれば、ひとりで暇そうにしている人、物珍しそうに室内を見回している人もいる。時間ギリギリだと混雑するだろうと思い気持ち早めに出てきたのだが、私と同じように考える人も少なくないようだ。もしかすると、単純に落ち着かなくて出てきてしまったのかもしれないけれど。この国では貴族学校への入学が初めての公式な社交場として扱われている、基礎的なマナーや勉学、紳士淑女の嗜みを養い、卒業パーティがデビュタントとなる。そういう経緯もあって緊張や興奮から浮き足立ってしまうのもわからない話ではない。
そんなことを考えていたら、一番端の真ん中辺りの席でぽつんと座って本を読んでいる青年を見つけてそちらに足を向けた。
「お隣、失礼してよろしいかしら」
声をかけると本から顔を上げ、長めの前髪越しにこちらを見、私を認識すると緩く口角があがる。読んでいた本を閉じて、席を立ち「どうぞ」と奥の席を勧めてくれた。
「ありがとう。本、閉じてしまって良かったの?」
促されるままにひとつ奥の席に座り彼に訊ねる。元の席に座りながら彼はうんと頷いた。
「何度も読んでいるから。それより、姉さんが早速会いに行ったんだって?」
「うん、寮に到着してすぐに」
「相変わらず落ち着きがないよね」
そう言ってくすくす笑う彼が私の婚約者であるヴィルフレード・アルムストレームだ。早めに来ているだろうなと思っていたら案の定だった。彼の場合は、自室で時間を潰していたら入学式の時間が過ぎてしまいそうだからとかそういう理由だろう。
お姉様といえば、彼にはジェニア様のことを伝えておいた方がいいと思い、転生どうこうという部分は伏せた上で入寮時にあった顛末を出来るだけ簡潔に話した。
「リネアが嫌じゃないならいいんじゃない」
それに対する回答はけろりとしたものだった。それもそうだろう、王太子殿下の婚約者であるジェニア様が婚約者持ちの男と――好色的な意図がなかったとしても――親密にしているのは決して褒められたことではない、だから私に白羽の矢が立ったのだ。ヴィルは私の話からそれを汲み取った上で私が嫌でなければと結論つけたようだ。
「ジェニア様は悪い方ではなさそうだし、少しだけ面白そうだなと思っているの」
「そう。ああ、でも紹介だけはして欲しいな、僕だけ仲間外れにされたら寂しいし」
「ええ、もちろん」
そのあと、近況などを話しているうちに席は埋まっていき、「静粛に!」と鋭い声が室内の空気を震わせ、一瞬にしてざわめきが消えた。壇上には式の進行役だと思われる中年の男性。髪を後ろに撫でつけ、ピシッと直立する様は神経質そうな印象を受ける。私も前を向き姿勢を正した。
入学式は開式宣言から始まり、学校長の長い式辞、国王からの祝辞の代読と続き、何度も出そうになった欠伸を噛み殺した。目だけを動かして隣のヴィルの様子をうかがい見るが、長い前髪が邪魔をしてその奥の目が開いているのかさえわからない。
進行役の「在校生代表」の言葉に重なって新入生から歓声があがる。つられて前を見ると鮮やかな緋色の髪の青年が登壇し歓声に応えるように大きく手を振った。緋色の髪は王家の象徴だ、つまり彼がジェニア様の婚約者でこの国の王太子であるサイラス・ルベル・エスカラーチェ、その人だった。
「まずは王都までの道のりご苦労であった。この学び舎で各々励み、諸君らが有益な人材になることを期待する。以上だ」
あまりにも簡潔な挨拶に思わず呆けてしまったが、ぱらぱらと聞こえてくる拍手の音に慌てて私も手を叩く。盛大な拍手を受けて王太子殿下はあっさりと壇上を後にした。
続いて新入生代表として登壇したのはジェニア様で、王太子殿下ほどではないが歓声があがる。流石、未来の王太子妃である。彼女は定番の挨拶をこちらに語りかけるように堂々と述べ、最後に自身の名で締めると、先程よりも揃った拍手が響いた。
「すごいね」
隣から内緒話のように囁かれて、それに小さく頷いた。初日にあったことは本当は夢だったのではないだろうか、そう疑ってしまうくらいに壇上の彼女は住む世界が違うように思えた。
◆
「すっっっっっごく緊張したわ」
あの後、その場で明日からの授業の説明を受け、解散となった。そして、部屋に戻って寮の部屋に直接配給された教科書を整理している時、ジェニア様が訪ねてきて今に至る。
「こういう挨拶はヒロインにやらせて欲しいわ。どこかおかしなところはなかった?」
「とても緊張されているようには見えませんでした」
それならいいのだけどとテーブルに両肘をついて両手に顔を乗せる。後ろに控えるリュナさんが「お嬢様、お行儀が悪いですよ」と嗜めるが姿勢を正す気はないようだ。
「それにしても、殿下の挨拶も大概よね、式典の口上くらいきちんとしたらいいのに、必死に覚えた私が馬鹿みたいだわ」
「私は初めて殿下を拝見しましたが……」
なんと言えばいいのか言葉に詰まる。どう表現しても不敬に当たるような気がして。ジェニア様とこんな風に接しているのも傍から見れば不敬に当たるのだろうけれど。
「私しかいないのだから取り繕わなくても構わないわ。尊大な方でしょう、王族だから当たり前だけれど、私はそういうところが少し苦手なのよね」
ふうとため息を吐くジェニア様に私は笑うことしか出来なかった。