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その日は朝から屋敷の中が慌ただしかった。昼過ぎにジェニア様が汽車で来訪される予定で、迎える準備の最終確認をお父様が念入りに行なっていた。私も何度か「食事はこれで大丈夫だろうか」「客室に不備はないだろうか」と念を押すように訊ねられた。気難しい方ではないからそんなに気負わなくても大丈夫だと再三伝えたけれど、やはり公爵令嬢をお迎えするのは家長として動じないほうが難しいようだ。反面、お母様は屋敷の使用人――特にジェニア様に接する機会のある者に礼儀作法を再教育していたものの、それ以外はなんとかなるでしょうとのんびり構えており、お祖父様に至っては、次代に家爵を譲ったジジイが出しゃばるものではないと明日来訪する予定のヴィルとヴィオラお姉様に付いてくるらしいアルムストレームのお祖父様を迎える準備に勤しんでいた。
「では、駅までお迎えに行ってきます」
「ああ、気を付けて行っておいで。はぁ……大丈夫だろうか」
「この期に及んで心配しても仕方がないでしょう。やれることはやったのだし、リネアと仲良くしていくださっているのだから大丈夫よ。ほら、お待たせしてはそれこそ一大事でしょう、早く出なさい。お茶の準備をして待っているわ」
心労でやつれて見えるお父様とそれを励ますように声をかけるお母様に見送られ、ジェニア様を出迎えるための馬車に乗った。
我が家の馬車は、王都で見かけたきらびやかな装飾の施されたものではなく、良く言えば素材感を活かしたシンプルなワゴンだ。内装のクッションはお世辞にも柔らかいとは言えない。この辺りでは箱馬車自体が珍しく、加えて扉に刻まれた家紋で領主の馬車だとわかるが、もっと栄えた街にこの馬車で行こうものなら乗合馬車と間違えられるかもしれない。
仕方がないとはいえ、この馬車で公爵令嬢を迎えるのは問題ないのだろうかとお父様のように不安が頭をもたげた。小さな石に乗り上げたのか、がたんと車体が大きく揺れ、隣に座っているアンが短い悲鳴を上げた。御者の青年が一度馬を止め、申し訳ございませんと焦ったように謝罪とこちらの身を案じる言葉を投げてきた。遠くで汽笛の音が聞こえ、問題ないから帰りは気をつけてねと手短に伝えて先を急がせた。
駅に着くと、役人主導でホームに荷物を搬入しているところだった。
この国の汽車は荷物輸送が主な用途で定期運行されているのは貨物車のみで、汽車旅をしようと思うとその貨物車に客車を同行させることが基本だ。そもそも客車一両を借りるか所有すること自体莫大な費用が必要で、特に上位貴族の中では汽車旅ができるということがひとつのステータスになるらしい。
ジェニア様も当然貨物車両とともにやってくるので、彼らはそちらの積荷の準備をしているというわけだ。駅に汽車が到着するまで彼らの仕事ぶりを馬車の中から眺めていた。
大きな汽笛の音が聞こえたと思ったら、レールと車輪の擦れる音とともに汽車が駅に滑り込んでくるのが見えて、停車したのを確認してから馬車を降りた。積荷の受け渡し作業の邪魔にならないようにそっと駅舎に入り、客車を探すと最前車両のすぐ後ろに連結されており、少し待つと白いツバ広帽子と紺地を銀糸のレースが彩るナロードレスを身に纏ったジェニア様とトランクケースを携えたリュナさんが降りてきた。
「ジェニア様、このようなところまでご足労いただきありがとうございます」
「リネア、久し振り! こんなところなんてとんでもないわ、車窓から見ていたのだけれど本当に牛が放牧されているのね、前世でもこんなに広大なところ来たことがないわ」
目を輝かせて話すジェニア様にひとまずほっと胸を撫で下ろす。本人が来たいと言ったのだし、事前に酪農が盛んだけれどそれ以外特になにもない場所だと説明はしていたものの、実際来訪して思っていたよりもなにもないと言われる可能性は捨てきれなかった。
少し遅れて、複数のトランクケースを抱えて降りてきた汽車の乗務員であろう男性にジェニア様は馬車まで運ぶように指示を出したので、そばに控えていたアンに案内するように頼んで、私達もゆっくりと馬車に向かった。ジェニア様は公爵家の馬車と比べたらみすぼらしいであろう馬車を見ても特になにも言及することなく、御者の青年の手を借りて乗り込んだ。
駅からの復路は御者の彼が細心の注意を払ったのだろう、往路よりもゆっくりとしたスピードだったが大きな揺れもなく屋敷に戻ることが出来た。玄関先でジェニア様を迎えたお父様はやっぱり緊張していたけれど、お母様の用意してくれていたお茶の席は終始和やかで用意したお茶とお菓子も口に合ったようだ。特にブラマンジェをお気に召されたようで、「やはり酪農が主産業ですわね!」と感動していた。ジェニア様と打ち解けたお母様が「この子、ダンスの授業酷かったでしょう」と話を振ったときは私だけ居心地が悪かったけれど。
「夫人、問題ございませんわ、私が付いておりますから卒業するころにはリネア嬢は誰がお相手だとしても見劣りすることのないダンスができるようになっているはずです」
そう宣言されたときには思わず両手で顔を覆って俯いてしまった。ジェニア様は私のことを過剰評価しすぎだと思う。
そんなこんなで、晩餐の前に私の部屋を見たいということになり、ジェニア様用の客間にお連れする前に大して面白みのない自室に案内したのだが、室内をきょろきょろと見回して小首を傾げた。
「私の荷物は?」
「ジェニア様のためにご用意した客室にあると思いますが」
「え!? 今日はリネアの部屋でパジャマパーティーじゃないの!?」
私の肩を掴んでぐわんぐわんと揺らされながら、当たり前じゃないですかと返す。その言葉を聞いてジェニア様は信じられないと驚愕の表情を見せた。
「お友だちの家に泊まりに来たら布団に入って電気を消してからも夜ふかししてコソコソ恋バナとかするものでしょう……? 明日以降はヴィオレッタ様とヴィルフレード卿もいらっしゃるから同室は難しいと思うけれど、今日くらいはいいじゃない。ね?」
肩にあった手が気がつけば私の両手を包みこんで訴えられるが、これを私の一存で頷いていいものか悩ましい。一先ず、晩餐の席で両親に確認を取るということでこの場は手打ちとなった。このあと、このことを話題に出したら、晩餐には顔を出したお祖父様から「いいじゃないか」と快諾の言葉を得られるとは思わなかったが、その時のお父様はやはり胃が痛そうにしていた。
「学生という身分のうちにしか出来ないこともあるだろう」
そのお祖父様の言葉でお父様も納得したようだった。
折角、お父様が最新の注意を払ってジェニア様に用意した客室だからと私が客室の方に伺うことを提案したが、ジェニア様は「リネアの部屋がいい」と譲らなかった。
私の部屋、私のベッドでジェニア様と二人横になっているのは不思議な感じだ。すぐ近くで、ふふっと笑う声が聞こえる。
「どうかしましたか?」
「前世でもお泊り会なんてしたことなかったから嬉しくて。リネアのご家族もこの家の使用人もみんないい人ね。私の立場上緊張させてしまうのは仕方ないのかもしれないけれど、ここに滞在している間に少しは打ち解けられるかしら」
「お母様やお祖父様とは随分打ち解けていたと思いますが」
「ふふ、そうね、目標は子爵様に『来年も是非いらしてください』って言われることよ」
「来年もいらっしゃるんですか?」
「ええ」
まだここに来て半日ほど、特に何をしたわけでもないのに一体何が気に入ったのだろう。
お互い瞼が落ちてくるまで、明日は何をしようとか学外でのお姉様はどんな感じなのだろうとかとりとめなく話していた。
なかなか筆が乗らず長いお休みをしていました。またぼちぼち更新していきたいなぁ…




