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夏季休暇に入る前、領地に帰ると伝えたときのジェニア様は衝撃に肩を震わせていた。彼女は王都住まいだから自宅に帰ると言っても学校から目と鼻の先だ。しかし、私やアルムストレーム姉弟の帰る先は汽車で数日かかる距離にある。しかも、学校側が用意してくれる帰省のための汽車は終業式の翌日に手配されているため、すぐに帰郷しなければいけなかった。
絶対に遊びに行きます! と息巻くジェニア様に、お待ちしていますと伝えたものの、実際に来訪されたときに家族はどう思うのだろうか。近況を伝える手紙は出していたが、王太子殿下の婚約者である公爵令嬢と親しくしているとは一言も書いていない。
説明が面倒だなとため息をこぼすとラウンジ車で席を共にしていたお姉様がどうかしたかと聞いてきた。思わず考えに耽っていたことに気付いて、すみませんと謝罪の言葉を告げる。
「ジェニア様が折を見てこちらの領地に遊びに来てくださるそうで、家族にどう説明したものかと」
「ありのままお話すればいいと思うけど、まあ、スフォルトーナ公爵令嬢が訪ねてくるとなると驚かれるだろうね。そのときは私もお邪魔しても?」
「ええ、もちろんです。ジェニア様もお喜びになられると思います。事前にお手紙で日程をお知らせいただけるとのことなので分かり次第、お姉様にもご連絡いたします」
「楽しみにしているよ。ね、ヴィル」
席を外していたヴィルは戻って来るや、かけられた問いかけに「なんの話?」と返しながら私の隣に座った。
「ジェニア様が遊びに来てくださるそうで、そのときにお姉様もご一緒したいと」
「なるほど、姉さんは当然僕もついて行くだろう、と?」
「婚約者である弟を差し置いて私だけで訪問するのは気が引けるしね」
「はいはい。でも、僕が混ざるのは邪魔じゃない?」
ヴィルは私の方を見て首を傾げた。私は首を横に振って「そんなことないよ」と答える。別に男の子に内緒の話をするわけでもないし、ジェニア様がヴィルを邪険にするとは思えない。
「私もヴィルに会えるのは嬉しいし」
そう伝えるとヴィルの前髪のかかった頬がわずかに赤らみ、唇が弧を描いた。
旅は道連れとはよく言ったものだ、お姉様とヴィルと過ごしていたらあっという間に目的の駅に着いていた。二人は私より先の駅で降りるから、ホームで汽車を見送って駅舎を出る。大きく息を吸い込むと青い草と肥の匂い、遠くで牧羊犬の声が聞こえ、帰ってきたなあとしみじみと感じた。
迎えの馬車に乗って屋敷に帰り着くと、エントランスホールで家族が出迎えてくれていた。軽く会話を交わしてから自室に入ると長らく留守にしていたとは思えないほどきれいに整えられていた。
「荷物ありがとう、アンはこのあと孤児院に帰るでしょう」
「はい、お嬢様のお手伝いが終わりましたら、お言葉に甘えて数日お暇をいただきます」
「荷解きは他の人に頼むから大丈夫だよ、アンだって疲れてるでしょう」
そう言ったのにアンは首を横に振って持ち帰った荷物を解いていた。働き者だなと感心していると部屋の扉が鳴って入浴の準備ができたと呼ばれた。適当でいいからと念を押して私は浴場へと向かった。
久し振りに湯に浸かって、全身を洗ってもらうとさっぱりして体が軽くなったように感じる。汽車には水浴びをできるような浴室はないから、数日間は濡らした布で体を拭くくらいしかできなかった。それでも肌の不快感を解消できていたと思っていたが、実際入浴するとその爽快感は段違いだった。
自室に戻るとベッドサイドのナイトテーブルに水差しとコップが用意されていて、適当でいいと言ったのにと笑みが漏れた。一杯水を飲んでベッドに転がるととろとろとまぶたが下りてきて、そのまま眠りに落ちていた。
自分が思っていたよりも疲れていたようで、窓から煌々と差し込む光と鳥の声で目が覚めた。夕食には起きるつもりだったのに、夕食どころか翌日の朝食も済んでいるような時間で、昼食にようやく顔を出した娘を両親とお祖父様は「首都は遠いから仕方ない」と笑って許してくれた。
「学校はどうだい?」
「ヴィルもいるので問題なく過ごせています、ヴィオラお姉様も気を遣ってくださっているし、あ、でも、お母様! どうしてダンスは覚えていった方がいいと教えてくださらなかったのですか!」
「あら、学校で習うのだからいいと言ったのはリネアじゃない」
「みんなある程度できる方ばかりだとは思わないじゃないですか」
「でもあなた、刺繍は入学前からやっていたでしょう、それだって同じではないの?」
たおやかな笑みを浮かべるお母様の言葉に私はなにも言い返せなかった。お母様は、それにと続けて、
「少し苦労するくらいはいい経験になったのではない?」
ぐうの音もでなくて、喉の奥から「はい」と言葉を絞り出した。事実、これがあって念には念を入れるべきと学んだのだから悪いことばかりではない、そのせいで多少の厄介事に巻き込まれもしたのだけれど。
水で喉を潤してから、そういえばとお祖父様を見る。静かに食事をしていたお祖父様はその手を止めた。
「まだ日程は決まっていませんが、休みの間にヴィルとヴィオラお姉様がいらっしゃるそうですからアルムストレーム前子爵様も一緒にいらっしゃるかもしれないと仰っていました」
「わかった。詳しくわかったらまた教えておくれ」
「はい。それと――」
今度は両親も含めて見回して、ごくりと唾を飲む。
「学校でスフォルトーナ公爵令嬢に良くしていただいていて、この休みの間にこちらに足を運ばれるとのことです」
ピタリと空気が固まるのがわかった。縁もゆかりも無い子爵家に国王の側近を務めるような公爵家のご令嬢が訪ねてくるなど一大事にもほどがある。私は彼女がどんな人物かわかっているのでいいが、人となりを知らない両親とお祖父様からしたら粗相があってはならないと身構えても仕方のない相手だ。
わかってはいたが、少しだけ胃がきりりと痛んだ。
「あくまで私の学友として遊びに来られるだけですから、そんなに身構えなくても大丈夫、だと思います。ご本人も気難しい方ではありませんから」
「そ、そうか。でも良くしていただいているならしっかり歓迎しないといけないな」
「ご身分を考えると緊張してしまうけれど、リネアの友だちだものね、そう考えるとお迎えするのは楽しみに思えるわ」
「スフォルトーナ令嬢がご訪問される際にヴィルとヴィオラお姉様もいらっしゃる予定なので、日程がわかりましたらご報告いたします」
私の発言で緊張が走った瞬間もあったが、つつがなく昼食は終わった。お父様はまだ緊張が抜けていないようであったが、お母様は結局楽しみな方が勝っているようであったし、お祖父様なんかは名前が出た直後は驚いていたが、公爵令嬢と親交を持っていることについては流石は我が孫娘と誇らしさを抱いており、まさに三者三様の反応であった。お父様の胃のことも考えると、来訪日の連絡が早く来ることを願うばかりだった。
住み慣れた我が家はとてもいいものだ。自室でゴロゴロしたり、書庫で読書をしたり、厩まで出向いて愛馬の手入れをしたりと気ままに過ごして一週間ほど過ぎたころ、ジェニア様からの手紙が届けられた。




